(4)
拾壱-(4)
チヒロが昼番に組み込まれて二日後、ようやく現場に出ることが決まった。場所は五葉市。居住区の一画で発生した火災現場だ。
通信室担当のフアナからの連絡を受け、いつもの補佐席ではなく隊長席に座っていたカイデンが、ぐっと伸びをして立ち上がる。
「チィ、現場行くぞ。ついて来い」
「は、はい」
ヒナトの隣で業務を教わっていたチヒロは、慌ててメモを閉じた。ズボンのポケットにねじ込んでタラップを駆け上がる。
ついで、ヒナトと共に最前席で市内映像を探査していた金髪の若者にも声がかかった。
「イブキ、おまえも付き合え」
「はい!」
歯切れよく返事し、イブキは目顔でヒナトに後続を頼むと、補佐席に座るダイナンに一礼して二人に続く。
本部を出て右に折れ、大股に通路を歩きながらカイデンが説明する。
「現場に出る判断は、隊長か副隊長がする。おまえらは言われたことをすりゃいい」
「はい」
「手順はいくつかある。とりあえず、どんな現場でもまず身支度だな」
〝EMERGENCY〟と赤字で書かれた通路の左壁に手をかざす。すると緑の光が点灯し、壁の一部が横へスライドした。
中はやや広い簡素な一室となっており、換気されているにも関わらず、汗とも埃ともつかぬ匂いがかすかに鼻腔を刺した。
向かって左側の空間の壁にベスト型の防護衣と手袋、ヘルメットが整然と掛け並び、それぞれの上に名札が貼ってある。奥が幹部生、手前側がそれ以外の隊員たちだ。右側の空間にはスチール棚が立って予備の防護衣などが積まれ、一部は隠し扉になって銃火器類が収納されている。正面奥の扉の向こうは、お手洗いやシャワー室が備えられているとチヒロは視てとった。
先輩二人は慣れた様子で壁に掛かった防護衣に向かい、カイデンは奥から二番目のものを、イブキは左側の手前から三番目のものを手に取って身に着けはじめる。
「カイさん、チヒロの分は?」
「ああ、そこの籠の中だ」
指を差されて足元を見れば、素っ気ないくたびれたプラスチックケースに、同じようにくたびれた防護衣が一揃い納まっていた。
逸早く身支度を整えたイブキが、チヒロに着方を教える。繊維強化プラスチックでできた素材はしなやかだが、衝撃を吸収するためのパッドが前後四面に入れられているので、慣れないと動きがぎこちなくなった。
前のフックを二箇所で止め、ベルトでウエスト部分を締めて固定。同じ素材で作られている手袋を嵌め、ゴーグルとマスクの付いたヘルメットを被る。
チヒロの顎紐を締めようとして、イブキが顔を顰めた。
「カイさん、チヒロのこれ、ちょっとヤバいっスよ」
「ん?」
まだヘルメットを被らないライオン頭が覗き込む。人一倍大造りな彼が苦労するのとは真逆に、人一倍小柄なチヒロはSサイズのヘルメットの端が目深まで来ている。
「なんだこれ、顎紐ゆるゆるじゃねえか」
「でもこれ以上やると、前見えないっスよ」
通常のように顎紐を指二本くらい開けて締めると、がくんとヘルメットがずれて小さな顔の真ん中辺りまで落ちる。その端をぐっと持ち上げれば、首を引っ張られてチヒロがもがいた。
「むが……」
「おめーの頭はSSサイズだな。落ちない程度に締めとくか」
太い指が、割合器用に顎紐を調節し直す。
「サリュウに特注品作るように言っておかねえとな。よっし!」
ばし、といい音を立てて、Sサイズのヘルメットに手のひらを振り下ろす。
「叩かないで下さいよぉ」
「文句言うな。じゃ、行くぞ。イブキ、いいか?」
「OKっス」
イブキは防護衣の他に小さなウエストポーチをつけている。カイデンは腰に通信機を提げ、ヘルメットを手に持ったまま部屋の左奥へと先導した。
突き当たりの壁の赤いボタンを押し、開いた扉の向こうは、もうシューターの昇降口だ。通常よりやや大きめのシューターに三人で乗り込むと、速やかに乗物が重力と同じスピードで下降する。
カイデンが途中だった説明を再開した。
「現場に出向くには、このシューターを使うことがほとんどだ。こいつは各層都市の軍支部と直結してる。たいてい出動要請をしたやつらが出口まで迎えに来てるはずだ。たまにテレポートで向かうこともあるが、んな緊急なことは滅多にない」
テレポートに憧れを抱いていた訓練生が、やや不服そうに唇をすぼめる。
