(1)
弐-(1)
テロの予知を通報してから、チヒロの生活は一変してしまった。
通報をした以上、多少の覚悟はできていたし、正直稀人であることを隠し続けるわけにはいかないと分かってはいた。
だが、通報から四時間後には警官と共に三風に行き、八部のメンバーに囲まれて話を聞かれたうえ、医務局で検査を受けるとは思いも寄らなかった。さらに別の軍人に付き添われて六花に戻されるや、すぐさま引越しという性急ぶり。
想像以上に八部メンバーや医師たちはやさしく、安心したが、
『二十四時間で移動を済ませてくれ』
にこりともせずそう告げた八部隊長の冷淡さが、正直恨めしい。
苛ついている姉の気持ちを感じたのか、大泣きするマナクの声に心で耳栓をし、チヒロは職場の退職から市役所への転居届けとIDカードの返却。同僚やアパートの隣人、大家、マナクを預けていた施設への挨拶、荷造り、掃除とフル回転で働き、およそ十六時間で六花市内の姉妹の痕跡を片づけ終えた。
荷物を貨物用の高速昇降機で送り、泣き疲れて眠ってしまったマナクを背負って、エレベーターを乗り継いだチヒロが三風に戻ると、出て行ったときと寸分変わらぬ冷やかさを纏ったサリュウ・コズミが出迎えた。
「全部片づいたか?」
「両親の墓とアパートの権利はそのままです」
疲れきったチヒロが乱暴に答えると、背の高い隊長はかすかに頬をゆるめた。笑ったようだ。
「部屋に案内しよう」
本部手前の通路を右に折れ、さらにコの字状に曲がった居住区画に先導する。ずらりと並んだ部屋の一番奥が、チヒロたちの部屋だった。
特殊な稀人の集団とはいえ、八部も自衛宙軍の一部隊。全員が統制管理された部屋を振り分けられ、本来なら妹と一緒など許されないことである。だが、
「ここだ」
カードーキーを通してサリュウがドアを開けると、いつのまにか運び込まれていた荷物が、マナクといた六花のアパートそのままに並べられていた。
――え?
驚くチヒロを、一足先に荷物を運んでくれたと思しき男が振り返る。
筋骨隆々のライオン頭、カイデン・ソウワだ。
「お、来たな。サリュウ=ジュニアとその妹」
にやりと笑いかけ、サイコキネシスを持つらしい男は、空中を飛んでいたソファを右奥と手前に置いた。
「こんなものか、サリュウ」
「そうだな」
なぜか確認を求める同僚に頷きかけ、八部隊長が目を丸くするチヒロを返り見る。
「どうだ?」
「どうして……」
「荷物の配置が同じなのか、か? 理由は二つ。ひとつは君が妹が同じ環境でないといけないと言ったこと。それから――」
「それから?」
問い返してチヒロは、彫刻のように動かぬ表情が、わずかに口元をほころばせたことに気がついた。
「視た、んですか?」
「その表現は正確ではないな。テレパスは双方向性だ。君が俺の思考を読んだとき、君の方からも流れてきた」
「え……」
「読みすぎると精神にかかわる、と忠告したはずだ」
事もなげに言うサリュウに、チヒロは血の気が引くのを感じた。チヒロがサリュウの思考を読んだのは、ほんの数秒のはずだ。
――あんな短時間で、ここまで視れるものなの……?
