(11)
拾壱-(11)
ひとりで抱えていた秘密を打ち明け、さらに理解を得られたウズメは、ひとしきり泣いた後すっきりした顔で職務に戻った。さすがにレストルームで顔を洗って化粧直しを済ませたが、
「これでやっと仕事に専念できます」
ほがらかにそう告げる。実のところ、ひとりで本部にいたのは最近ストレスで集中力を欠いていたため、失態をとり戻そうと仕事の復習をしていたのだそうだ。
「病院は?」
「仕事が終わってから……もういちど彼と相談します」
子どもが確定となった場合ラギはすぐにでも籍を入れて認知したいようだが、ウズメは結婚にためらい気味だ。が、これに関してはサリュウも口を出す気はない。よって他メンバーへの公表はもう少し日をおいてからと決まり、話し合いはお開きとなった。
励ますつもりでラギの肩を叩くと、苦笑を返される。
「サリュウ、あなたも疲れているようですよ? 朝番のフォローには私が入りますから、休憩をしてきては?」
「そういえば食事をしていないんだった。じゃあ頼む。――チヒロ、おまえも休め」
「え、なんでですか?」
「訓練生に朝昼連番なんてさせられないだろう。行くぞ」
締め切っていた本部のドアを開けると、すぐそこに朝番のシャモン、ミヅハ、アスマが不安そうな顔で佇んでいた。
現われた隊長と訓練生の姿に驚いたようだが、中にいたラギが「私も朝番に加わりますので」と声をかけたことで注意が逸れる。
「ミヲが欠勤だ。俺も後から加わる」
「はい、お疲れさまです」
口々に挨拶する部下にそのつど声を返し、サリュウはチヒロを伴って本部を出た。気が緩んだのか、歩きながら、しばらくぶりに以前と同じ調子で愚痴がこぼれる。
「……まったく、おまえが持ってくる話は面倒ごとばかりだ」
「〝俺たちの子どもだ〟なんて、クサイ台詞言ってたくせに」
「喜ばしい出来事であることは確かだ。問題はみんなにいつ言うかだが……タイミングが難しいな」
「でも、あんまり長くは隠せないですよ? 今回わたしが分かったくらいですし」
チヒロは最初から、ウズメの妊娠を見抜いていたわけではない。
ミヲの様子を尋ねることとウズメの相談ついでに、ここ最近の気まずさを解消したいという下心を抱いて、夜番の終わる頃に本部に立ち寄るであろう仕事の鬼を待ち伏せしていたのだ。
話を聞いたサリュウは、遠隔透視で本部内のウズメがラギと言い争っていることを知っていたため、リーディングに長けた彼女に一緒に来るように促した。卑怯な手段ながら、二人の関係と状況を正確に把握するつもりだったのだが、それが無事、功を奏したというわけだ。
「おまえのタコ足を真似できるやつもいないが……まあ、これから育つだろうしな」
「お医者さんより早く知っちゃって、なんだか複雑な気分です」
「……俺は、人の中にもうひとり別のなにかがいるという状況のほうが、若干引いたぞ」
計らずもウズメの体の状態を透視したサリュウが、憂鬱に表情を曇らせる。
ウズメの胎内に視えたのは、人の形にすらならない命の固まり――いわゆる〝胎芽〟と呼ばれるものだ。まさに芽生えたての生命を二人は脳裏に〝視てとった〟のである。
「妊婦さんなんて、めずらしくもないでしょう」
「信じられない。あれが生物の正しい在り様だと言われても、ちょっと納得できない」
「……赤ちゃんはコウノトリが運んでくるって信じてるわけじゃないですよね?」
「桃から生まれても許す」
真面目な顔でそう返す男を、斜め後ろに従うチヒロが呆れ顔で見上げた。
「キャベツ畑で生まれるとか、もうちょっとロマンチックに言ってくださいよ」
「竹から生まれるのでもいいぞ?」
「隊長なら自力で竹を破壊して生まれてきそうです」
「桃も竹も、割りどころを間違えられるとスプラッタだからな」
「あ。それ、わたしも思ってました。いきなり刃物でとーんって、危険ですよね?」
「主人公が最初に死んだら〝話にならない〟しな。お伽話だから許される」
