9
土曜日、平日の地獄巡りのような登校日が終わり、穂花はリラックスした気持で朝を迎えた。暖かい毛布の中で、穂花が目を覚ましたのは午前十時三十分。
「よく寝たなぁ」
目覚まし時計を見て、満足気に伸びをすると、穂花は自室を出て居間へと向かった。
テーブルの上には、六切れの食パンが入った袋が寂しく穂花の席の前に置かれている。自分で焼いて食べろということなのだろう。母親からの見えないメッセージを読み取り、穂花は食パンをトースターの中に入れた。パンが焼けるまでの間に、携帯電話を取りに自室に戻る。その途中、穂花は玄関に両親と直樹の靴がないことに気付いた。
直樹は毎週土曜日に、都内の病院で診察を受けることになっているので、両親はいつものように弟を連れて、隣の東京都に朝早くから出掛けたようだ。三人が帰ってくるのは、おそらく午後五時過ぎ。それまで家には自分以外の人間はいない。
穂花は今日、午後一時に最寄りの駅で千秋と会う約束をしていた。
折角だから千秋を家に呼んで、一緒に昼御飯を食べようか。いや、二人で食べるなら、家の中より開放的な外のほうが良い。よし。
早速穂花は千秋の携帯電話に電話を掛けることにした。
「どうしたの?穂花」
コールすると、送話口からすぐに千秋の声が聞こえてきた。
「あ、千秋?まだお昼御飯……」
穂花はちらりと壁に掛かった時計を目にする。
「食べてないよね?」
「うん、まだだけど……」
「じゃあさ、下校途中通りかかる、真木公園で一緒に御飯食べようよ」
「ううん……。待ち合わせの時間は午後一時だったよね?」
「そうだよ。あ、どうせなら公園で待ち合わせしよっか」
「うん。そうだね。そうしよう」
明らかに不満そうな声で千秋は答えたが、穂花は気にせず話を進めた。
「よぉし、決まり!一時に公園集合だから、遅れないようにね」
「ねぇ、穂花?」
「何?」
「お昼御飯って、穂花が作ってくれるの?」
「えぇ?私が作る訳ないでしょう!何言ってんの。自分で買ってくるんだよ」
普段の千秋からは全く想像できない子猫のような発言を聞き、穂花は笑いの発作に襲われた。
「ふふ、ふふふ」
「そんなに笑うことないだろ?」
「千秋、私の手料理が食べたいの?作ってあげよっか?」
「食べたくないよ、ばか」
「千秋が怒ってる。面白い」
穂花は笑みを浮かべて何度も飛び跳ねた。
「怒ってないよ。そんなことで怒らないよ、僕は」
「千秋はかわいいなぁ。なでなで」
「穂花、男に可愛いとか冗談でも言うなよな」
「慣れてるくせに」
「穂花!」
穂花は千秋の大声を初めて聞いた。今度ばかりは本当に千秋は怒っているようだ。
「はいはい、解りました。二度と言いませんよぉ」
「……じゃあ、おにぎりでも買って、一時に真木公園で待ってるから、穂花、遅れないようにね」
「あ、ちょっと待って。おにぎりじゃなくて何でも良いからパン買って来てよ。私もパン買うから、半分ずつして食べよ」
「えぇ、何で?」
「色んなモノ食べたほうが楽しいでしょう?それに、一緒にいる人がどんな味の食べ物を食べているのかわからないと、つまらないよ」
「そう。まぁ良いよ。パン買って来るよ。じゃ、またね」
「また二時間後にね」
穂花は笑顔で携帯電話の電源ボタンを二回押した。顔を真っ赤にして怒る千秋の姿を想像すると、おかしくて思わず吹き出してしまった。