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拾弐-(5)
チヒロが、まだカグヤを見舞いに医療棟をうろついていた頃。
サリュウ・コズミは、ある一室で軟禁状態に陥っていた。
これはあくまで主観の問題で、そこに至った経緯はまるで違うのだが、気がつけば隔離された室内から一歩も出ずに丸六時間を費やした事実を考えると、軟禁と呼ぶに相違ないだろう。
飲み物は口にできるがトイレも行かず、休憩もあってないようなものである。
――それに付き合うほうもどうかと思うが。
付き合うという表現は正しくない。この軟禁状態を強要したのが、相手方だからである。
相手方とは、内部調査委員会という名の下に勢揃いした公安の幹部たちだ。
公安と呼ぶと旧時代、法務省下にあった公安調査庁を連想されるが、現在は自衛宙軍の内部部局のひとつである。
初の開拓船である[まほら]は、その政治的重要さと航海年数の長さから暫定政府として自治を認められ、日本政府の指揮下にあるものの、行政院・立法院・司法院という独自の政府体制を布いている。それは宇宙艇という限局的な小社会ゆえに徹底した組織の簡素化、効率化が必須であり、様々な統廃合の末、行政院は最高評議会をトップとした十二局が組織されていた。
十二局とは、最高評議会の直属組織である警察庁、検察局・会計監査院・総務局・厚生労働局・文教局・経済産業局・運輸局・環境局・衛生局・財務局、そして軍政院である。その性質から法務司・政務司・財務司・軍務司に分かれるが、表面上、十二局は対等とされた。
公益を害する対象への調査と規制をおこなう公安が、法務ではなく軍務に組み込まれたのは、[まほら]メインコンピュータの統括管理をおこなう通信局と並んで、機密情報に最も近付ける立場からである。
軍が力を持ちすぎていると批判もあったが、本来[まほら]計画は、JAXAから派生した軍の宇宙開発局を主体とした国家事業であり、その計画に則って組織が整えられたために、軍制ではないが[まほら]の基礎を軍が握っているという奇妙な入れ子構造をもった体制となっていた。
とはいえ公安は、同時に軍の警務組織としての役割も与えられており、ある意味八部の上部組織としてこれ以上適任な部署はない、優れた〝飼い主〟と言えた。
サリュウを呼び出した幹部は、全部で十二人。
もちろんその内の一人が公安局防衛政策部の長・タンバ部長であることは明らかだが、断定はできない。
わざわざ隊長室を閉めきらせて現われた彼らは皆、白いスクリーンに映し出される黒い胸部像となって、その正体を隠していたからだ。無論、音声にも加工が入れられている。
――まったく七面倒なやつらだ……。
心理的圧迫を与えるため尋問者の容貌を隠し、陰で複数の人間が入れ替わり立ち替わり追及を行うのは軍でよくある手口だが、これは多少様子が違う。稀人対策なのだ。
創立当初から、隊長室と呼ばれる八部本部に併設した隊長専用の執務室には、電磁鎮静パルス(EMP)発生装置を組み込んだ多層隔壁が備え付けられ、稀人の力だけでなく電磁波をはじめとした一切の放射線をも遮断が可能となっている。防音どころの話ではない。
したがって、シールドを降ろした隊長室内でみだりに力を揮うことは叶わないのだが、それでも相手方が正体を隠したがるのは、最強の稀人である現隊長のこれまでの所業から発露した警戒心ゆえである。
これまで稀人の力が電子ネットワークと親和性があることは知られていたが、暗号やセキュリティウイルスを物ともせず、[まほら]のほぼ全艦の監視カメラに侵入できる男――これを脅威と言わずして何と呼ぶのか。[まほら]の機密がそれとして保たれているのは、ひとえに彼の理性とM法の成せる業とは、公然の噂である。
