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第2章 「私の私による私のためのゴージャス」



 私のことは、今日から「ゴージャス」って呼びなさい!


 「いいわね!」と念を押すように、人差し指の先を私に向ける。

 小学五年生の時に松田綾まつだあやから唐突に言われた。

 まだ声帯ができあがっていない少女の甲高く瑞々しい声で、はっきりと私に言った。

 さほど話したこともなく、ただ席が隣というだけの別に仲が良いわけでもない私に、なぜにそのような謎宣言をしたのかは、今も分からない。

 私が当時から抱く松田綾の印象は『勢い』だ。その点で言えば松田綾が言うゴージャスと言えなくもないと、思わなくもない。

 そもそも、ゴージャスとは何なのか。

 イメージとしては派手で、光っていて、言うならば金持ちみたいなものを想像するが、松田綾の家は特別に裕福だとは聞いたことがない。その時だって白のラインが入ったピンク色のジャージを着ていたし、持っていた筆箱だって他の子と変わらない可愛らしいキャラクターのやつだった。

 私は試しに「ゴージャス」と松田綾のことを呼んでみた。松田綾は一度驚いた顔をして、すぐに顔から溢れそうな笑顔を見せた。

 その日から、私と松田綾のゴージャスな交流が始まった。


 ーーーーーー

 ーーーーー

 ーーーー

 ーーー

 ーー


 高校一年生になって最初の六月を迎えた。

 この前、高校一年生になって最初の五月が始まったばかりだと思っていたのに、あっという間だ。さらに言うと高校一年生の最初で最後の四月も迎えたばかりな気がするのだが。

 まあ、そうエンドレスに考えても仕方がないか。


 季節は初夏で、初夏だけど、初夏らしくなく、ただひたすらに暑くて、夏にどっぷりと浸かった入道雲が窓の外に広がっていた。

 教室は帰りのホームルーム前ということもあり、気怠げでありながら賑やかだ。私は小学校から高校までこういった時間が好きだったことがない。これはきっと、どこの学校、違う土地でも、同じだと思う。スマホで調べてみようかと思ったが、鞄から出すこともしなかった。


「ねえ、ジャス。これやってみてよ」「っあ、いいね。これさー、マジやばいから!」


 喧騒に紛れて聞こえたそれは、私の席から反対にある廊下側の辺り、松田綾の席の方からだった。静かに本を読んでいた彼女を囲むように二人立っていた。同じクラスの木村さんと笹塚さんだ。

 私は少し気になり、体の角度を若干後ろに傾けると、彼女のトレードマークともいえるツインテールが見えた。


「ちょっと! 私のことはゴージャスって呼んで。あと、ゴージャスな私がそんなもの見たりしないんだから!」

 本を閉じて、自分を囲む二人を交互に見て、ツインテールがぴょこぴょこと見え隠れしている。

 相変わらず甲高い声だ。尖った言い方に対して声音が幼いからか、子どもが駄々をこねているみたいだ。

 それもあるのだろう、二人は面白そうに笑っている。

「っふふ。ねえ、逆に知らないの? これっていろんな芸能人とかがマネしてバズっててさ。動画あげてるんだよぉ?」

 木村さんがスマホを見せながら言った。露骨に残念そうな声ではあったが、しかし、横顔には嘲笑が映る。

 実際にスマホで何を見せているのか分からないし、どんな話なのかも想像できないが、どうせ、また、いつものことだろう。


 いつものことだ。

 だから、松田綾が次に何を言うのかもわかった。


「・・・いいわよ。やるわよ! このゴージャスな私ができないわけないでしょ!」

 そう言うと勢いよく起立する。

 二人は手を叩いて笑っていた。

「うけるんだけど」

 と、声が聞こえたが、それが松田綾の耳に届いていないのだろうか。

 松田綾は一つ息を吐いた。

「っあ、ちょっと待って」

 木村さんがスマホを彼女に向ける。動画を撮っているのだろう。

 松田綾の動きはよく目立つ、二人だけではなく、教室にいた多人数が彼女に視線を送っていた。その状況に微塵も臆することなく、彼女は中腰になり、両手を横に伸ばした。

 私はそのポーズを見て、すぐに分かった。


「リーリーリー。からのタンゴ!」


 腰を勢いよく捻じりながらカスタネットを叩くように素早く手を二回叩いた。

 今流行りのお笑い芸人がやっているギャグだった。



 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 放課後になると小雨が降り出して、どことなく熱気が和らいだ気がする。

 私は今、階段を昇っている。周囲には人の気配はないが、階下からよく分からない奇声のような笑い声が反響していて、だがすぐに静かになった。

 階段の一番上まで辿り着いた。屋上に唯一通じる階段は、そもそも屋上に入ることができないので、ほとんど誰も立ち寄ることがない。物置のような状態になっていて、屋上の扉の前には机や長テーブル、ダンボール、壊れた電気ストーブ、ペンキが剥げたベニヤ板など、雑多な不要品が溢れて積まれていた。

