やったあ! 女を捕らえたぞ!
■ やったあ! 女を捕らえたぞ!
雪乃を乗せた車を一時間近く追いかけ続けた。見失わないように目を凝らしていたせいか、追跡している最中は誰も口を開かなかった。不審者の車が細い一本道の森の中に入って行ってしまったため、車を一度停めた時にようやく、「あっ、警察に連絡しなきゃ」と思い出した。
「よし俺が警察に電話する。皆はくれぐれも車から降りないように」
夕臥さんはそう言って携帯電話を取り出し、連絡を始める。私とアサヒンは車内から道の先を見て、この先に何があるのかと思い、考えていると、バッと隣のドアが開いた。見れば手にスナイパーライフル(モデルガン)を持つひよりんが車から降りていた。
「ちょっ」
制止しかけた私に、「梨中が様子を見てくる」と先に遮られ、私たちの返答も待たずにスタスタと行ってしまう。
「どっ、どどうしよう! ひよりん行っちゃった! お、追いかけないと」
「ったく。物音立てずに追いかけるぞ。兄貴も電話終わったら来てくれ」
アサヒンに続いて私も一緒に降りると、森の一本道を進んでいった。
木々の間を申し訳程度に舗装された一本道を抜けると、開けた土地に辿り着いた。たしかさっき車のカーナビで見たとき、ここが町の端にあたる場所なのは覚えている。だだっ広い空間にポツンと廃工場があった。車も人っ気も当然ない。周囲を森に囲まれた場所だ。
廃工場の前には雪乃が乗せられた車が停まっていて、ここにあの不審女がいることは間違いなさそうだ。そして、雪乃もおそらく。
・・・既に車から降りたあとのようで誰も乗っていない。あっという間に着いていたひよりんは、既に廃工場の壁に背を預け、さながら潜入ミッションをするスパイのような動きで肩口からチラリと工場内を覗き伺っている。私とアサヒンは姿勢を低くして足音を消して近づいた。それに気づくと慎重な手つきでモデルガンの弾倉を確認して、傍まで来た私に「あれ」と小声で言った。
恐る恐る覗き込む。一瞬、息が止まった。雪乃がなにかの台の上に寝かされていた。台の形は、言い表しにくくて、一番近いのは祭壇のように見える。
ガラガラと砂利の上を台車が通る音が聞こえた。祭壇よりも奥の方から、台車を押す女が現れた。服装は上下黒色のウィンドブレーカーで、看護師の装いから変わっているとはいえ、それは雪乃を拐った看護師であり、また病室の前にいた不審女と同じだった。
そいつは雪乃の傍らに立つ。腕を軽く持つと、ジーッと見てはそっと置いてみせ、台車の上には注射器があった。明らかに、危機が眼の前にあって、確実に進行していた。
「・・・どうしよう」
思わず声が漏れて、すぐに自分の手で口を押さえた。ドキドキと胸が高鳴る。
「諸君、梨中に作戦がある。今考えた。名付けてオペレーション・・・」
「・・・オペレーション。なに?」
「オペレーションという作戦名」
「逆に斬新かよ」
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不審女は、雪乃の袖をめくる。指でスッと撫でたあとまた戻した。台車には数本の注射器とフラスコが置いてある。そこから注射器を一本取った時、小さな破裂音がして、不審女の手にモデルガンの弾が当たった。
女は一瞬何が起こったのか分からない様子で、打たれた右手を押さえながらもひよりんの方にゆらりと立ち上がり向き直る。
「・・・ーー」
女はボソボソとした口調でなにか言っている。こちらには聞こえない。ひよりんの耳には届いているのだろうか。
「問おう。なにが目的で雨ちゃんの姉を拐った」と、ひよりんが訊ねると、女の声は徐々に大きくなっていくようで、イントネーションも不安定であった。
「ーー・・・と思うだろ。だからこれはっ! 救済のための礎だ!」
・・・きゅ、救済? いったいこの女は何を言っているのだろうか。だけどこの不審女がおかしいことだけはわかる。
「・・・『行間をつく』というゲームで出てくる中ボスの名前が救済執行天国さんというのがいた。ちなみに行間をつくはアクションゲームで、聖書の行間に湧き出てくる異形の敵を羽ペンで塗りつぶすゲーム。ただバグによって敵が見えないという現象が発生して炎上したクソゲー」
ひよりんは「救済」というワードから引っ張られてゲームの話を始める。それはもう学校の昼休みに話している図と同じだ。そのせいか、ツラツラと話し一瞬、周囲の緊張感が緩んだ気がした。その時、ひよりんが右手を挙げた。私たちは一斉に女の背後から飛びかかった。