そんな彼の失態に好意的な視線が向けられるわけもなく――評価の下降という意味では一部で歓迎されたようだが――ねちねちとした尋問は事件そのもののみならず、隊員との関係や私生活にまで及んだ。
精神を削るこの不毛なやりとりが、事件解決に一体どれほどの意味があるだろうとサリュウは頭の隅で考え、すぐに苛立ちを打ち消した。
自分は軍人なのだ。自尊心など、すでに粉々にかち割られている。頭を下げて済むことなら、相手の気の済むまで下げつづけたところで、どこも痛みはしない。
おのれを支えるのは信念だ。忠誠心ではない。この力を使い、軍の手足となって人々の命と安全を守っているのだという自負心。
そして、守るべきものがあるという責任だ。
――なんとしても部下達に飛び火する前に食い止めないとな。
いつか観た夢に似たモノクロの空間にひとり立ち、ホロスクリーンに浮かぶ立体の影たちを仰ぐ。
円形となった彼らは、わずかに彼を見下ろす高みに位置していた。同様に高圧的な声が、代わる代わる尋ねる。
『それで君は、コウロ三等宙尉に落ち度はないと、そう主張するのかね?』
「はい。すべては私の責任にあります」
『被疑者確保のために四辻に派遣するには、彼は力不足だったと?』
「それに関しては判断を誤ったと考えておりません。四辻は高周波の電磁帯が存在しております。テレパスに特化した者よりもサイキックを派遣すべき現場でした」
『だが彼は被疑者を追い詰めて重症を負わせ、暗示にかけられて君に銃を向けた。挙句、被疑者は死亡。この状態で彼に責任はないと明言できるのかね?』
「まず訂正させていただきたいのは、今おっしゃられた三件については、現時点で関連性が不透明だという点です。とくに被疑者死亡に関しては、他の事件が起こらなくとも起きていた可能性が高い。相手は二羽市警ごと爆破して仲間と証拠隠滅を図った連中です」
『しかし君は先般、被疑者確保の際に起きた事故について、コウロ宙尉の失態を認めている。これは先ほどの発言と矛盾すると思うが?』
「被疑者を無傷で捕獲するという点において、彼は任務を失敗しました。ですがそれは、彼に起こったことを正しく認識できていなかったためです」
『どういう意味だね?』
イブキが意図的に被疑者カナタ・シオンによって心理的に追い詰められ、暗示にかかりやすいように誘導された経緯をサリュウが話すと、暗闇に浮かぶ影法師たちは一瞬、凍りついたように沈黙した。
『それは証明が可能か?』
「警察の手によって、被疑者の遺体から違法改造型のコンタクトレンズの欠片と思しきものが発見されましたが、犯行を証明するのは難しいでしょう。そのために、やつも頭から炉心に飛び込んだのでしょうから」
『……どこまでも計画的だったということか』
「はい」
『だが、いくら厳しい状況だったといえ、敵と直接対峙したのであれば、八部ならば察して回避すべきだったと考えるのは、望みすぎというものかね?』
「そのフォローをすべきだったのは私です。状況を包括的に見定めるのが私の役割でしたが、それを怠りました」
『その役割はむしろソウワ宙佐だったのでは?』
「彼は有能なサイキック――言い換えればハンターです。ナビゲーターには成り得ません」
『君が非を認めるとはめずらしい。しかし、いくら死者の名誉を守ったところで彼の失態は変わらんよ。稀人が――まして八部ともあろう者が精神を操られるなど、あってはならん事態だぞ』
稀人の超能力の基礎ともいえるテレパスは、精神感応能力と訳されるが、決して万能でも絶対的なものでもない。どちらかといえば、正しく統制しなければ周囲に振り回されることの多い、極めて受動的な能力である。
だが、盲人に色についていくら説明しても本当の意味で知り得ないように、稀人でない者に能力について理解しろというのは無理な話だ。
幾度目ともしれない諦観を胸の奥に押し込め、サリュウは冷静に説明を返す。