 屋上踊り場の階段に座った。

 小さな窓も物でふさがれているため、陽の光は僅かしかなく、お尻に伝わる階段はひんやりと冷たかった。


 私の隣にはダンボールから足が生えた物体がいる。

 その言い方だと化け物みたいだが、松田綾だ。

 

「なんですぐに挑発にのるの? 泣くくらいならさ」

「・・・泣いてない!」

 甲高く反発するその声には涙声が混ざっているようで、震えて聞こえた。

「まあ、いいけど。そろそろ帰ろ?」

「・・・・・・」

 

 松田綾が高校入学してすぐの自己紹介をした時だ。


「私の名前は松田綾。私のことはゴージャスと呼んで! 以上!」

 

 小学五年生の時に、私に言ったことそのままの自己紹介をした。小学生の時はその場で笑われて、でも結局あだ名になっていったが、高校では沈黙と失笑で、その後はただの痛い奴になり、同時にからかいの対象となった。

「小学校からのよしみだから言うけど、もう少しスルーする力つけた方がいいよ。あとはステルス機能とかさ」

 私が何度目になるか分からない真っ当なことを言う。おそらく、松田綾は口を尖らせているのだろう。ダンボールで顔が見えないが、そんな気がした。


「私にそんなものは備え付けられていない。クレームならメーカーに言ってちょうだい」

 感情なく話す言葉は、ダンボールのせいでくぐもっている。

「メーカーはどこだよ。ご両親に電話すればいいのか?」

 松田綾の軽口にのってそう言葉を返すと、急に静かになった。

「・・・なんかちょっと、エッチみたいな話になっちゃった。やめてよ」

 ダンボールの下の隙間から短く手を出して私のスカートの端をパシパシと叩く。

「は? 訳の分からないことを言って一人で恥ずかしがらないでくれ」

「恥ずかしがってないし!」

 自称ゴージャスの松田綾は、その発言とおそらく小柄な体や、子犬みたくキャンキャンと過剰に反応することでクラスの一部から、からかいの対象になっている。

 さっきみたく芸人のマネをさせられたり、奇抜なメイクや髪型をさせられることもあった。彼女がどう思っているのかは分からないが、いじめにも見えるし、いじりにも見える。

 もう高校生なのだから面倒くさいことは上手く躱して流せば良いものを、彼女のゴージャス魂が邪魔をして、どの言葉も過剰に買ってしまうのだった。


 そして、こうなる。

 

 普段から誰も立ち寄らない屋上前の踊り場で、空ダンボールを頭からすっぽり被り、泣いているのだ。

「泣いてないってば!」

 心を読まれたみたいなタイミングで松田綾が言った。

「なにも言ってないさ、ほら帰ろ」

「うー。・・・ん」

 ダンボールを抜き取ると彼女のツインテールが揺れた。思った通り瞳は潤み、目元が少し赤らんでいた。声には出さないが小さくため息を吐いて、手を差し出す。彼女はまだ唸っていたが、私の手を掴むと渋々といった顔をして立ち上がった。


「小中の時は、みんなゴージャスって呼んでくれたのに。高校生になったらみんな呼んでくれない」

 階段を降りながらどこか恨めしそうに話す。

「いや、一応ゴージャスって呼ばれてるじゃん」

「ちがう! あいつらはジャスって言ってる。なによジャスって! 私はゴージャスっ! 略しちゃダメ。あれは、・・・私のゴージャスじゃない!」

 私より先に階段を降りる。

 「よくわからんよ」その言葉は彼女に届いておらず、置き去りにされた私の言葉と体を置いて駆け降りていった。

 私は足を止めた。すぐに松田綾の背中は見えなくなった。

 ふと思うのは、先に行く彼女はいつも幼いことだった。

 私たちの出会いだとしっかり言えるのは、きっとあの小学五年生のゴージャス宣言の時からだろう。

 それから数年経って、もう高校生になっている。小学生の時の高校生は大人と変わらないくらい大きく感じていたが、自分も高校生になってしまえば、まだ自分は子どもなのだとどこかの誰かに突きつけられたみたいな気持ちになり、それにさほど不貞腐れたりはしないが、でも、子どもは子どもでも、小学生の時とは違うから。

 当たり前だけど。


 松田綾と話していると、「もう高校生なんだから」と言うことが増えた。ついさっきも言ったばかりだが、それに対して、彼女は頬を膨らませて、そっぽを向くのだ。

 その反応がやけに頭に残って、彼女だけが、際立って周囲から取り残されているように見える。


 階下から彼女の靴音が反響した。さっきの笑い声は聞こえない。代わりにどこかで管楽器が響いている。きっと吹奏楽部が空き教室で練習しているのだろう。

 しかし、不思議と松田綾の靴音は他の音に紛れることなく、確かに階段を降りて遠く離れていく。姿は見えないが、松田綾が通った証拠があった。

 私はなかなか階段を降りなかった。

 私も、周りも、皆が一歩ずつ大人になるんだな。

 高校一年生の私は、気づけば二年生、三年生になって、卒業して、きっとどこかへ行く。この町からも離れるだろう。

 足音も聞こえなくなった。

 

