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メチャクチャなことをした聖女の後始末に苦労する司祭のお話

掲載日:2026/03/22

 会議室はざわめいていた。

 王都の中心部にある大教会。その中にある大きな会議室の長テーブルは、どの席も埋まっていた。

 上座に着くのは大司教。席に着くのはほとんどが高位の神官だ。彼らはその地位に見合うだけの優れた者達だ。


「いったいどうすればいいんだ……」

「やはり学園の責任を問うべきではないか……」

「女神さまはなぜあのような者をお選びになったのか……」


 参席者たちは難しい顔をして真剣に意見を交わし合っている。しかしそこに、上位神官に望まれる厳かさや知性は感じられない。その言葉には困惑がある。その声には不安の響きがある。何かから目をそらすようにテーブルの各所でバラバラに議論し合うその様は、会議の(てい)を為していない。まるで安酒場で政治について好き勝手に文句を言いあう平民のようだった。

 

 誰もが言葉を交わし合う中、顔を伏せ、押し黙る者が一人いた。テーブルの一番下座に座るのは、年は50代半ばを過ぎた男性だ。グレーの髪は白髪の方が多い。老木を思わせる痩せた顔。その装いも周囲の高位神官と比べれば格の落ちるものだ。

 彼は司祭エストラグル。小さな町の教会に務めている司祭だ。本来ならば高位神官ばかりのこの会議に出席できるような立場の者ではない。

 

 しかし、彼にはここにいなければならない理由があった。

 この会議の議題は、聖女の起こした不祥事の対策だ。そして司祭エストラグルは、聖女レーカレシアの育ての親だったからだ。

 

 

 

 この王国において、聖女は神託によって選ばれる。貴族の令嬢から選ばれるのが常であったが、女神フーラナディアは今代の聖女を平民から選んだ。

 

 神託を下された少女の名は、レーカレシア。薄茶の髪に黒の瞳。顔つきはかわいらしいが、それ以外に外見的に特別秀でたところはない。両親はなく、小さな町の教会に併設された孤児院で育てられた。幼いころから賢く物覚えがよかった。明るい性格で人当たりも良く、誰とでも分け隔てなく気さくに接する少女だった。

 

 神託によって聖女に選ばれたあと、レーカレシアは高位神官たちの検査を受けることになった。その結果、高い魔力と神聖魔法への適性を有していることが分かった。面談により聖女にふさわしい人格の持ち主であることも認められた。そしてレーカレシアは、教会から正式に聖女として認定された。

 

 聖女となったとき、レーカレシアは15歳だった。それはちょうど貴族の学園に入学できる年齢だ。教会が認定した聖女になると、王族や貴族と関わる機会も増える。貴族の世界を知り、貴族の知己を得ることは聖女にとって必須と言えた。レーカレシアは貴族の学園に入学した。

 学園では高度な教育を受けることになる。レーカレシアは教会で基礎的な教育を受けただけだったが、それでも学園の授業についていけるだけの賢さを有していた。学園での交友関係も広く、生徒たちとの関係も良好だった。さすがは女神の神託によって選ばれた聖女だと、高い評判を得ていた。

 

 しかし、学園に入学して2年目。ある日執り行われた夜会で事件は起こった。

 王国第二王子マイスタークが聖女レーカレシアをエスコートして入場したのだ。王子マイスタークには侯爵令嬢リヴェセリアという婚約者がいる。聖女とはいえただの同級生に過ぎない女性を夜会にエスコートしてくるなど、それだけで不祥事と言えることだ。しかしこの事件には、まだまだ先があった。

 

「私はこの聖女レーカレシアとの間に真実の愛を見つけた! 残念だが、君との婚約は破棄させてもらう!」


 王子マイスタークは舞台演劇のようなセリフで堂々と、婚約破棄を宣言したのだ。

 この婚約破棄の宣言を受け、侯爵令嬢リヴェセリアはまるでひるまなかった。それどころか痛烈な反撃を返した。

 

「残念ですがその婚約破棄を認めるわけにはいきません。聖女レーカレシアはあなたの伴侶としてふさわしい人間ではないからです」


 そう言って侯爵令嬢リヴェセリアが示したのは、聖女レーカレシアが複数の男性と肉体的関係にあるという証拠だった。

 事を為した日付に時刻。どの宿を使い、その時どんな偽名を使用し、いくら支払ったか。目撃者の証言と署名。現場に残った魔力痕跡の鑑定結果などなど。侯爵家の配下を使って集めた詳細な資料の数々は、言い逃れもごまかしも許さないものだった。

