焚き火の夜
交渉テーブルに乗った。
それだけで、分隊の空気はわずかに軽くなった。
勝ったわけじゃない。
金が入ったわけでもない。
三ヶ月で一億という約束が消えたわけでもない。
だが、ゼロではなくなった。
それは、想像以上に大きかった。
空白日の最後の一日。
俺は分隊を会議室ではなく、屋上に呼び出した。
プロジェクターもない。
ホワイトボードもない。
あるのは自販機の灯りと、コンビニ袋だけ。
缶コーヒー。
炭酸水。
安いスナック菓子。
遠くの街の灯りが、ぼんやり滲んでいる。
「今日だけは資料触るな」
俺が言うと、何人かが本気で驚いた顔をした。
「え、本当にいいんですか?」
「いい…」
「今日は充電日だ」
誰かがその場に座り込む。
「久しぶりに人間扱いされた気がします」
笑いが起きる。
だが、目の下にはクマ。
頬は少しこけている。
限界の手前だ。
若手がぽつりと漏らす。
「正直、折れそうでした」
誰も否定しない。
別のメンバーが続ける。
「本部長の臨時会議、あれ絶対わざとですよね」
「“透明性のため”って言いながら三時間ですよ」
「しかも結論ゼロ…」
「狼の遠吠えですよ、あれ」
また笑いが起きる。
だが、あながち冗談ではない。
マンモスの狩場へ行くには、狼の縄張りを通らなければならない。
俺たちは今、その途中にいる。
若手が缶を握ったまま言う。
「家で言われました」
「“なんでそんな顔してるの?”って」
少しだけ、空気が静まる。
「転職したら?って」
風が吹く。
俺は静かに言う。
「逃げてもいいぞ」
全員が顔を上げる。
「これは俺の戦争だ」
「巻き込んでるのは分かってる」
そのとき、若手が口を開いた。
「部長、それ違いますよ」
少しだけ笑う。
「俺らも腹くくってます」
もう一人が言う。
「マンモス、見たいじゃないですか」
その一言で空気が変わる。
誰かが笑う。
「確かに」
「ウサギ狩って終わりとか、つまんないですよ」
俺は思わず笑う。
「今回、外したら終わりだぞ」
若手が缶コーヒーを握ったまま言う。
「なら、眉間にぶち当ててやりましょう」
一拍置いて、にやりと笑う。
「本部長のケツごと」
一瞬、沈黙。
そして…
「はぁ!?」
「お前どこ狙ってんだよ!」
「眉間とケツ、同時に無理だろ!」
「物理的にどういう弾道だ!」
屋上にゲラゲラと笑い声が響く。
「それもうワンショットじゃなくて散弾銃だろ!」
「いや、貫通弾だな」
「マンモス貫いて本部長まで届くとか最強兵器じゃん」
腹を抱えるやつ。
柵にもたれて涙目のやつ。
さっきまでの疲労が、少しだけ吹き飛ぶ。
俺も腹の底から笑う。
「ケツは狙うな」
「仕事で勝て」
そう言うと、別のメンバーが言う。
「じゃあこうしましょう」
「眉間に当てて、後ろの壁に“成果”って文字が残るやつで」
また爆笑。
「スナイパーかよ!」
「映画か!」
若手が笑いながらも、少し真顔になる。
「でもマジで」
「本部長に直接勝つんじゃないですよね」
「成果で黙らせるんですよね…」
俺は頷く。
「そうだ」
「言い返すな」
「数字で殴れ」
空気が静かに締まる。
笑いのあとに来る、確かな決意。
専務からメッセージが届く。
「進捗は?」
俺は返信する。
「火は消えていません…」
「消すな」
それだけ。
若手が言う。
「じゃあ、マンモスの眉間にぶち込みましょう」
「ケツはついでで!」
また笑い。
夜風が冷たい。
だが、体の奥は熱い。
俺は缶を掲げる。
「三ヶ月で一億」
「ワンショット・ワンキル」
全員が缶を軽く合わせる。
小さな音。
だが、確かだ。
狼はまだいる。
マンモスもまだ遠い。
大型契約のワンショットはこれからだ。
だが今はいい。
戦場の真ん中での、束の間の焚き火。
充電は終わった。
俺たちは立ち上がる。
次は…
本命だ。




