(3)
拾弐-(3)
葬儀の後、その間を見計らったように自室に入った一心からの通信に、サリュウは一抹の予感を抱きつつ応答した。
「死んだのか」
『おいおい。こっちの事件までお見通しなんて言うのはやめてくれよ』
マイクの向こうでニビが苦笑を零す。すぐに切り替えて、
『まあ、おまえの推理が当たってたってことだな。そのとおりだ。俺がこっちに戻った直後、やつの病室から火災が発生したと報せが入った』
やつとは、四辻の医師カナタ・シオンのことだ。逮捕時に熱傷を負った彼は、一心の警察病院に収容されている。
「それで?」
『丸焼けだ。対外的には焼死だが、その前に死んでいたらしい。詳細な死因は検死待ちだが、点滴かなにかに細工したみたいだな。ナースセンターへのモニター接続が切られていることに気づいて看護師が駆け付けたときは、もう病室から火の手があがってたんだとさ。
炉心に飛び込んだことといい、よほど俺たちに証拠を残したくないと見える』
「犯罪者の心理としては当然だろう。で、例のものは?」
『ああ。おまえの言ったとおり、やつの両眼から生体チップを埋め込んだ合成高分子化合物――おそらく違法改造型のコンタクトの欠片とみられるものが見つかった。ただし詳細を分析復元してみないと、どういった性質のものかは不明だが』
「それなら、精神科のムネオ・ハネズ医師の意見を仰ぐといい。元教え子の不始末を付けるなら、協力は惜しまないだろう」
『ほんとにあんなもので催眠なんてかけられんのか?』
「ある周期で明滅する光刺激に脳波が同調するという事象は、脳科学がオカルトと紙一重な時代から知られている。やつはコンタクトに発光機能を付加し、注意を引くと同時に催眠を受けやすい状態に相手を誘導した」
『目を合わせるだけで、か?』
「催眠は、五感と心理的な搦め手で迫るのが常道だ。薄暗い建屋内、緊迫した状況、挑発的な言動――逃げる相手を追い詰めれば、最後に待つのは睨み合いだ」
それはサリュウの腕の中、薄れゆくイブキの意識がもたらした、最期の伝言。
『あなたがたは、この世に不要な存在なのです』
『な……』
『――消えなさい』
暗示に逆らって強引に甦らせた四辻での知られざる対峙は、ありありとした臨場感をもって彼の脳に移し込まれていた。遠隔でのフォローを怠った自分への苦い後悔とともに。
「完全に隙を突かれたな。暗示はかけ放題だっただろう」
自嘲というには暗すぎる声の響きに、饒舌な警視も一瞬返答を失う。
『どこまでが計画的なんだ?』
「さあな。何にしろ、これからその黒焦げの脳を搔っさばきに――」
『来んな』
「なに?」
即断された拒絶に、サリュウは険もあらわに聞き返した。
『八部には干渉させるなと、上から厳重に言われてる。俺も同意見だ。仇をとりたいんなら、なおさら距離を置け。[夜刀]の標的はおまえらだ』
「協力を拒否するなら一瞬で証拠を奪いに行くが、構わんか?」
『物騒な真似はやめろ。拒否してるわけじゃない。コズミ、おまえも分かってるはずだ。あいつは〝餌〟だった。おまえらを引き裂くための、生贄の山羊だよ』
「……」
『これまでのことを見ても、どこに何が仕掛けられているか分からん。死んでいるとはいえ、あいつの頭の中を覗いておまえが廃人になりでもしたら、俺たちにはどうしようもない』
「そう何度も下手をうつつもりはない。最悪でも相打ちにしてやるさ。それにこのあいだは、あいつに何かあったときには便利な記憶再生装置になってやると言ったら、諸手を挙げて喜んでいただろう」
『状況が違う。邪魔をしたからか最初から狙っていたかは知らんが、ともかく、あいつらはおまえらを潰しにかかってる。八部は圧倒的に数が少ない。代わりはいないんだ。俺たちにおまえたちを護る余裕を与えてくれ』
「護られるつもりなどない」
『ばあか。俺たちだって動揺してんだよ。稀人の最高峰の八部がいい様に引っ掻き回されてんだぞ? 常人の俺たちが簡単に太刀打ちできる相手じゃない。だけどな、俺たちにも意地がある。瑣末事は俺たちが片付けてやるから、おまえらは真打ち登場までおとなしく控えとけ』
「おとなしく、というのが一番性に合わないんだが」
『知ってるよ。だから、わざわざこうやって念を押してるんだろうが』
「対価は?」
『蛇の首をやる』
「生首だけを差し出すなんて真似をしたら、あの世の間際まで後悔させるぞ?」
『斬り落とす直前には教えてやる。それで我慢しろ』
どうやら共闘関係を解くのは一時的なつもりだと悟り、サリュウは諦めの息を吐いた。
ここでごねて完全に捜査から締め出されても困る。そのうえ食堂での乱闘とイブキの死の後始末のために、会議と呼び出しと提出書類の作成で寝なくとも軽く七十二時間はかかりそうだった。
見透かしたように、ニビの声が皮肉を帯びる。
