12 先ずは飛べ
執務室の戸がノックされても、男はすぐには羽ペンを繰る手を止めない。彼の護衛として常に傍についている二人の黒服の男性が、代わりに戸を開いて相手と対話してくれるとわかっていたからだ。
「主君、謁見の者がいらしています」と、用件を聞いた二人が振り返る。
「どうぞ通して下さい」
男は羽ペンを置いた。ほどなくして、厳かで彫りの深い顔立ちと白と青銅色の混じった髪が特徴的な男性が、部屋に入ってきた。飾られた白装束は枢機卿の位を持つ者が纏う正装である。
「アンディア氏ではありませんか。お帰りなさい」
出張でヴィールヴ=ハイス教団本部を数ヶ月ほど離れていた彼に、席につくように手で示した。しかし来訪者は机の隣の客用の椅子には座ろうとせずに、執務机の正面に立った。
「ええ、ただいま戻りました、猊下。……ではなくて。南東地方に向かった聖人たちに何か変なことを吹き込みましたでしょう。関所ですれ違った時に聞きましたよ」
現枢機卿が一人・アンディア氏とは気の知れた昔なじみなので、一対一での会話では互いに丁寧なのは語尾のみであって、結構踏み込んだ接し方をする。
「変? と、申されますと?」
「地元の民と早く打ち解けたければ崖から飛び降りてみなさい、みたいなことを」
「ああ! あの方たちですか。はい、彼等が慰問の為に向かった地帯には崖から海に飛び込んで根性の有無を証明する習慣があるそうなので、そのように助言しました」
「なんてことを……。教皇猊下が仰るならば、と彼等は本気で挑むつもりでしたよ。若者たちが不用意に命を落としてしまってはどうします」
「良いではありませんか。人生何事も経験です」
教皇はそう言って、へにゃり、と顔中の筋肉を緩めて笑った。
「そうやって怪しい挑戦ばかりを薦めないで下さい。それに、教団のイメージに関わります」
「貴方は世間体を少し気にしすぎではありませんか」
「貴方様はもう少し世間体を気にして下さい」
「まあまあ、そういうお小言も含めて帰還報告を聴きますから、座ってはいかがです」
ね、と教皇は椅子の方を示して微笑みかける。
アンディア氏は諦めと呆れがない交ぜになった顔で、椅子に腰をかけた。




