(4)
弐-(4)
「覚えたか?」
医務局へ向かう道すがら、前を行くサリュウ・コズミ隊長がそう聞いたのは、朝のミーティングで受けた〝自己紹介〟のことである。
チヒロは、大量に受けたテレパスにぼうっとする頭を手のひらで叩いた。
「はあ……なんとか」
「覚えろ」
「……努力します」
簡潔な指示に、チヒロは棘のある答えを返す。すぐさま前をゆく背中から注意が飛んだ。
「ここでの返事は〝はい〟か〝いいえ〟だ。余計なことは答えるな」
「………………はい」
「素早く、だ」
「はい」
チヒロは憂鬱に返事をした。稀人であることはともかく、どう考えても自分が軍に入るという図が、しっくりこない。
――絶対に向いてないと思うんだけどなあ。
「向いているかどうかは君ではなく、上の者が決めることだ」
「……あんまり読むなって、隊長、わたしに忠告しませんでしたか?」
「君と違って俺は統制がとれる。君に読まれる心配はない」
確かに、昨日は聞こえてきたサリュウの思考が、今日はまったく聞こえない。これが統制というものか。
「それに――今日の君の思考は〝だだ漏れ〟だ。もう少しセーブしろ」
「あ……」
チヒロは、自分のガードがいかに甘かったかを知った。
サリュウとの念話が、みんなに聞こえるはずだ。昨日からいろんなことが起こりすぎて、意識するのを忘れていたのである。
今までは少々ガードを下げても他人に踏み込まれることはなかったが、ここでは違う。
――楽になるかと思ったら、逆なんだ。
稀人が大半を占める三風の社会では、統制がむしろ常識なのだ。
「はい、気をつけます」
「疲れているから甘くなるようでは、統制とはいえない。特に……君と俺は繋がりやすいようだからな」
「はい?」
聞き返すチヒロに、肩越しに冷たい視線が投げつけられる。
「アサギ医師の意見だ。君と俺は〝似ている〟んだそうだ。共振しやすい」
つまりカイデンの〝ジュニア〟という呼び方も、当たらずとも遠からずというわけだ。
「わたし、サイコキネシスなんてもってないですけど」
「俺もプリコグニションじゃない。それに――」
サリュウがようやくチヒロに顔を向け、確かめるように訊く。
「物体転送も、だな?」
チヒロは今朝、荷物の中から砂糖とミルクをコーヒーに〝持ってきた〟ことを思い出した。
「なんで知って――」
尋ねかけて、ひとり頷く。
「分かりました。だだ漏れ、だったんですね」
「そのとおりだ」
笑顔もなく肯定し、サリュウが顔を前に戻す。
その広い背中を追いかけながら、チヒロは頭を押さえて呻いた。
――な、なんとかしなきゃ。
「なんとかしてくれ」
サリュウの肉声が応じる。
――じゃあ、読まなきゃいいのに。
「統制しろ、というんだ」
「……隊長。わかりました、わたし」
「何がだ?」
「隊長がSだってこと。ヒソク宙尉が言ってましたけど、納得です。人をいじめるのが好きじゃなきゃ、こんな所業しませんもん」
チヒロの声を背中に受けながら、サリュウが医務局に入るためのロックを開ける。チヒロにはまだ訓練生としてのIDカードもコンピュータへの認証登録もできていないのだ。
いささか礼を失した発言に、八部隊長の眉間に険が漂った。
「所業、だと?」
「人を強引に呼びつけたり、部下を顎で使ったり……だだ漏れの意識を読んだり」
ぶつぶつ続けるチヒロに、なにか言いたそうな顔をしつも、サリュウがドアを開けて待つ。
さすがに、すみませんと頭を下げて、チヒロが傍を通り抜けようとした、一瞬。
――……できれば俺も読みたくないって。
ため息混じりのぼやきが伝わってきた。
チヒロが吹き出す。慌てて口に蓋をしたところで、時すでに遅し、だ。
気づいたサリュウの顔色が変わる。
「チヒロ・ハナダ……っ!!」
廊下に沈んで笑いつづけるチヒロに、訓練最初の隊長の雷が落ちた。
*
昨日とは別の検査ということで、検査用のガウンに着替え、チヒロはアサギ医師の前の診察台に仰向けになった。
頭の向こうの壁際には、渋い顔をしたサリュウが貼りついている。
「あ~、おっかしい」
八部の専属医師であるユノ・アサギは、喉をひきつらせながら、目尻に浮かんだ笑い涙を拭った。リーディングをもつ医師は、二人が入って来たときから、ずっとこの調子で笑っている。
「そんなにおかしいですか?」
「う……うん。ごめんね」
言いつつも、心電図のパッドを貼る手が震えている。サリュウが呆れた。
「笑いすぎだ、ユノ」
「だ、だって……あなたのあの怒り方、医局中に響いたわよ?」
「それはいいから、このだだ漏れ娘を早くどうにかしてくれ」
乱暴な言い方にチヒロは、むっとなる。
「だから、読まなきゃいいって言ってるじゃないですか」
「統制しろ、というんだ」
「できたらとっくにしてます」
はい、いいえの軍隊式返事など、とうの昔に宇宙の果てである。
「第一うら若い女性の心理を読むなんて、どういう了見なんです。大人なら一歩引いて見守ってくださいよ」
