後編
2052.5.31
☆ ☆
翌日、ミハルは大学へ行く前に、写真愛好会の部長をやっている、先輩の柳瀬という男の元へ話を聞きに向かった。柳瀬は、一言で言えばカメラオタクである。見た目もオタクっぽい。なんかアニメキャラのフィギュアとかも持ってるっぽいし。どう言えばいいのか、とにかくもう、オタク・オブ・オタクなのである。
「珍しいね、君が僕を訪ねてくるなんて」
柳瀬の部屋では、びっしりと大小さまざまなカメラが並べられた棚が四方を囲んでいた。
「実は事情がありまして、ちょっと盗撮について聞きたくなったんです。柳瀬先輩は盗撮はやったことはありますか?」
「……前から思っていたが君はアホなのかな? それとも朝っぱらから僕にケンカを売っているのかな」
「おっと、いけないいけない。寝不足のせいか、デリカシーの無いものの聞き方をしてしまいました。人を見た目で判断してはいけませんよね。猛反省」
「その聞き方を変えれば許されたみたいな言い方はやめてもらえるかな。あと、最後の一言のせいで余計に失礼になってるからね」
「実は私たち、盗撮された可能性があるんです。先輩なら、もし仮に盗撮をするとしたら、どんなところに、どんなカメラを仕込みますか?」
「なにっ、本当か!? 君たちが盗撮をねぇ……。なんとも興味深い話だ」
「先輩、今の言い方スケベっぽいですね」
「うるさい」
そんな漫談をしながら、柳瀬は掌にすっぽり入るような小さなレンズを棚から取り出した。よーく見ないと、虫か何かと勘違いして握り潰してしまいそうだ。
「これが今僕が持っている最小のビデオカメラかな。Micro Camって言うんだけど」
「うわっ、小さい。これなら盗撮もばっちりですね!」
「だから僕がやってるみたいに言うなよ……。まあ、電池も意外に長持ちするし、今の技術なら回収しなくとも電波で映像を受信することも可能だ。人形の目だとか、紙袋の中だとか、いろんなところに仕込んでの盗撮事件はよく聞くね。もし女性の部屋にそののぞき犯が侵入できたなら、カメラを仕込むこと自体は造作もない」
「なるほど、それはよくわかりました。だけど、カメラを実際に持ち込むことなく盗撮っていうのは可能なんでしょうか?」
「カメラを持ち込まずに……?」
そりゃ無理だろ、と柳瀬は肩をすくめる。最低でもどこかに仕込むという手順を踏まなければ、室内にいる人間の映像を遠くから入手することはできない。犯行後に証拠を隠滅する――、たとえば仕掛けたカメラが受像後に自動的に溶けてなくなる、みたいな仕込みは可能かもしれないけど……、と続けた。なるほど、確かにそれならカメラは現場に残らないが。
「ま、ないだろうね。そんなことをする意味がない」
「ないですか」
「ないね」
柳瀬はくるりと背を向けると、カメラの手入れに没頭してしまった。カメラが現場に残らなくなる仕組み……、そんなものがあれば。じっくりと考えてみるが、どうにも思いつかない。煮詰まっている、と自分でも感じた。
「あるいは、それがカメラだと認識できなかったら……」
「えっ?」
柳瀬のつぶやきに、ミハルは耳を傾ける。
「君たちが、それがカメラだと認識することができなければ……、はじめからカメラなんて“なかった”ことになるだろうね」
その日の講義は何となく上の空で過ごしてしまった。「はじめからカメラだと認識することができなければ」か……。家に帰ってもミハルはぼんやりと考えていた。どうも、この事件のことしか考えられない状態になってしまっている。
そもそもミハルは、二つも三つも複雑な事を同時にはできない人間だった。一度事件に集中してしまうと、とことんのめり込んでしまう。その代わり別のことが何一つ手につかなくなる。マルチタスクが苦手なのだ。その点、深夜や陽一はそつなくいくつもの仕事をこなせてしまうから羨ましい。
Y子ちゃんを、琴絵を、ミハルたちを撮影したカメラはどこにあったのか。どうやってそれを仕掛けたのか……。同じ疑問の堂々巡りだ。
洗面所で自分の顔を見る。なんだか、考え事をし過ぎてすっかり疲れた顔をしている。これじゃいけない、陽先輩に笑われる……。パンっと頬を叩いて気合を入れ直し、ミハルはシャワーを浴びるために服をさっさと脱ぎ始めた。自慢じゃないが、脱ぎの速さには自信がある。
しかし、素っ裸になって、いざバスルームへ入ろうという時に、突然携帯が鳴りだした。何事かと思って通話に出る。
「あ、ミハル。私、まりも」
「まりもちゃんか。どうしたの。何か新しいことがわかった?」
「ミハル、今すぐその部屋、出て」
「え?」
まりもが何を言っているのかよくわからなかった。もう一度聞き返す。
「まりもちゃん、今なんて」
「ミハルの裸が、今ネットで中継されてる。その部屋にはカメラがある。逃げて、今すぐ」
「いっ…………」
ミハルは全身がおぞ気立つのを感じた。な、なんだって。今まりもはなんて言った? この部屋に? 隠しカメラが? 今の、私の姿が? 中継されてる??
