敗北の受容
夜のホテルは、異様に静かだった。
展示会場の喧騒が嘘のように、湾岸の夜景がただ広がっている。
彼はネクタイを外し、ベッドに腰を下ろす。
疲れているはずなのに、頭は冴えていた。
テーブルの上にパンフレットを並べる。
自社。
Cloudiva。
並べると、差は歴然だった。
自社のパンフレットは厚い。
導入事例、仕様、詳細な構成図。
Cloudivaは薄い。
ビジュアル中心。
「速さ」「軽さ」「簡単さ」。
彼は自社のパンフレットを手に取る。
重い。
物理的にも、思想的にも。
この重さが、会社を支えてきた。
だが、同時に足枷になっている。
彼はノートを開く。
書く。
UI 負け
価格 負け
導入速度 負け
営業トーク 負け
一つひとつ、冷酷に書き出す。
感情は入れない。
営業叩き上げとして学んだことがある。
「悔しさは数字にならない。」
負けを認めることは、屈辱ではない。
戦略の出発点だ。
だが。
彼はペンを止める。
“運用”
そこだけは違う。
彼は思い出す。
地方の製造業。
システム導入後、業務が止まりかけた。
現場が回らない。
管理画面の項目が合わない。
Cloudivaなら「標準に合わせてください」と言うだろう。
だが自分たちは、夜中に車で向かい、現場を見て、修正した。
無駄だと言われた。
利益率が悪いと言われた。
だが、その企業は今も顧客だ。
それは“非効率”だった。
だが、関係性は強固だった。
SaaSは合理的だ。
標準化で利益を出す。
だが標準化は、必ず取りこぼしを生む。
その取りこぼし。
そこに価値がある。
彼は窓辺に立つ。
夜景が滲む。
会社は今、SaaSを議論している。
だが議論はいつも同じ方向だ。
「どうやって自社をクラウド化するか。」
違う。
問いが違う。
「どうやって競合を殺すか。」
それも違う。
彼はゆっくりと息を吐く。
敵は消えない。
むしろ、これから増える。
ならば。
敵を前提に設計すればいい。
競合がいることを“前提条件”にする。
自社中心の発想を捨てる。
その瞬間、恐ろしい考えが浮かぶ。
「会社を基準に考えるな。」
これは裏切りに近い。
会社の思想を否定することだからだ。
だが市場は、会社に忠誠を誓わない。
市場は合理だ。
顧客は“便利な方”を選ぶ。
彼は再びノートに書く。
競合SaaS導入企業専用
データ連携前提
補完型
業務定着特化
乗り換えさせない。
上に乗る。
そして徐々に主導権を奪う。
それは卑怯かもしれない。
だが戦争だ。
正面から撃ち合う必要はない。
彼は目を閉じる。
三ヶ月で一億。
売り切りなら、可能だ。
既存顧客に押し込めばいい。
だがそれは延命だ。
未来は作れない。
SaaSで積む。
積み上げ型の収益。
評価制度が変わる。
売上の見え方が変わる。
会社の血流が変わる。
つまり…
これは事業提案ではない。
構造への挑戦だ。
彼は静かに笑う。
「面白い。」
恐怖はある。
だが、それ以上に高揚がある。
営業として、ずっと感じていた違和感。
“売るための戦い”ではなく、
“構造と戦う戦い”。
それが始まる。
彼はノートを閉じる。
もう迷いはない。
負けは認めた。
だが敗北はしていない。
敵を前提にせよ。
その言葉が、静かに胸の奥に根を張る。




