距離感、むずかしい
相談室が終わった翌日から、佐藤の態度が少し変わったように感じた。ひなたはそのことを何度も考えたが、どうしても納得がいかない。
いつも通り、学校の帰り道で佐藤と一緒に歩く予定だったが、今日は彼から誘いが来なかった。何となく、気になりすぎてしまう自分に気づいて、ひなたは少し焦った。どうしてそんなことを気にするんだろう、と。
結局、ひなたは一人で歩くことにした。傘をさしながら、空を見上げる。雲は少し厚いが、雨は降らなかった。
しばらく歩いていると、ふと、前方に佐藤が見えた。彼はいつものように会社のスーツを着て、足早に歩いている。ひなたは少し距離を取って、そっと近づいた。
「佐藤さん!」
声をかけると、佐藤は一瞬だけ立ち止まり、振り返った。普段の彼なら、すぐに笑顔を見せてくれるはずなのに、今日は少し硬い表情を浮かべていた。
「ひなた……どうした?」
「いや、なんか気になって……昨日、少し変だったから」
ひなたは、内心ドキドキしながら言った。これまでのように、佐藤と何気ない会話をしていたはずなのに、どうしてこうも緊張してしまうのだろう。
佐藤は少し黙ってから、視線を下げた。あの時の、雨の中で交わした言葉のことを思い出しているのだろうか?
「昨日のこと、ひなたに変なこと言ってなかったかな?」
「え? そんなことないよ」
ひなたは思わず否定したが、実はその言葉が気になっていた。何かを言いたいけど、言えない、そんな微妙な空気が二人の間に漂っていた。
「でも、今日はちょっと疲れてて。気を使わせたならごめん」
佐藤の言葉は、やけに遠く感じられた。いつもなら、もっと軽く話すはずなのに、今日はなんだか無理をしているような気がしてならなかった。
「気を使わせた、って……なんで?」
ひなたは首をかしげて、少し不安げに尋ねた。しかし、佐藤はそれに答えることなく、苦笑いを浮かべた。
「いや、ほんとに。ちょっと、頭の中がごちゃごちゃしててさ」
ひなたはその言葉を聞いて、ますます不安になった。普段なら、佐藤はこういう時、もう少し素直に話してくれるはずだった。
ひなたは少し沈黙した後、ため息をついた。
「佐藤さん、あの時言ったこと、気にしてるんでしょ?」
佐藤が少し驚いた表情を浮かべた。
「え?」
「『佐藤さんみたいな人が彼氏だったらよかったのに』って言ったこと……」
その言葉を聞いた瞬間、佐藤の表情が硬くなった。それはまるで、ひなたが何か禁忌を犯したかのような顔だった。
「それは……」
「ごめん、変なこと言ったかもしれない。けど、あの時、つい……」
ひなたは自分が言ってしまった言葉を後悔していた。気軽に言ったつもりが、佐藤にとっては重すぎたのだろうか。
「いや、別に気にしてるわけじゃないんだけど……ただ、なんとなく距離を取ったほうがいいかなって、最近思ってたんだ」
佐藤はそう言った後、再び沈黙した。ひなたは、それに答えられず、ただじっと彼を見つめることしかできなかった。
「どうして?」
ひなたの問いに、佐藤は少し考え込むように見えた。それから、彼はゆっくりと口を開いた。
「うーん、なんか、これ以上近づくのが怖いんだよね。ひなたが……なんていうか、恋愛について、すごく純粋だから。俺みたいな、何もできないおっさんが近づくのは、逆に迷惑なんじゃないかなって」
その言葉に、ひなたは胸が締めつけられるような気がした。彼が気にしているのは、年齢差や経験の違い、そういったことなのだろうか。
「迷惑なんかじゃないよ、佐藤さん!」
ひなたは思わず声を上げてしまった。それが本心から出た言葉だということは、すぐにわかった。
「佐藤さんがどう思ってるのか、よくわからないけど、私は佐藤さんとこうやって話すのがすごく楽しいんだよ」
その言葉を聞いた佐藤は、しばらく黙った後、深いため息をついた。
「ひなた……本当に、お前は気持ちを素直に言えるんだな」
「当たり前だよ。気にしすぎだよ、佐藤さん」
ひなたは少し笑って、佐藤の肩に軽く手を置いた。それは、まるで彼を励ますような、優しい仕草だった。
「でも、少しだけ距離を取った方がいいかなって思っただけ。ひなたには、もっと素敵な人がいるはずだし」
佐藤は小さく笑ったが、その目にはどこか寂しさが滲んでいた。
その後、二人は再び歩き出したが、心の中ではお互いに何かを感じ取っていた。
「距離感」
それは、今後の二人にとって、さらに重要なテーマになりそうだと、ひなたは感じていた。