(6)
拾弐-(6)
「――くそっ!」
罵声とともに足元のレバーを蹴りつければ、床に開いた穴から、ウォーターカラフェを載せた円形のバーテーブルが浮上した。
保冷された擬似ガラス製のそれから、グラスに水を注いで呷る。冷静さをとり戻すためのその行為は、しかし成功したとは言い難かった。
――なぜあの場に〝あのひと〟がいる?
最後に声をかけてきた人物――彼は、本来こんなところに顔を出すような種類の人間ではない。最初に視たときは、意外すぎて一瞬その正体に見当がつかなかったくらいだ。
だが、顔貌と胸の階級章を確認した途端、然しものサリュウも肝が冷えた。救いは、今回の審問が〝内部調査〟という名の下に開かれたもので、審問者らに正体を明かす気がなかったことである。
――正体を暴いてしまったが……。
一向に口を開かない彼の真意が掴めず、つい挑発的な態度をとってしまったが、それが良かったのか悪かったのか、まるで読めない。サリュウの発言を後押ししたことすら、裏があるのかと勘繰ってしまいそうだ。
とはいえ――目的は達した。
息をついて、もう一口水を口に含む。グラスを持つ手がやけに強ばっているのを感じ、さすがに緊張していたのだと苦笑が洩れた。
今回の目的は、上部組織である公安の重鎮たちに対し、八部にできるだけ温情をかけてもらえるよう訴えることである。今の時代、伝達ツールは充実しているが、やはり面と向かって語りかける言葉の力は大きい。
八部の進退を含め、彼らは自分の力量を見極めに来たはずだが、あれだけの面子が一同に揃い、意見を直接交換できる場はそうあることではない。不名誉な状況ではあるが、サリュウはそれを敢えて逆に利用したのだ。
――裏目に出ていなければいいが。
八部の現状を訴えることは成功したとみていい。多少神経を逆なでしたが、こちらの本気は伝わったはずだ。手ごたえもあった。不安要素は残るが、最善を尽くしたと言えるだろう。
――ともかくこれで……やつらの情報が手に入る。
やっと一歩、本当に確かな道を進み出した気分だ。敵へとつながる見えない道程は手探りで切り開いていくしかないが、それが正しいか否かは、辿り着かねば分からない。そのことが闘争心をかきたてる一方で、ひどく心許なくもあった。
揺れうごく気持ちを抑えるように、グラスに残る水を一気に飲み干す。そしてテーブルごと再び床下に収納すると、サリュウは、疲れた汗を流すために備付のシャワールームに向かった。
*
着替えを終え、サリュウが隊長室を出ると、本部メインルームの後方デッキにいたラギが、軽く目をみはって出迎えた。
「サリュウ、いつからそこにいたんです?」
「語れば長い話だ」
「それはお疲れさまです」
「こっちはどうだ? しばらく空けると、浦島太郎になってやしないか心配だよ」
「問題なく進んでいます。そちらは、無事に玉手箱がいただけたんですか?」
軽口に乗ってきた隊長代理に、サリュウも応じる。
「開けるまでのお楽しみだ。俺の髪が白くなったら祝杯をあげてくれ」
「その様子では、審問は順調だったようですね」
「ああ。厳しいことは言われたが……いや、あの程度で済ませてもらったと言うべきだな。手緩かったよ」
「それは、八部が[夜刀]に狙われたことに関係が?」
「じきに分かる」
曖昧な答えに、一瞬ラギは年下の隊長を黙視し、心得たようにうなずいた。
「では、いつ白髪になってもいいように、毛染めの準備をしておきましょう」
「よろしく頼む」
年長の副官の物分りのよさに、サリュウは微笑んで首肯した。
ミヲやカイデンも頼りになるが、八部におけるラギの存在は別格だ。外柔内剛の人柄は勿論のこと、年功序列が主流にもかかわらず隊長の座を後輩に譲り、論文博士ながら博士(理学)の学位を取得した異端の軍人でもある。その見識の広さはサリュウも舌を巻くほどだ。
ミヲが右腕なら、彼はまさしく左腕。暴走しがちな八部の停止装置である。
「そういえば、ラギ。あっちのほうはどうなっているんだ? みんなに話すのをいつにするか考えているんだが」
「……もうしばらく先でお願いします」
まだ公にされていない私事を言葉を濁して問えば、違う意味で濁された答えが返る。
恋人の妊娠、プロポーズと人生の山場を迎えているはずの男は、繁忙というだけでなく顔色が冴えない。
