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千夜航路~天つ海翔ける星の宙船~  作者: 藤田 暁己
<其の拾壱> Evil Spirit――悪霊
118/134

(6)

 

拾壱-(6)


――やつらがくる。


 装飾の一切ない、金属の骨組みがあらわになった階段を足早に下りる。壁のない空間に鈍い音が吸い込まれていく。

 あいつが生き延びて捕まった時点で、捜査の手が伸びるのは覚悟していた。だが、やつらがここまで迅速にこちらの足取りを捉えてくるとは。

 有形無形を問わず、データは跡形もなく破壊してきた。残った端末の欠片から情報が復元できたとしても、仲間の痕跡すら掴めないだろう。そうやってわれわれは、これまで人の影の中に身を潜め続けてきたのだ。


 乱れた息をつき、激しく起伏する腹をなだめるように手のひらを置く。そして祈る気持ちで、首から下げた銀の鎖の先を握りしめた。


――……ここで捕まってたまるか。


 せめて、やつに一矢報いなければ気が納まらない。

 八部――サリュウ・コズミ。

 一人高みで安穏を貪る、あの男を絶望の淵に叩き落とすまでは。



 腰に提げた通信機に本部から連絡が来たのは、非常用シューターを降りた直後だった。

 ヘルメットをとり、暑く蒸れた防護衣を脱ごうと手をかけた途端に点滅するそれを、カイデンは舌打ちとともにベルトから取り上げた。


「んだよ」

『カイ。そのままイブキと四辻に向かってくれるか』

「四辻は鬼門だろ? 船の機関部でサイキックになにしろってんだ、サリュウ」


 口にされたその名に、傍らのチヒロがぴくりと耳をそばだてた。


『六花の爆破事件に関与したと思われる医師を市警が追い詰めたんだが、例の意識操作を警戒して近づきたくないらしい。サポートを頼む』

「稀人じゃないんだろ?」

『ああ。俺が視た限りでは一般人のようだ。一心からでは監視カメラの管理が厳重で後衛は無理だが、そこまでするほどでもないだろう。気休め程度に付き合ってやってくれ』

「おまえ最近、黒服連中に甘くねえか?」

『念のためだ。敵にこちらの隙を見せたくない』


 〝敵〟という言い方に、この間のやりとりを思い出したのか、カイデンは顰め面のまま了承した。


「わーったよ。……イブキ、支度しろ」 

「おいっス」


 防護衣の前をくつろげていたイブキが、再びベルトを嵌め直す。

 気の進まないらしい副隊長は、厭そうに特大ヘルメットを持ち上げると、ごく自然に目の前の小さな頭に被せた。


「う……わっ! なんですかっ」

「持って帰っとけ」

「現場は身支度が肝心って言ってたじゃないですか!」

「んなめんどくさいもの、いちいち被ってられるか」

「四辻は永久不眠の工事現場って話ですよ?」

「落ちてくるネジなんざ気にしてたら、サイキックなんてやってらんねえよ。おとなしく持って帰れ」

「わたしは行かなくていいんですか?」

「初出動は一回こっきりだ。反省文忘れんなよ」


 Sサイズの上から乗ったLLサイズの丸い物体は、ヘルメットというよりチヒロの首から生えた毒キノコの様相だ。ダメ押しに天頂部分をはたかれ、小さな悲鳴があがった。


「なにするんですか、もうっ!」


 LLサイズのヘルメットを外そうと、両手で掴んでチヒロがもがく。イブキも手伝い、ごがっという奇妙な音とともに、もうひとつ頭をもぐようにして特大のそれが外れた。


「も~~~。すっごい汗臭い!」

「労働の証だ。よく嗅いどけ」

「やですよっ」

「留守番ヨロシク。――じゃ、サリュウ。あとでな」

『……ああ、頼んだ』


 目の前の男の手の内から響くかすかに笑いを含んだ低声に、チヒロははっと蒼ざめた。両手で口を押さえても今さら遅い。

 ときに悪戯な年上の男は、口唇に意味深な笑みを湛えたまま、おもむろに通信機のボタンを切った。


「んじゃ、行ってくる」

「チヒロ、俺のメットもよろしく」

「……行って、らっしゃい」