 ・・・松田綾もそうなるのだろうか。

 彼女も、周りとは違うかもしれないが、一歩ずつ進んでいき、ゆくゆくは他の人と一緒に横並びに立てるのだろうか。


「ああ、あの時はバカなこと言ってたな」

「ちょっとその話しないで」

「自分でゴージャスとか馬鹿だよね」

「はずかしー」

 

 自分が生んだ恥を、時間と共に突かれたくない傷に変換できるのだろうか。

 大人になってフラッシュバックした過去に悶え苦しみ枕に顔を埋める日が来るのだろうか。

 他の人と同じように。

 今の幼さと純粋さとその綺麗な心は、周りと同じようにしっかりとくすんで、穢れていくのだろうか。

 

「ちょっと!」

 私が降りてこないことに気づいたのか、松田綾が階段から顔を出した。

「アイ。行くよ」

 私の名前を呼ぶ。ニカっと笑うと小さな歯が見えた。


「ところでさ、どうしてゴージャスって呼ばれたいの?」


「かっこいいから!」


 はあ。


 どこかから響くトロンボーンの音が胸をすいた。



 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



「あれ津島じゃない?」

 隣にいる松田綾に向けて言ったつもりだったが、横には姿がなかった。またどこかでふらふらしているのかと思い、辺りを見回すと、ずっと後ろの方でしゃがんでいた。

「先に行くよ」

 距離があって声が届いていない。それくらい後ろにいる。ただ私も声を張り上げてまで伝える気もないので、放っておいて先を歩いた。


「あれ、沖田なにしてんのここで」

 私の声で気づいたのか、津島がこちらに近づいてきて髪を掻きながら話しかけてきた。クセのある黒髪に触れるのが癖だったのを思い出した。

「帰る途中。家がこっちなんだからいるのは当たり前だろ」

 私は吐き捨てるように言った。

「沖田は相変わらずぶっきらぼうというか、感情がないよな」

 また髪を掻きだした。そして首を左右に振る。髪が揺れる。犬が濡れた毛を振るうみたいにだ。これもまた、津島がよくやる癖だった。思わず懐かしいなと口にしそうになったが、中学を卒業して二、三カ月程度だ。そんなに経っていない。

 津島は小中学校までの同級生で、高校から私と松田綾が隣町に、津島は小中と同じ地区の高校に進学した。

 「そっちの学校はどんな感じ?」と私たちの通う高校について聞いてきたが、特に話せるニュースも話題もない。そんな風に伝えると、津島もどこか納得したみたいな表情で頷いた。

「高校入ったら何か変わるかもって思ってたけどあんま変わらんよな。俺も沖田達みたいに他の町とか、思い切って都会の高校にすればよかったかな」

 大げさに頭をがっくりと下げて、ため息をついた。見た通り「大げさだな」と言うと、津島は笑って「沖田はやっぱり相変わらずだな」と言った。

 地面を蹴る音が近づいてくる。後ろから足音が聞こえ、振り返らなくても分かるが、振り返ると松田綾が走って近づいてきていた。

「ねえ! これ落ちてた!」

 減速もせずに突っ込んでくるので、衝突する前にそっと支えるが、松田綾は気にすることなく掌を見せる。

 掌には十円玉があった。

「はあ? そのテンションで十円玉かい」

 私が呆れていると十円玉をギュッと握り、そのままぶんぶんと腕を振り回す。

「ちがーう! ちゃんと見てって。・・・っあ、津島じゃん」

 ようやく気づいたのか。どれだけ視野が狭いのだろうか。振り回す腕を下ろして、津島を頭から足まで見ると「高校生じゃん!」と謎の一言を放った。

「今かよ。あと高校生だよ。当たり前だろ。・・・相変わらず、松田は松田だな。高校いっても変わってねえな」

「私のことはゴージャスって呼びなさい」

 津島は「懐かしー」と笑いながら言った。

 

 津島と別れ際に「妹は元気?」と尋ねた。何の気なしに聞いた程度のことだったが、振り返った時の表情は暗く、顔には辟易の二文字が浮かんでいるみたいだった。その表情に私は意外だと思った。いつも飄々とした印象を持っていたからだ。

「元気っちゃ元気だけど、最近なんだか妙なことにはまっててな。まあ危ないことじゃなければ別にいいんだけど」

「妙なこと?」

「都市伝説だよ」


 津島の妹は双子で、二人とも兄貴に似ず可愛らしく、ただ双子でも性格が全然違ったのを覚えている。

「まあ、そういうのって小学生好きだよね」

 当たり障りなく返答してみたが、津島は曖昧に相槌を打つだけで、そのまま別れた。その態度に若干の引っ掛かりを覚えたが、本当に若干な程度なので背を向けて歩き出すと、松田綾は既に前を歩いていた。


