失恋聖女と女騎士の酒場飯
百年もの間人類を脅かしていた魔王は、勇者とその仲間達によって討伐された。
王国に帰還した勇者は、幼馴染であり、恋人である王女に愛を伝える。一途に勇者を想い続けていた王女はこれに応え、民衆の祝福のもと、ふたりは婚約を発表したのだった──
───
「勇者の馬鹿野郎ーーーー!!!!!」
そう絶叫しながら机に突っ伏す女がひとり。
まっすぐな白銀の髪に白くまろい頬、ピンクブラウンの瞳は大きく、愛らしい顔立ちは小動物めいて庇護欲をそそる形をしていた。
華奢な身体を白い繊細な造りのローブで包んだ彼女は、勇者と共に魔王を討ち取った仲間のひとり──聖女エヴァンジェリンだった。
「だから言っただろ、負け戦だって」
その向かいに座るのは、ウェーブがかった栗色の髪を結い上げ、青い騎士服をまとった男装の美女だった。切れ長のアメジストの瞳に中性的で凛々しい美貌は、男性より女性の目を惹くことだろう。
彼女もまた勇者の仲間のひとり──女騎士アルシェールだった。
「だいたい、出発前から結婚の約束してただろ、あのふたり。生還できるか解らない旅だったから、正式な婚約を結んでいなかっただけで」
「そうだけど⋯⋯そうだけどぉぉぉ」
泣き喚くエヴァンジェリンは、世間の知る聖女像からほど遠い。一方、憧れの女騎士像を崩さないアルシェールは、やれやれと首を振った。
エヴァンジェリンは、勇者エイジュに恋をしていた。
旅の初めから、好きだったわけではない。だが使命のために前に進むひたむきさに、剣を振るう真剣さに、人々を救いたいというまっすぐな心に、いつしか強く惹かれたのだ。
だが、エヴァンジェリンが直接的間接的問わずアプローチしても、エイジュはなびかなかった。
仲間として好意的に接してはくれるが、全くもって女性として意識してくれない。恥を忍んで色仕掛けをしたこともあったが、顔を赤らめることすら無く申しわけなさそうに顔を逸らされた。
そして、恋の話をすれば王女のことばかりだった。
「王女様は」
「王女様が」
「王女様に」
そんな調子なので、エヴァンジェリンの恋は、割と最初から玉砕していたのである。
それでも諦めきれずに最後までアプローチし続けて──最後まで玉砕し続けた。
そして帰還後すぐに婚約発表、一年後に結婚することが決まって、エヴァンジェリンの恋は終わりを告げたのである。
「そもそもあれだけアプローチしたのに、何で気付いてくれないのー⁉」
「いや、あれ気付いていたからこそ回避しまくってたんだろ。あいつ鈍感じゃないんだし」
昨今流行りの鈍感ヒーローと違い、エイジュは人の機微に聡い男だった。実際、エヴァンジェリンがアプローチを始めてからふたりきりにならないように立ち回っていたように思う。それでも何度かそんな状況になってしまったが、結果はお察しである。
「気付いてたなら思い出ぐらいちょうだいよー!」
「それ一番駄目なやつだろ。そんな最低男じゃないだろ、勇者」
「うぅ⋯⋯そうだった⋯⋯好きぃ⋯⋯」
「駄目なのはエヴァだったかー」
友人の嘆きに、アルシェールは天井を仰いだ。
「いい加減区切りぐらい付けろ。そんなんで結婚の祝福できるのか」
「そうだった⋯⋯何で祝福しなきゃいけないの⋯⋯」
「自分から言い出したんだろ」
結婚の際に神職が行う祝福を、エヴァンジェリンは買って出ていた。エイジュは固辞していたが、エヴァンジェリンが血走った目で迫ったため、渋々受け入れたのである。
──何で自ら地獄に行こうとするかな。
