おっさん、TikTakデビュー(前編)
朝、歩道橋の上。
いつもの時間、いつもの空。
だが、ひとつだけいつもと違うものがあった。
「はいっ、笑ってくださーい! 『恋の処方箋、おっさんver.』、テイク3!」
「ちょ、ちょっと待て、ひなたちゃん!? 何してんの!? なんで俺、スマホ向けられてんの!?」
「大丈夫です。顔、出てないんで!」
そう言いながら、ひなたはスマホを構えたまま笑顔で構えている。
「……で、これ、何の動画なんだ?」
「恋愛相談室のPRです!」
彼女は胸を張って言った。
「もっとたくさんの人に見てもらいたくて。そしたら、もっと相談が集まるし、佐藤さんのアドバイスも全国に広がる!」
「全国て。いや、俺は別に広げたくないし……っていうか、TikTakって、あの若者が踊ってるやつだろ?」
「そう! 今は恋バナとかお悩み相談も人気ジャンルなんですよ! 佐藤さんの昭和恋愛語録とか、絶対バズりますって!」
「語録って……俺そんなこと言ってたか?」
「恋は追いすぎると逃げるとか、電話より手紙のほうが心が伝わるとか、雨の日に傘を忘れた子には傘を貸せとか!」
「最後のは普通の親切だろ……!」
スマホのレンズを前にして、佐藤は後退りする。
「無理無理無理! 俺、そういうの苦手だし、そもそも、顔が地味だし、見た目だって……」
「そこがいいんです!」
ひなたはズイッと前に出て、親指を立てた。
「その地味さが逆に安心感! 今どきこんなおっさん、いたんだ……っていうノスタルジーで逆にウケるんです!」
「なんか褒められてる気が全然しないんだけど……」
佐藤が頭を抱えていると、もう一人の女子高生がぬっと現れた。
「なにやってんの、ふたりで朝っぱらから」
ミキだった。
「TikTakデビューですよ! このおっさんが!」
「……あー……いいじゃん、そういうの。恋バナおじさんみたいなジャンル、わりと人気あるし」
「なにその絶対ググっても出てこなさそうなジャンル……」
「ちゃんとナレーションとか編集入れれば、意外とイケるって」
「いやいやいやいやいや!」
佐藤は両手を振った。
「俺、別に有名になりたいわけじゃないし! それに、顔出ししないって言っても、声とか喋り方でバレるかもしれないし……!」
「大丈夫です。編集で、関西弁に変換とかできますから!」
「どんな魔法の編集だよそれ……!」
佐藤が困惑していると、ミキがスマホを覗き込みながらつぶやいた。
「あ、これもう上がってるよ。再生数……え、なにこれ。もう3,000回いってんじゃん」
「は?」
「え? うそ、えっ、えええっ!?」
慌ててひなたがスマホを覗くと、そこには再生数の数字が確かに刻まれていた。
「……バズってる……!?」
「ほら、言った通りじゃん」
ミキがニヤリと笑う。
「おっさんのくせに恋愛語ってて意外と説得力あるってコメントもついてる」
「いや、それ褒めてるのかけなしてるのか……!」
「つまり、もう佐藤さんは、ネットの人気おじさんってことです!」
「……俺の意思どこいったんだろ……」
目の前が軽く回る感覚を覚えながら、佐藤はベンチに腰を下ろした。
歩道橋の上で始まったごっこは、少しずつ現実になり始めている。
まさか、自分が……SNSで人気になるなんて。
(俺の人生……いつからこんなファンタジーに突入したんだろう……)
だが、その思いとは裏腹に、心のどこかで、ふわりと風が吹いたような気がしていた。
それは、誰かの役に立っているという、小さな誇らしさ。
そして、何より。
目の前で無邪気に笑う少女たちが、自分を必要としてくれているという事実だった。
(……まぁ、たまには悪くないか)
そう思ってしまった時点で、すでに彼は、相談室の沼に足を突っ込んでいたのだった――