「ところで、さっきの十円玉はなんなの?」

 松田綾はどこか機嫌がよさそうだった。

 学校では階段に座ってダンボールの化け物になっていたのに、その表情から今日のことを忘れたみたいにすっきりとした顔をしていた。

「ほら、ギザ十。知ってるでしょ? 十円だけど十円以上の価値があるやつ」

 私にもう一度、十円玉を見せながら胸を張る。そしてよく見るようにしつこく十円玉を向けるので仕方なく手に取ってみた。

 指の腹で側面のギザギザを撫でる。このギザギザに、十円以上の価値を人は見出だしているのか。

「ね? すごいでしょ? さっき拾ったの。・・・っあ、でもあげないからね!」

 偉そうなその態度に、思いっきり投げてやろうかと思ったが、そうすると、フリスビードッグのように十円玉を追ってどこまでも走り出しかねないのでやめておいた。

「いらないよ別に、まあよかったね。大事にしまっときな」

 松田綾とはほぼ毎日一緒に登下校をしている。小学五年生のあの時からだ。

 朝は私が玄関を出ると家の前にいて、放課後には互いに部活動をしていないこともあり一緒に下校する。歩いている時は、今みたいに気になる物があると、ふらふらと近寄っては立ち止まることが多い。それは小学生から変わらない。

 その行動にも慣れてしまった私は、そのまま放っておいて先に行くこともしばしばある。


「ねえ、アイは都市伝説なにか知ってる?」

 日々の会話は、ほとんどが松田綾からだ。私から話題を出すことはあまりない。そして、提供される話題は大抵、生産性のない話がばかりだ。

 まあ、高校生の話は大抵、非生産的なものだろう。

「あんま知らないな」

 津島が話していた妹たちがはまっているという都市伝説。小学生らしいといえばらしいし、特段大したことのないように思えたが、津島の口ぶりと表情は、どこか面倒そうな、そして何か気がかりを抱えた雰囲気を感じた。


「そっかー。都市伝説ってさ、何なんだろうね?」

「あんま知らないって言ってるのに、何なんって言われても分からないよ」

 松田綾は「んー」と唇を尖らせながらどこか空を見ていた。

「なんか気になるの?」

 私は仕方なく尋ねた。

 面倒くさいと思いながらも、友達の性なのか、ついついどうでもよいのに聞いてしまう。

「うーん。別に」

 

 ・・・・・・人に聞いておいて。

 だがまあ、納得していた。松田綾と話す時はこうなることはよくあるのだから。それこそさっき言った生産性のない会話をほぼ毎日しているのだから。

「なんかさ、都市伝説って結局誰が怖いのかなって思って」

「どういうこと?」

「口裂け女とかさ、会った人が怖がってるけどさ、本当にそうなのかな?」

「口が裂けた女が凶器もって話しかけてきたら怖いだろ。しかもそれが追いかけてきたりとかしたら、絶望的恐怖だよ」

「んー、・・・でももしかしたら口裂け女の方が怖がってるかもしれないじゃん。自分で、自分が綺麗かどうかなんて人に聞くの怖くない?」

「口裂け女ってそういう感じだっけ? 幽霊とかと同じ類でしょ? 怖がらせることが性分みたいなところがあるんじゃないの?」

 私の言葉に耳を貸しているのか、いないのか、松田綾は歩きながらまだ掌の十円玉を転がしている。

「私だったら聞けないな。自分が綺麗かどうかなんて」

 自分でゴージャスって言うよりはマシだと思う。とは言わなかった。口にすればどういう反応が返ってくるのか分からないから。


 翌日の昼休み、昨日と同じく教室内は賑やかだ。何が面白いのか分からないが大きい声で笑っているし、何が楽しいのか分からないがはしゃいでいる。

 昨晩の動画のあれこれやSNSや、芸能やスポーツや、部活やゲームやそんな色々なトピックを消費している。とても賑やかにだ。それが当たり前だろと誰かに言われれば、そうなのだけど。

 高校生は、はしゃがなきゃいけないのか。

 若者は元気はつらつでなければいけないのか。

 女子高生は可愛くなければいけないのか。

 私は頬杖をつきながら窓の外を眺めていた。

 今日も暑かったな。既に無意味な思考は捨てていた。窓の外を見ていると小さい頃に家のソファで寝転がりながら窓枠を通り過ぎる鳥の数をかぞえていたことを思い出した。昔からエネルギーの使い方がしょぼいなと思わず自嘲気味に笑いそうになった。

 松田綾の席をちらりと見た。

 今日もまた本を読んでいる。本にはブックカバーがかけられていて、何を読んでいるのか分からない。あとで何の本か聞いてみようかな。

 松田綾は意外と本を読む。普段ギャーギャーとけたましい彼女は、読書の時だけ静かで、松田綾の対義語である「佇む」ように本に集中している。

 