それがアルシェールの感想だった。多分エイジュも同じ思いだったからこそ、なかなか受け入れなかったのだと思う。
「だって、こうでもしないと接点が無いんだもん⋯⋯私神殿所属だし、エイジュは王族になっちゃうでしょ? そしたらもうほとんど会えなくなるじゃない」
「その方がいいだろ。距離を置けば、恋心も冷めるかもしれないし」
「でも辛いぃぃぃ」
再びわんわん泣き始めたエヴァンジェリンに、アルシェールはどうしたものやら、と考え始めた。
失恋した親友を心配して神殿を訪れたはいいが、顔を合わせてから一時間、ずっとこの調子だ。おそらく心の内を明かせる者がいない反動で、余計に激しくなっているのだろう。
どうにかしてやりたいが、失恋の痛手は他人がどうこうできるものではない。ましてや、エイジュはちょっとそこらでは見ないレベルのいい男だった。これでは次の恋に行くこともなかなか難しい。
考え込むアルシェールの目に、窓から差し込む夕日が映った。もうそんな時間か、と思ったアルシェールは、ひとつの妙案を思い付く。
「エヴァ、夜は暇か?」
「ぐすっ⋯⋯暇だけど、何?」
「ちょっと街に出ないか?」
アルシェールはにやりと笑った。
───
エヴァンジェリンは言われるがまま、お忍び用の変装をし──黒髪のかつらに化粧と服装を変えれば、案外バレないのだ──神殿にも一応許可を取って──神殿はその辺心配になるレベルで緩い。単に傷心が目に見えるレベルだったからかもしれないが──アルシェールに連れられたのは、城下の歓楽街だった。
「エヴァ、こっち」
そう言ってアルシェールが案内したのは、大衆酒場である。
「アル、ここは⋯⋯」
「エヴァ、飲むぞ」
「え?」
「ひとまず、飲んで、食べて、忘れろ」
アルシェールはそう言って、勝手知ったる様子で空いた席に座った。エヴァンジェリンも慌ててそれにならうと、アルシェールは酒場の給仕に注文していく。
「ここは酒も食べ物も美味いんだ。それに安い。見習い時代は、ここの世話になったよ」
「そうなんだ⋯⋯」
「なあ、エヴァ。私じゃおまえの失恋の傷は癒せないけどさ」
頬杖を着いたアルシェールは、目を細めた。
「こうして飲みに付き合うぐらいはできるからさ。あんま溜め込むなよ」
「っ⋯⋯」
エヴァンジェリンはまた泣きそうになって、何とかこらえた。
思えば、アルシェールはエヴァンジェリンが玉砕するたびに隣にいて、愚痴を聞いてくれた。やめといたら、とは言うものの、エヴァンジェリンの恋を否定しなかった。
そんな彼女だからこそ、エヴァンジェリンは親友だと思えるのだ。
「⋯⋯ありがとう」
「ん」
に、と歯を見せて笑うアルシェール。その笑顔がいつもとは違って可愛く見えて、エヴァンジェリンも自然と笑顔を返していた。
「お待たせしました! りんごのエールと、ミートパイ、シチュー、ソーセージです。残りのお料理はもう少しお待ちくださいね!」
給仕はそう言って、ふたつの杯と料理を置いていく。
杯を手に取り、エヴァンジェリンとアルシェールは声を張り上げた。
「「乾杯!」」
そしてぐいっと飲む。エール特有の苦味と酒精の奥に、りんごの爽やかな香りと味を感じて、エヴァンジェリンははあ、とため息をついた。
視線を落とせば、黄金色のエールが杯から顔を覗かせている。更に視線を動かし、ミートパイに目をやった。
綺麗な狐色に焼けた網状の隙間から、茶色い挽肉が見える。肉とパイ生地の焼けた香ばしい匂いが直接的に胃を刺激した。
──そういえば最近、まともに食べてなかったっけ。
