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『君、可愛いね』
瞼の裏で、間宮は歪な笑みを浮かべた。
『お兄さん、誰?』
『俺?俺はね……』
間宮×流。
その男の名前と顔を穂花は一生忘れることができない。
間宮は穂花以外にも、表に出ているだけで数人の少女をレイプしている。関東地方で多数の幼気な少女を食い物にした間宮は、連続強かん魔として人々から恐れられた。とはいえ、天網恢々、疎にして漏らさず。穂花が十一歳の時に間宮は警察に逮捕された。
その後の裁判で間宮は懲役五年を宣告され、累進処遇制度により、穂花が十三歳の時には釈放されたが、獄中にいる間、弱い者いじめを嫌う囚人達から暴行を受け、二度と自力で歩けない身体になったという。
だから、もう悪夢は終わった。町は恐怖から解放された。と、ずっとそのように穂花は思っていた。しかし、自分は間違っていたのかもしれない。弟の言うように、間宮は歩くこともできて、何不自由ない生活を送っているのかもしれない。もし本当にそうだとしたら、サングラスの男が間宮という可能性もある。いや、(どうして気付かなかったのだろう)あいつ以外に考えられない。なぜなら、なぜならこの町に狂った人間はあいつしかいないからだ。
どうしてそんな単純なことに気付かなったんだ。私はバカだ。バカだバカだバカだバカだバカだバカだバカだバカだバカだバカだバカだバカだバカだバカだバカだバカだバカだバカだバカだバカだバカだバカだバカだバカだバカだバカだバカだバカだバカだバカだバカだバカだバカだバカだバカだバカだ。
穂花は自身の手をカッターナイフで切り刻みたい衝動をぐっと抑え、自室に駆け込む。そして、ベッドの上で布団を被り、パニックになりかけの頭を落ち着かせてから千秋に電話を掛けた。
「どうしたの?穂花」
千秋の声は携帯電話からすぐに聞こえてきた。
「千秋、大丈夫?今どこにいるの?」
「どこって……。昨日待ち合わせした真木公園の横を歩いているところだけど」
「後ろに誰かつけてくる人はいない?」
「後ろ?いないよ」
「そう。良かった」
とりあえず千秋の無事が確認できた。穂花は胸に手をあて『ふぅ』と息を吐くと、敷布団の上に横になった。
「穂花、何かあったの?」
「ううん、何でもない」
「ふぅん。じゃあ、もう切るよ?」
「あ、待って。家に着くまで話していようよ」
「良いけど穂花、電話代大丈夫なの?」
穂花と千秋が所持する携帯電話とでは、機種が異なっている為、長いこと話せば話すほど、高校生にとっては多額の電話料金が松下家に電話会社から請求されることになる。しかし、今はそんなことより、千秋が何かしらのトラブルに巻き込まれることなく帰路につけるかどうかのほうが、穂花は心配だった。
「平気平気」
「あぁ、そう。でも話って言われてもね」
「ほら、弟はどうだった?可愛かった?」
「うん」
「ちょっと、千秋は私が男に可愛いって言うと怒るのに、自分は良いの?」
「直樹君はまだ男の子だろ」
「また変な屁理屈言って。だから千秋はモテないんだよ」
「モテなくて良いよ。モテたいと思ったこともないし」
「何か冷たいよ、千秋」
「疲れてるだけだよ」
「あ、ごめん。弟がしつこかったよね?」
「いや、良いんだ。そんなことは……」
携帯電話から千秋が早く話を終わらせて欲しいと穂花に願う空気が伝わって来た。伝わって来たが、穂花は帰り道、千秋がサングラスの男に襲われるような気がしていた。実際その予感が的中し、千秋の身に何か良くないことがあったと判断した時には、すぐに警察や救急車を呼ぶつもりでいたので、電話は切るに切れなかった。
しかし、結局千秋は帰宅途中、サングラスの男に襲われることはなかった。