『どのみち内部調査も入んだろ。お愉しみは先ず、そっちのごたごたを片付けてからにしろよ』
「おまえも証言を求められているはずだろう?」
『昨日のうちに供述書にハンコついて送っといた。おまえらとは場数が違うぜ?』
不良警視はからからと笑い、
『紙資料は送ってやるから、それでも読んでイイ子にしてろ』
「……わかったよ」
『じゃあな』
通信の切れたマイクを眺めながら、サリュウは、ぼんやりニビとの会話に思いを巡らせた。
――〝餌〟か……。
公安部長のタンバから〝釣り〟の話を聞いていただけに、自分たちこそがその竿の先に吊り下げられているような気分になって仕方ない。
目的のものを釣り上げるためなら犠牲を厭わないのが軍人の宿命だと頭では分かっていたが、実際に身を切られることがこれほど痛みを伴うとは理解していなかった。
まして、不様にも自分が生き残っているだけに。
空いている手のひらを凝と見つめる。
自分はこれから、どれだけのものを取り落として生きていかねばならないのだろう。
「……俺にはまだ、生きる覚悟が足りていないようです。博士」
拳を握り、たった一度逢った相手にそっと呼びかける。
深々とした呼吸をひとつ。そして、続々と伝言を受信する通信機を相手に、猛然と返信を入れはじめた。
*
その日の昼過ぎ、チヒロはため息とともにエレベーターに乗り込んだ。
今日は半休をとって、手術を終えたばかりのカグヤの見舞いに来ていたのだ。当然いつもの制服ではく、シフォンブラウスにギンガムチェックのクロップドパンツ、チャンキーヒールパンプスというよそ行き仕様である。
三十七階のボタンを押し、四角い箱の壁に背をもたれる。他に乗り込む人はいない。医療棟でも厳重に隔絶された区域からの解放感か、もう一度さっきよりも長い吐息が洩れた。
「……あ」
こんなことでは幸せが逃げてしまう、と口を塞ぎかけ、手を止める。
――幸せ、だったんだ。これまでは。
三風に来て約二ヶ月。自ら望んだわけではない八部訓練生としての生活は、多忙なものの精神的にも物質的にも圧倒的な庇護下にあった。軍の末端に所属するものとして衣食住の保障はもちろん、稀人として公的に認定された姉妹には研究棟からのサポートも篤い。我ながら、これまでの息を潜めるような生活での苦労がなんだったのかと思うほどだ。
その大きな庇護の傘を支えているのが、他ならぬ八部で――それが今、崩れようとしていた。
――この先、どうなっちゃうんだろう。
仕事という枠を超えて結びついていた八部の仲間の絆は、強かった分、受けた痛みの大きさを持て余しているようだった。
ミヲの事故、食堂での襲撃、カイデンの怪我。そしてなにより――イブキの死。
特に彼が隊長に銃を向けたことは八部への裏切り行為と呼べるもので、彼を喪ったことと同等の衝撃をメンバーにもたらしていた。
そのことについて、サリュウは何も語らなかった。否、語ることができないのだろう。
意思の有無を問わずとも、八部隊員がテロ組織に組みしたとなれば、その処遇の決定権は公安本部に移されざるを得ない。さらに内部調査と監視局の報告次第では、八部そのものに処分が下されるかもしれないのだ。
その責を負うサリュウは、葬儀直後から八部本部には一切顔を出していない。ミヲが怪我をおして出勤してくれているが体調は万全ではなく、本部は現在ラギとシャモンが交互に長時間勤務をこなして、どうにか機能している状態だった。
もとが十五名という少人数だ。当番を組み替えたところで個人の負担が減るわけもなく、ラギは犯罪件数のもっとも低下する明け方の監視業務を削減することで対応しようとしたが、隊長譲りのワーカホリックが染み込んでいる隊員たちは、これまでどおりの二十四時間監視を強引に遂行していた。
その陰には、仕事に打ち込むことで哀しみから目を背けたいという思いが少なからずあってのことで、口には出さないものの、それは全員に共通する思いだった。
残る幹部生であるダイナンは、当番を昼から夜に変え、日中はカイデンの世話にあたっている。電磁鎮静パルスの直撃に晒されたカイデンは、重篤というほどではないが容体が安定せず、入院生活を続けていた。予想以上に視力が回復しないのだ。
『サリュウには漏らすなよ』
というわけで箝口令が布かれているが、一時の気休めだろうとチヒロは思っている。
いくら激務に忙殺されているとはいえ、サリュウはわりとまめな性格だ。加えて、承知しているのに相手の事情を慮って知らないふりをするなど、彼にとって朝飯前だったりするのだ――カイデンの母親の存在を隠していたように。
思いもかけない形での暴露となった今回は、さすがのカイデンも受容しきれなかったようだ。ぎこちない空気がたちこめるときはいつも彼が打破してくれていただけに、今度ばかりは一気に凍りついた空気を誰もどうすることもできないでいた。