失恋に苦しむあまり、食事が喉を通らず、パン粥のような軽いものしか食べていなかった。周囲の人間のおかげで三食食べる習慣は無くならなかったものの、その内容は質素極まりなかった。
ほんのり塩味がするだけの味気無い食事を思い出し、憂鬱な気分になってしまう。それを振り払うために、エヴァンジェリンはナイフをミートパイに差し込んだ。
僅かな手応えと共に、ざく、ざく、と切り分けられるパイ。取り分け皿に乗せると、ぎっしり詰まった挽肉と、みじん切りにされた玉ねぎがこぼれた。
口の中で唾液がにじむ。ほとんど無意識で、エヴァンジェリンはパイを頬張った。
さく、とした食感と、じゅわ、と広がる肉と玉ねぎの甘味。そしてほんの僅かに酸味と、香ばしさ。
「おっっっっいし!」
「だろ。ここに来たら絶対頼むんだ」
我が意を得たりとばかりに頷くアルシェールに、エヴァンジェリンは気付いたことを口にした。
「もしかして、トマトソース使ってる?」
「お、気付いたか。そうなんだよ。それがパイを脂っこくなく、さっぱりさせてるんだ」
「なるほど⋯⋯」
エヴァンジェリンは次にシチューに目をやった。
白いシチューほんのり黄色がかっており、野菜がごろごろと入っている。鶏肉も大振りだ。
今度はシチューを取り分けてみる。とろりとしたシチューの中で、にんじんと玉ねぎ、ブロッコリー、鶏肉が泳いでいた。
シチューを一口含むと、ミルクの甘さの中から、バターの香りが鼻を抜けていった。夢中になってにんじんを口に入れると、ほろりとほどける。
「何これ、溶けたんだけど⁉ それにほんのりバターの香りが⋯⋯?」
「バターで具材を炒めた後、長時間煮込むんだと。言うのは簡単だが、なかなか難しいよな」
「少なくとも、旅の中じゃ無理だよね」
旅の料理はとにかくスピード勝負だった。なるべくおいしくなるように工夫はしていたが、やはりどうしても手間暇にかける時間は足りない。そう思うと、店だからこそ食べられる味だと言えた。
エヴァンジェリンは、次にソーセージに狙いを定めた。
大振りのソーセージは鉄板の上に二本乗っていた。焦げ目の付いた茶色のそれは、エヴァンジェリンの知るどのソーセージよりも大きい。
弾力のあるソーセージにナイフを入れて一口サイズにした後、口に放り込む。湯気が出るほど熱いソーセージを苦心しながら噛むと、熱い肉汁と爽やかな香りが舌を覆った。
「熱っ! 美味しっ」
「どっちだよ」
「どっちも!」
ほふほふと熱の籠った吐息を吹きながら、エヴァンジェリンはエールでソーセージを飲み込んだ。
「このソーセージ、ちょっと香草入ってる?」
「当たり。肉を詰める時に細かく刻んだ香草を混ぜてるんだってさ」
「そうなんだ。香草の香りと肉の味が、凄い合ってる。何ていうか、食が進む」
エヴァンジェリンは言葉通り、自分の分のソーセージをぺろりと食べてしまった。そこで、眉をひそめる。
「どうした?」
「いや、食事は美味しいんだけど⋯⋯全部食べられるかなって。だって、まだ料理来るんでしょう?」
「ああ、あと三品」
「私、そんなに食べられないよ? 残しちゃう」
「残ったら私が食べてやるよ」
「食べられるのは知ってるけど⋯⋯」
「食べれるだけ食べて、飲めるだけ飲んどけ。世話はしてやるから」
「⋯⋯どうしてそこまでしてくれるの?」
「あのな」
アルシェールは一口エールを飲んだ後、ぐい、と上体を乗り上げた。
「私、失恋したおまえのこと、本当に心配していたんだよ。どうしたら元気になるか、ずっと考えてた」
