もしも彼女だけでも
本編読了後に読むことを推奨します。
霧の中を、ゆっくりとした歩調で進んでいた。
いつから歩いているのかは知れない。何も考えずに、匂いも温度も無い世界を、漂うようにして渡っているだけだ。
どれほど歩いても視界に変化は訪れなかったが、やがて空間が振動した。
「お兄さま、お願いがございます」
歩みを止めた。
「……おにいさま、だって?」
身に覚えの無い呼び方だからと、つい訊き返した。声のした方を振り返るも、人影は見えない。代わりに、人ひとり分だけ、霧をくりぬいたかのように、晴れた箇所があった。
「君、誰」
空いた箇所を見下ろしてみた。これを人間の身長に換算するなら、子供くらいの大きさになる。
「わたくしをお忘れになるなんて、ひどいです、お兄さま」
声の主がころころ笑った。少女か、となんとなく感じ取った。相対しているのは己の妹だということになる。やはり身に覚えが無い――
「んん……?」
何かが引っかかる。違和感の正体に気付けないまま、少女は勝手に話を続けた。
「明日は長兄さまにお会いになられるんですよね」
「え。長兄、って」
その呼び名にも聞き覚えが無いが、意味するところは「一番年上の兄」。この少女が自分の妹だと言い張るなら、自分の兄も彼女の兄になるわけだが。
頭がこんがらがってきた。とりあえず、訊ねる。
「どうして知ってるの」
確かにもうすぐ、三年振りに兄に生身で再会できる。
「当然です。わたくしはずっとあなたを……いえ、あなたたちを、見ていましたもの」
「…………」
気色悪いことをするね――と返そうかと一瞬迷ったが、彼女を傷付けたくないという謎の躊躇いが沸き、やめた。
「ふふ。ルージャですよ」
それが彼女の名なのだろう、とすぐに理解した。
「長兄さまにお会いになるとき、わたくしも連れていってくださいましね」
「……いいよ」
空気が震えた。彼女が笑ったのだ。
「お願いですよ。リーデンお兄さま」
絶対ですからね――と言い残して。夢を満たす霧の気配が元の濃さを取り戻した。
「ルージャ……」
意識の奥深いところで妹の名を呼んだ。
長い間、忘れていた。
――今までずっとごめんね、ルージャ。
どうして今になって思い出せたのかは、考えたところでわかりはしない。今更謝っても、妹は喜ばないはずだ。
ルージャ・ユラス・クレインカティの魂のひとかけらを、これからも大切に胸に抱いて生きていけばいいだけだ。
霧が晴れる。
間もなく朝が来る。
「そうだね。行こうか、僕らの兄さんを迎えに」
ゲズゥたちが独房から解放される直前の話。Ifなのか公式なのかは謎。
妹ちゃんは赤ん坊の頃に死んだので、言葉とかまだ持ってなかったはずです。でももしもこっそりリーデンにくっついて自我が育ったのなら…
たぶんお兄ちゃんに似て曲者に育ったことでしょうw
ゲズゥのことは母親の立場的に自分たちより上だからと長兄さまって呼び方をしてます。もし本人が聞いたなら、めんどくせーから名前で呼べって言いそうで、その後「げのお兄さま」「げーにいさま」とか面白いことになるかも、しれなかった。