 教室の扉が開いた。その音に反応してみるとクラス担任の深崎だった。まだ二十代だが、まとめた髪はいつもどこかしら跳ねていて、声も低くあまり年齢相応には見えづらかった。

 深崎はまっすぐ、ある席まで行くと「ちょっといい」と声をかけた。声が低いだけではなく、それに加えてどこか覇気がないように感じた。

「わかりました」

 松田綾はそれだけ言った。


 放課後、普段はすぐに下校するのだが、今は松田綾が戻ってくるのを待っている。どうやら昼休み中に担任に放課後、職員室に来るよう言われていたらしい。

 すると、教室の扉が開いた。もう戻ってきたのかと思い、見ると木村さんと笹塚さんだった。よく考えれば松田綾がさっき教室を出たばかりだから、こんなに手早く戻ってくるわけないか。

 二人は私に気づくと「ふふふっ」と声が聞こえそうな笑みを浮かべて近づいてくる。

「ふふふっ。沖田さん、ジャスのこと待ってるの?」

 本当にふふふって笑ったな。

「うん。なんか先生に呼ばれたみたいで」

 私はそう言ってスマホに目を移すと、木村さんが私の机にお尻を軽く乗せた。

 あまり話す気はなかったが、目の前に来られてしまったら仕方なく顔を上げるしかない。

 木村さんと目が合った。瞳が大きくて不自然な気がした。そんな瞳が私を見つめている。どうして不自然 に感じたのかが不思議で、顕微鏡で微生物を観察するかのように、視線を逸らさずに見つめていると何故か木村さんは落ち着きを見失ったみたいに自分の顔の前で手を振って「やめてよー」とか言いながら立ち上がった。

 見過ぎたかと思い咄嗟に謝ると、隣の笹塚さんが仕切り直すように話し出した。

「ねえ、沖田さん。うちらのこと深崎になんか言った?」

「え? ・・・何を?」

 意表を突かれたかのようでいて、実際はそうでもない。私は頭の中で色々な想像を逡巡させる。こういう時に、女子高生は面倒くさいとよく思う。

 私の中の最適解は、無言だった。ただし、何のことを言っているのか分からないという表情を顔面に貼り付けて二人の顔を交互に見た。

「いや、別になんでもない。・・・沖田さんってジャスと仲いいよね」

「あー、まあ小学校から一緒だから」

「それ幼馴染じゃん。うちそういうのいないから羨ましいなー」

 一度止まった空気が動き出す。高校生活はこれの連続だ。空気が止まって動いて止まって動いて、本当に面倒くさいな。それぞれが話し出して、明るい声を飛ばして、その言葉らを聞きながら、頭だけがどこか別の場所で寒々と傍観していた。


 木村さんと笹塚さんが去ってからさらに10分以上経ってようやく松田綾が戻ってきた。

「帰る」

 待たせた友人に対しての第一声はそれだった。ごめんでもお待たせでもなくて、深崎と何を話していたのかも言わず、自分のカバンを持って教室を出て行く。目も合わせない。呼び止めたり声をかける隙のなさから、なにかあったのだろうとは思う。

 私は後ろ姿を追わなければいけない。何があったのかを聞かなければいけない。

 なぜなら、友だちだから。

 

 校門を出たあたりで私が口を開きかけると、松田綾はその場に止まった。そして振り返ると、「ちょっといい?」と言い、途端に帰り道とは別方向へ歩き出した。

 良いも悪いも返事をしていないのに、こちらも見ずにまた歩き出す。私がついていかなければどうなるのか。

 五分ほど歩くと橋が見えた。小さな鉄橋だ。私は来たことがない。

 車の通りはまばらだ。人はいない。舗装が所々剥がれていていて、手すりは錆びている。橋横の坂を下りると橋下に入り込める。背の高い雑草が生い茂り、綺麗とはいえない二メートル幅の小さい川が流れている。鴨もいない。が、静かだ。


「バカあああ!」


 鉄やコンクリートに反響したが、すぐ上を車が通り過ぎたおかげで、橋の段差を踏み越えるガタンガタンという音が忙しなく松田綾の叫びを打ち消した。

 松田綾は息を大きく吸う。


「バカバカバカバカバカバカバカバカバカっ! このゴージャスな私に、こんな、こんなくだらないことで、ほんとバカバカバカ!」

 

 私は松田綾の背中を見ながらその場で腰を下ろした。上でトラックが通ったみたいだ。

 その後も、松田綾は少ない息継ぎで思いの丈を吐き出し続けて、その声と言葉と、車の音を私は聞き続けた。


 松田綾は息を切らして、そのまましゃがみこんだ。ようやく終わったかと思い、立ち上がって近づくと、ツインテールと小さな肩が小刻みに揺れている。

 

 私のことはこれからゴージャスって呼びなさい!