「うっ。ご迷惑おかけしました⋯⋯」
「馬鹿。迷惑なんかじゃない。友達なんだから」
アルシェールはに、と笑った後、言葉を続けた。
「で、さっき思いついたんだ」
「何を?」
「やけ食い」
「え?」
「と、やけ酒」
ぱちぱちと瞬きするエヴァンジェリンに、アルシェールは言った。
「失恋を忘れるには、時間、次の恋、やけ酒、やけ食いって相場が決まってるんだ。というわけで、ここに誘ったわけだ」
「やけ酒、やけ食い⋯⋯」
「まあやけ酒はどうかと思うから、やけ食いだな。深酒したとしても、ちゃんと連れ帰ってやるけどさ」
アルシェールの言葉を、エヴァンジェリンはゆっくり咀嚼した。そして、ぐい、とエールを飲み干す。
「お」
「すみません、エールお代わり!」
店員にそう言って、パイを再び食べるエヴァンジェリン。その顔は、ある種の決意にあふれていた。
「決めた! 食べて、飲んで、忘れる‼」
「そうかそうか」
アルシェールが嬉しそうに頷いた時、エールと一緒に次の料理が運ばれてきた。
「お待たせしましたー! 揚げ芋と、チーズピザでーす」
置かれたのは、細長くスライスされた揚げた芋と、ピザである。その料理、特に揚げ芋に、エヴァンジェリンは目を丸くした。
「芋? 南の大陸の野菜じゃなかったっけ。何でここに出てくるの?」
「ああ、これ?」
アルシェールは揚げ芋を口に放り込み、笑った。
「魔王が倒されたことで国交が復活してさ、この芋も輸入されるようになったんだってさ」
「そっか⋯⋯そっかあ」
エヴァンジェリンの唇にも自然と笑みが浮かんだ。
魔王を倒した影響は、こんな小さなところにもあったのだ。ささやかかもしれないが、少しずつ世界がいい方向に向かっているという事実に、嬉しくなった。
その気持ちのまま、芋を食べてみた。
ほくほくとした芋には、塩がかけられているようだった。シンプルな味付けだが、油の甘味と合わさって食べる手が止まらない。気付けば、五分の一ほど食べていた。
「はっ。いつの間にか⋯⋯」
「解る。食べる手が止まらなくなるよな」
「ほ、ほかのも食べないと⋯⋯」
エヴァンジェリンはピザを切り分けた。六分割したピザのひとつを手に取り、恐る恐る尖った先を食む。噛み切ろうとする直前、びよーんとチーズが伸びた。
「んむむー⁉」
「わ、垂れる垂れる!」
ふたりでわちゃわちゃしながらも、何とかチーズを口に収め、ピザを食べていく。
耳の部分まで美味しくいただき、ほう、と息をついた。
「ピザも美味しー⋯⋯チーズが二種類使われてるのかな?」
「ちょいちょい舌が肥えてるな⋯⋯そうなんだよな。ちなみに、こういう食べ方もある」
そう言ったアルシェールは、ピザを取り皿に乗せて、机にいつの間にか置かれていた小瓶を手に取り、その中身をかけた。黄金色のとろりとしたそれに、エヴァンジェリンは飛び上がりそうになる。
「それ⋯⋯蜂蜜⁉」
「そ。マイ蜂蜜」
「何で持ち歩いてるのって突っ込むべき?」
「受け付けませーん。それよか、食べてみろよ。ぶっ飛ぶから」
「えぇ~⋯⋯」
差し出されたチーズピザ(蜂蜜がけ)を、エヴァンジェリンは嫌々受け取る。正直食べたいとは微塵も思えなかったが、勧められたことによる好奇心が勝った。
勢いよくかぶりつくと、蜂蜜の甘さが先に来た。次に、チーズのしょっぱさがより引き立てられて向かってくる。噛むたびに甘さとしょっぱさが引き立て合い、衝撃的な味と化した。
「⋯⋯⁉ ⋯⋯‼‼⁉」
「ふっふっふ。びっくりだろ」