「まだ、なのか?」
「このまま立ち消えてしまわないか、少々危惧しているところです」
冗談とは思えぬ苦笑をまじえ、ラギが手にしていた3Dボードを手渡した。留守にしていた数日分のデータを呼び出し、リーディングで一気に読みとりながらサリュウは小声で続ける。
「今の状況ではそんな気分になれないだろうが、遠慮は無用だぞ?」
「私のほうはつつがなく済んだのですが、彼女のほうが問題で」
「ああ……あの人か。確かに、ラギは滅多切りにされそうだな」
「それは覚悟しています。私としても誠意を尽くしたいのですが、説得は自分でするから絶対に会うなと宣言されてしまいまして。会ったら全部白紙だそうです」
「いろいろとご愁傷様だな」
慶び事とは思えない言葉をかけ、話題を変える。
「皆の様子はどうだ?」
「本調子とは言えませんね。とくに若いメンバーが堪えています」
「……だろうな」
「代わりに、真ん中の子たちが踏ん張ってくれていますよ。シャモンは佐官なので当然ですが、思いの他ヒナトが積極的に動いてくれて助かっています。女性陣はマリカとスーリエを中心にとり決めをして、ダイナンのフォローアップを図っているようです」
「今はりきりすぎて、後に響かなければいいが」
「心配なのはそこですね。長期戦になるとは言ってあるのですが、気を抜くところがわからないらしくて、常にぴりぴりしていますよ」
「そろそろミヲが本格復帰できると聞いた。フォローさせよう」
「はい」
3Dボードを持ったままサリュウがタラップを降りてゆき、その後をラギが追う。
昼を回り、まだ朝番が勤務する時間帯だが、キサ・ミヅハ・アスマに混じって早くもヒナトの顔があった。通信室にはスーリエ。昼番に振り分けたはずの二人の勤務は、軽く十二時間を超えてしまいそうだが、経験値の低さを人数で補填しようという彼らなりの考慮の結果なのだろう。
センター席に座るヒナトがふり向いた。
「隊長。お疲れさまです」
「まだ昼番じゃないぞ?」
「ここにいるほうが落ち着くんで」
「悪い傾向だな」
「上司を見習いました」
すずしげな笑顔で返されれば、ワーカホリックの自覚のあるサリュウに反論の余地はない。それに部下の心理として、働きづめの隊長をさしおいて休むというのはやりにくいものだ。
やれやれと肩をすくめる彼に、ヒナトが小さなクリスタル・チップを差し出した。
「ちょうど良かったです。例の件、報告書にまとめたので確認をお願いします」
「ああ、助かる。仕事が速いな」
「いいお手本がいますから」
「……こうやって、いいところだけを見習ってくれると嬉しいんだがな」
皮肉とも褒め言葉ともつかない部下からの評価を微苦笑で受け、サリュウはチップを胸ポケットに滑り込ませた。内容は、つい五日前、食堂での事件の直後にヒナトに命じた六花での調査に関してのことで、すでに口頭で報告を受けていた。
「緩急はしっかりつけろよ。居住区のアメニティを充実させるよう進言しておこう」
「それより食堂の復旧をお願いします。インスタントとスナックバーのローテーションは、もう飽きました」
サイボーグたちの襲撃で半壊した管理棟三十七階フロアの食堂が再稼動できるのは、最短でも1ヵ月後と言われている。
その間、利用者たちは別棟や上下階の食堂を利用しているのだが、元より異端である八部隊員にとってそれらは居心地のよい場所ではなく、さらには襲撃の対象となったという事実もあって、針の筵にいるよりはと支給の戦闘糧食などでしのいでいるのが現状だ。
最近のインスタント食品も質が上がって、固形食糧を調理器に入れれば簡単に一汁三菜ができあがるのだが、どうにも味が単一だと評判はいまひとつだ。もとを正せば食材はすべからく有機合成の人工産物なのだが、人の手が加わるのとそうでないのとでは格段に違う。人の舌は思いのほか繊細なのだ。
ましてや食堂での食事というのは、単なる栄養補給だけではない。気の知れた仲間と顔を合わせて語らいながら食べるという行為そのものが滋養と言える。
部下からの要求にサリュウは、覚えておこう、と頷き、思い出したようにつけ加えた。
「食堂が再開したら、久しぶりにみんなで呑むか」
「いいですね。奢りですか?」
「勿論、俺が言い出したからな。その代わり、みんなに声掛けを頼む」
