16:30 薄暮
from お母さん
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仕事が長引いて今夜は帰れそうにありません。
ごめんね。
レストランへはお父さんとかのちゃん
二人で行ってください。
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from お父さん
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急に出張が決まった
二日ほど空ける
食事はママと行ってくれ
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ばっかじゃないの。
二人して押し付けあっちゃって。
行く気が無いんなら最初っから予約なんか入れなきゃいーのに、ばかばかしい。
イライラする心のまま、ケイタイの電源を落として乱暴にコートのポケットに突っ込んだ。
三人で食事に行こうとか、あるわけないもんね、ちょっとでも期待した自分が一番ばかみたい。
学校の帰り道の途中にある小さな公園で、ブランコをきぃきぃ揺らしながら空を見上げた。
太陽はビルの谷間に沈んで、あとは未練がましく雲に張り付いた光が消えてしまえばもう夜だ。
クリスマスイヴの夜。
だんだん薄暗くなっていくのをぼーっと眺めていたら、べしゃっという音とともに何かが視界を塞いだ。
「ぶっ」
冷たい冬の風にあおられた紙きれが飛んできて、顔に覆い被さったらしかった。
もー、腹立つ。
忌々しいそれは、垂れそうになってた鼻水が接着剤の役割を果たしてくれたおかげで顔にお張り付きあそばせたようだ。ああ、腹立つ。
紙くずにまで馬鹿にされてる気分。
ついでなのでおもいっきり鼻をかんでやって、くしゃくしゃにまるめて、ぽいと投げ捨てた。
「……おなかすいた」
今日はホテルのレストランで食べる予定だったから、家に帰っても晩御飯はない。
「……肉まん買うか」
コンビニで。暖かいものが食べたい。
すぐそこの、道を一本渡った先に、煌々と明かりを振り撒いているコンビニがある。
ぴょんとブランコから飛びおりて、タイミングよく信号が青になった横断歩道目指して走った。
点滅する青い光に急かされつつ半分ほど渡ったところで、真正面の道からウインカーを出して曲がろうとする車がこっちへ向かってくるのに気が付いた。
──なにあれ歩行者いるのに止まる気ないスピードじゃん!
危険を感じて立ち止まったら、やっぱりわたしのことなんか気にもとめてない速度で目の前を通り過ぎていった。
なんなのあれ!
「さいってー」
危ないどころか、わたしが止まらなかったら完全に事故ってた。交通マナーの悪いドライバーって最低、お陰でわたしの気分も最っ低!
もー、ムカムカする。
目的地のコンビニは歩くの遅い女の人が携帯いじりながらちんたらしてて自動ドアを塞いでるし、もー寒いから早く中に入りたいのにー!
それで結局電話始めてちょっと端によっただけで喋りだすって意味わかんない。くねくね身体を揺らす度にセンサーに引っかかって自動ドアががごがごいってるのに気にしないとかほんと意味わかんない!
どうにかその隙間をすり抜けて、腹立ち紛れにどすどす足音をたてながらレジに向かった。店員はカウンターにファイルを広げて何かを書き込んでいる。
「すいません、肉まん一個ください」
声をかけたのに、反応がなかった。何事もなかったみたいにボールペンを走らせ続けている。
ふつう、客がレジのそばに立った時点で「いらっしゃいませ」って言わない?
聞こえてなかったとか? この距離で?
「すいません、肉まんください!」
さっきより大きな声で言ったのに、店員はファイルのページをぺらりとめくって、作業を続けた。
……なに、ありえないんだけど。店員にシカトされるとかありえないんだけど!
ほっぺたが熱くなって、頭にかあっと血がのぼるのがわかった。
むかつく。悔しい、恥ずかしい、なんなのもう信じらんない!
目の奥がぎゅっと熱くなって、潤みだす前兆に情けなくなった。こんなところで、どうしてわたしが泣かなくちゃいけないの?!
もういい。
肉まんなんかいらない。こんなとこで買い物なんかしない!