「今回おこなわれたのは、物理的状況をもからめた強力な暗示です。マインドコントロールではありません。したがって、精神的な防御も解除も困難であったのは事実です」
ざわり、と影法師たちに不穏な空気が走る。サリュウは語を重ねた。
「悪意を持って毒矢が放たれたならば、避けることが可能です。ですが、転んだ先に棘をもった罠が仕掛けられていた場合、刺さったとしても、棘が小さければ気に留めることもないでしょう。それと同じです。その小さな棘が、ゆっくりと傷口から体の奥深くに入り込み――死をもたらすものだとしても」
『……なるほど。相手はよほど周到に用意していたというわけか……君たちを標的に』
「おっしゃるとおりです」
『さっき君は自分の責任と言ったが、これを防げたと思うのね?』
「予測すべきであったと恥じております」
若き八部隊長の口から出た〝恥〟という言葉に、今度は別の意味で周囲がざわめいた。
「被疑者であるシオン医師は、暗示で一人の男を爆破テロ犯に仕立てあげ、さらに自殺へ追い込んだ男です。逃げ場所として四辻を選んだ時点で、次に仕掛けることを予想すべきでした」
警官と二人の八部に追い詰められた医師が、まさかあれほど冷静に罠を仕掛けてくるとは完全に想定外で――否、敵を甘く見すぎていたのだ。
――俺が直接視るべきだった。
六花の爆弾テロの経緯から導き出された推測と登録データから得られた情報で済ませるべきではなかった。やつは曲がりなりにも[夜刀]の一員なのだ。
電磁波の影響で、一時的に現場の状況が視えなくなったときも、カイデンがいるからと高を括っていた。信頼だけではない。
――慢心、だ。
痛烈にそう自戒する。だが、その甘さを中空で取り囲む上官たちは容認してはくれなかった。
『君が反省していることは良い。だが予測できたと考えるのは、少々自分の能力を高く見積もりすぎているのではないかね?』
風音に似た掠れ声。変声器を通しても分かるその主に、サリュウは軽く顔を向けた。
「予測できる・できないは机上の空論になりかねませんので、言葉を変えましょう。私は、彼らが八部に狙いを定めたと知った段階で、もっと注意深く対処すべきでした。ですが、通常の犯罪者と同列に扱ってしまった。その点を深く反省しています」
『もっと用心していれば防げたと?』
「はい」
『具体的にはどうすべきだったと思うのだね?』
「四辻では、被疑者確保に重点を置くのではなく、見つけ次第すみやかに殺害すべきでした」
『なに……』
さすがに声に険しさが宿る。一斉に非難の発言をあげはじめる影たちに、サリュウはわずかに声を高めて割り込んだ。
「[夜刀]はこれまでテロなどで数々の証拠を残しているようですが、その実ほとんど正体に迫ることができておりません。組織の中で割合重要な位置にいたと考えられるオウレンも、簡単に切り捨てられています。同じような立場であるシオンがこれほど安易に見つかったということは、彼らにとって切って捨てる準備が整っていたことに他なりません」
『しかし殺しては……』
「われわれの能力をお忘れですか? 最悪、頭部さえあれば事は足ります」
『な……!』
「もう少し言うなら、多少なりとも脳があれば充分です。活動領域は分散されていますが、元はひとつですので補完は可能です」
『リーディング、というやつかね』
「はい。物から読み取るサイコメトリーよりも精度は高いと証明されております」
暗に肉体すら必要ないのだと告げられ、影法師たちは、居心地悪そうに互いの様子を窺った。
『それでは、カナタ・シオンへはすでに?』
「残念ながらシオン医師の焼死体への接触は、安全上に不安があるとの理由で、警察から否が出ました」
『だが、君のところには接触可能な遺体がいくつかあっただろう?』
掠れ声が問いただす。
「コウロ宙尉に関しては、先ほどお話ししたことですべてです。リオウ・ギンに関してですが……あの後すぐ、彼の整形を担当したとみられる医師を探らせましたが、すでに死亡しておりました」
