表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/19

5

 穂花の両親は共に朝早く働きに家を出て、夜遅くまで帰って来ないので、松下家では夕飯は各々用意することになっていた。しかし、十歳の直樹は生まれつき心臓が悪く、五分、十分歩いただけでもすぐに疲れてしまい、休憩をしないと死んでしまう脆弱な体だった。身体の負担を少しでも軽くするため、直樹だけは例外とされ、彼の夕食を作るのは専ら穂花の役目となっていた。

 台所で、まな板の上に載せた長ネギを包丁で刻みながら、穂花はサングラスの男のことを考えていた。

 大橋達にされた仕打ちがあまりにもショックで、帰り道、サングラスの男につけられているかどうか、気にする余力も残っていなかった。

 今日もあの男は私の後ろ姿を見ていたのだろうか。そう考えただけで穂花はぞっとした。

 男は私の後ろ姿を見ていたのかもしれない。もし、私を見ていたのなら、何を思いながら歩いていたのだろう。

「ほらほら!見てよ、お姉ちゃん」

 唐突に後ろから直樹の声が聞こえてきて、穂花は現実世界に戻された。

「どうしたの?」

 手にしていた包丁を置き、振り返った時には直樹は酷く落ち込んだ顔をしていた。

 先程のはしゃいだ様な声と表情は一瞬で霧散したようだ。何があったのだろうと、じっと穂花が直樹を見つめると、彼は消え入りそうな声で『遅いよ』と言った。

「こっち見るの遅いよ。もう終わっちゃったじゃないか」

 弟が不貞腐れた顔をして正面のテレビへと目を向けたので、穂花は彼がテレビを見て欲しかったことに気付いた。

 ビデオデッキの上に堂々と鎮座したテレビに慌てて目を向ける。テレビ画面には日本地図が映っていて、地図の上にはまばらに三色の数字が表記されている。天気予報だ。直樹は天気予報を見て欲しかったようだ。

「ごめんごめん。何か大事なこと言ってた?」

「大事なことではないかもしれないけど……」

 なら、わざわざ呼ばなくてもいいじゃないかと穂花は思ったが、大人気ないので口にはしない。

「けど、何?」

「……さっき、テレビで言ってたんだ。今日は雨が降らなかったって」

 穂花の背筋が一瞬凍った。

「だから、今日のは雨じゃなくて汗だって」

「あんなに汗かく人なんて見たことないよ。それに、いつもと違う、厭な臭いがしたし……」

 直樹は俯き、小さな右手の拳を左手で包み込んだ。

「それに……」

「考えすぎだよ」

 これ以上疑われては困る。穂花は焦りを心の奥底に押し隠してから口を挿んだ。

「お姉ちゃんは汗っかきだから沢山汗が出るんだよ。さらに、お姉ちゃんの汗はとっても臭うから、変な臭いがしただけだよ」

「本当に?」

 直樹は怯えたような、困ったような目で穂花を見た。

「本当だよ。お姉ちゃんは嘘吐かないよ」

「……へぇ。そういう人もいるんだ」

 穂花が力強く頷いて見せると、従順な直樹は信じたようだ。

 黙って静かにテレビを眺める弟を見て、穂花は思った。

 純粋だ。あまりにも純粋だ。小学生の頃の千秋も、直樹の様に素直な子だったのだろうか。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