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決闘  作者: 青井鳥人
8/9

東京アウトサイド

「聞きました? ラフさん。新人の話? 社長も思い切ったよなー。ただでさえ不景気だってのに、面倒な外人さんなんか雇っちゃって。あ、ラフさんは別っすよ。もう日本人だしね。」

 本田はダンボールの梱包を解くのに手こずっている。季節外れの台風が、東京の空に漂う粉っぽい空気を根こそぎ運び去って行ったが、夏という季節そのものは、毅然としてまだ東京に留まっていた。八月の終わりの、昼下がり。ラフマンたちは、汗だくになりながら、お台場のビルの荷物を運び出している。かなり大掛かりな仕事だったので、当然本田も平山も、メンバーに入っていたが、平山は別フロアで指揮をとっていて、ラフマンたちとは別行動だった。本田は、ようやく手こずっていた梱包をやっつけてしまうと「ちょっとひと息しましょうよ」と皆に言った。

 アルバイトも含めて、二十人ほどがそのフロアで作業をしていた。そこを束ねるリーダーは、一応、ラフマンということになっていたが、若いアルバイトたちは、分からないことがあると、本田に尋ねてきた。別にラフマンは、気にしてはいなかったが、本田は気を遣って、自分で答えられるようなことも、逐一ラフマンのところに確認にきた。そういう細かな心配りができる本田なのに、バンドの方はさっぱり売れない。きっと、いい奴が書いた、いい曲が売れる訳ではないんだな。ラフマンはそう思っている。しかし、売れている売れていないは関係なく、本田の心遣いは嬉しかった。

 積み上げた荷物の上に、各々が座り込み、吹き出した汗を拭き取っている。ラフマンと本田も、窓際のダンボールの上に腰を降ろし、遠くに見える、大きく円形のカーブを描いているモノレールの線路を眺めていた。

「あーあ、なんでこんなに暑いんでしょうねえ。ラフさんはやっぱり暑さには強いんですか?」

「いや、そんなことないよ。」

「そっか。でも慣れてるでしょう? 俺は札幌の出だから。あ、札幌って分かります? 日本の北にある、北海道っていうジャガイモが有名な、形も出来損ないのジャガイモみたいな場所の、小さな街なんですけどね。とにかく寒いんですよ。その街に生まれた人間は、生まれつき暑さに弱いんです。遺伝子に組み込まれてるんですよ。あり得るでしょう? キリンだって木の上の草を食べるために首が長くなったんだから。」

 ラフマンは北海道に行ったこともないし、キリンも見たことがない。一度、上野動物園に早苗と出かけたことがあるが、その時キリンは体調が悪かったらしく、檻から出されていなかった。

「キリン。鯨偶蹄目キリン科に属する動物。もっとも背が高い動物であり、体にくらべ際立って長い首をもつ。アフリカ中部以南のサバンナや疎林に住む」

 パネルにそう書かれているのを早苗が読んでくれた。主のいないキリンのスペースは、まるで誰もいない公園のようで、コンクリートで作られた池の水が、静かな音をたてて波打っていた。ラフマンはキリンがこの公園を悠然と歩く姿を想像してみたが、なにしろキリンの大きさが分からなかったので、どうしてもその中に、縮尺をあてはめることが出来なかった。

「ところで、その新人っていつ入ってくるんですか? 何か聞いてます?」

「はっきりは分からないけど、近いうちらしいよ。教育係をやれって社長に言われたよ。その人はアフガン人だからちょうどいいだろうって。」

「うわー。そりゃまた、大変な役目を引き受けちゃいましたね。社長もひでえな、人に押し付けるなんて。アフガンって、アフガニスタンのことっすか? それってパキスタンの近く?」

「隣の国だよ。何度か試合で行ったことがある。」

「試合? ああ、ボクシングのね。あっちの人がボクシングをしてるっていうイメージはないんだよなー。それにラフさんがボクサーだったなんて、どうしても信じられないですよ。優しいし、穏やかな性格だから。」