 どうしてあの時、私に言ったのだろうか。

 運命の分かれ道と言うべきか、いや、そこまでのことでもない。でも、あそこで出会って、今、松田綾の背中を見ながら、自分の役回りというか、出会ってしまった責任みたいなものがあるのかもしれない。


「どうしたの?」

 呆れと仕方なしが同時にあって、けれどやっぱり気になるから、私は彼女の頭を撫でるであった。

 友達だからな。



 松田綾はいじめられている。

 クラスの誰かがそう言ったらしい。

 それをクラス担任の深崎から聞かされた。

 それでさっき教室で木村さんと笹塚さんが話しかけてきたのか。私が深崎に告げ口みたいなことをしたんじゃないかと思ったのだろう。


「つらいことない?」


 深崎はまずそう聞いてきたそうだ。悩みはないか、嫌なことはなかったか、クラスメイトとはどうかなど、全て人間関係に付随したことを聞かれ、松田綾は訝しめながら答えていたが、最後の最後で、深崎からいじめられていないかと聞かれたそうだ。

「木村さんと笹塚さんがね、松田さんのことをいやがらせみたいなことしてるって、そんな話があってね。そんなことないっていうならいいんだけど。でもほら、もしいじめられているんだったら、先生、力になるから。相談にのるからね」


「ふざけんな! 誰がいじめられてるって! この、このゴージャスな私がなんで!」

 

 まだ気が荒ぶっているのか地団駄を踏む。そして深く息を吐いた後、ようやく立ち上がった。

 二人並んで、ただただ何もない小川を眺めるような図になっている。

 私の退屈な時間を退屈と感じない長所がいま活かされている気がする。

 何か言葉をかけることはしなかった。言うべき言葉も思い浮かばなかったし。


「ゴージャスって大変だよ」


 すると、松田綾が口を開いた。

 さっきまでの怒声はもう引っ込んだのか、反転して今は落ち着いた声をしていた。

「ゴージャスってさ、何したらゴージャスなの?」

「わかんないよ。・・・でも私はゴージャスでいたいの」

「ゴージャスじゃなくても生きていけるし、わざわざ面倒な方に自分から行かなくてもいいんじゃない?」

「いや」

「嫌って、駄々っ子じゃないんだから」

 どんだけゴージャスが好きなのさ。

 私はため息まじりに言うと、松田綾はこちらを向いて、二度三度と目をぱちくりとさせた。あまり見たことない表情で、なんだか意表を突かれたみたいに、少し驚いているように見えた。

「私は別にゴージャスが好きなわけじゃないよ」

「そうなの? ああ、そういえばこの前、かっこいいからって言ってたよね」

「うん。かっこいい。・・・それもあるけど」

 

 私がゴージャスになろうと思ったのは、叔母さんがきっかけなの。


 松田綾はそう言って、話し始めた。



 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 私の初めてのお葬式は叔母さんだった。小学五年生の頃だ。

 私は叔母さんが大好きだった。

 だから悲しかった。とても、悲しかった。

 

 叔母さんが生きていた頃、叔母さんは私のおばあちゃんの家にいた。叔母さんはお母さんのお姉さんだ。

 私はおばあちゃんの家に行くと、一番最初に叔母さんの部屋に駆けこんだ。

 今にして思えば、その私をお母さんはよく思っていなかったと思う。


「ねえ、今日はなに見せてくれる?」

 叔母さんの部屋は六畳一間で狭くて、狭いのに、その部屋は洋服やジュエリーケース、色々な形の綺麗に包装された箱があって、壁に貼られた不可解な絵やポスターと、何より鼻をツンと刺すような甘い匂いがこの狭い部屋を貧しくさせなかった。

 叔母さんは私がやって来ると、手の甲にキスをするみたいに口元を隠しながら笑った。その笑いは嬉しそうに見えた。楽しそうにも見えた。


「そうね。今日はこれよ!」


 ハンガーラックの下を漁ると大・中・小の箱が埃のようにポロポロと零れ出てきて、どれに何が入っているか分からないけど、カラカラとコロコロと、私を夢中にさせる音だった。

 

「これはね、ダーリンとドバイに行ったときに買った物よ」


 叔母さんがゆっくりと開けた箱には、石が入っていた。形は道に落ちているものと変わらないけど、一面だけエメラルドグリーンの色をしていた。私がこれは何か聞くと、叔母さんはまた口元を隠しながら笑った。

 

「これはパワーストーンと言って、持っているだけでパワーがもらえるのよ」

「どう? ゴージャスでしょ?」

 

 パワーをくれる石がこの世界にあることを初めて知った。


「うん! すっごいゴージャス!」


 叔母さんはそのパワーストーンを私に触らせてくれた。ゴツゴツして、普通の石と同じ感触だけどエメラルドグリーンの所だけ親指の腹でなぞるとヌメっとしていた。

 