 再びシューターに乗り込む二人の先輩に、チヒロは二つのメットを両手にかかえて、そう声を返すのが精一杯だった。



『――なにするんですか、もうっ!』


 声高な少女の罵りは、これまでの幾度とない応酬と同じ明るさを纏っていた。

 カイデンが何を思って聞かせたのかは不明だが、その変わらない調子にサリュウは安堵し、同時にほんのわずか感情が心に引っかかるのを覚えた。

 強いて言うなら〝寂しさ〟だろうか。


――さすがにあれだけ一緒にいた後だから、それくらいは感じるものなのかもしれないな。


 他人事のようにそう思い、通信の切れたイヤホンを外す。実は一心行きのシューターに乗り込もうとした直前、本部のダイナンから通信が入ったとテレパスで連絡があったのだ。

 本来なら一心で担当のロウ警視らと四辻の犯人確保を見守る予定だったのだが、遅刻した彼の到着を待つ間もなく、追走劇が始まってしまった。容疑者がこちらの事情など斟酌してくれるわけもない。


 結果、もう一度本部を後にすることになったサリュウは、やや急ぎ足でシューターへ向かい――爪先を捻るようにして四つ角で足を止めた。


「何の御用でしょうか」


 目前の虚空に目を据えたまま、落ち着いた低声で問いかける。左側の通路の向こうにいる人影が、淡く息を吐く気配がした。


「八部隊長サリュウ・コズミ」


 樹々の隙間をぬける風音に似た、嗄れた声。聞きとりにくいが不快ではない。


「人の心を読める万能という話だが、そうでもないらしいな」

「なにを――」

「これは独り言だ。たとえ立ち聞きする者がいたとしても、私は関知しない」


 相手の意図を察し、サリュウは沈黙した。元より人通りの多くない八部本部前の通路だが、それでも他に人のいる気配はなく、監視カメラが動いている様子もない。相手の仕掛けた状況に、まんまと飛び込んだようだ。

 だが警戒する素振りも見せず、サリュウは即時に作り慣れた無機質な態度を纏った。


「ここ二ヶ月ほど、外部から頻繁に八部のデータへの接触が行なわれている。特にこの四、五日はサイバー攻撃と間違う頻度でホストに近づこうとした形跡がみられる。由々しき事態だ。われわれは寝ずの作業だよ」

「……」

「八部隊長ともあろう男が、心当たりがないなどとは言うまい。どうやら彼は、どこぞでとんでもない相手に喧嘩を仕掛けたらしいな」


 答えを期待しないその呼びかけは、詰るよりも弄うような響きがあった。


「外敵を防ぐことも重要だが、もし八部隊長に出会うことがあったら、私はこう忠告したいね。むしろ内側に気をつけろと」

「……内側?」


 思わず押し殺した声を返す。


「すでに敵は入り込んでいる。二度の接触がこのフロアから確認された」


 ウィ…ンと電磁場が波打つ気配がして、姿の見えない相手が動いた。


「勇猛な獅子も、身の内に潜む小さな虫にはらわたを食い破られる。それもまた一興だが」

「配慮ある独り言をありがとうございます」

「単なる気晴らしだ」

「それでもです。斃れるときは一人にて斃れますので、ご懸念なさいませんよう」

「過信するな。過信は……油断を産む」


 通路の陰になっていた人物が、暗がりからわずかに横顔を見せた。

 サリュウの肩辺りに位置するその顔は、まだ四十代のようで、整えられた濡れ羽色の短髪がさらに若く見せている。鼻筋の高いすっきりとした造りは細面の菩薩顔だが、その実、毒蛇を追い詰めて殺す猛禽であることをサリュウは心得ていた。


 その腰から下が、肉体代わりの浮遊型歩行補助車に繋がれた身であることなど、彼の資質を爪の先ほども損ないはしない。

 声帯を含む身体の45%を喪った事故の前よりも評価が高い、稀人とは別の意味で異能と呼ばれる男。

 かすかな起動音とともに立ち去る軍通信局の局長である彼のうしろ姿を、サリュウは軽く頭を下げ、無言で見送った。



――敵はすでに入り込んでいる、か。


 情報統括の要である通信局の捜査対象は、外部の不審者だけでなく内部も同様である。見張られているというより、情報収集そのものが両刃の剱なのだとサリュウは理解していた。