八部で動員できる人数が減ったとはいえ、サリュウも漫然と警察や公安の捜査を待っていたわけではない。イブキの葬儀と前後して、ヒナトを六花に向かわせ、ギンの足取りをさかのぼって調査させていた。
「医師を引き合わせた人物は、記憶に干渉されており判別不能。医師本人につきましては、度重なる違法手術をおこなっていたものの、[夜刀]とは無関係であることが判明しました。現在、ギンに改造手術を進め、三風に手引きしたとみられる人物の捜索にあたっています。
またギンとともに襲撃をおこなった二名のサイボーグについてですが、すでに死亡と診断の下ったフリーランスの殺し屋のID情報と一致。彼らの蘇生に携わった技術者を捜索中です」
『その報告は受けておらんぞ?』
「失礼いたしました。近頃こうしてたびたびお話し合いの場に借り出されることが多く、報告にまで手が回りかねておりますので」
明らかな皮肉に、野太い声が苛立つ。
『公安の許可なく単独で先走るとは、先の事件の二の舞になりたいのかね!』
「なりたくないから先手をとろうと腐心しているのです。それに、このたびの一連の事件は警察の管轄と、公安も認めているところでしょう?」
『ならば君たちも手を引け』
「標的にされて黙って引っ込めとおっしゃるのですか? それに忘れないでいただきたいのですが、八部は自衛宙軍の中でも特に独立性を認められた特殊機動隊の一部隊です。公安の指導を受ける立場にあっても、属僚ではありません」
『小生意気な口を叩きおって……それが指導を受けるという態度かね!』
「これも、みなさまも御薫陶の賜物かと」
まさにチヒロの言う〝ああ言えばこう言う〟サリュウの悪い癖に、影たちは一部失笑し、一部怒りに凍りついた。
罵声を浴びせようと身構えた体格の良い影を制し、細身の影が掠れた声で問いかける。
『では、八部はこれからどのようにこの事態を収拾するつもりかね?』
「無論、すべての能力を賭けて[夜刀]を一掃する所存です」
『警察は協力を拒否したようだが』
「先ほどご報告いたしましたように、われわれは独自の手掛かりを掴んでおります。われわれの職務内容は〝常人では知り得ない分野の情報収集と危急時における異能の発揮〟――その範疇で[夜刀]を追うならば、問題はないでしょう」
『十五名いた八部は、今や一名死亡、二名負傷。戦力は八割に減じ、精神的ダメージも大きいとみられるが、捜査に成果を期待できるのかね?』
「人数だけで戦力は推し量れるものではありません。ですが……確かに、わが隊のダメージが大きいのは事実です」
闇の中に佇立しつづける男は、わずかにうつむき、軽く拳を握った。
「そこで、みなさまがたにお願いがございます」
『なんだね?』
「このたびの一件、M法第9条第1項2および3に基づき、特例措置を認めていただきたい」
多重隔壁に守られた隊長室の闇が、どよめいた。
M法の第9条は、稀人の力の使用について定めた条項である。その第1項とは、このようなものだ。
=稀人特殊能力規定法 第9条第1項=
稀人は、その力で攻撃とみなされる行為をおこなってはならない。攻撃とは、人および物への打撃、故意の接触、破壊、精神的誘導を含むものである。ただし、以下の場合を特例として認めるものとする。
1. その力を正当に制御できる第三者の立会い下での訓練に該当する場合
2. その行使により、重大な社会的および物的損失を抑止できると公的に認められる場合
3. その行使により、有効に人命が救助されると公的に認められる場合
4. その行使によってしか、使用者本人の生命の危機を回避できないと一般に判断される場合
この〝公的〟というのが、後述で規定される〝稀人の能力について正しい知識をもった第三者機関からの選出を含んだ十名以上の小委員会による討議〟による判断で、これはこの内部調査委員会も該当した。