ぐっと歯をくいしばって、呼吸をとめて、早足で外に向かった。
そうしないと泣きそうだった。
まだがごがごいってた自動ドアをすりぬけて、走り出そうとして──目の前を塞ぐように、きらりと光沢を反射するでっかいものがあることに気が付いた。
慌てて足を止めたけど、つんのめって転びかけて、そのでっかいものに手をつく。
冷たい金属の感触。
真っ黒な、でっかいバイクだった。
真っ黒なせいで、夜の闇にまぎれて気が付くのが遅れたんだ。
こんなとこにバイク停めないでよ、危ないじゃん!
独り言めいた文句を口にする前に、それに跨る人影があるのにも気が付いた。
その人も、上から下まで真っ黒だった。
真っ黒いブーツ、真っ黒いズボン、真っ黒な革のジャケットに手袋、真っ黒い髪の毛は襟足が短め前髪長め、きついパーマでくるくるしてる。
で、そのくるくるの向こうの真っ黒な三白眼が、こっちをじっと睨んでた。
すっごくガラ悪そうな男。
すぐさまバイクについてた手を離す。
なにさこんなとこにバイク停めてるほうが悪いんじゃん!!
絡まれないうちにさっさと行こうと思ったのに、黒尽くめの男が口を開く。
「お前、印を使ったな」
しるし。
知らない、なんのことかわからない。
そろりと片足を後ろにずらしたら、突き刺さりそうな眼光でもってさらに睨まれた。
「それはサンタクロースの仮認可証、認印だ。なぜ使った?」
サンタクロースのかりにんかしょう……、車の仮免許証みたいなもの? なにそれうさんくさい。
「知りませんけど」
何言ってるのこの人、サンタとか。
うわあってドン引いたら、ちって舌打ちされた。
「これくらいの紙を、自分の顔に押し付けただろう」
そう言って、黒尽くめの男は両手の親指と人差し指で四角をつくってみせる。
「えー……。そういえばさっき、紙切れが飛んできたけど……鼻かんで捨てちゃった」
「あァ?! てめ、今なんつった」
うっわ凄まないでよ怖いんだけど! チンピラか!
「だ、だから捨てたよ…でも何にも書いてないただの紙だったよ」
「お前にゃ見えてなかっただろうが、それが仮印だっ、転写式の!」
「はあ? てんしゃ……?」
「貸してやる、見ろ!」
襟に引っ掛けていたサングラスを荒々しい動作で抜き取って、こっちに突きつけてくる。
なにこれ、サングラスかけると何か見えるようになるの?
半信半疑でそれをかけると、チンピラ男はバイクのバックミラーを指差した。
これを覗けって?
意味わかんないし、なんか変なことされそうだったらすぐに逃げるつもりで、警戒しながらミラーを覗いた。
もう夜だっていうのに、似合わないサングラスをかけてこっちを見る、鏡にうつった自分の顔は──鼻が真っ赤に光っていた。
なにこれかっこ悪いいいいい!!
おもわず両手でミラーに掻き付いて、顔を近付ける。
じっくり見ると、紅い光は、柊の葉っぱにぐるりとまるく囲まれた、なにかの紋章をかたどったものみたいだった。これが、サンタの証? (仮)の?