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夕臥さんが、女の背に膝をつけて押さえながら腕を掴んでいる。女は意外にも暴れたり抵抗する様子はなく、ただジッと、こちらを見ていた。まさかこうもあっさりと取り押さえることができるとは思わなかった。まだ私の心臓はドキドキしている。
私は床に落ちていた注射器を手に取った。雪乃を見ると、怪我をしているようには見えず、ただ眠ったままだった。
「それに、さわるな」と、女が低い声で言った。
「・・・どうして、姉を」
そう口からついと出てくると、言葉を繋ぐ処理がおかしくなったみたいに、私はツラツラと、どうして姉をさらったのか、あなたが連続通り魔事件の犯人なのか、この注射器はなんなのか、と矢継ぎ早に溢れ出ていった。たぶん、ようやく起こったことの異常事態が、私に遅れてやってきて頭を混乱させたのだと思う。アサヒンの手が肩に触れなければ、このまま取り乱しておかしくなってしまったかもしれない。
「あっ、ご、ごめんアサヒン。なんか今になってなんだか混乱しちゃって」
そう私が言った時、不審女が急に動き出した。驚き、目を見開くのも束の間、女は体をグルンと回転させ、まるでブレイクダンスのように、しなやかに自身の足を夕臥さんの足に絡ませ体勢を崩すとその反動で立ち上がり、素早くポケットから小型のナイフを取り出した。そして夕臥さんの首に当てつける。
「注射器を、返せ」
呆気にとられ何が起こったのか一瞬、わからなかった。女は続けて「返さなければ、こいつを殺す」と言う。私たちの隣に来ていたひよりんがモデルガンを構えようとするも夕臥の肩にナイフを迷わず突き立てた。
「うぐあっ!」
「兄貴っ!」
夕臥さんは刺された肩を押さえてジタバタと体を動かす。手の隙間から赤い血が滲んで見える。
「まずその玩具を捨てろ」
私がひよりんを見る。頷くと足元に置いた。
「・・・注射器をよこせ」
女はまた言った。
今の状況から、私はどうすればいいのか。
気づけば手が震えていた。アサヒンがまた肩にそっと触れると頷いている。
私は一度深呼吸をして頷き返すが、足が固まってなかなか動き出せない。心臓が早鐘を打ち付けて、首から上だけが変に熱い。なのに手足が冷たい。
すると、女が口を開いた。
「・・・呪いを治す、ためだ」
「え?」
いったい何のことを言っているのか、分からなかった。女の掠れた声は、続けて話す。
「お前たちに信仰は、あるか?」
私は言葉がスッと出てこず、口の中が乾いている。なにか察したようにアサヒンが「信仰? それがなんの関係がある」と聞いた。
「この世界は病気だらけだ。この世に産まれ落ちてから死ぬまで、人は病気に罹り続けている。・・・私はね、それを治して、正常にしてやろうと思ったんだよ」
「あんたはいったいなに言ってんだよ。頭おかしいじゃないか!?」
アサヒンがつっかかるように言う。不審女の足元には肩を押さえて呻き苦しんでいる夕臥さんがいる。きっと、アサヒンは不審女に対して殴りかかりたいほど、怒りの感情は確かにあるはずなのに、たぶん状況を悪化させないように、堪えて冷静に務めている。私は、そんなアサヒンを尊敬する。覆い被さる恐怖のせいで、怒りに任せて飛びかかることも、冷静に状況を判断することもできないからだ。
「そうだな。私は頭がおかしい。だが、この世界も十分におかしい。お前たちも何を自分が普通だみたいな顔をしている。みんな狂っている、みんな呪われている、みんな異常なんだよ! 特別を迎合し、特別を排他する。特別に煽られている人間を見ると吐気を覚える!!」
不審女は徐々に語気を強めて言う。フードで顔はよく見えないながらも奥にある瞳がギラついて、目が血走っているのか、それは赤黒く、異様さを際立たせている。不審者では言い表せられない。既に化け物じみている。
「だから私が治すんだ! この異常な世界を正常に、誰しもが普通に産まれ普通に生きて普通に死ぬ世界に治してやるのさ!」
声高らかに、工場内に響くようだった。
・・・・・・
・・・・・・
・・・・・・
「普通。・・・普通はつまらないよ」
それは、ひよりんが言った。