 

 聖女とは神聖にして清楚であるべき存在だ。それが複数の男性と肌を重ねているなど、許されざる不祥事だ。

 王子の伴侶としてふさわしくないと断じた侯爵令嬢リヴェセリアは正しい。だからと言ってわざわざ公衆の面前で明確な証拠示すなど尋常ではない。浮気した王子に対する怒りが並々ならないものだったことがうかがえる。

 

 王家はこの前代未聞の不祥事に対し、ただちに箝口令を敷いた。しかしこれほどの不祥事を封じ込めることは不可能だった。人のうわさは馬より早く伝わる。それが醜聞ならなおさらだ。どこの街角でも「聖女レーカレシアは淫乱な尻軽女」とささやかれるようになった。

 

 この不祥事の後、聖女レーカレシアは牢獄に入れられた。複数の貴族子息ばかりか王族まで誑かした罪は重い。死罪になっても不思議ではなかったが、彼女は仮にも女神の神託によって選ばれた聖女だ。軽々に罰を与えることはできない。その処分は保留となっている。

 

 第二王子マイスタークは王宮内の自室で謹慎している。謹慎と言うが、実質的には軟禁に等しい。淫乱な聖女に誑かされたという汚名は容易にぬぐえるものではない。いずれは僻地に送られ、中央に戻ってくることは無くなるだろう。

 

 侯爵令嬢リヴェセリアは、自ら領内に戻り謹慎している。彼女のしたことは真実を示したことだが、第二王子を貶めたことについては不敬罪にあたる。だが、王家が彼女に罪を問うことはないだろう。貴族のみならず民衆からも、侯爵令嬢リヴェセリアは苦境の中で正しさを示した悲劇のヒロインとして扱われている。そんな彼女を罰すれば王家は支持を失うことになるだろう。

 

 そうして定まらない状況の中、教会は対応を迫られていた。

 レーカレシアを聖女に選んでしまったことの責任が問われているのだ。

 

 

 

「ふう……」


 会議を終え、大教会に割り当てられた客室に戻った司祭エストラグルは深々とため息を吐いた。

 連日行われている会議はもう七回目になる。毎日5時間以上もかけているが、未だにこれといった結論は出ていない。

 聖女レーカレシアが複数の貴族子息と肉体関係を持った――この前代未聞の不祥事に対し、全てが丸く収まる解決策など存在しないのだ。


 例えば、聖女レーカレシアは最初から聖女に相応しい人間ではなかったことにすればどうなるか。

 そうすると教会の認定が間違っていたことになる。女神への信仰は王国に深く根付いているが、教会への支持は盤石とは言えない。民衆は「教会は女神の神託を正しく受け取るころができなかった」と考え、失望することだろう。教会への信頼は大きく失墜することになる。

 

 では、教会側に落ち度はなく、聖女レーカレシアを堕落させたのは学園の責任だと主張したらどうなるか。

 学園は生徒の素行に責任を持つべきであるから、主張自体は間違っていない。だがそんなことをすれば貴族を敵に回すことになる。絶対王政のこの王国においてそれは致命的だ。教会の活動を維持するには貴族からの資金面での援助や領内での優遇などが不可欠だ。もし貴族の支持を失えば、教会は大幅な規模縮小を余儀なくされるだろう。

 

 ならば教会にも貴族にも落ち度はなく、女神の神託が間違っていたことにするか。

 それは一番あり得ない。女神への信仰で成り立っている教会が神託を誤りと断ずれば、自らの存在意義を失うことになる。自分自身が信じていない者を信じるべきだと主張して、誰が耳を貸すというのか。

 

 どのような対応を取ろうとも教会は小さくない傷を負うことになる。誰もその責を負いたくなくて、会議はまとまりのないまま時間を浪費しているのだ。

 

 こうした重大な決断は大司教と高位神官が決めるべきことだ。本来ならば司祭エストラグルが出席することはない。彼は聖女の育ての親ではあるが、小さな町の教会を管理しているだけの司祭に過ぎない。実際、会議において黙っていても文句を言われたことはない。それどころか気に掛ける者すらいない。

 それなのに、なぜ出席することを強いられているのか。最初は分からなかったが、日数を重ねるうちに、司祭エストラグルはその理由に思い当たった。

 