「うら若いのではなく、単にガキなだけだろう。おまえも女の端くれなら、一歩下がってついて来い」
「うわ、旧石器時代の発言」
どうせ筒抜けなら口にしてしまったほうがよいと思いきったチヒロの言葉は、止め処がない。
口には自信があるつもりだったが、意外や、無口だと思っていた相手は思わぬ弁達者だった。
「石器時代は略奪婚だぞ、愚か者。石のハンマーで殴り倒して嫁にしていた時代に、一歩下がってついてくる女などいるものか。少しは考えてから物を言え」
「Sっ気の強い隊長を見ていたら、つい出てきちゃったんですよね。なんでですかねえ」
「おまえなら殴り倒しても、絶対嫁にはもらわん」
「大丈夫です。殴られた借りだ・け・は、きっちり返しますから」
覇気満々で言い返すチヒロに、サリュウがうっと詰まる。
「この……ああ言えばこう言う……」
「言われれば言い返します。口がありますので」
「ユノ!」
「な……なに?」
診察台の陰で、笑いのけいれんを起こしかけていたアサギ医師が起きあがる。
「俺はこの馬鹿と遊んでいる暇はないんだ。夕方連れ出しに来るから、それまでに全部の検査と最低限の統制くらいは終わらせておけ!」
「わ、分かったわ」
必死に笑いを堪え、医師が頷く。
サリュウはさらに、チヒロに血も凍るような眼光を突きつけて言い放った。
「俺に距離は関係ない。馬鹿なことをしたらすぐに分かるから、くれぐれもドクターに迷惑をかけるんじゃないぞ。いいな!」
「はぁーい」
「返事は短く!」
「はいっ」
言いたいだけ言うと、八部隊長は鼻息も荒く医務局を出て行った。
*
「終わらせておけって、ずいぶん偉そうですよね」
「ふふ、偉いのよ。うちは独立しているけど、わたしは八部の専属医師。彼の命令は絶対なの、一応」
それでも、一応とつくあたりが、アサギ医師ならではなのだろう。
チヒロはしょぼんと肩を落とした。
「そんなにすごいんなら、あんな言い方しなきゃよかったかな」
「出たものは戻らないわよ」
「そうですけど……」
「彼もあれだけ怒鳴ってすっきりしたんじゃない? なんだか二人、仲のいい兄妹みたいだったわよ」
ようやく笑いの収まった医師が、心電図のモニターをチェックしながら言う。
横になったまま、チヒロは口を尖らせた。
「あんなおっきい兄貴、ごめんです」
「じゃ、親子?」
「……そりゃ、オヤジっぽくも見えますけど」
みんなに指示を出し統率するサリュウは、年齢を感じさせない頼れるリーダーという印象だ。だが、その仮面の下の素顔を垣間見てしまった以上、それをそのまま素直にとるのもどうかという気がする。
「少なくとも両親は、あんな感じじゃなかったけどなあ」
「ご両親はどんな方? ――あ、次の検査の睡眠薬、注射させてね」
検査の終わったパッドを外しながら話しかける医師に、チヒロも袖をまくりつつ答えた。
「父は六花市のバイオ燃料の工場で働いていた研究員で、二人ともその工場の事故で亡くなったんです。父は温厚で、面白いことが好きなひとでした。葉っぱで風車作ったり、お面作ったり。
母は――産んでくれた母には悪いんですけど、まったく記憶にないんです。だからわたしにとって母は、父が再婚した相手、なんですよね。ずっと昔からわたし、母親って、いい子にしていればどこからかプレゼントされるものだと思い込んでて……」
チヒロは照れくさそうに笑い、診察台の上で膝を抱えた。
「父と母は、マナクの父を通じて友人同士でした。そのひとが亡くなって、お腹の大きい母を父が面倒見て、それがきっかけで結婚したんです。わたしはずっと傍で見てましたから、あのきれいな女のひとが母親になるのが嬉しくてうれしくて――」
「いいひとだったのね、お母さん」
「そうなんです。自慢の母でした。母はマナクにそっくりで、背がすらりとして夕陽色のきらきらした髪をしていて、肌が白くていつも笑ってて。あまりに母が好きすぎて、わたし、すごいこと言っちゃいましたもん」
『――わたしを母さんの娘に産み直してよ』
「母、困ってたけど笑ってました。でも……泣いてたかもな」
「喜んでたのよ」
「だといいんですけど」
もう取り返せない情景に、チヒロの眼が潤む。
――だだ漏れだったら、隊長にも伝わっちゃうんだろうなぁ。
思ったが、それでも、しばらくぶりに思い出した懐かしい両親の記憶に、もう少し浸っていたかった。
――隊長、ごめんなさい。
心の中で謝り、チヒロは抱えた膝小僧に瞼を押しつけて、涙をごまかした。
淡くおぼろな両親の面影に、小さく呼びかける。
――父さん、母さん……ごめん。わたし、マナクを守りきれなかったよ。
堪えきれない涙が一粒、膝の上からこぼれ落ちた。
※略奪婚の話は、昔そんなようなことを聞いた気がしたのですが、裏付けがとれませんでした。。。なので、口から出ちゃった的な話ということでお願いします。