「ラジャー」
いささかおどけたヒナトの応えを耳に受けつつ、サリュウはさらに短いステップを降りて、巨大スクリーンの前に並ぶ年少メンバーたちの様子を窺った。やはりアスマの顔色が悪い。日に焼けた肌はどす黒く、両眼もいささか落ち窪んで、一目で寝ていないのが分かる。
居室も同じで、〝セット〟でくくられることも多かった、一番仲の良い先輩が死んだのだ。一人部屋をもつ幹部生のシャモンが気を遣い、数日だけでも同室をと申し出たが、頑として断ったという。
ほんの数日前まで少年らしい丸さを帯びていた頬が、今は見る影もなく削げ、若々しさと同時に精気まで失っているようだ。
想像以上の状態の酷さに、一瞬かける言葉をためらったサリュウは、右隣のセカンドフレーム前に座るフアナの気遣わしげな視線に気づき、意識して眉宇をゆるめた。
「ひどい顔色だ。だいぶ寝ていないな、アスマ」
「……すみません」
「体調管理も仕事のうちだぞ」
「はい。以後、気をつけます」
叱ったつもりはないのだが、そう言ってうつむいてしまった部下に言葉を重ねようとして、サリュウは口を閉ざした。アスマがもの言いたげにこちらを向いたのだ。
「あの……隊長。ひとつ聞いてもいいですか?」
「なんだ?」
「本当に、イブキは、ほんとうに――俺たちを、裏切ったんでしょうか」
搾り出された言葉の深刻さに、はっと周囲が凍りつく。サリュウは一言の澱みもなく答えた。
「裏切ってはいない」
「でも! あのとき、あいつ隊長に銃を……隊長を、殺そうとしたんですよ? なんで……っ!」
悲鳴に似た叫びをあげて、アスマが立ち上がる。名を呼び、制止するつもりかフアナも席を立った。それを眼差しで止め、サリュウは勢いのまま胸ぐらに掴みかかる青年を受け止めた。
「なんで……なんで……っ」
苛立ちをぶつけるその行為は、むしろ行き場のない哀しみから逃れようとすがりついているようだった。
見開いた、空洞のような黒茶色の瞳を間近に見下ろし、サリュウは気づいた。
――そうか。こいつも、うまく泣けないんだな……。
リーディングによって詳細を把握した彼からすれば、イブキはただの被害者となった部下だが、アスマらは特に食堂での一件を目撃している。信頼していた仲間が隊長へ銃を向ける――その情景は、いかな理由があったとしても簡単には容認できないはずだ。
衣服を介しても溢れこんでくるアスマの感情は、痛々しいまでの純粋な怒りと哀しみに満ちている。だが、隊長としてかけてやれる言葉は少ない。
「おまえたちにすべてを説明してやれず、すまなく思う。だが、彼の件はまだ調査中だ。過剰な言動はこの場だけにしておけ」
「じゃあ、俺も捜査に――」
「体調管理ひとつできない部下に、俺がそれを任せるとでも思うか?」
「!」
微温すら感じさせない声音に、アスマの体がぴくんと跳ねた。握りしめていた手が、ゆっくりと軍服から離れる。
「動じるなとは言わない。忘れろとも言わない。だが一人前の男なら、やるべきことをやれ」
「……はい」
力なく、アスマがうなだれる。
「どうしても眠れないというなら、俺が強引に眠らせてやる。方法はいくらでもあるぞ?」
「え……」
「た、隊長! 強引なのはあまり良くないと――」
深緑の双眸をきらめかせる男に、蒼ざめたヒナトがセンター席から呼びかけた途端。何処からともなく、ちいさな火花に似たテレパスの明滅がその場を奔った。
「あれ、今のは……?」
「馬鹿が余所でやらかしたようだ。ちょっと後始末に行ってくる」
さすがと言うべきか、その内容を瞬時に捉えたサリュウが、乱暴に告げる。3Dボードをラギに返し、
《五分後にユノのところに来てくれ》
《わかりました》
タラップを上りかけ、毒気が抜かれた顔を並べる部下たちをふり返る。
「――ああ、ヒナト。口を挟んだ責任で、おまえがアスマの指導係だ」
「はい?」
「当番の前に、腹筋・背筋・腕立て・スクワット各二十回を三セット。ランニング三十分。終わった後は同メニューにサイドステップと縄跳びを追加。スパーリングも混ぜて下半身を強化させろ。査定対象だから、評価表を忘れるな。フアナ、マネージメントを頼む」
「ちょ、眠らせるって、そっちの方向ですかっ?!」
「軍人の基本は体作りだ。一石二鳥だろう?」
にやりと笑って、空間を転移した。