「教会は、私を人身御供にするつもりなのだな……」


 女神の神託は間違っていなかった。貴族の学園にも責任はない。それらを前提として、ふさわしくない人間が聖女に選ばれたというのなら……どこかに誤りがあったことになる。

 例えば、誰かがどこかの段階で、自分に都合のいい人間を聖女に仕立て上げようと画策したということにすれば説明はつく。

 聖女認定の確認を行ったのは高位神官たちだ。教会としては彼らを犠牲にするわけにはいかないだろう。ならば犠牲になるのは、小さな町の司祭に過ぎないエストラグルが適任だ。

 だからあえてエストラグルを会議に参加させているのだろう。おそらく議論が出尽くした後で、大司教がエストラグルに罪を着せるのだろう。

 

 そのことが分かっていても、エストラグルは逃れようとは思わなかった。無実の罪を着せられるのは受け入れがたいことだ。それでも、それが教会の被害を抑える一番の方法だ。

 

 この王国において、孤児院を運営しているのは教会だ。もし教会の信頼が失墜しその規模を縮小することになれば、孤児たちが住む場所を失うことになる。エストラグル自身も孤児院を運営している。あの子たちを救えるのなら、汚名を着せられようとかまわないと思っている。

 

 それでも、身体は疲れていた。裁きの時を待ち、結論の出ない会議に身を置くことは、精神的にもつらいものがあった。ここ数日はいつもぐったりとしてしまう。眠ってもなかなか疲れがとれない。

 それでも、眠らなければ身体が持たない。エストラグルは早めに床に就いた。




「司祭様、どうかされたのですか?」


 急にそんな声が聞こえて、司祭エストラグルは唐突に意識を取り戻した。そして、困惑した。彼は大教会の客室で眠っていたはずだ。それなのに目の前には見るからに高い素材を使った上等なテーブルがあった。思わず周囲を見回すと、豪奢な調度品が目に移った。どれも一級品だ。平民の持てるような品はひとつもない。

 どうやらここは貴族の応接間のようだ。エストラグルはその席についているのだ。

 なぜこんな場所にいるのか。そのことを考えるより息を呑んだ。テーブルを挟んで席に着いた女性に目を奪われたのだ。

 

 濡れ羽色のまっすぐの髪に、闇を溶かしたような深い黒の瞳。紫のルージュを引いた薄い唇には艶がある。黒を基調としたドレスはフォーマルな作りなのに、どこか胸をざわめかせる妖しさがあった。

 年のころは20を半ば以上過ぎたところ。美しく、どこか妖しい。貴族と思しき女性がじっとエストラグルのことを見つめていた。部屋の中には彼とその女性しかいないようだった。

 エストラグルは目を瞬いた。ここがどこで、なぜこんな美しい女性の前にいるのかわからなかった。

 

「司祭様、大丈夫ですか?」

「ええ、その……どうやら会議が続いてつかれてしまったようです」


 言葉を紡ぐうちに頭がはっきりしてきた。

 目の前の女性は侯爵夫人ハービジェラ・モヌスティール。教会を支援する有力貴族の一人だ。そのモヌスティール夫人が聖女の不祥事に対処するにあたり、司祭エストラグルに直接話をしたいと申し出てきた。その依頼を受けてエストラグルはやってきたのだ。

 ここはどうやらモヌスティール侯爵家のタウンハウスの応接間のようだ。だが妙だ。ここへ来るまでの記憶がない。昨晩、大教会の客室で眠ったところまでの記憶しかない。

 

「迎えの馬車の中ではお眠りだったとお聞きしています。よほどお疲れなのですね。そんな時にお呼び立てして申し訳ありません」

「いえ、そんな。とんでもありません。私のほうこそ、ボウッとしてしまい申し訳ありません」


 エストラグルは深々と頭を下げた。

 どうやらここに来るまで馬車の中でぐっすり眠り、記憶があやふやになってしまったらしい。どこかおかしいようにも思えたが、エストラグルはとにかく目の前の夫人の相手をしなければならないと思った。

 

「それで……聖女についてお聞きしたいとのことでしたね?」

「ええ。聖女レーカレシアに女神様の神託を受けるまで、どのように過ごしていたのか知りたいのです」


 学園に入学して以降のことならともかく、それより前のことはあまり知られていない。

 モヌスティール夫人は真剣な目をしている。聖女の人となりを知った上で、今後の方針を決めたいようだ。今、教会は不安定な状況にある。支持者は一人でも多い方がいい。エストラグルは気を引き締めると、聖女レーカレシアの生い立ちについて語り始めた。