くだらない会話にみずからも頬を緩め、サリュウが続けた。
「だけどガキの頃は、みんな本当にそうやって物から産まれてくるものだと思っていた。俺は大きな水の容器から生まれたけど、他のみんなも大差ないんだろうと。現実を知ったときは結構ショックだったな」
冗談めかされた告白にチヒロは一瞬と胸を突かれたが、知らぬ顔で切り返す。
「大人への扉を開いた感じですね」
「ああ。あれでちょっと女性不信になった」
「それは信じられません」
「三割くらいは真実だ」
「なんですか、その微妙な割合って」
あの気まずさが嘘のように、いつもの応酬を繰り広げ、サリュウは食堂の入り口で足を止めた。自然、チヒロの足も止まる。
「これから朝飯にするが、おまえも来るか?」
「あ……いえ。いいです」
「今日の祝いに奢るぞ?」
「いえ。あの、そろそろマナクが起きる時間ですから、部屋に戻ります。たまには、二人でちゃんと朝食を食べないと怒られちゃうので」
「……そうか」
「隊長はごゆっくりしてください。……じゃ、失礼します」
形状記憶された皺のように、浅くなっていた二人の溝が、音もなく亀裂を戻していく。
どこかとってつけたように一礼し、やって来る人と軽くぶつかりながら去る訓練生のおかっぱ頭を、サリュウは無言でしばらく見送った。
*
異変は唐突に訪れた。
幸いというべきかどうか、金髪の若い美女の姿を纏って現われたそれは、友人の怪我に少なからぬ打撃を受けていたカイデンの機嫌を悪化させるのに充分だった。
「――なんだてめえ」
昼番の仲間とランチを食べている席に遠慮もなく歩み寄ってきた女性を、食べる手も止めずに睨みつける。ちなみに今日のメニューは、ライスの上にハンバーグと目玉焼きの載ったロコモコとミートソースパスタ、コーンスープにミニサラダである。最後の二品は、野菜が足りないとダイナンが押しつけたのだ。
八部の誰もが分かるほどのぴりりとした空気を発してやってきた美女は、両腕を胸の下で組み、ミニスカートから覗く足を大胆に放り出して、巨漢が座る椅子のやや後ろに立った。茶色の瞳が、強気に彼を睨み返す。
「話があるの」
「俺にはねえな」
即答で返し、ようやくカイデンは、その女性が数日前追い払った茶色の髪の女と同じ人物であることに気がついた。見下ろしているのに、どこか人を窺うような茶色の目に覚えがある。
――名前は……ナホだったか。
だが、その名を呼んで問いただす気にはならなかった。それよりも、仲間との食事時間を邪魔された苛立ちのほうが上回る。
「とりあえず出てけよ、おまえ。目障りだ」
「なによ、あんた。人のこと脅して部屋に連れ込もうとしたくせに!」
「連れ込むだあ? おまえ、監視カメラってものを知らないのか?」
鼻で笑い、カイデンは唇についたグレービーソースを舌でぺろりと舐めとった。
「なんだったら映像記録を調べてもいいぜ? おまえが俺の部屋の前で追い返されるところをな。それとも、よっぽど俺に未練があんのか?」
「な……」
「なにせ下手くそな芝居うってまで近づいてきたんだからな。まだ続ける気か?」
「な、なによっ。あんただって、へらへら誘いに乗ってきたくせに!」
「芝居してまで近づこうとする女は、おまえが初めてじゃないんだよ。そういう質の悪いのは、被害が膨らむ前に潰しておくのが俺のやり方」
紙ナプキンで口の周りを拭い、手の内で一息に握り潰して空の皿の上に投げ捨てる。
「出てけよ。迷惑だ」
「――カイ、それはちょっと酷い言い方じゃない?」
思い余ったのか、正面に座るダイナンが小声でたしなめる。が、ライオンの本気に勝てるものはいない。
「こういうタイプは厄介なんだ。面倒を起こされる前にとっとと追い払ったほうがいい」
「だけど……」
「なによ。稀人の力で追い払おうったって、そうはいかないんだからねっ!」
気が強いのか弱いのか、ナホはヒステリックに怒鳴った。ターコイズのクラッチバッグを武器のように胸に抱え込み、顔をひきつらせながらも高圧的な態度を崩さない。