「緊急出動なのに、そんな悠長なことでいいんですか?」
「俺たちへの出動要請ってのは、だいたいよっぽど切羽詰まった状況だ。そういうときにゃ、もう事件なんざ半分終わってるも当然なのさ」
緊急なのに半分終わっているという状況が掴みきれずに、チヒロは妙な顔になった。
イブキが苦笑して教える。
「あんまり俺たちが早く行っても揉めるんだよ。いろいろと」
「揉める?」
「力関係ってやつでね」
意味深に吐かれた先輩隊員の言葉と前後して、シューターが止まる。降りた先には、教えられたとおり迎えらしきエア・カーが横付けされていた。
赤と白に塗り分けられたそれは、一目で消防隊のものだと分かる。オレンジ色の制服を着た消防隊員が、敬礼して出迎えた。
「ご足労いただき、感謝いたします!」
「ご苦労さん。すぐ出れるか?」
「はっ」
イブキとチヒロが後部座席に、カイデンが助手席に腰を落ち着けるや、エア・カーはすぐに加速上昇をはじめた。
「現場は近いのか?」
「はい。ナラ区の雑居ビルです。ここから三分ほどで到着します」
「中の人間は全員救出されたんだったな。状況は?」
尋ねた途端、もう車窓越しに現場の惨状が見えてくる。三分というのは、まさに言葉通りの近さだったのだ。
複数の消防車が赤色灯をちらつかせて囲むそこは、大きな空中スロープの傍にある林立したビル群の一棟で、十数階建てと見られるそれは真っ黒に焼け落ち、もうもうと黒煙を噴き上げている。大まかな鎮火は成功しているようだ。
警察と消防の誘導で周囲に警戒線が張られているものの、野次馬も重なって混乱が著しい。その人と車の隙間をこじ開けるようにして、稀人たちを乗せたエア・カーが到着した。
よく見ると一台のポンプ車が消火溶剤を噴霧し、救急車が巻き込まれた人を収容している程度で、消防隊も警察もあぐねたように現場を遠巻きに囲んで佇んでいる。エア・カーから降り、カイデンは連れてきた消防隊員に再度質問した。
「どういうこった?」
「は、はい。実は火元である雑居ビルは違法建築なうえ古く、住居としては登録されていないのですが、地上十一階に十世帯余りが住み、さらに地下で銃火器の密造を行なっていたようでして――」
「はあ? じゃあ、そろそろ熱でドカンじゃねえか!」
「はい。ですから八部の方に何とかして頂きたく――」
チヒロは無言で目を丸くして隣のイブキを窺った。イブキがそばかすのある顔を顰め、こんなものだと肩をすくめる。
何とかする、しないという問題ではない。
[まほら]の都市構造上、地下は横に繋がるだけでなく他都市の天井でもあるのだ。無論、間にはそういった事態を想定した断熱剤や耐震構造が組み込まれているわけだが、それでも影響は皆無ではない。
なんとかしてしかるべきだが、火災のせいで爆発物に近づけず、爆発物の引火が恐くて火元に近づけないという悪循環。加えて、違法に建て増ししたビル群の一画のために周辺住民の避難も不十分だ。
唯一の救いは、違法建築のわりに危険物の製造をおこなっていた地下部分が、耐震耐火耐熱の密閉構造らしいという点だけである。が、それも周囲の温度が上がれば別だ。
爆発物処理班を召集してはいるものの、もはやお手上げに近い状態で呼ばれたのが八部という、ある意味分かりやすく腹立たしいとしか言いようのない状況に、カイデンが荒々しげな唸りをあげた。
「地下の広さと火薬の量は?」
「地下室はおよそ千立方メートルの正六面体構造です。火薬の量はまだ……」
言いよどみ、消防隊員が警察の事故処理車両に目を向ける。車の搬入口に腰掛けたトサカ頭の男が、うなだれがちに警官に尋問されていた。彼がこの銃火器密造の首謀者なのだろう。
カイデンは、ち、と舌打ちして後輩に問い直す。
「イブキ、どうだ?」
「弾や銃器は視えませんね。火災と同時に持ち出したんでしょう。あるのは火薬の入ったドラム缶が三つ、使いかけが一つ。その他に硝酸とか硫黄とか、まだ調合されてないものが棚にごってりと」
透視に長けている後輩の言にカイデンはよしと頷き、消防隊員は声もなく蒼ざめた。
「どうしますか? 結構な量なんで、爆発するまで待って押さえ込むのは厳しそうです」
「溶剤ぶちこむか」
「シャモンさんのデポートが欲しいっスね」