 

 

 

 レーカレシアは生まれて間もないころに孤児院の入り口に捨てられていた。そのことに最初気付いたのはエストラグルだ。抱き上げると無邪気に笑ったのを覚えている。

 それからはシスターと協力して世話をした。ミルクを飲ませたり、夜泣きをなだめたりした。おしめを替えたことだってある。

 

 レーカレシアは5歳になったころから才能の片鱗を見せ始めていた。物覚えがよく、足し算も掛け算もすぐに扱えるようになった。教会では基礎的な教育を施しているが、レーカレシアは授業で一回教わっただけですぐに理解した。意欲的で、質問攻めにされて困らされることもしばしばあった。

 

 性格は明るくて朗らかだった。面倒見がよく、他の子供たちからは姉のように慕われていた。

 

 レーカレシアが15歳になったころ、神託によって聖女に選ばれた。女神様は身分の貴賤に関係なくすべての人を見ていてくださるのだと思った。

 

 


「あんな不祥事を起こすような子ではなかったんです……!」


 そこまで話したところでエストラグルは目元を押さえた。涙が出てきそうになった。だが、貴族の夫人の前で泣くなどあまりにみっともなく思えて、なんとかこらえた。

 

「心中お察しいたします……聖女レーカレシアは、学園に入学されてからの評判もいいものでしたね」

「ええ。学園の寮に入ったので休みの時にしか会えませんでした。本人からは学園生活は楽しいと聞いていました。教会の報告でも彼女の成績は優秀で、交友関係も良好と聞いて安心していました。それが、あんなことになるなんて……」


 エストラグルは苦し気に胸をぎゅっと押さえた。


「あの事件の後、まだレーカレシアとは話ができていないのです。牢屋に入れられたと聞いています。あの子が今、どんな気持ちでいるかと考えると、胸が締め付けられる思いです。こんなことになるまで、あの子の苦しみに気づいてやれなかった。そのことが悔しくて仕方ないのです……!」

 

 婚約破棄の騒動の後、レーカレシアは投獄された。微妙な状況であるために、エストラグルはまだ面会を許されていない。

 あの子が複数の男性と肉体関係にあったなんて思いもしなかった。きっと何かしら苦しみを抱えていたのだろう。あるいは何かの陰謀に巻き込まれていたのかもしれない。そのことに気づくことができなかった。そして今、あの子に寄り添うこともできない。エストラグルはそれらのことが歯がゆく、悔しくてたまらなかった。

 

「お話を聞いた限りでは、聖女レーカレシアはあんな不祥事を起こすような人物には思えません。司祭様個人としては、この度の事件の原因は何だと思いますか?」

「それは……」


 エストラグルは言いよどんだ。何が原因であるか、教会の会議ではまだ結論が出ていない。自分の考えを安易に口に出すことは憚られた。

 

「あなた個人のご意見を聞きたいだけです。ここでの会話は口外しないとお約束いたします。そのために人払いまでしたのです」

 

 そう言われて、この部屋に二人きりでいる理由に気づいた。いくら相手が司祭とはいえ、既婚の貴族夫人が男性と二人きりになるというのは妙な話だ。普通は使用人や従者を控えさせるものだ。

 そこまで真剣にこの事態に向き合ってくれるのだろう。それならば真摯に答えなければならない。エストラグルは気を引き締めて口を開いた。

 

「私個人としては、レーカレシアは何か深い悩みを抱えていたのだと思います。その不安を紛らわすためにあのような行為に走ったのではないでしょうか」


 町で教会を管理するエストラグルは、夫婦間の仲裁をすることも何度か経験している。浮気した女性の多くが、何らかの不安を抱えている。エストラグルの経験上、それくらいしか思いつかなかった。

 だがモヌスティール夫人は首を横に振った。

 

「失礼ですが、その可能性は低いように思います。確かに女性は不安に駆られると、男性との関係に救いを求めることはあります。しかし相手が貴族、それも複数の相手を渡り歩くとなると、あまりにリスクが大きすぎます。お話を聞いた限りでは、聖女レーカレシアがそこまで愚かだったとは思えません」