 たとえばテレパスが双方向性であるように、有益かつ正当な情報を手に入れるためには手に入れる側も相応の代償を支払う必要がある。

 その前提以前に、稀人の集団である八部は軍から睨まれている立場なのだが、今回はそれが有効に働いたようだ。監視に働く目が、強固な防衛という形にすり替わったのである。


 とはいえ、八部自体にほとんど機密情報は隠されていない。活動の特殊さからハッキングされることも間々あるが、多くが単なる好奇心によるもので、隊員の個人情報を覗き見るような迷惑行為でしかなかった。

 最近は現場に出ることも多く、一般人の好奇心が刺激されてもおかしくはない。だが、やはりサリュウの脳裏をちらつくのは、あの不気味に身をよじった蛇の姿である。


――やはり俺か……もしくは八部そのものへの意趣なのか。


 およそ犯罪の動機となるものは、理不尽な理由を起因とすることがほとんどだ。いかに犯人が正当立てたとしても、理解を得られないからこその凶行であり、犯罪である。

 犯罪者に同情する気はない。しかし犯行の発端が自分たちにあるというのは、胸に重くわだかまって彼を落ち着かない気持ちにさせた。


 シューターを下り、一心の警察庁本部の八十三階にある捜査室に向かう。モニターを囲うようにコの字状に組まれたテーブルの間を行き来する黒服たちの中で、なにやら真剣な顔で会話する見知った顔を見つけた。

 英国紳士風の警視がふり向き、茶色の口髭をにやりと曲げる。


「お、ようやくご登場だな」

「遅くなってすまない」

「めずらしく寝坊でもしたか? サリュウ隊長どの」


 話相手であるもう一人から冗談めかされ、サリュウは苦笑を返した。


「ニビ。なんでここにおまえがいる?」

「助っ人さ」


 どちらがどちらの、とは言えまい。〝予知を外された〟という曖昧な根拠ながら、連続婦女失踪事件と爆破テロ事件には接点があるかもしれないのだ。


「様子は?」

「さっき八部のメンバーが着いたところだ」


 天井から吊り下がる三台のモニター画面では、フルフェイスのヘルメットにプロテクターをつけ、麻酔銃パラライザーを手にした特殊ボディスーツ姿のいかめしい一団が、どう見ても鉄骨組みの工事現場にしか思えない巨大建屋内を分散しつつ鎮圧している。

 遠目には嫌われものの虫の集団にも思えるそれは、状況を差し引いても異様であった。

 その中で動かない者が二人。同じ金髪、灰褐色の制服姿の大小の男たちは、緊迫した現場の雰囲気など微塵も感じない様子で、立ち尽くしたまま辺りを見回している。


――てっとりばやく片付ける気か。


 一般人には茫然としているようにしか見えない彼らが、異能の力で最短で敵を追い詰める経路を探っているのだと気付き、サリュウは画面から目を離してテーブルの上の資料をとった。


「こいつがそうか」

「ああ。未だ四辻に潜伏とは舐められたもんだがね」


 六花での爆破犯に暗示をかけ、犯行と自殺を誘導したと思われる医師――カナタ・シオン。二十四才、男性。

 サリュウの要望で紙製資料にまとめられた彼のプロフィールは、とくに目立ったところはなかった。六花で生まれ育ち、三風医大を卒業。医師免許を取得してインターンを経験したのち、一年前から四辻の企業でカウンセラーとして働きはじめた。

 二十四という年齢が医師としては若すぎるようだが、チヒロの例もあるように飛び級はめずらしいことでなく、指定大学で六年間の基礎教育を受ければ誰でも医師免許取得のための国家試験を受けることが可能だ。

 サリュウがむしろ違和感を覚えたのは、勤めて一年という短期間で事件を起こした、その行動の早さである。


「特定の宗教はないのか」

「四辻で流行ってるのは、金を賭けた危険な遊びだけだ。大学時代もおとなしいもんさ」

「蛇とは四辻で出会ったのか?」

「皆目検討もつかないね」


 ロウ警視が首を振る。その仕草もそつがない。


「四辻にはあのイヌもいたはずだろう。そこで出会った可能性は?」

「なんとも言えない。患者リストにオウレンの名はなかった」

「……蛇にイヌか。まるで動物園だな」


 皮肉げなニビの呟きに宿るのは自嘲だ。

 サリュウは同意するようにちらりとそちらを見、再び資料に目を戻した。

 添付されている顔写真は、モノクロといっても差し支えないほど平坦な印象だ。顎の尖った逆三角形の顔に無造作に分けた短い黒髪。眼鏡をかけた顔立ちは浅く中性的で、同様に身体的特徴もこれといって窺えない。