「われわれ八部はその力をもって捜査にあたることを求められながら、これまで防御に甘んじてきました。攻撃は最大の防御なりとは古くからの格言です。われわれに、この力をもって敵を掃討する権限をお与えください」
サリュウと同じく微動だにしていなかった黒い胸像たちが、そのスクリーンを破る勢いで騒ぎ出す。
『貴様、本気で言っているのか!』
『この厚顔無恥め!』
『甘い顔を見せていれば、いい気になるな若造!』
無機質な怒声が飛び交う中、サリュウは落ち着いて周囲を見ていた。
激昂しているのは予想通り三分の二ほどで、残りは静かなものだ。そのうちの一人が、間隙を縫って穏やかに問いを発する。
『その力で攻撃が可能となると、これまでとどこが違うのかね?』
「少なくとも、電磁パルス(EMP)発生装置に捕らわれて被害を拡大するという愚挙を防ぐことができます」
さらりと返された答えに影法師たちは束の間、理解しがたい空気を纏い、やがて得心とともに戦慄した。
『君は……あの装置を破壊できたというのか』
「あの程度でわれわれを――いえ、私を拘束しようなど子ども騙しです」
だが、破ることはできなかった。特例のどれにもあてはまらない――法律に縛られている身であるがゆえに。
あのEMP装置が、カイデンの命を奪うのではなく、動きを阻害し脳にダメージを負わせる程度のレベルだったことは、あまりに皮肉だった。
――もし、あれが、命を狙っていたなら。
その場に一般人がいても関係なく、サリュウは一瞬であれらすべての装置を破壊し、ギンたちを仕留めていたことだろう。
――……最低だな。
友の命を軽々しく天秤にかける自分に、胸の内で唾棄する。頤を上げ、おのれを取り囲む十二の影たちを見据えた。
「今のわれわれの働きを、本来の力だと判断されては困ります。われわれは常に、片手を後ろで縛られているようなものなのですから」
『制限されるのは仕方あるまい。特殊な力には相応の責任が伴う。責任は枷であり、君たちを守る檻でもある』
「それが、偽りの檻だとしてもですか?」
切りつけるように問い返す。
「なぜ、その檻が絶対だと思われるのです。鍵など持たずとも、われわれには抜け出る術がいくらでもあるのを、まだご理解いただけないのですか?」
『君のほうこそ、今の発言がどれだけ危険か理解しているのかね? それが真実ならば、稀人の判定基準を見直す事態だぞ』
「人は成長するものです。二十一年前に設立された八部とわれわれを同列とお考えならば、即刻あらためるよう進言いたします。例えば――この室内の多重隔壁。私専用に強化していただいたと聞いておりますが、果たして役に立っておりますか……?」
そう問い、サリュウは首をめぐらせ、先ほどから強気な発言をくり返す一際大きな影の前で、ぴたりと視線を止めた。
「――ナダ宙将」
応えの代わりに、シルエットでさえそれとわかる拳が、強く握りこまれる。
「自衛宙軍特殊機動隊の総括であるあなたが、まさかこの場に参加されるとは思いも寄りませんでしたよ」
『無礼にもほどがあるぞ、コズミ宙佐!』
鋭く咎める別の影に、一瞥を向ける。
「承知しておりますが、口で説明するより判りやすさを重視したまでです。ゴリョウ部長」
『む……』
『ほう。この状態は問題にならんと言うか』
「当然です、ランカ局長代理。タンバ部長やニビ局長はご存じだったと推察いたしますが」
『だろうよ』
「これだけの御面々に私ごときのためにお時間を割いていただけるとは、身の縮む思いです。全員のお名前をお呼びしたほうがよろしいでしょうか?」
『止せ。おまえの力でなにかする前に、爺らの頭が湧いてしまうわ』
名を呼ばれて以降、ぐっと砕けた雰囲気で喋る影が、肩のあたりで片手を振った。
『まったく恐るべき力だ――が、それを攻撃に使うとは認められんな』
「相手が稀人であってもですか?」