紋章自体は奇麗なだけに、それが自分の鼻の頭にあるのが間抜けすぎて、わたしは頭を抱えた。どう見てもさかさま、かつ微妙に30度ほど斜めってる。かっこ悪い……なにこれ。
「クソッ、どうすんだただでさえ人員が足りないからってオレが駆り出されるハメになってんだぞ、今さら別のサンタクロースなんか呼び出せるはずもねえし、仮とはいえ認印がそう簡単に下るワケもねえ。今から再手続きなんかしてたらクリスマスが終わっちまう……認可証で鼻をかむとか勘弁してくれよ……」
横をみれば、黒尽くめのチンピラ男も髪をぐしゃぐしゃと掻き毟って頭を抱えていた。なにそれわたしが悪いみたいに。
知らない知らない、大事なものを落としたのはこのチンピラだし。わたしは関係ない。
サングラスを外してそおっとバイクのグリップにひっかける。抜き足差し足で離れよう。
そう、思ったのに。コートの背中をがっつり掴まれた。
「お前、手伝え」
「……は?」
イヤダ。
振り向きたくない。でもしょうがなく振り向いたら、黒尽くめのチンピラはじっとりわたしを見据えてた。絶対離してくれなさそうな三白眼で。
「お前がサンタクロースなのは変えようがねえ。ならお前がプレゼントを配れ」
「なんでえ?! わたしカンケーないじゃん! 元はといえばあんたが大事なもの落とすから悪いんじゃない! 変な印だけでサンタ認定とか勘弁してよ!」
じたばた暴れてみても、チンピラの手はちっとも緩まない。
「うるせえな、書類片手にかっ飛ばすくらいでなきゃ間に合わなかったんだよ! ろくに資料を見る暇もありゃしねえ!」
「あんたの都合なんか知ったこっちゃないし! だいたいサンタっていったら白いひげのおじいさんでしょ、わたしは違うし、あんたただのチンピラじゃん! 何がサンタだよ!」
「あの爺ィがぎっくり腰で寝込みやがったからこうなってんだ、俺だっていきなり代理を押し付けられてさんざんだっつの! それにお前、このまま家には帰れねえぞ」
ドスのきいた声で脅された。
「いいか、今のお前は人間には見えてない。声も聞こえない、だからコンビニで誰もお前に気が付かなかったんだ」
「えっ。無視、されてるんだと思った……見えてないの? どうして?」
見えてなかったなら、さっきの理不尽な出来事も説明がつく。嫌な気分にさせられたのも帳消しだ。そう思ってもう一回振り向いた。
チンピラ男はにやりと笑う。
「どうしてだろうなあ。サンタクロースってのはそういうもんだしな」
「ちょっ、ねえ、いつ元に戻るの?」
「いつだったかな……まあ関係ねえんだから気にするこたねえだろう?」
背中を掴んでいた手が外された。バイクのグリップに引っかかっているサングラスを黒い皮手袋の指が摘み上げて、ジャケットの襟元へ持っていく。
黒尽くめのチンピラ男はバイクにちょいちょいと手をやって、引っぱり出したペダルを足で踏む。
どるんと低い音を立ててエンジンが排気を噴いた。
「待ってよ困るよ! 元に戻して!」
今度はわたしがジャケットを掴み返す。誰にも見えないまま放っていかれたらいやだ。
「手伝うか?」
チンピラ男はものすごくあくどい顔でにやにや笑っている。
──このチンピラがー!
「わかったよ、手伝う!」
「ならさっさと乗れ、時間がねえんだ。もう聖夜は始まってる」
どうみてもチンピラの自称サンタになりそこないは、バイクのシートの後ろをばんばん叩く。
ううう、なんでこんな怪しいサンタごっこに付き合わなきゃならないんだよ!
「どこ行くんだか知らないけど用事が済んだらちゃんと元に戻してよね!」
念をおしつつ破れかぶれでデカいバイクによじ登る。
「しっかり掴まれ、落ちたらミンチになるぞ」
「ええー? 安全運転で行ってよ」
真っ黒ジャケットの端っこを掴んだわたしの手首を、真っ黒皮手袋ががっしり握って前へ引っぱった。顔がジャケットの背中にぶつかった。
「うぶ、ちょ、」
そのままチンピラの腰に腕をまわされて、自分の手首を握らされる。
「絶対に離すな」
なんなんだよもー。
どるるる、と唸りだしたエンジン音に、なんとなく視線をまわりに向けたら、星がすごく奇麗だった。
きらきら、まわり全部、星。
ビルの影も、主張の激しい光る看板もない、一面の星空。
「きれ、い ……? ……ねえ、なんか、これ、飛んでない? 空、飛んでない? このバイク」
風がびゅーびゅー耳元を通り過ぎていく。
さっきまでいたはずの公園もコンビニも見当たらない。ずっとずっと下に、星空よりもちょっぴり色鮮やかな煌めきがあるだけ。
「サンタクロースは空飛ぶんだぜ。知らねえのか」
──それ違う。
「そら、とぶのは、トナカイのそりじゃん──!」
「バーカそんなだせえジジイの乗りもん乗ってられっかよ」
ありえない。
トナカイなしで、黒尽くめで、チンピラで。
「こんなの、絶対、サンタじゃないいいいい──!」
悲鳴まじりのわたしの叫びに、チンピラ男は愉快そうに笑った。