 叔母さんは次に大きな真珠のネックレスを見せてくれた。

「これはフランスで買ったのよ」

 次は金色で鎖状のイヤリングだった。

「これはアメリカね」

 次はハイヒールの靴(十センチくらいのピンヒール)

「これは確かイタリアよ」


 次々に箱を開けていくとなぜだかフランスの匂いがしたし、アメリカの感じがしたし、イタリアな気がした。叔母さんの六畳一間の部屋は、世界をぐるぐる回っていて、私を連れて行ってくれた。

 外国に行ったことがないけど、私はフランスにもアメリカにもイタリアにもドバイにも行った気になれた。

 

 お母さんに、「帰るよ」と言われるまで、私は叔母さんに色々なものを見せてもらって、色々な話を聞いた。叔母さんの話はどれも海外のことばかりで、どの話も私をゴージャスにしてくれた。

 ただ、どの話にも「ダーリン」が出てくる。


「ダーリンは、今はどこにいるの?」

「・・・・・・さあ、旅に行ってるわね」

 

 色々な物を見せながらとても楽しそうな叔母さんは、その時だけゴージャスな叔母さんではなく、おばあちゃんの子どもで、お母さんのお姉ちゃんである、私の叔母さんだった。

 私が叔母さんの部屋から出ると、入れ替わるようにお母さんが中に入る。すれ違いざまに先に車に乗っててと言う。

 私は階段をゆっくり、足音を殺して降りた。


 早く働きなさい。

 お母さんに迷惑かけないでよ。

 また、それどこで買ったの?

 お金だってないでしょ。


 私はゆっくりゆっくり階段を降りた。


 ーーーーー

 ーーーー

 ーーー

 ーー

 ー


「私のダーリンはね、すごいのよ。友達にね、お医者さんでしょ、政治家でしょ、パイロットでしょ。あとは、・・・とにかく、すごい人と友達なのよ」


 ねえ、あなた知ってる? 

 

 叔母さんは私のことを「あなた」と呼んだ。学校では「あや」とか「あやちゃん」って呼ばれることが多いから、叔母さんにそう言われると自分もどこか大人になったみたいで嬉しかった。


 私には、居場所がなかった。

 家にも、学校にもなかった。

 私は、学校の友達より体の成長が遅かった。背も低いし、胸だってぺったんこだ。

 それはどうしようもないことだけど、五年生になるとこの前まで日曜日のアニメの話をしてたのに、私が寝ている時間のドラマの話をする。何人かの女子が男子のことを「かっこいい」か「かっこよくない」かで話すようになった。こそこそと小っちゃいポーチを持ち合うようになって、それが何か聞くと、ふふふって笑う。少し胸があってブラをしている子が、家にある可愛いブラのデザインを他の子に教えてあげている。


 私の前を歩く友達が、ふふふって笑うんだ。


 きっと、ふふふの後に「あやちゃんはまだ早いのよ」と先に行く人だけが許される遅れている人を前から見る権利をつかっているんだ。

 私を見下している。

 私は、学校で見下されているんだ。


 お家に帰っても、お父さんもお母さんも仕事でいない。帰ってくるのは夜遅く、今日学校であったことも話せない。楽しかったことも嫌だったことも家に帰って誰かに話すことができない。

 私の体のことも、聞けない。

 きっとお母さんも、私が寝ている時間にやっているドラマを観たことあるし、小っちゃいポーチも持っているし、可愛いブラだって着けたことがあるんだろう。


 ああ。


 土曜日もお父さんとお母さんは仕事に行くことが多いから、私はおばあちゃんの家に行く。おばあちゃんの家の、叔母さんの部屋に遊びに行くのだ。


「ゴージャスでしょ?」


 叔母さんは毛皮のコートを着て、狭い六畳間の真ん中でくるくる回ってみせる。

 私はキャミソールに黒の短パンで、扇風機の強い風をワーッと浴びている。全開にした窓の外から「献血に協力してください」とスピーカーの声が飛んでいた。


「これは、ダーリンに初めてもらったのよ。大切な日にしか着ないの」


 嬉しそうに話していて、コートを脱ぐと中のTシャツに汗が大きく染みを作っていた。


「そうだわ。これ、あなたにあげるわね」

 叔母さんが唐突に言って取り出したのは、小さな箱で濃い青色をしていた。中には指輪が入っていた。

 手にコロンと乗るくらいの大きな宝石がついた指輪だった。


「いいの!?」

「ええ。大切にするのよ」

「うん!」


 ふふふっ。


 これであなたもゴージャスになれるわ。





 叔母さんはその二日後に部屋で自殺した。


 私が初めて出た葬式は、叔母さんだった。

 棺の中で仰向けに眠る叔母さんは、私の知っているゴージャスな叔母さんではなかった。

 どうしてだろう。生きていた時、私に話をしてくれた時の叔母さんはこんなんじゃなかった。 


 私が斎場の入口横にある植え込みの前でしゃがみながら色々と考えていると、少し離れたところで知らないおじさん、おばさんが話している。


「気の毒ではあるけど、曽井さんも少し楽になったんじゃない」

「おいおい。不謹慎だぞ」

「けどさ、四十過ぎで引きこもりで、しかも親の金を使って」

「ああ、なんか高そうなの買ってたみたいね。お洋服とか宝石とか」

「親の金食いつぶす前でよかったじゃない」

「だから不謹慎だって」

 