 世の中には自分の美しさと色香を武器に、複数の男性を手玉に取る女性がいる。だが貴族相手にそんなことをする者はそうそういない。貴族は金も権力もある。発覚すれば恐ろしい報復を受けることになる。複数の男性と関係を持つなど、油の貯蔵庫で火遊びをするようなものだ。周囲の見えない愚か者にしかできないことだ。幼いころから才覚を見せてきたレーカレシアには、それはありえないことに思える。

 

「わたしとしては薬物や魔法を使って操られた可能性を疑っています」


 エストラグルは息を呑んだ。会議において貴族の陰謀を疑う意見もあった。だがそれを、侯爵夫人ともあろう人が自ら言い出すとは思わなかった。

 

「貴族の中には教会の勢力拡大を快く思わない者がいます。平民が貴族の学園に通うのを目障りに感じる者もいたことでしょう。そうした者達が聖女を操り、その存在を貶めようとしたのではないでしょうか?」


 今度はエストラグルが首を左右に振った。


「残念ですが、その可能性は低いと言わざるを得ません。聖女は女神の加護を受けています。人間の扱う薬物や魔法で、あそこまで行動を操ることは不可能でしょう」


 聖職者はもともと精神系の魔法や薬物に対して強い耐性を持つ。聖女ともなれば、その行動を操ることなどまず不可能と言っていい。聖女を精神的に害することができるのは、人間以上の魔力を持った存在……神か、あるいは上位魔族ぐらいのものだろう。

 

 教会の会議が難航しているのもこうした事情がある。

 高い能力を持った聖女レーカレシアがこんな愚かな行為に及ぶとは思えない。かといって、何らかの陰謀によって操られたという可能性も低い。説得力のある理由が見いだせないことが、事態の収拾を困難なものとしているのだ。

 

 しかし、モヌスティール夫人には考えがあるようだった。

 

「聖女レーカレシアが愚かでなく、人間に操られた可能性も低い。そうなれば、考えられることは一つです」

「それは……!?」

「全ては女神フーラナディアの思し召しだということです」


 思いがけない言葉にエストラグルは目をぱちくりさせた。

 女神が聖女を選んだ。聖女の行いは神の思し召し――それはある意味で当然のことではある。だが今回の不祥事はそれに当てはまるものと思えなかった。

 

「女神様が聖女を導き、複数の男性と関係を持たせたというのですか? そんなこと、あるはずが……」

「司祭様。あなたは神のご意思を完全に理解できていますか?」

 

 モヌスティール夫人の目はぞっとするほどに真剣なものだった。その視線の強さに腰が引けそうになるが、エストラグルはぐっと腹に力を込めて踏みとどまった。

 

「神のご意思は深淵で、人に理解できるようなものではありません。その意味を探ろうとすることすら烏滸がましいことです」

「そう、人は神の意志の持つ意味がわかりません。だから……神が正気を失っていたとしても、人間に知るすべはありません」

「なっ……!?」

「女神フーラナディアに選ばれ、その加護を受けた聖女が、貴族の男性複数に対して姦淫の罪を犯す。女神が正気なら、そんな痴態を許すでしょうか? そんなことはありえません。ですが、神が正気を失っているとすれば、何も不思議ではありません」


 エストラグルの顔が真っ青になった。モヌスティール夫人の言葉は女神を貶めるものだ。司祭であるエストラグルはそれを否定しなければならない。

 だが……彼女の言うことには筋が通っている。なにより、彼女の持つ異様な雰囲気が、反論を封じていた。

 

「神はその絶大な力でもって人々に秩序をもたらす。ですが、その神が正気を失っていたらどうなると思います? 狂った秩序で人が幸せになれると思いますか? 今こそ、神の正気を問うべきです。いかに偉大な存在でも、間違えることはあります。あなたたち教会は、神の正気を問いただし、正しい方向へ行くように促すべきです」


 モヌスティール夫人は笑みを浮かべた。ぞっとするほど残酷で、しかし優しい笑みだった。聖女レーカレシアの不祥事と連日の会議で疲弊したエストラグルは、すがってしまいたいと思ってしまった。

 だが、彼はこの笑みを知っている。これは、悪魔が人を堕落させるときに見せるものだ。

 その瞬間、エストラグルは確信した。

 