「いぎゃああああああああああああああああ!?」
ミハルは悲鳴とも奇声ともつかない雄たけびを上げてバスルームから一目散に逃げ出した。だが、どこへ逃げればいいのかわからない。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
ミハルは部屋の中をわめきながらぐるぐると回って、机をジャンプでまたぎ、廊下をスライディングで通過した頃に、階下にいたお父さんに「うるさい!」と怒鳴られた。
「ミハル、パンツくらいはいて」
ぼそっと電話口でまりもがつぶやくがもちろんミハルには聞こえない。パニックの収まるまでしばし待つしかなかった。この光景が全国にネット中継されていると思うとミハルがかわいそうでならない。まりもは思った。
「おおおおおおおおおお……、おごごおおぉぉぉ……」
騒ぎ疲れて気がすんだのか、ミハルがようやく元の場所に戻ってきて、思い出したようにパンツをはいた。
「お疲れ様、ミハル。だけどさすがに今回の失態は目に余る」
「殺せ……、いっそ殺してくだしゃい」
元気なくくずおれるミハルである。とうとう自分が標的になってしまった。盗撮されることが、こんなにもおぞましいものだとは想像していなかった。
「だが、よくやった。今のミハルの行動のおかげで、カメラの秘密がようやくわかった」
「……えっ、えっ? どういうこと?」
「結果から言うと、これで証拠はそろった。安心して警察へ再度届け出ることができる。あとはマスク・ザ・タートルを特定するだけ」
「……待って」
ミハルは言った。
「何か」
「今でもネット中継は続いてるの」
「いや、先ほど回線は切れた。私が相手の所在を特定しようとしているのに気付いたらしい。ただ、奴だけはまだ見ている可能性がある」
「そっか、それじゃ、いい」
ミハルはすっくと立ち上がり、……どこだかよくわからないけど、とにかくカメラのありそうな方向へビッと指を突き立てる。
「首を洗ってまってろぉ、マスク・ザ・タートル!! このミハルちゃんが、とっておきの方法であんたにぎゃふんと言わせてやるからね!!」
ばばん。
決まった。
にっくき盗撮犯め、私……とまりもちゃんの手にかかれば、あんたの命なんてあとほんのちょっとなんだからね。ミハルは自信満々に無い胸を張った。あとは、奴をどう追い詰めるか、それを考えるだけだ。
「お前、さっきからなにやってんの」
がらりと扉が開いて、お父さんが覗き込んだ。裸で中空を指さすポーズをしていたミハルは、言い訳のしようもなく、赤面するしかなかった。
☆ ☆
2052.5.31
☆ ☆
ククク……。
男は暗い室内でにやりと笑った。ディスプレイの明かりだけが煌々と、机の上のキーボードを照らしていた。その外側は、パソコン周辺機器で埋め尽くされており、飲み物を置く場所もないくらいだ。
男がカタカタとキーボードを操作すると、ディスプレイに映る映像が次々に切り替わる。この映像は、すべて生放送、モノホン素人の私生活映像。マニアにはたまらないものばかりである。
男はこれまで、この映像を裏で取引することでかなりの額を儲けてきた。彼の方法を真似できる者はどこにもいない。言うなればこの方法は彼の専売特許であり、これからも永遠に彼の至福を肥やさせてくれる、金のなる木なのだ。
この間は、客の中にせっかく集めた動画を流出させた奴がいて、えらく迷惑したものだ。しかもご丁寧に、「マスク・ザ・タートル」という、男の愛称までつけて。おかげでその尻拭いに動画の完全消去と、それを見たパソコンの記録消去までさせられてしまった。今頃奴は東京湾にでも浮いている頃だろう。
それにしても、と男は思う。昨日のミハルとかいう大学生は傑作だった。すっぽんぽんのまま部屋の中をどたばた走り回るとは。あんな映像は今まで見たことが無かった。彼自身はあんなコドモに興味はなかったが、その道のマニアには高く売れるかもしれない。男の胸は早くも高鳴っていた。
さて、今日のカモは……っと。男は一人の少女の映像に目をつける。それは、確か井ノ下琴絵とかいう大人しそうな少女の映像だ。ちょうど自室で着替えをしている。しかも脇に水着が置いてあることから、どうやら下着をも外すらしいことが予想できた。うひょお、こりゃあまた高く売れるぞ。男は早速録画を開始しようとした。
だが、どうもおかしい。録画の操作をしても、いっこうに録画動作が始まらない。「なんだ、故障かな?」何度か同じ操作を繰り返す。しかし、結果は同じ。
「ちっ、これじゃせっかくの生着替え映像をみすみす素通りしちゃうじゃねえかよ……せっかくこれだけで何百万と稼げるかもしれない大物なのによぉ」
男が画面に向かってつぶやいた時だった。
「ざーんねーんでーした~~~~!!」
びろーん、と頬を引っぱった女の顔が現れる。こいつ、何だか見覚えがあるな。誰だっけ、なんて思う間もなく、男は慌てて通信を断ち切ろうとする。
「無駄ですよー。あなたのパソコンには強制ロックがかけられました。大人しくお縄につきなさい」
「くっ、なっ、なんだと、お前、何を、してっ……」
「あらあら、この顔に見覚えはなくって?」
女が両手を離す。パチンと音がして皮膚が元に戻る。ああ、確かにこの顔には見覚えがあるよ、だってそりゃあ昨日あれだけインパクトのある映像を提供してくれた張本人だもんな……。それにしても、こりゃ一体どういうことだ!?