 よく分からなかったけど、叔母さんはきっと嫌われていたんだ。そう思った。

 お母さんも叔母さんのことは嫌いだったんだ。

 ケンカしてたし。

 私はずっと持っていた指輪をポケットから出した。

 叔母さんからもらった指輪だ。手の中で転がしてから試しにはめようとしたけど、私の指ではスカスカだった。


 叔母さんの葬儀が終わって数日後に、私は叔母さんの部屋の片づけにやってきた。

 お母さんは一人で行くつもりだったみたいだったけど、私が一緒に行きたいと駄々をこねて無理やりついてきた。

 久しぶりに叔母さんの部屋に入ると、今まで気づかなかった畳の匂いがした。

 叔母さんは、どこか甘くて少し酸っぱい匂いがいつも部屋中にあったのに、叔母さんがいなくなると、本当にここは、ただの畳のお部屋だったんだなと思った。


 お母さんは大きなゴミ袋にどんどん物を入れていく。服だろうが箱だろうが宝石だろうが関係ないみたいに目についた物を片っ端から入れていった。その時のお母さんの顔は、私の言葉でどうやって言い表せばいいのか分からない。けれど一番感じたのは、痛そうだった。

 私は溜まったゴミ袋を下の玄関に運んで行った。お母さんはなんでもテキパキやる人だから、大きな引き出し以外はあっという間に綺麗になっていて、今は掃除機をかけ始めている。私はもう手伝えることがなくなったから、玄関に並ぶゴミ袋の中を覗いていた。

 ゴミ袋の中は、叔母さんのゴージャスが全部つまっている。そう思うと袋に収まるゴージャスってなんなんだろうって思った。

 そもそも、はじめからゴージャスとはなにか分かっていない。


 でも、叔母さんに教えてもらえば・・・。


 ・・・そっか。


 叔母さんはいないのか。


 お葬式では不思議と涙が出なくて、出ないことを心配していた私だったけど、目からぽつぽつと、降り始めた雨みたいに私の足に落ちてきた。

 よかったと思った。

 二階の叔母さんの部屋だった場所から掃除機の音が聞こえる。

 それが聞こえなくなるまでには涙が止まりますようにと願った。


 ゴミ袋の中を分別している時に、茶色い封筒が出てきた。それが元々どこにあったのかは分からないけど、ゴミ袋から出てきたということは叔母さんの部屋にあったものだ。

 けれどそれは、無地の茶封筒で叔母さんの部屋には合っていないものに感じた。お母さんは外で電話をしている。たぶん仕事先からの電話だと思う。玄関の扉越しに強い言葉で何か言っているみたいだったから。

 私は、もしかしたらと思ってその封筒を急いでポケットに入れた。お母さんが電話が終わって戻ってきたけど、封筒のことは言わなかった。

 片づけが全て終わって、帰る前に叔母さんの部屋に行った。


 空っぽだった。


 ハンガーラックやタンスはおじさんたちが運んでいったし、壁に飾られていたよくわからない絵やペナントや世界地図も全て剥がされている。


 叔母さんの部屋は、なくなっちゃった。




 家に帰った後、自分の部屋で封筒を開けた。

 もしかしたら、叔母さんからの手紙かもしれない。

 ドキドキしながら封筒の中を見ると、紙が入っていて、それは折りたたまれていた。


 ゆっくり開いていくと、そこには一言だけ言葉があった。


 いきたい


 その字は小さくて、頼りなかった。

 自由帳の一ページくらいの紙にその一言だけがぽつんとあった。


 いきたい


 私は封筒をもう一度のぞいた。他には何も入っていない。


 いきたい


 私は封筒に紙を戻そうと思ったが、気づくと手が震えていた。

 上手く入れられなかった。


 いきたい


 私は、手紙から手が離せず、きっと叔母さんの最後の言葉であろうその一言から目が離せなかった。


 いきたい


 これは、叔母さんの願い? 遺言? いきたいって、生きたいってこと?

 叔母さんは、生きたかったんだ。

 じゃあ、どうして自殺なんてしたの?


 ずっとゴージャスって言ってたのに。


 叔母さんがどうして自殺してしまったのかは分からない。誰も教えてくれない。

 でも、一つだけ確かなことは叔母さんを忘れたくないと私は思っていることだ。

 私の中から消えないでと祈っている。

 そのために、私は、ゴージャスになるんだ。



 だから次の日、隣の席の子に宣言したんだ。


「今日から私のことはゴージャスって呼びなさい!」




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