咀嚼しながら目を剥くエヴァンジェリンに、してやったりという顔をするアルシェール。飲み込んだエヴァンジェリンは、身を乗り出した。
「何これ何これ何これ⁉ こんな味、初めて⋯⋯!」
「これはな、甘じょっぱいって言うんだと」
「甘じょっぱい⋯⋯新感覚過ぎ⋯⋯」
エヴァンジェリンは感嘆のため息をついた。
「何か、新しい味にばっかり会ってる気がする⋯⋯常連になりそう⋯⋯」
「その時は一緒に行こうな。とりあえず今は」
「やけ食いと!」
「やけ酒だな!」
エールの杯をぶつけ合い、ふたりは笑った。
───
「うぅ⋯⋯食べ過ぎた⋯⋯」
エヴァンジェリンはお腹をさすりながら呻いた。だが苦しげな発言に反し、表情は満足げだ。
「旅の頃より食べたかもな。そりゃ食べ過ぎにも感じるか」
一方、アルシェールは涼しい顔だ。彼女は今でも動き回る仕事をしているし、もともと食べる方なので、この量もぺろりとたいらげている。
「どうする? デザートはやめとく?」
「デザート?」
エヴァンジェリンはぱちぱちと瞬きし、アルシェールを見つめた。
「お待たせしました! 氷菓です~」
そうこうしているうちに、陶器に乗ったものが運ばれてきた。
真っ白な球体のそれは、氷菓の名の通り僅かに冷気を放っている。
「これが⋯⋯氷菓?」
「蜂蜜を入れたミルクを氷の魔法で冷やして固めたものだそうだよ」
アルシェールは微笑んだ。
「魔王軍との戦いを終えて、こういったことにも魔法が転用されるようになったんだ。今までは庶民の間に魔法技術が流れることは無かったけど、それも緩和されたってところかな」
「そっか⋯⋯」
エヴァンジェリンは急に、沈んだ顔で氷菓を見つめた。そんな彼女に、アルシェールは首を傾げる。
「エヴァ?」
「私⋯⋯失恋に泣くばかりで、民の暮らしがどんなふうに変化してるのか気付けなかった⋯⋯聖女失格だわ」
よくある表現で言えば、恋に溺れていた。エイジュに恋をして、振り向いてほしくて頑張って、結果実らなかった。それにショックを受けて、聖女としての役割を忘れてしまっていた。
魔王討伐の当初は、使命感と義憤で戦っていたのに、いつしか目的がずれていたのだ。勿論魔王討伐や民への想いを忘れたわけではないが、それでも二の次になっていた部分は否定できない。
それに気付かず、破れた恋に泣き暮らしていた聖女に、周囲はどんな思いを抱いたことか。
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯あああぁぁぁぁああ」
「え、どうしたどうした急に」
「自分が、本当に自分が恥ずかしくなってきたの! なんてこと⋯⋯色ボケにもほどがあるわよっ。ああ⋯⋯ああぁぁ」
エヴァンジェリンは机に突っ伏した。そんな親友の背中をさすり、アルシェールは器を差し出す。
「ほら、溶けるぞ。食べないのか?」
「うぅっ、食べるぅ」
エヴァンジェリンは真っ赤になった顔を冷ますように氷菓を口にした。
きんとした冷たさの後、ミルクのほのかな甘みと蜂蜜のとろけるような甘露が口の中で広がる。口腔の熱で溶けた氷菓は、舌に絡み付き、うっとりするような後味を残した。
「美味しいよぅ」
「な。どんなに落ち込んでも、腹は減るし、美味しいものは美味しいんだ」
アルシェールは笑った。
「なあ、エヴァ。エヴァは恋に傾倒したことを恥じてるみたいだけど、私はいいことだと思うぞ」
「え?」
「そりゃ、行き過ぎたら問題だけどさ。好きな人ができて、その人に好かれたくて努力して、でも実らないことに落ち込んで⋯⋯凄く人間らしいことだと思う」