 ラフマン自身も、自分がボクサーだったのかどうか、今ではよく分からない。「荒野の黒豹」と呼ばれていたのは、果たして現実だったんだろうか? しかし、数日前、飯田からミゲルの名前を聞いた。現実にミゲルは存在しているし、もう間もなくラフマンの前に現れる。その時なんて言えばいい? かける言葉がどうしても見つからない。ミゲルはボクシングをやめてしまったんだろうか? ボクシングだけで繋がっていた二人が、ボクシングを捨てた時、一体何を話せばいいんだろう? ラフマンには分からない。早苗にも、ミゲルのことはまだ話していない。教育係のことは伝えてあるが、知り合いだということは伏せてある。本田もそうだ。何とかきっかけを作って話そうとは思っているが、きっかけを掴む前に、ラフマン自身が混乱してしまっている。

「まあ、俺も協力しますから。頑張りましょうよ。そいつの名前、なんて言うんですかね?」

「ミゲル、アブドゥル・ミゲル。」

「うーん。『ミゲちゃん』はちょっと呼びにくいから、『ミゲル』でいいか。平山さんにも話しておきますから。ああ、そういや、最近平山さん元気ないんすよ。何かあったのかな? 今度ちょっと飲みませんか? 作戦会議も兼ねて。対ミゲルの。」

「わかった。ありがとう。」

 二人はもう一度、窓の外を眺める。屋形船が何艘かお台場の湾に浮かんでいる。もう少し遅い時間になれば、赤い提灯をぶら下げた舟で、川は埋め尽くされてしまう。向こう岸に見えるビルの群れは、東京の外側を守るように壁を作っていて、その屋上には様々な種類の広告がライトアップされている。「ポンジュース」「DHC」「三菱地所」「週刊ポスト」この東京には、何の危険はありませんと、笑顔で訴えている。


「ラフさん、あれ見えます? あそこの円形の線路?」

「え? ああ、見えるよ。」

 本田が突然、川の上を走っているモノレールの線路を指差して言った。

「あれ、ワザとあそこで電車を一周させるために作ったんですって。本当なら、ほら、あそこから一直線に繋げば早いじゃないですか? 時間だって節約できる。観光客に東京を全部見せるために、わざわざああいう風に作ったんです。バンドの奴が、その工事のアルバイトしてたから、教えてくれたんですけど。」

「へえ、そうなんだ。」

「でも、俺は逆だと思ってるんです。」

「逆?」

「本当は、観光客が東京を見るためじゃなくて、入ってくる奴らを、東京が品定めしていると思うんですよ。こいつは危険人物だ、こいつは金を落としていく、こいつらは何の害もない。ってね。そうやってこの街は、誰にも気付かれないように、いつの間にか人を、外へ外へ締め出していくんです。締め出された方は、東京に追い出されたなんて、思っちゃいない。自分のせいだと思いながら、この街を出ていくんです。それってなんか、怖いっていうか、卑怯だと思いませんか?」

 ラフマンは本田の言葉の意味がよく分からなかった。東京が人を見る。どういうことだろう?

「ま、こうやってここにいるっていうことは、俺はまだ締め出されちゃいない訳だし。頑張らなきゃなー。さて、そろそろやっつけちゃいますか? もう峠は越えましたよ。あ、もう終わりは近いって意味ですよ。知ってますよね? ラフさん変な言葉いっぱい知ってるし! あはは!」

 本田はパチンと手を打つと、アルバイトたちに「さあ、もうちょいだ!」と言って発破をかけた。ラフマンも本田の後に続き、残りのダンボールを運び出しにかかる。

 東京が人を選び、人を追い出す。ラフマンは、この街に受け入れられたのだろうか? そしてミゲルのことを、東京はどういう奴だと思うんだろう? そんなの分からない。ラフマンにだって、ミゲルのことがよく分からないのだから。



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