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 空模様は雲ひとつない快晴。前方後方共に人気がなく、見晴らしは良好。跡をつけてくる者はいないが、松下穂花は車道側に、華の枯れた桜が連なる歩道を歩きながら、せわしなく振り返る。

「どうしたの?穂花」

 少女の挙動を不審に思ったのか、彼女の横を歩く学生服を着た少年が、目を僅かに細めて彼女に尋ねた。

「え?あぁ、おかしいなぁと思って」

「何がおかしいの?」

「いつもなら、サングラスの男が私の跡をつけてくるんだけど……」

「サングラスの男?」

 穂花に釣られて、少年、遠山千秋も後ろに顔を向ける。

「どこにもいないよ。僕達をつけている人なんて」

 千秋は中性的な整った顔立ちをしている。少年期特有の輝きを持った彼に、まるで周囲が引け目を感じて姿を暗ましたかのように、穂花達の後方には人影がない。

「うん。なぜか今日はいないんだよね」

「そう。で、どんな人なの?穂花の跡をつける男の人は」

 千秋に問われ、穂花は昨日も一昨日もつけてきた、名前も知らない男の姿を思い浮かべる。

「昼間でも夜でも、黒い帽子に黒いコート、黒いサングラスを身に着けている、ちょっと気味悪い人だよ」

「ふぅん。でもどうして男だって判ったの?」

「ん?それは、私女だし、女をつけるのは男しかいないでしょう」

 得意気に答えると、穂花は千秋に『ふふふ』と笑われた。

「女だって女をつけることはあるよ。男だって男をつけることはある。帽子かぶってサングラス掛けてたんだろ?男かどうかなんてわからないじゃないか」

「でも、私服だとつけられないから、男だよ。きっと」

「制服を着ているとつけられるの?」

 千秋は無表情でゆっくりと、穂花の体を足から頭へと眺める。

「うん。私服だとつけられないんだよね。変な人だよ」

 不意に横を見ると、穂花は自身の首周りに千秋の視線が注がれていることに気付き、何となく恥ずかしい気持になった。

「確かに変だね。でも、変な人がストーカーになるものだから、全国のストーカーさんと比べたら、その人はそれほど変ではないと思うよ」

 千秋の顔が正面に向くところが、穂花の右目に僅かに映った。

 穂花が千秋と知り合ったのは、今から約六カ月前の、四月のことだ。

 今年、四月の上旬に、穂花達は高校二年生になり、クラスごとで自己紹介が行われた。その際に千秋は自分が小学生の頃、見知らぬ男に犯された過去を話した。穂花と千秋はクラスが別々だったが、彼の発言は学年内で一時期話題の種になり、クラス内に友達のいない彼女にも、彼の噂は耳に入っていた。