それはようやく再会を果たした妹と母親に対しても変わらぬ有様で、イブキを喪ったことも加わって、間に横たわる溝は層倍にも増して断裂を深めたようだった。
彼の視力が戻らないのは、精神的な要因なのではないかという医師の意見もある。
おかげで、チヒロの訓練を指導できる人員がおらず、昼日中だというのにこうして年休を使わせてもらえているというのが現状なのである。
――みんな、早く乗り越えられればいいけど。
元通りにというのが理想だが、それは永久に不可能だ。自分の無力さを噛み締めながら、チヒロはため息を呑み込む。
自分のできることは、一日でも早く八部の正隊員になること。それだけを呪文のように頭に刻み込む。
やがてエレベーターが止まり、ドアが開いた。頭の中で呟きながら通路に出たチヒロは、ふと目を向けた先に見知った顔を見つけた。同時に相手も気づく。
「ウズメさん、どうしたんですか? こんなところで」
「チヒロこそ」
問いかけ、思い出したのか、四つ上の先輩があ、と声をあげる。
「そういえば、半休とってたんだったわね。マナクの用事?」
「いえ。友だちのお見舞いです」
「ひょっとして、例の彼女?」
さすがに三風に押しかけてきた有名人のことは、ウズメも知っていたらしい。
チヒロは頷き、申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「ええ。あの、このことはみんなには黙っててもらっていいですか? さすがに今はみんな聞きたくないだろうし」
八部に亀裂を入れた原因のひとつである襲撃の首謀者ギンは、本来カグヤを付け狙っていた殺し屋である。三風に乗り込んだ彼をサリュウが撃退したのが、遺恨の発端だ。
そのことも心得ていたらしいウズメは、軽く首を振って快諾する。
「チヒロが言いたくないんなら言わないわ。でも、みんなそのことは関係ないって思うと思うけど。あなたも、あれは友だちのせいなんて考えたらだめよ?」
「はい」
稀人ならではか、いくつも思惑を飛び越えて核心を突いた忠告に、チヒロは苦笑して頭を下げた。
「彼女、小児性癌だったのよね。網膜芽細胞腫の転移?」
「はい、最初の診断はそうだったんですけど、取ってみたらどうも違うようで……結局、転移かどうか分からないまま脳腫瘍の一種ということで落ち着いたみたいです」
「原発だったの?」
「そうであって欲しいような、欲しくないような感じです。3D画像を見せてもらったんですが、場所が微妙で。でも、もう取りきっちゃいましたから」
「すっきりはしないけど、あとは薬を飲むしかないわね。じゃあ、退院はもうちょっと先?」
「ええ。おかげでカグヤが退屈しきって大変みたいです。お見舞いにいったら、マネージャーのエイジさんのほうが顔色が悪くて、どっちが病人なんだかって感じでした」
「ふふ。最初のプロトコルを終わらせて、薬の用量が決まるまでの我慢ね」
化学専攻だったというウズメは、医療にも明るいようだ。久しぶりの理系女子との会話にチヒロの顔もほころぶ。
「一応わたしがその説明要員だったんですけど、薬と相性がいいのか副作用がほとんどないようで、なおさら退院できないのが納得いかないらしくて」
「元気そうならいいじゃない」
「元気というか、それまでナーバスになっていた分、手術が終わって箍が外れたみたいです。だって行ったら、髪が紫のベリーショートになっていたんですよ?」
「すごそうね」
「まあ、前が真っ青の腰までのロングヘアーだったので、どっちもどっちって感じですけど。……ウズメさんは、今日は健診ですか?」
何気なく発した問いに、なごやかだった先輩の顔が一瞬こわばる。ゆったりしたワンピース姿の彼女は、明らかにチヒロと同じくプライベートの装いだ。
先だっての気安さからつい踏み込んでしまったと悟り、チヒロは慌てて手を振った。
「す、すみません。お体もアレなのに、こんなところで立ち話なんて」
「……いいのよ。ちょうどわたしも、誰かと話したかったから」
意外なほど穏やかに笑ってそう言い、ウズメは通路の向こう側を眼差しで示す。
「時間ある? よかったら、少しお茶つき合って」
「は、はい。喜んで」
お茶という単語に目を輝かせる後輩に、ウズメはもう一度しずかに微笑んだ。
大変遅くなりました。まだ覚えていて下さっている方はいるのでしょうか。。
6月中にあげるぞーとはりきったのに、12時を回ってしまったという情けなさ(涙)。
ところで今回、ネタ的にはだーいぶ昔に思い付いたものですが、コンタクト型のウェアラブルがもう数年で実用化しそうですね。
ホバーカーも開発が進んでいるみたいだし、現実がどんどんSFに近づいているような。。。
怖くもあり、楽しみでもあります。
次回、ちょっとやなヒト出てきますので、苦手な方ごめんなさいです。