 言葉を飾らずに評せば没個性と言えるのだろうが、したことを考えれば、この特徴の無さも企みのひとつのような気がするのは穿ちすぎというものだろうか。

 ホストコンピュータを通じて得られた情報に、リーディングの意味はない。思考が憶測へと流れるのを感じ、サリュウは打ち切るように資料から視線を外した。ニビがふり向く。


「そういえばコズミ。公安からの説教は済んだのか?」


 どこまで話すべきか一瞬ためらい、サリュウは肩をすくめた。どうせすべてが手詰まりなのだ。


「ああ。魚釣りの邪魔をするなと釘を刺されたよ」

「公安が[夜刀]の存在を? 初耳だな」

「あるいは[EYLA]――または一心のトップを、だ。いくら公安でも、お手つきは絶対に避けたい領域なんだろう」


 八部に敵意を見せるテロ集団・[夜刀]。それに関係すると思われる[EYLA]の共同経営者たちはそれぞれ、各層都市民の総まとめである一心市長と軍の屋台骨を支える軍需産業組織ヒドウ・コーポレーションの跡取りである。

 [まほら]の表の顔と裏の顔、双方がタッグを組む相手を敵に回したいものがいるはずもない。それでも公安、警察ともに易々とはまるめこまれていない事実が、少しだけ心強かった。


――敵は内側にいるというより、われわれこそがやつらの〝内側の敵〟なのかもしれんな。


 巨大な生き物の腹の中にいるおのれを想像し、軽く舌打ちする。

 宿主に養われながらその生命を脅かす生きものの在り様が理解できなかったのだが、大局で見れば、生物とは元来そういうものなのかもしれない。

 母なる地球を喰らい尽くして宇宙へと旅立った自分たちがそうであるように。


――共倒れになるのは避けたいが……そう上手くいくものでもないということか。


 一体自分たちは、どこから道を踏み外して、なんの代償つけを支払っているのだろう。

 そこで、ふと気がつく。


――公安は、いつからやつらに目をつけていた……?


 昨日今日のことでないことは確かだ。それに、軍公安局が通信局の情報網を頼らずに内偵を進めるとは考えられない。遠回しに忠告をしてきた通信局長の言葉は、まるで以前から、自分たちが敵に回した相手を知っているようではないか。


「どうした、コズミ。考え事か?」

「いろいろと情報が散逸でな。的がうまく絞れない」

「地道に一個ずつ叩くしかないだろう。こいつが捕まれば、また状況も変わるさ」


 ニビが顎をしゃくって画面を示す。

 ときおり映る容疑者は、小ネズミのようにまだしつこく逃げ回っていた。しかしすでに手持ちの銃も発煙筒も使い尽くし、現在丸腰であることが確認されている。


「そういえばニビ。今度御父君に会ったら、礼を言っておいてくれ」

「親父に?」

「ああ。さきほど貴重な情報をいただいた。どうやら八部周辺に内通者がいるらしい」

「なんだと?」


 精悍に顰めた顔立ちは、通信局局長の鋭利さとはまるで違う。だが年を重ねてきたせいか、ふと考え込む横顔に似通った面差しを感じ、サリュウは血の繋がりとはこういうことをいうのかと妙な感心をした。

 別の意味で興味を惹かれたらしいロウ警視が、口笛を吹く真似をする。


「ニビ局長みずから情報開示とは驚きだな」

「ああ。あの堅物が曖昧な情報を洩らすはずもないが……内通者とは厄介だな」

「地道に一個ずつ叩くさ」


 同じ台詞で返すと、局長の一人息子が笑みに頬をくずした。

 そう、まずはひとつ。目の前の一歩から踏み出さなければ、道ははじまらないのだ。



シオン(紫苑色):花の色の明るい青紫

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