「ああ? ・・・なんだと?」ゆたりと首を動かして、女は睨みつけている。ただ、ひよりんはお構いなく、怯むことなく言葉を続ける。
「普通のゲームはつまらないから。王道とかご都合展開は好きだけど。この先なにがあるかわからないドキドキや何度も繰り返し繰り返し地味なレベル上げしたり、そうしてようやくクリアできたり、楽しいも苦しいもなにもない、無味無臭なゲームは、すぐに飽きちゃうよ」
やっぱり、休み時間に私達が話すみたいに、いつものひよりんだった。
「くだらない」と、女は一笑に付すように吐き捨てた。
隣で一歩、アサヒンが前に出る。
「おい。あんたがどういう人間なのかまったくわからないし知りたくもない。私の好きな漫画にもこの世の全てを破壊しようとする悪役がいるけど、そういうやつは大抵、主人公の強い好きに負けるんだよ。・・・ああ、そうだ。私たちとあんたは無関係だ。無関係のあんたに人の好きなものをくだらないと言われる筋合いはないんだよ!」
「・・・・・・」
不審女は黙っている。ひよりんとアサヒンの言葉を、どういう感情で聞いているのかはわからない。
「・・・どうでもいい。 ほら、さっさと注射器を持って来い」
蹲る夕臥さんを足で軽く押した。アサヒンがギリッと噛みしめる。拳を握りしめ、怒気を纏って今にも突っ込んでいきそうだ。
私は振り返り、眠っている雪乃を見た。
そうだ。私は、お姉ちゃんを助けるためにここに来たんだ。
雪乃は、変わり者だ。妹から見てもそうだ。だってせっかく才能を認められていたのに、よくわからない探偵事務所に入っちゃって、過去も今も、本当によくわからない道によくわからないことをしながら歩く人だ。
けど、優しいお姉ちゃんだ。
私が、中学生の時に初めて好きな人に告白をして、振られた時に、優しく頭を撫でて慰めてくれた。
普段は呆れることも多いけど、それでも大切な家族だって、それが心に染み渡って思い出として重なっているから。
私は一歩、一歩と女に近づいた。そして女の前までいくと注射器を差し出した。女はスッとナイフを除けると素早く注射器を受け取る。この時、初めてしっかりと女の顔を見ることができた。雰囲気と声から想像していた容姿よりもずっと若く見えたことに驚いた。
ふわりと、花の匂いが鼻についた。
すると、サイレンが聞こえた。皆がそれに反応して、気がつく。警察のパトカーの音が近づいて来ている。私と女は見つめ合っていた。助けがきたにも関わらず、ズブズブとした不安感が拭われない。遠くで反響するサイレンが、ゆったりと聞こえる。女の口が開くのを見て、唾を一つ飲み込んだ。
それは、笑みを浮かべているようにも見えた。
「・・・お前は、あの子たちのように好きなものはないのか?」
「え? ・・・あ、あります。・・・ある」
「・・・・・・」
「私は、・・・全部が大好き。友達も家族も好きだし、学校も教室もクラスメイトも好き。ひよりんとゲームの話をするのも、アサヒンと漫画の話をするのも、大大大好き! 私は、自分以外、ぜんぶ大好き。
地味でちんちくりんの可愛くもないし取り柄もない私は、私のことが好きじゃない。だけど、そんな私なのに、私の周りには大好きなもので溢れている。こんなに幸せなことはない。この世界は好きで溢れている。だから、その、私の、大好きなものを汚さないで!」
こんなに心臓が早く鳴るのに、口の中は乾いているのに、ずっと心に決めていたことのように言葉が出てくる。
「・・・そうか。・・・可哀想にな。こんなにも、綺麗な瞳をしているのに」
不審女がそう言うと、それが当然かのように、注射器の針を、私の腕に刺した。
「え?」
痛みよりも何よりも、起こったことが分からない。ただただ自分の腕と注射器と、不審女を交互に見た。
注射器は押し込まれ、中の液体が体内に注ぎ込まれていく。
聞こえるはずのない液体が流動するコポリという音が、聞こえた気がした。
どこか周りの時間がゆっくりと流れているように感じた。
これが走馬灯なのかなって、思った。
アサヒンとひよりんは目を見開いている。
夕臥さんは変わらず肩に手を当てながら目をキョロキョロと動かす。
私は、ゆっくりと流れてくる液体の揺らぎと自分の呼吸が重なるような心地と、徐々に視界の端から少しずつぼやけていく感覚を起こしながら、見た。
不審女は、私にしか聞こえない声で囁いた。
「私の名前は、フラン。3時におやつが食べたかった。それだけの人間だよ」
私の視界は暗転したのだった。