「ちなみに、今のあんたの映像は全世界に中継されてま~す」
「なんっ……、だと……!?」
東京で、
ニューヨークで、
パリで、
北京で、
シドニーで、
カイロで、
リオで、
確かにその男の間抜け面は動画サイトを通して中継されていた。
そして、その自らの犯罪を肯定するような言動も。
「さらにちなみに、日本中あちこちの巨大モニターでもあんたのアホ面が今頃大写しになってるからね。もう逃げらんないよ。大人しくお縄につきなさいっ!!」
「な、ばっ、馬鹿言うんじゃねえ! 俺は、俺は何もやましいことなんて……」
「これを見てもまだ言うかーっ!」
男のパソコンのディスプレイに突然、彼自身の顔が大写しになる。一瞬、今の自分かと思ったが、よく見ると違う。数時間前の自分だ。動画をマニアに売るために交渉している時の自分の姿。
『あ、はい。いや~、疑っちゃいけませんぜダンナ、本物ですって本物。なんなら、中身を最初の5分だけ見てもらってからで構いませんから。ねえ、見逃しちゃ損ですぜ~』
その金に目のくらんだ醜悪なツラは、間違いなく自分のもの。なんてことだ、数時間前に既にこのパソコンはハッキングされていたのか……。
「あなたの発明した『ディスプレイ型カメラ』、ずいぶんと効果を発揮したようですね。だけどそれももう終わりです。大人しくお縄をちょうだいしなさいっ!!」
「ミハルちゃん、それ二回目だよ……」
後ろから琴絵が突っ込みを入れる。次の瞬間、バタンと扉が開いて、男の部屋に制服警官が何人も入ってきた。――終わりだ。男は思った。
「嵐山六郎、通称『マスク・ザ・タートル』だな。迷惑防止条例違反およびわいせつ物売買容疑で逮捕する」
☆ ☆
2052.6.3
☆ ☆
「実に見事な作戦だったな。いや、感服したよ」
アメリカから帰って来た裏沢深夜は、まずはミハルを褒め称えた。今は研究室に、「マスク・ザ・タートル吊るしあげ作戦」に加担した三人と、深夜、水無口陽一の5人がそろっていた。
「目には目を、歯には歯ですよ先輩。奴は私の恥ずかしい姿をネットで中継したわけですから、同じことをやり返してやらないと気が済みません」
「まあそりゃそうだろうな。私がミハルでも同じことをしただろうよ」
深夜は満足げに微笑む。全く、敵に回すと恐ろしい奴らだ……。陽一は肝が冷える思いがした。
「着替え中の琴絵を囮にしてマスク・ザ・タートルを引き付け、琴絵のパソコンへとアクセスしてきた所を、すかさずまりもがハッキングし返す。奴が気付いた時にはもう遅い、決定的な証拠をつかまれ、奴の言動の録画もされている、というわけか。まさにミイラ取りがミイラになったわけだな」
「『ビデオカメラ内蔵ディスプレイ』を奴自身が使っている、というのはかなり高確率であり得ることだと考えていました。自分の発明の性能はやっぱり自分の目で確かめてみたいものですもんね」
「それにしてもあの発明の才能は異常。ディスプレイに付属させられるほど薄く、軽く、そして性能の高いカメラを日用品の中にしのばせるなんて……」
犯人の名前は嵐山六郎。彼はもともと、ある家電メーカーの工場勤務の作業員だったのだが、多くの製品に触れるうち発明に目覚め、自ら多くの製品を開発していったという。
「そんな奴がメーカーに売らなかった発明が、『ビデオカメラ内蔵ディスプレイ』だったわけだ。ハーフミラーの原理で、外からはカメラで撮影されていることには気づけない。奴は、それを使って盗撮し、より多くの金を稼ぐ道を選んだ。もともとそういった用途を除けば実用的なものではなかったしな」
製造の第一線にいた彼は、テレビやパソコンの組み立て工程で、薄くて軽い「ビデオカメラ内蔵ディスプレイ」を忍び込ませていった。研究室でミハルたちが気付かなかったのも無理もない。パソコンのディスプレイそのものにカメラがついていたなんて、誰が思いつくだろう。そして彼は、それを遠隔操作し、多くの消費者の日常へと魔の手を伸ばしていった。