『……それは、その確証を得たのちに再度検討する』
「それでは遅いのです、局長代理。われわれにまた後手に回れとおっしゃるのですか」
『異論は認めな――』
「私は部下を喪ったのです!」
唐突に、これまでの数時間の穏やかさを投げ打って発せられた叫びに、その場が水をうったような静けさに包まれる。
「訓練生から育て、ようやく独り立ちできるようになった部下を――まだ軍属二年目の二十歳の若者を殺されたのです。もうこれ以上、誰一人として喪うわけにはいきませんっ!」
拳を握り、爛々とした双眸で影たちを睨む男は、全身に見えない炎を宿しているようだった。
複数名で囲み、見下ろしているはずなのに、その圧倒的な存在感に押し潰されそうだと、公安局局長代理であるムサ・ランカは表情に出すことなく驚嘆した。
隣に席を置いた通信局局長カズマサ・ニビが、風のごとくさざめく声音で再び問う。
『確か君は、二羽で爆弾を抑制しようとして死に掛けたと聞くが、それでも攻撃許可を求めるかね?』
「あのときは運悪く押収されていた爆薬にも引火しましたので、爆発の規模はTNT換算で20~30㎏程度。一瞬で100MJにも達するエネルギーを抑えるのは、さすがの私もいささか骨が折れたというだけのことです」
100MJという大きさは、雷ほどではないが小さい地震は起こせる規模のエネルギー量である。それを抑え込むには、どれほどの力が必要だったというのか。
爆発物という存在に精通している影たちは、それゆえ余計に押し黙った。
口元だけに笑みを溜め、サリュウは上官たちを下から睥睨する。
「これを攻撃に転じればどうなるかはご想像にお任せしますが、少なくとも、私は死に瀕せずとも殺傷力に充分なレベルを発揮できるかと存じます」
『なおさら許可できんな』
ランカが一蹴する。
『コズミ二等宙佐に再度申し渡す。M法第9条第1項2および3に基づく特例措置は認められない。他の手を講じたまえ』
「……わかりました」
八部隊長が口惜しげにうつむく。が、それも数瞬の間だった。
「仕方ありません。それでは、そちらで把握されている[夜刀]に関する情報をすべて開示していただきたい」
『な――』
さすがの局長代理も言葉を呑む。
「ご存じのはずだ。あなたがたは以前より彼らを追っている。警察やわれわれを泳がせて、一体なにを捕らえようとしているのか、われわれには知る権利があるはずです」
『若造が驕るな!』
「どのようにご非難いただこうと、私が八部隊長である以上、申し上げなければならないことは主張いたします。稀人の力による攻撃を認めない、情報も開示しないというのであれば、今持ち得ている権利を最大限に行使して、そちらのデータを洗いざらいいただきにあがるしかありません」
『貴様――』
『コズミ宙佐。その態度はいささか不遜にすぎないかね?』
「リュウオウ司令。可能性を示唆したまでです。私もできればそのような暴挙に出たくはないのですが、われわれも切羽詰っているのです。窮鼠猫を噛むと言われるように、大切な仲間を喪った今、われわれの忍耐もそろそろ箍が外れかけております」
『それは困ったね』
「はい、私も困っております。強引にそちらのコンピュータに入り込んで十数年分のデータが吹き飛んでもいけませんし……ああ。稀人の力に晒された可能性のあるデータは、証拠能力を失うんでしたか?」
『はは、機密情報はすべて紙媒体にしないといけないねえ』
「幸いなことに、私は瞬間移動に加え、近ごろ物体転送能力というものを会得いたしました。これが、離れている場所のものを瞬時に手元に引き寄せるというものでして。ご参考までに私の力のおよぶ範囲とは、現在確認できているかぎりでは、ここから六花市内までだと申し上げておきましょう」
『……コズミ君、それくらいにしたまえ』
タンバと判る声が割り込む。
見れば、彼の左隣にいるランカ局長代理が、小刻みに肩を揺らしている。音声は聞こえないが、笑いをこらえているらしい。