「女神を貶めるようとするとは、お前は悪魔だな!」


 首から下げた聖なる護符を握りしめ、エストラグルは叫んだ。

 たちまち周囲の光景が変わった。高級な調度品も消えうせた。豪華な応接室は無くなり、周囲は荒涼とした場所になった。

 モヌスティール夫人の姿もまた変わっていた。黒と基調としたドレスは失せ、下着のような身体を見せつける淫猥な衣装へと変わっていた。背中には黒い翼に黒いしっぽが見える。彼女は貴族夫人ではなく、悪魔だったのだ。

 

「よくもこのわたしの誘惑を断ち切りましたね。まったく、信仰心というのは実に厄介なものです。疲弊したところを狙いましたが、やはり聖職者を堕落させ人間どもから信仰を失わせるのは難しそうですね……」


 やれやれと言った感じで悪魔はため息を吐いた。

 エストラグルは護符をぎゅっと握りしめ、悪魔をにらみつけた。

 悪魔はふっと笑った。

 

「でも、よく考えてごらんなさい。聖女をあのように堕落させるなど、悪魔であっても難しいことです。お前らが信仰を捧げる女神はまともではありません。この分なら、次の戦争は我ら魔の側が勝利するのは確実。神を捨てて魔に降った方が幸せになれるでしょう。我らは来る者を拒みません。気が変わったらいつでもこちらに来てください。ふふふ……あーはっはっはっ」


 悪魔は哄笑をあげながらすうっと消えた。すると、世界が全て闇に包まれ、エストラグルは意識を失った。

 

 

 

「はっ!?」


 エストラグルは目を覚ました。窓から朝日が差し込んでいる。ここは貴族の応接間でも荒れ地でもない。大教会の客室だった。すべては夢だった。しかしただの夢ではない。悪魔が彼を堕落させようと、夢を通じて干渉してきたのだ。

 

「あんな悪魔が寄ってくるようでは、私はいよいよダメだな……」


 エストラグルは自らを恥じた。揺るがぬ信仰心があれば、あんな悪魔を近寄らせることなどなかっただろう。聖女レーカレシアがあんな不祥事に至ったのも自分の不徳によるものだ。

 もはや自分に聖職者としての資格がない――そう判断せざるを得なかった。

 

 エストラグルは夢で悪魔に誘われたことを包み隠さず上位神官に報告した。それからは客室でじっと裁きの時を待った。

 待つこと数時間、呼び出されて教会内の礼拝堂に導かれた。するとそこには上位神官を引き連れた大司教が待っていた。

 想像以上に重い罪が科されるようだ。だがエストラグルは逃げようとは思わなかった。もう覚悟は決めていた。

 だから大司教の言葉をすぐには理解できなかった。

 

「悪魔の誘惑について、よくぞ正直に話してくれた。あなたの信仰心は実に素晴らしい。これで女神様への信仰は守られることだろう」




 それから数日後。大司教は王都で人を集め、大々的に発表した。


「聖女の堕落は悪魔の策略によるものでした! その証拠に、悪魔は聖女を育てた司祭にまでその毒牙をかけてきました! 悪魔の大攻勢が迫っています! 王国は、この災厄に備えなければなりません!」


 エストラグルに悪魔が干渉してきたのは事実だ。だが、聖女の不祥事に悪魔がかかわっていたという証拠はない。だが、そんなことは関係ない。

 教会が間違っていたとは言えない。貴族に責任を負わせることもできない。悪魔のせいにしてしまうのが、一番都合がよかったというだけだ。


 新聞はこぞってこの発表を一面の記事として広めた。吟遊詩人たちは悪魔の悪辣さを糾弾する詩歌をうたい上げた。

 そして世論は聖女を加害者として糾弾するのではなく、悪魔の被害者として憐れむ方向へと変わっていった。王国は悪魔の侵攻に備えて軍備を固めていった。

 聖女レーカレシアは辺境の修道院に入ることとなった。司祭エストラグルは、まだ彼女に会えていない。聖女レーカレシアが、自分を育ててくれた人に、見せる顔がないと言って会おうとしないのだ。エストラグルも無理に会おうとはしなかった。まだ時間が必要なのだと思った。

 

 こうして教会は信仰の危機を脱したのである。

 すべてが終わり、エストラグルは町の教会に戻ってきた。彼はすぐさま女神像に祈りを捧げた。

 

「本当にこれでよかったんでしょうか、女神様……」


 エストラグルは問いかけずにはいられなかった。彼の小さな祈りは、誰にも届かないかと思われた。

 