「チヒロ、アポートできそうか?」
呼びかけられ、現場の様子に圧倒されていた訓練生が、びくりと体を震わせた。弾みで前にずれるヘルメットを手で直しつつ頷く。
「えと、運べる量だとは思います。だけど、爆発しても安全な場所に移さないと危険ですよ? 今かなり不安定な状況ですし」
「そんだけの量が入るスペースがすぐに準備できてたら、俺らは呼ばれてねえってこったな。イブキ、点きそうか?」
「そうっスね。かなり部屋の温度が上がってますね。もって……五分っスか」
イブキの透視の優れた点は、〝温度が視える〟ところだ。まさにサーモグラフィ機能。その特性は発現率が低く、それがため、彼は火災現場にはよく出動を請われるのだ。
直方体の建物内を透視で精査していた若者が、ふいに眉をしかめる。
「……まずいです。カイさん、人がいます。床に倒れてる」
「誰もいねえはずじゃねえのか、おい!」
「住居として登録されてないんですから、誰が何人が残ってるかなんて、こちらでは正確に把握できないですよ!」
食いちぎられそうなライオンの恫喝に、消防隊員が悲鳴をあげる。
「おい、チィ! アポートだ!」
「は、はい。で……でもなんだか、うまく……掴めなくて」
イブキと同じく透視をする少女が、おぼつかなく言葉を濁す。
透視は建物の大きさ、形、材質によって、微妙な匙加減が要求される。力は強いものの経験の浅いチヒロには、飛び込んでくる無数の情報から必要なものを取り出す技術が足りなかった。
もうもうと立ち込める煙がそのまま情報として脳裏に投影され、対象の状況がほとんど読み取れない。
――それにこの人……。
「しっかりしろ。遠隔で何度もアポートしただろうが!」
「あれは」
隊長がいたから、と言いかけて呑み込んだ。
サリュウ・コズミの圧倒的な力は、遠隔透視という枠を超え、皆の意識を保護し誘導するものだった。その中でチヒロは、ただ何も考えずにアポートに集中すればよかった。それが、ないのだ。
――どうしよう。
心細さに愕然となる。共振ということもあったのかもしれないが、たった一人で透視して場所と対象物を特定し、アポート先の状況と対象物の生存状態を確認して実行しなければならないという事実に、焦りでうまく集中が続かない。
「……ちっ! 待ってられるかっ!」
「カイさんっ! 待ってください!」
痺れを切らしたカイデンが、煙の立ち込める現場へ飛び込んだ。メットのマスクを下ろし、イブキがそれに続く。咄嗟のことに訓練生の足が凍りつく。
――ええい、もうっ。
自らを叱咤すると、チヒロはずれるヘルメットを脱ぎ捨て、マスクだけを嵌めて先輩隊員らを追った。20%に力を開放し、二人に生存者の居場所とお互いの位置を送る。三階の窓際だ。
まだ消火作業が続けられている建物内は、粉塵を含んだ濃い煙が充満していた。だが二人のサイキックは、それをものともせずに中を通過していく。二人を包むのは、清浄な空気の層だ。
特に強力な力をもつカイデンが動くと、まるで空気の砲弾が切り裂くように煙が左右に散っていく。
「――いたぞ! 大丈夫か」
声をかけ、カイデンは床に倒れる若い女性を抱き起こした。やけに重いと思えば、女性は体の内側に隠すようにして、四~五歳の幼女を抱き締めている。その手を外し、幼女をイブキが、女性をカイデンが腕に抱き上げた。
遅れてやってきた訓練生に声をかける。
「時間がねえ。爆発すんぞ。掴まれ」
「……はい?」
「こっから飛び降りんだよ。急げ」
頑強なサイキックは、どうやら三階の窓を突き破って退避する気らしい。戸惑いつつもチヒロが近づこうとすると、突然部屋の右隅から音をたてて火の手が上がった。壁と床の隙間から、階下の炎が侵入したのだ。
――火。
ちらちらと何かを誘うように揺らめく赤いモノ。このモノのもたらす破壊力を、チヒロは厭というほど知っていた――夢と現実の両方で。
――トウサン……カアサン。
「来い、チヒロ! 急げっ」
「俺、先に行きます!」
立ちすくむチヒロの耳に、先輩隊員の声がどこか遠く響く。ふと違和感を覚え、背後を振り返った。いや、後ろではない。
――下、だ。
圧倒的ななにかが膨れあがる。絶望的な力が、臨界を迎えて解き放たれようとした瞬間。
チヒロは考える間もなく、全霊でそれを行使した。