「奴自身が使っているビデオカメラを内臓したパソコンを素早くハックする。そしてそこから見えた光景をまりもが全世界に中継する、と。やれやれ、奴がかわいそうになってくるくらいに完膚なきまでに叩きのめす、血も涙もない作戦だな」
「当たり前ですよ。なんてったって、私の裸を全世界に向けて中継したやつですからね、奴は!!」
「えっ、ミハルちゃん、それ何のこと……?」
琴絵が不思議そうな顔でミハルのことを見つめる。
「まあ、警察からはいくら何でもやりすぎだって散々怒られたがな。私自身警察から事件の捜査協力依頼を受けることもあるし、持ちつ持たれつの関係だから許されたという部分もある。今後はあまり無茶苦茶はしないようにな。大人しく、フツーに犯人を捕まえればそれでいいんだから」
「はーい。以後気をつけまーす」
と言っておきながら、当然ミハルには今後も自重する気なんてさらさらなかった。もちろん、深夜だって本気で口にしてはいないだろう。なぜなら、深夜自身、こういう派手な作戦が大好きだからだ。今だって口がにやけている。
まあ、もちろん、もうあんな奴の相手をするなんてのは二度とごめんだけどね。ミハルは心の中でぺろりと舌を出した。
「深夜さん」
事件がひと段落し、さあ打ち上げでもしようと全員が研究室から出て行こうとしている時、不意にまりもが深夜を呼び止めた。
「どうした、まりも」
「……どうして余計な事をしたのですか」
「ほう、余計な事とは?」
深夜は飄々とした表情で返してくる。まりもの怒りのオーラなどどこ吹く風だ。
「後でわかったことだけど、ミハルちゃんの映像は本当は中継なんてされなかった。あの男が見ていただけだった。その映像を、わざわざ私のところに流したのは、あなたです」
「…………」
「それと、奴を逮捕するとき、証拠として流した映像。あそこで私は直前の映像を流すつもりだったのに、突如あなたが映像を切り替え、数時間前の奴の様子に差し替えた。私はあんな場面など録画してはいなかった」
「……ほう」
「つまり、明らかにあなたは私よりだいぶ先に犯人にたどり着いていた。なのに、なぜ教えてくれなかったのです」
「まあ、ミハル流の報復があるなら、それをやらせる方がいいと思ったしな。だいいち、私からのヒントが無ければ、君は今頃、まだマスク・ザ・タートルに近づけていなかったかもしれない」
「……それは、ほぼ間違いありません」
二人の間にわずかに緊張した空気が流れる。
「ただ、犯人がわかっていたのに野放しにしていたのは見過ごせません。さらに被害者が増えたらどうするつもりです」
「その前に逮捕すればいいだけの話だろう。そんなヘマはしないよ。私はプロだからな」
「……私には、あなたの方がマスク・ザ・タートルよりよほど恐ろしいです」
「そりゃ、どうも」
何を言われようが、深夜は余裕の笑みを崩さなかった。ドアのところではミハルたちが待っている。事件解決祝いに、と言って、陽一あたりに甘いものでもおごらせるのだろう。
まりもは深夜を強く睨んだ。たとえのれんに腕押しだったとしても、自分だけは、彼女に心を許してはならないと、まりもは心に誓っていた。
ミハルは部屋を出る直前にふとパソコンを振り向いた。深夜も、まりもも、琴絵も、陽一も、つられてパソコンを見る。そこには、確かにビデオカメラの内蔵されたディスプレイが黒い眼窩を晒している。
その沈黙する画面が、今でもじっとこちらを監視しているのではないかと――、自分たちの私生活を、見られたくないような日常の場面を、何も言わずじっと記録しているのではないかと――そんな想像をし、ミハルは思わず身震いをした。
(了)