氷菓を口にしながら、アルシェールは目を細めた。
「初めて会った時さ、実はエヴァのこと苦手だったんだ。人間味が無くて、理想の聖女を演じているような、そんな現実味が無い感じで。感情も表に出さないから、何か人形みたいだなと思ったんだ」
「それは⋯⋯」
「でも、エイジュに恋をしてから、エヴァはどんどん人間っぽくなった。今じゃ、普通の女の子って感じだ」
アルシェールの言葉に、エヴァンジェリンは身に覚えがあった。
誰に言われるわけでもなく、エヴァンジェリンは理想の聖女になるために努力し続けた。
平等に愛し、公平に癒し、公正に裁く。分け隔てないその行いを至上とするあまり、自身の感情を二の次にしていた。
本当は、他者に優劣を付けたいし、癒すのを拒否したい奴はいるし、中立なんてできっこない。それでも、そうあれかし、と自分で自分を縛っていた。
そんな硬い殻を、恋は破壊したのだ。それがいいことなのかどうか、エヴァンジェリンは今の今まで意識してさえいなかった。
聖女としては失格だろう。だがそれでいいのだと、親友は言う。
「少なくとも、私は今のエヴァが好きだよ」
アルシェールはに、と笑った。男性よりも女性を惹き付けるその笑顔に、エヴァンジェリンはようやく笑顔を返した。
「アルはやっぱり格好いいなあ」
「ありがと。私も私が格好いいと思うよ」
ふふん、と胸を張るアルシェールに吹き出しながら、エヴァンジェリンは少し溶けた氷菓を口にする。甘味を口にするのも久しぶりで、エヴァンジェリンは何だか嬉しくなってしまう。
「そっか⋯⋯失恋しても、ご飯は美味しいのね」
「そもそも、世の中失恋する方が多いんだ。それでも人は食事をする。食事をするなら、美味しい方がいい。パン粥ばっかりはかえって身体にも心にも悪いってことだ」
「そうね。明日から、ちゃんとした物を食べるわ」
幸いにも、聖女や神官に食事制限は無い。心配かけた分しっかり食べようと、エヴァンジェリンは決意した。
そう、心配されていたのだ。それはエヴァンジェリンも解っていたが、心がどうしても追いつかなかった。だが今なら、素直に彼らの心配を受け止められるだろう。
「ありがとう、アル。明日から、私頑張るから」
「ゆっくりでいいと思うけどな。これまでずっと、エヴァは頑張ってきたんだから」
「お休みは充分もらったもの。だから、明日から! その代わり、今日は寝るまでゆっくりするわ」
「そうしろ。どのみち、明日からっていうなら、しっかり酒を抜かなきゃだからな」
「そうね⋯⋯」
食事に釣られて、気付けば杯を重ねていた。明日の朝が怖い量だ。
だが、今は。
「失恋に!」
「明日の自分に!」
「「乾杯‼」」
はじめましての方もそうでない方も、こんにちは、沙伊です。
今回は失恋と食事をテーマに書いてみました。皆様の暇潰しになれば幸いです。
以下、作中に入り切らなかった設定。
勇者の仲間について:勇者、女騎士、聖女のほかに、魔法使い、斥候もいた(両者共に男性)。
それぞれの出自:勇者エイジュと聖女エヴァンジェリンのふたりは貴族、ほかは平民出身。
またエイジュは貴族と言っても代々騎士を輩出する一族で、旅に出る前から突出した実力の持ち主だった。
王女について:非常に一途でいい人。兄がいるため王位は継がない。降嫁後はエイジュと慎ましやかに暮らせたらいいなと思っている。エヴァンジェリンの気持ちは知らないが、薄々察してはいる。