 初めて千秋の話を聞いた時、穂花は真っ先にこう思った。

 この人と友達になりたい。

 穂花が実際に行動に移すのは早かった。千秋と同じクラスの友達に頼み、仲介してもらい、穂花は彼と親しくなった。

 千秋とは今では互いに名前で呼び合い、共に下校するまでの仲になっているが、穂花は彼に自分との間に壁を作られているような気がしていた。

「ねぇ、千秋」

「何?」

「どうすればサングラスの男につけられずに済むかな」

「ううん、そうだなぁ」

 千秋は歩きながら空を見上げる。その仕種はどこか白々しい。

「スカートを履かなければ良いんじゃないの?」

「どうして?」

「『スカート』と『ストーカー』ってなんか似てるだろ?だから、ストーカーさんは穂花のスカートを狙っているんじゃないかな」

 千秋の話を聞いて、穂花は漫画のキャラクターのようにずっこけそうになった。

「真面目に答えてよ。真剣に相談してるんだから」

 穂花が脹れて見せると、千秋は笑いながら『ごめんごめん』と謝った。

「冗談だよ。そんなに怒ることないだろ?」

「千秋の冗談は面白くないよ」

「じゃあさ、僕が穂花をサングラスの男から守ってあげようか?」

 千秋の言葉に穂花は一瞬どきっとしたが、表情は冷静を装い、軽く流すことにした。

「それも冗談?」

「へへ、わかる?」

「もう、ふざけてないで何か良い考え教えてよ」

「良い考えって言われてもなぁ」

「何でも良いよ。話してみて」

「そういえば、私服の時はつけられないんだろ?家に帰るときだけ私服に着替えれば良いんじゃないの?」

「なるほどね。でも、それは無理」

 私服を学校に持ち込めないことはないが、穂花が持って行ったところで、同級生に捨てられてしまうだけで意味をなさない。

「どうして?カバンの中に服くらい入るだろ?」

 千秋に尤もなことを言われ、穂花は一瞬返事に困った。

「私のカバンは千秋と違って、部活で使う道具も、沢山入っているから、服を入れるスペースはないの」

「そんなに沢山入っているようには見えないけど……」

 千秋は穂花の学生カバンに訝しげな目を向ける。

「重いなら持ってあげるよ」

「いいよ。自分で持つから」

「そう?」

 穂花は学校で同級生に苛められていることを、家族や千秋には話さず黙っていた。その理由は穂花自身もよく解っていない。しかし、ただ漠然と、これから先もずっと、穂花は千秋にだけは苛められていることを知られないようにしようと、強い決意を固めていた。

「とにかく、何か道具を用いるのはなし」

「それじゃあどうしようもないよ。つけられないようにするって言ったって、つけるつけないは結局ストーカーさんの気持次第なんだから」

「やっぱり千秋もそう思うか」

 千秋はどこで仕入れてくるのか、防犯や護身術に関して豊富な知識を有している。

 穂花は以前、ビジュアル志向の粗悪な不良学生三人に、駅のホームで絡まれたことがあった。その時の、千秋が暴力に頼ることなく、言葉だけで三人を追い返す姿を目の当たりにしてから、彼の知識と懐の深さには一目置いていた。

「つけられることを考えるより、襲われた時のことを考えたほうが良いよ」

「その時は叫ぶから大丈夫」

「叫ぶことができるかな」

 千秋が横から双眸を覗き込んでくる。

「わからない」

 穂花は自信なく項垂れた。

「もしもの時の為に、スタンガンを持っておけば?」

「そんな物騒なモノいらない。それに持っていたとしても上手く扱えないだろうし」

「確かに、扱うのにはコツがいるけど、音だけでびびって逃げる人もいるんだよ。僕のあげるから使いなよ」

「遠慮しておく」

「どうして?」

「それは……」

 横を見ると、千秋は幼子のように目を大きく見開き、きょとんとしていた。彼の表情からは驚いているようにしか見えない。しかし、穂花には千秋が自分の出方から嘘を見抜こうとしていることに、すぐに気付いた。

 どうやら、これ以上嘘を吐くことはできないようだ。

「実は私……」

 穂花は観念して、それでも真実に薄い色紙を張り付けてから千秋に言葉を返した。

「同じクラスの人に良く思われてなくて、毎朝学校に着くと、所持品検査をされてるんだよね。だから、スタンガンにしろ、ナイフにしろ、持ってたら捨てられるか、教師に告げ口されるか、最悪……」

 それ以上穂花は言葉を紡げなかった。しかし、その先は言わなくても千秋には伝わったようだ。

「そんなことされてるんだ。じゃあ、早速明日僕がやめさせるよ」

「いいよ。そんな気にしてないから。怖いのはストーカーのほうだし、気持だけで十分だよ」

「ごめんね」

 千秋が唐突に立ち止まる。

「え?何が?」

 少し遅れて穂花も足を止める。

「ごめんね、穂花。助けになってあげられなくて」

 心底すまなそうに千秋は視線を落とした。

「守ってあげたいよ。本気だよ。でも、穂花は部活があるし、僕は仕事があるから、毎日一緒に帰れるわけじゃない。穂花が一人で帰る日がどうしたってできてしまう」

「謝ることないよ。私は週に一度でも、千秋とこうして一緒に話ができれば、良いから」

 嘘ではなかった。穂花は千秋を見ているだけで、露出し、悲鳴を上げる肉に皮膚が被さり、癒されるような心地がした。

「本当に?」

「うん。だから、千秋が罪悪感に苛まれることないよ」

「そう。でも、調べておくよ。ストーカー対策の妙案がないか」

「うん。ありがとう、千秋」

 五分後、穂花は千秋と別れた。

 家に着くまで十数分間歩いたが、結局この日はサングラスの男が現れることはなかった。

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