「もちろん、これでよかったんですよ。よくやってくれました、司祭エストラグルよ」


 エストラグルの問いかけに応える者がいた。彼が信仰を捧げる神。女神フーラナディアだ。

 天界の神殿の中。女神フーラナディアは自室にいた。黄金の髪に宝石のようにきらめく蒼の瞳。身にまとうのは白いローブ。美しく神々しい姿だ。だが今の女神はすこしばかり神聖さに欠けている。

 

 ソファに寝そべり、テーブルの上に置いた鏡を眺めている。実にくつろいだ様子だった。

 鏡には女神像に祈る司祭エストラグルの姿がある。女神は鏡を通じて自在に下界の様子を知ることができるのだ。

 

 聖女が複数の男性と関係を持ち、教会の信頼が揺らぐ。司祭エストラグルが悩み、そんな彼に悪魔が誘惑を仕掛ける。教会はその情報を利用して聖女の不祥事を悪魔に押し付けて、王国は悪魔との対決姿勢を鮮明なものとする。

 それら全ての出来事は、女神の計画したことだ。

 

 悪魔が勢力を増しつつある。およそ10年以内に魔王を立てて王国に侵攻してくることだろうことを女神は察していた。それまでに王国側には迎撃態勢を整えさせる必要があった。そのためにレーカレシアを聖女に選んだのだ。

 

 レーカレシアは平民でありながら能力面では申し分ない少女だった。なにより、当人も自覚はなかったが、実は性欲が極めて強かった。

 レーカレシアは孤児院ではみんなの姉として慕われていた。司祭やシスターからも大事にされていた。しかし、男女の愛情を向けられることはなかった。内に秘めた性欲ゆえに、そうした愛情に飢えていた。

 それでも本来なら、複数の男性と関係を持つことなどなかっただろう。聖女に選ばれず、ただの平民として誰かと結婚していたら、「他の家より夜の営みの回数が少しばかり多い」だけで終わっていたはずだ。

 

 しかしレーカレシアは聖女になった。貴族の学園というきらびやかな世界に入り、そして見目麗しい貴族の子息たちから愛情を向けられた。聖女という立場ゆえに見下されることはなく、むしろ尊敬を集めた。愛されたいという渇望を満たされ、秘めた性欲が暴走し、何人もの男性と肉体関係を持つに至った。

 女神はこうなることを見抜いて、レーカレシアを聖女としたのである。

 

 悪魔の侵攻に備えるのなら、わざわざこんな手段を採る必要などなかった。カリスマ性の高い女性を聖女とし、悪魔の侵攻を神託で知らせれば、王国は十分に備えることができたことだろう。

 だが、女神はそうはしなかった。その理由は単純かつ原始的なものだった。

 

「ああ、楽しかったあ……」


 女神フーラナディアは実に満足げにつぶやきを漏らした。

 この計画は女神にとって娯楽だった。何人もの貴族子息と交わる聖女も、苦しむ司祭の姿も、女神にとっては味わい深い嗜好品だった。

 

 女神は悠久の時を生きている。普通に人を導くことには飽きていた。だから最大限楽しむために、こんなバカげた手段を採ったのだ。

 

 絶大な力で人を正しい道へ導く。気まぐれで人をオモチャのようにもてあそぶ。強大で、理不尽で、享楽的。人間を愛しており、その美しいところも醜いところも等しく楽しむ。それがフーラナディアという女神なのだ。



終わり

恋愛もので聖女に選ばれた女の子が複数の男性と関係を持ってしまう、という作品をいくつか見かけました。

そんなことしたら聖女に任命した教会は大変なことになるだろうなあ、なんて考えていたらこういう話ができました。

神様にもいろいろありますが、「選んだ人間が期待外れだった」ではなく「ひどいことになるのがわかっていてあえてそういう人間を選んだ」という方が神様らしいんじゃないかな、なんて個人的には思います。

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― 新着の感想 ―
アリの巣とかアクアリウムを眺めてる感覚なんでしょうね 神たるもの人間には窺い知れぬ感性で高所から為すべきことを為すというか、やはり偉い人でなしなのは間違いないですね 魔王の出現や悪魔の侵攻も世界の…
じゃ・・・邪神だあー。けど、このような一面も有るかもしれませんね(ギリシャ神話の神様にそのような神様居たような気が)
話の筋道だけ見てると 「女神様が聖女をていよく利用したいから無理やり男を不倫のように侍らせるよう手配した」 しか見えない
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