「ここは共有区域よ。あたしは一般人。超能力なんて使ったら、あんた捕まるんだから!」
「使わねえよ、サイキックもテレパスもな。そんなものなくても、入り口の警備員呼びゃ、一発だ」
「そんなわけ……」
「俺とおまえ、どっちが不利だと思う?」
椅子に座ったままゆっくりと向き直り、カイデンは背もたれに右肘をかけた。薄く笑う。
「ここは、おまえの知ってのとおり食堂だ。つまりみんなが食事をしてくつろぐ場所。そこでおまえは、なにしてる? 食事も摂らず他人の邪魔してわめいてるおまえと、純粋に食事を楽しんでる俺。どっちが迷惑だろうな?」
「それは、あんたが話をさせてくれないから……」
「俺は話はないと言った。以上、終わりだ。出てけ」
「カイ。少しくらい、話を聞いてあげてもいいんじゃないかしら? ね?」
ダイナンが、最後の同意をテーブルの前に立つ女に向ける。睨むようにこちらを見据えていたナホが、唇を歪め、目にきらりとしたものを湛えていることに気づき、カイデンは大きなため息を吐いた。
「女ってのは、泣けば済まされると思ってやがる」
「あら、カイ。それをわたしとフアナの前で言うの?」
「……べつにおまえらに言ってんじゃねーよ」
呻き声に似た渋い返答。ベーコンの載ったパンケーキの一片を丁寧に口に運び、ダイナンはこくりと一口紅茶を飲んで肩をすくめた。カイデンの機嫌の悪さがうつったようだ。
「――そのひと、彼女?」
「関係ねえだろ」
「あるわよ、答えて。つき合ってるの?」
ナホの追求に、猛獣が喉を鳴らすような苛立ちが洩れた。
「同僚だ。……大事な、仲間だ。おまえよりも何倍も大事だな」
「ほんとにつき合ってないの?」
探りを向ける茶色の目に、フアナとヒナトは気まずげに視線を逸らし、ダイナンは微妙な笑みで紅茶のカップの縁に唇をあてる。
「今のところは、ね」
「じゃ、前はつき合ってたの?」
「うるさいぞ、おまえ」
「なによ。あんたが教えてくれないからでしょ!」
「意味分かんねえ。おまえ、なにしに来たんだ?」
「だから話をしに――」
「じゃあ、なんの話だよ?」
堂々巡りからやっと一歩進んだ問いに、なぜかナホは急に黙り込んだ。ふっくらとした下唇を噛み、潤んだ目を見開く様子は、まるで駄々をこねる子どもだ。
おもむろにバッグを開け、取り出した小さなものをカイデンに投げつける。軽く身をよじって避けたせいで、それはテーブルに軽くバウンドしてダイナンのトレイの前に落ちた。
ちらりと視線を向けたカイデンは、落ちた小さな布袋に、ふと記憶を呼び覚まされる。最初に会ったときに助けてくれた礼だと渡された御守りではないか。
得意ではない透視をしたところ、盗聴器などは仕掛けられておらず、小さな紙切れだけが視えたのでそのままもらったが、彼女を追い払ったときに一緒に返したはずだ。
「なんの真似だ?」
「ちゃんと受け取りなさいよ、馬鹿!」
「いらねえよ。俺には必要ねえ」
くり返される否定の言葉に、ついに決壊が切れたのか女の両目から涙が転がり落ちた。
「……最低」
「どっちが――」
「カイ、もうやめてあげて。彼女傷ついてるわ」
カードの半分ほどの大きさの布袋を手のひらに拾い、ダイナンが懇願するように空いた手で男の太い腕に触れた。
「五分でいいから話を聞いてあげて。あなたには聞く義務があるわ」
「そんな義務あるわけ――」
「もういいわ」
遮ったのは、意外にもナホだった。手の甲でやや乱暴に涙を拭い、払い落とした雫もろとも言葉を吐き捨てる。
「もういい。こんなやつに期待して信じたあたしが馬鹿だった。ほんと最低男」
「てめえ――」
「待って。誤解があるのよ」
「どうだっていいわ、そんなの。自分から遊びに来いって言ったくせに……なのに、なんなのよ、これ。ふざけないでよ」
「そんなこと俺は一言も言ってないぞ?」
「じゃあ、これは一体なんなのよ! 嘘つき!」
