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 松下家のラーメンには必ずスープの中に氷が入る。が、前からそうしていた訳ではない。氷を入れるようになったのは直樹が生まれてからだ。

 心臓の悪い直樹は身体に負荷がかかるので、熱いものを食べることはできない。初めは直樹だけがスープ類に氷を入れていたのだが、両親の意向により、穂花も九歳の時からスープに氷を入れるよう義務づけられている。

 穂花は時折、自分が何者なのかわからなくなる。自分がどれだけ家の手伝いをしても、褒められるのはいつも病弱で、家で寝てばかりの弟だった。

『直樹は家族なんだよ。一人だけ違うもの食べさせたら可哀想でしょう』

 そう言って、母親はある日、愚図る穂花の頬を平手打ちした。

 では自分は一体何者なのか。両親だと思っている人物は、実は他人で、自分だけこの家の家族ではないのだろうか。判る筈もない答えを求めて、穂花は時折苦悶する。

 あとどれくらいこの生活が続くのだろうか。ちょうどそんなことを考えている時、直樹が話を振ってきた。

「お姉ちゃん、最近顔色良くないよね。何かあったの?」

 目の前で麺をすする弟の瞳はつぶらで、透き通っている。まるで、悲しみとは縁がないかのようだ。

 直樹さえいなければ。一瞬邪な考えが浮かび、慌てて穂花は首を振った。

「何かって?何もないよ」

「そう?なら良いけど、帰り道は気をつけたほうが良いよ。また、襲われるかもしれないし……」

 今から約六年前、穂花が男にレイプされた時、直樹はまだ四歳だった。その為、本当のことはまだ幼いからという理由で誰もが口を閉ざし、両親には『お姉ちゃんが刃物を持った悪い男に刺された』としか聞かされていなかった。

 『襲われた』と一重に言っても、穂花と直樹では思い浮かべる事象に微妙な差異が生じる。だからといって、穂花には弟の誤解を解こうという気持は微塵もないのだが。

「そうだね。なるべく早く帰るようにするよ」

 それができればどれだけ気が楽だろうか。穂花はぬるま湯に浸かった麺をレンゲの上に載せ、ぱくりと口の中に入れた。

「僕、怖いんだ」

「え?何が?」

「何か厭な予感がするんだ」

 直樹の顔つきが、いつの間にか生か死の選択を迫られた軍人のようになっていて、穂花は面食らった。

「どうしたの、急に。怖い映画でも見たの?」

「そうじゃないよ。ただ、お姉ちゃんに良くないことが起こる気がするんだ」

「おかしなこと言わないでよ」

 これまでだって悪いとは思わないが、決して良いとは言い切れない人生を送ってきた。それなのに、まだ神様は私に目を向けてくれないのだろうか。

「びっくりさせようとして言ってるんじゃないよ。本当に、本当に怖いんだ。何故だかよく解らないけど、お姉ちゃんが日が暮れてから帰ると、お姉ちゃんに不幸なことが起こる予感がするんだ。だから、だから部活を辞めることはできないかな?」

「そんなこと言って、本当は夕飯が遅くなるのが嫌なだけじゃないの?」

「違うよ!僕は、お姉ちゃんが最近元気が無さそうだから、心配なんだ」

 直樹の真剣な表情を見る限り、嘘を吐いている訳ではなさそうだ。

 六歳下の、しかも病人の弟に心配されるとは。情けないなと穂花は思った。

「分かったよ。なるべく日暮れ前には帰るようにするから、泣かないの」

「絶対だよ?」

「うん。約束する」

 穂花の返事を聞いて、ようやく直樹は安心したらしく『ふぅ』と大きく息を吐いた。穂花も心の中で、密かにため息を吐いた。

 これで直樹に余計な気遣いをされることは無くなった筈だ。それにしても、不幸なことが起こるとはどういう意味なのだろうか。穂花は薄気味悪い悪寒をすぐには拭い去ることができなかった。

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