1部
窓の前の道路をトラックが通るたびに、建付けの悪いサッシ窓がガタガタと音をたてる。西側に面した窓から、夕陽が差し込む時刻になろうとしているのだろうか、日差しが傾きかけている。
礼子は、壁に掛った古ぼけた時計に目をやった、時刻は午後3時半を回っていた。ソファーに腰かけて男の電話が終わるのを待っていた。男は、難しそうな言葉を並べて、穏やかな口調で話をしていた。ときおり、専門用語の説明をしたりと、長い電話になりそうである。
礼子は、窓の外をぼんやりと眺めていた。もう、かれこれ20分程も待たされて,うんざりしてため息をついた。
電話を切った男は礼子の前に来て、心にもないお詫びを言って挨拶をした。
「申し訳ありません。お待たせしました」
「いえ……。」
タイミング良く年配の女性が、お茶のお代わりを運んでくる。
「早速ですが……。」
男は、仏頂面で話を切り出した。
「工藤礼子さんでよろしいですか?」
「は、はい。」
「わざわざ、お越しいただきありがとうございます。」
「あ、はい。」
礼子の手のには玄関のドアに挟んであった、一片のメモが握られていた。ここの事務所の電話番号と『内田明君のことで、相談があります連絡してください』の文字だった。そのメモの通りに連絡をして、半ば強引に呼びだされたのである。
「改めて自己紹介いたします。弁護士の鈴木広道と申します。」
鈴木は手に持った名刺を礼子に差し出した。
年齢は60ぐらいであろうか、白髪でやせ型、目付きが少し悪いが時々出てくる東北訛りが、雰囲気を和らげている。しかし、職業柄なのか、語り口は柔らかだが切り込んでくるような迫力を感じるときがある。
「工藤礼子さん32歳。出身は広島県……」
鈴木が一方的に話しだすと、それを制するかのように、
「あ、あの! ちょっと! なんで?」
礼子は不信感をあらわにして鈴木を睨みつけた。
「これは失礼。大変申しわけありませんが、少し調べさせていただきました。」
「どういうことですか?」
身を乗り出すようにして、声を荒げた。
鈴木は、これを待っていたように、
「まー、落ち着いて下さい。大変不愉快な思いをさせて、申し訳ありません。話しの順序を間違えたようでした。」
礼子は、口を尖らせて文句の一つでも言ってやろうと思ったが、話を最後まで聞いてからだと我慢した。鈴木は、礼子を怒らせるためにわざと話しているから、平然と喋っている。相手の素性を知るためには、怒らせることも必要なのである。
「内田明君とは、いつ頃からのお友達で?」
「あ…… 友達と言えば、そうなんでしょうか? 知り合いみたいな……? で、なぜ私の事を。」
「まぁ、まぁ……。」
鈴木は少し勿体ぶったように話し始めた。
「私は、彼の亡くなられた祖父の顧問弁護士でした。現在は、遺言執行者として、遺産の管理をしております。」
「遺言……。しっこうしゃ……? しっこう? 」
(それが、私と何の関係があるのよ?)
礼子は、きょとんとした顔で鈴木を見た。鈴木は、そんなことなどお構いなしに話し続ける。
「私は、明くんの祖父である、大神武社長の若いころからの付き合いで、ずっとお世話になっていました。」
「明くんのおじい様ですか?」
「そうです。半年前にお亡くなりになりました。」
「そ、そうですか。何も知りませんでした……。」
「明くんから、何もお聞きになっていないのですか?」
「はい。」
礼子は、明の顔を思い浮かべた。二人がネットで初めて知りあったのもその頃だった。実際に会うようになって3ヶ月だけど、余計な話しをしない明のことだから鈴木の言う事情などしるよしもなかった。
「とりあえず、最後までお聞きください。」
鈴木は、礼子の目を見てお茶をすすめた。
「で、亡くなられる前に社長に呼ばれまして、遺言を託されました。」
「遺言ですか?」
「そうです。武社長は、莫大な遺産を残されました。」
「はぁ……。」
「大神武社長には、4人のお子さんがいらっしゃいました。その中の一人が明くんの母親でした。」
「で・し・た・? ですか。」
「遺言の内容は、おおざっぱに言えば。資産と事業は3人の息子さん達へ。亡くなられた娘さんの相続分が実子である明くんへと。明くんの場合は総資産を均等割りにした現金と有価証券になりましたが……。」
鈴木は、礼子の顔を凝視しながら、お茶をすすった。しばらくの間をとって、礼子の反応を見ていた。
「……あの……。」
礼子は、たまりかねて何かを言おうとした。
「まぁー 、知っていてもいいでしょう。」
鈴木は、独り言のようにつぶやいて礼子に一枚の紙を差し出した。故大神武の相続関係を記した表である。
「先ほど少し触れましたが、明くんの母親が、美智子さんです。」
鈴木は、礼子に渡した紙の黒い線で引かれてある名前を指さした。
「一人娘だったんです。明くんが4歳の時に亡くなられました。」
「そうだったんですか……。」
「あの……。 父親は?。」
「いたんですが……。父親と呼んでいいものか……。結局、入籍もせず、認知もしないまま行方不明になりましたから……。父親とは呼べないでしょう。」
「そ、そうだったんですか……。」
その後も鈴木は、休むことなく明の身の上話を続けた。
鈴木の話しによれば、内田明の母親である美智子は大恋愛の末に、男と駆け落ちしたという。大神家は地元でも有名な格式の高い家柄であり、厳格な家庭であった。しかも、美智子には、父の武が決めた婚約者がいた。美智子は、父の反対をおしきり、家を追われるように出ていったのである。
その後、美智子は明を産み、ささやかながらも幸せな生活を営んでいた。その幸せがずっと続くと思っていたある日、男は美智子と明の前から姿を消した。
美智子は明を連れて、いくあてもなく親元に戻った。武は、美智子を許さなかった。決して優しく迎えることなく、隣町に住居を用意し親子二人がなんとか生活出来るだけの金を毎月、使用人に持っていかせていた。
そんな生活のなかでも美智子は明と懸命に生きていた。