涙混じりの怒声をあげて男の胸に叩きつけられたのは、手のひら大の薄い長方形のもの――なんの変哲もない淡いブルーの封筒の表には、折れ釘を組み合わせたようなぎこちない下手くそな字が並んでいた。
つい十日ほど前に、まさにここ食堂で作成された、カイデンとチヒロの苦労の結晶である。
「……なんでおまえがそれを持ってる」
「うちに届いたからに決まってるじゃないの。ほんっと馬鹿!」
〝一度、三風へも遊びにおいで下さい〟
たしかに中の文面にはそう書いてある。しつこくもなく爽やかに、好感をもたれるようにとチヒロが智慧をしぼった結果は、頭脳労働の苦手なカイデンの脳にも一言一句刻み込まれていた。
〝ナミエ・ソウワ様〟と母の名前を書いた封筒を摘みあげ、カイデンは眉間に何本も縦皺を作って、中身を透視した。手紙は開封されているので実際に目で見たほうが確実なのだろうが、稀人の習慣が身についてしまっている。
中身は――なにも、問題はない。記憶にあるとおりだ。
「……宛先、間違った?」
「合ってるわよ。……あたしとは苗字が違うけど」
「あなたの名前は?」
ダイナンの質問に、ぐず、と鼻をすすり、彼女が答えた。
「ナホ・オバナ」
「……母さんの旧姓じゃないか」
「そうよ」
「…………親戚?」
考え込んだ挙句に出された問いを聞き、ナホのなにかがさらに振り切れたらしい。ばすん、とバッグを男の胸に投げつける。
「さいっていっ!」
「なんなんだよ」
「……あー、あのね、カイ。これ……きちんと視た?」
微妙な顔をしたダイナンが、布製の御守り袋を掲げて見せる。
カイデンはますます眉間の皺を深めるばかりだったが、同じテーブルにいるフアナとヒナトが一瞥した途端、声をあげる。
「えっ。ほんと、まじ?」
「あー……これはまずいですよ、カイさん」
「なにがまずいんだよ? ただの写真だろ?」
「そうね。だけどこれ――小さい頃のあなただと思うんだけど?」
紐で閉じられた袋の上部分を指先で開け、約3センチ四方の紙片を取り出す。紙片といってもパルプ製ではなく、薄いフィルム状のデータシートだ。
映っているのは五歳くらいの金髪の男の子と赤ん坊。くりくりとした大きな目と薔薇色の頬をした少年は、現在の男の面影はあまり窺えないものの、幼児との相似は明らかだった。下の隅にあるボタンを押すと動画ホログラフとなって、男の子が幼児を抱き寄せて頬ずりする数秒の様子がくり返し再生される。
「なんでおまえが俺の写真を持ってる?」
「……あたしの写真よ」
「おまえの?」
尋ね、カイデンはもう一度、確認するようにテーブルの上の小さな立体映像を睨みつける。
「……ふざけてんのか?」
どうにも納得できないらしい男の声に、ダイナンが応えた。
「カイ。わたし、昔あなたの妹の名前を〝なっちゃん〟って聞いた記憶があるんだけど?」
「俺の妹は赤ん坊だぞ?」
ヒナトとフアナが揃って呻き声をあげ、額を押さえる。
「……カイさん。二十年前に赤ん坊であれば、今は立派な大人です」
「そうですよ。それに、似てると思いますよ? 二人」
仲間全員にダメ押しされ、金色の猛獣は情けない顔で口をへの字に曲げた。
非難の集中砲火から逃げるつもりか、それともようやくほぐれた頭脳がとある結論を導き出したのか、立ち尽くす女をゆっくりとふり向く。
「――いもうと……?」
「気づくの遅いわよ、この脳筋男っ!」
投げつけられた毒舌はだが潤んで、張り詰めたものが解けた安堵と満足の響きに満ちていた。
オバナ(尾花色):ススキの花穂のようなくすんだ白
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お付き合いいただきありがとうございます。
一体どこへ向かっているんだ&いつの伏線回収だ(怒)という感じですが、設定している状況は、こんな感じでぎっちぎちに詰めていく予定ですので、今後ともなんとかついてきていただければ幸いです…。