「それでは部長、ご許可いただけるのでしょうか」
『ここで是と答えたら、今度は私が君のいる席に立たされてしまうよ』
『――――構わん』
ふいに、機械を通してもよく透る、豊かな低音が後背から響いた。
円形を描く十二の影のうち、これまで一言も発さなかったその影が、ゆったりと言葉を紡ぐ。
『情報を開示してやりなさい、タンバ君』
『よろしいのですか……?』
『彼らには知る権利がある。それに、もはや隠しだてたたところでどうにもなるまい』
大きくも小さくもない、中背の少し痩せた影が立ち上がる。
『そろそろ潮時というものだ。彼の判断に任せるとしよう』
『かしこまりました』
『八部隊隊長サリュウ・コズミ君。君が、得たものを正しく使うことを期待しているよ』
「……はい。ご期待に沿えるよう尽力いたします」
緊張を帯びた、だが確かな答えと共に踵を鳴らし、サリュウはその影に向けて軽く頭を下げた。
影がうなずき、礼を返す。
『それでは、これにて閉会とする』
湧き立つ疾風のごとく、残り十一名の影たちが一斉に起立する。
次の瞬間、影法師は残らず中空の闇に同化してかき消え、一人たたずむ男の足元に白い光が灯り、日常の姿を戻した。
* * *
「まったく、あの男ときたら厚顔無恥もいいところだ。あれを野放しにしていいのかね?!」
「捕まえておける檻がないからねえ」
「監視局はなにをやってるんだ!」
「耳が痛いが、精神的ショックが大きいため面談は内部調査が落ち着いてからと、強硬な申し入れがあってね」
「いや、若いねえ。若さゆえだよ」
「いくつだったかね?」
「二十五だ。初代吾子だからな」
「まだ二十代なのか? そりゃあ……」
「生意気にもなるだろうさ。なあ?」
「私はまた、十は上だと思ったがね。いい度胸をしている」
「だが、あれは完全に脅迫だぞ? このまま許していいのかね、タンバ君」
「私に振られても困るんだがね」
「君が手綱を握らなくてどうするんだ!」
「しかし、意外だった。あれほど熱い男とは思ってもみなかったよ」
「偶然にして最高傑作の人造稀人は、感情すらないと評判だったがね」
「ただのネゴシエーションだろう」
「まんまと乗せられた身としては、認めたくはないんだがね」
「だが、葬儀のときのスピーチも悪くなかった。わりと部下思いなのだな」
「隊長に就任して何年だ?」
「二年。今年で三年目だよ」
「初めて部下を失ったか。賭ける意気込みはいかほどのものかね」
「お手並みを拝見といきたいが……そう簡単にはいかんだろうな」
「あれを知って、あの男はどう動くだろうね」
「さあ。任せる他ないでしょう。われわれは裏舞台から茶々を入れるのがせいぜいですよ」
「老兵は去るのみ、か」
「ここには去る場所がないけどねえ」
からからと笑いあう彼らの背後には、本物の宇宙空間が広がっている。
厚さ5㎝のガラス窓を埋めつくす漆黒の闇と繊細な星々に視線を投じ、タンバは苦くつぶやいた。
「――さて。そろそろ本気の顔を見せてもらうとしようか」
遅くなりまして&長くなりまして申し訳ありません。
待っていてくださっていた方、ありがとうございます。
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・ナダ(紫青・灘色):激しい潮流をイメージした、かさねの色目。暗い青。
・ゴリョウ(御料=青白橡):灰色がかった黄緑色。禁色。
・ランカ(藍花):暗い青。藍が発酵したときにできる泡(藍の花)を集めて乾燥させた顔料の色。
・リュウオウ(瑠黄):あざやかな黄。中国の禁色。
12名の内訳は下記の通り(予定)
○公安関係7名:
公安局局長代理・防衛政策部部長・警務部部長・防衛政策部主事・調査第一部長・調査官2名
○その他5名:軍政院司令・通信局局長・監視局局長・特殊機動隊総括・謎の人