動揺のせいか冷えきった手で、チヒロは、無意識にずれ落ちるマナクを背負い直した。
「重そうだな」
「あ……もうベッドに寝かせます」
チヒロは靴を脱いで、見慣れたピンクのカーペットに上がった。
薄汚れたカーペットは土足でもよさそうな風合いだが、マナクが床に座りこむので、それはできない。
チヒロは、寝入ってぴくりとも動かない妹の体をダブルベッドに下ろした。四つ違いだが、身長はもうチヒロを超す勢いだ。冷たい手に感覚が戻り、ようやく痺れがくる。
顔をしかめるチヒロをライオン頭が覗き込んだ。
「どうした?」
「ちょっと手が痺れて……」
ああ、とたてがみを振り、カイデンが寝息をたてるマナクを見る。
「寝た子を抱えたお母さんを、鬼隊長は代わってくれなかったわけだ」
靴を脱いで上がりかけていたサリュウが、ちらりとカイデンを睨んだ。
鋭い視線をものともせず、大男はがはは、と笑って、ごつい手のひらでチヒロの肩を叩く。
「おまえ、細っそいもんなあ。もうちょっと栄養つけろよ。ちゃんと飯食ってんのか?」
「あ」
「なんだよ」
「ご飯、食べ忘れた」
思わずチヒロは、そう呟いた。
六花市のアパートに帰った後、冷蔵庫を片づけてしまおうと野菜炒めとサラダとスープを作ってマナクに食べさせてから、市役所の閉まる時間が近いことに気づいて家を飛び出して――。
「あー、一日食べてないや」
「はあ?」
カイデンの彫りの深い顔がくしゃくしゃになる。
「なにおまえ、マジで食べてないのか?」
「マナには食べさせたんだけど、自分が食べるの忘れてて」
チヒロが思いつく限りの用事を済ませて帰宅すると、台所には大量に作っておいた料理が食べ散らかされていた。自分では少しのつもりが、マナクは半日近く待っていたのだ。
――だけど、自分ひとりでご飯も食べたんだ。なんだ、えらいじゃん。
などとチヒロは喜んだが、カイデンの反応は違った。
あきらかに非難を含んだテレパスが、玄関の男に向かう。
《この鬼畜。二十四時間以内だなんて、女の子に無理させてんじゃねえよ》
《移動は全員、二十四時間以内というのが軍の規定だ。それに――》
サリュウの思考がふっと途切れ、
「彼女は〝読める〟。文句は口に出してしゃべったらどうだ」
「えっ?」
驚くカイデンに、チヒロは小刻みに笑いながら頷いた。
「はい。確かに〝鬼畜〟ですね。お気遣いありがとうございます」
「あーそっか。サリュウ=ジュニアだもんなぁ。忘れてた」
カイデンが気まずそうに、指先でぽりぽりと頬をかく。
「おまえが自分でそう言ったんだろうが」
意外にくだけた口調で指摘すると、サリュウは足元にあった片目のとれたピンクのウサギのぬいぐるみを放った。カイデンが片手で受けとる。
「だって彼女、おまえと違って全然鬼畜じゃないも~ん」
「性格と力は別だ。人を見た目で判断するなと言っているはずだ」
サリュウは大きなドレッサーの前に立つと、腕組みをした。
「これはどこに運ぶ? 残念ながらスペースが足りなくて、全部をそっくり移し替えるわけにはいかなさそうだ」
「そこの本棚をどけて代わりに入れましょう。マナクは自分のものさえ定位置にあればいいんですから」
立ちあがって本棚を動かそうとするチヒロを、カイデンが止めた。
「そいつは無理よ、お嬢ちゃん。サリュウに任せな」
「でも……」
もう一度チヒロが本棚に目を戻すと、五段ある棚が、本を並べたまま浮き上がっている。
――え?!
まるでそこだけが無重力になったかのような動きをみせ、本棚が部屋の片隅に移動して、代わりにドレッサーが納まる。
ぱちぱち、と陽気にカイデンが手を叩いた。
「さすがはサリュウ。よっ、隊長!」
「おまえも手伝え、馬鹿」
「だって俺は、おまえが指示したとおりに片づけた。仕事は終了、だろ?」
「一通りは、な」
まだ玄関を占拠している引越し用の簡易パックの山を睨む黒髪の男に、チヒロは慌てて手のひらを振った。
「す、すみません、充分です。ここまでして頂いたら、あとは地道に荷物をほどきますから」
「そうか」
黒ともつかない不可思議な瞳が、チヒロを見る。引き出しの中の小物ひとつひとつまで見透かされていそうなその眼差しに、チヒロはすくんだ。
《心配するな。そこまでは視ていない》
ひとすじの、力強い澄んだ意識。
チヒロがはっとしたときにはもう、彼は大柄なもう一人をうながして、部屋を出て行こうとしていた。
背中を見せる一瞬、その瞳が少しだけ笑っていたように、チヒロには見えた。