もう既に始まっていた
■ もう既にはじまっていた
朝から快晴。清々しい晴天が教室の窓から広がっている。昼休みになるといつものように窓際側にある私の席の周りに二人が集まり過ごしていると、ひよりんが「・・・そういえば」と話始めた。それは、最近この町で頻発している『連続通り魔事件』についてだった。
「通り魔って、まだ捕まってないんだっけ?」
アサヒンが紙パックのジュースを飲み干すと口でストローを引き抜きつつパックを握りつぶした。
「そうみたいだね。男女問わず老若男女で被害に遭ってる人がいるみたいだから、怖いよねー。ひよりんはそれで、その通り魔事件がどうかしたの?」
ひよりんがゲーム以外の話をするのは珍しい。確か私の見聞きしている情報だと、先々月くらいから事件が起こって、徐々に被害者が増えているらしい。まあそれくらいしかニュースで報道されていない。
「昨日、梨中がFPSしてたら”ラクダ”がその事件のこと話してて、ラクダの友だちが通り魔の被害者で、警察と探偵から聞き込みをされたって、言ってた」
「・・・探偵」と、ひよりんの言葉から、一瞬、姉の顔が頭に浮かんだがすぐにアサヒンが言葉を返したため、姉の顔はピュンとどこかへ飛んでいってしまった。
アサヒンは腕を組みながら椅子を後ろに傾けている。
「へえ、意外って言ったらあれだけど、身近にも被害に遭った人がいるんだね。ってかラクダってなに?」
たぶんゲームのハンドルネームかなにかなのだろうと想像しながらも、ひよりんはその質問には答えず、「・・・サスペンス帝王への挑戦状」と、疑問とは関係のないことをポツリと言った。
「なにそれ?」
「レトロゲー。というかクソゲー。主人公の轟清十郎は探偵がとある洋館で起こった連続殺人事件の解決を目指すミステリー。と見せかけたギャルゲーという犯人を逮捕するためになぜか女の子の好感度を上げる必要があるという謎仕様。だけどそれが、梨中はクセになる」
「相変わらず、ひよりはマニアックなゲーム詳しいな」
「・・・ん、じゃあ家くる? 雨ちゃんもおいで」と、ひよりんは手招きするみたいにしている。どういう脈絡で「家にくる?」と思い至ったのかはわからないけど。
「えっ! 行きたい! 行く行くー。じゃあ明日さ、みんなで久しぶりにお泊りはどう?」
「おけ」
「まあ、いいけど」
ということで、明日は金曜日。みんなでひよりんのお家にお泊りすることになった。
私の姉、石神雪乃は現在、二十歳。そして、探偵事務所で働いている。ひよりんから出た通り魔事件の話、探偵というワードを聞いて、ほんの少しだけ喉の下あたりがキュッと締め付けられた。かくいうのも、姉の雪乃は今、石神家にとっての悩みの種となっているからだ。
まあ、雪乃のことで両親が頭を抱えるのはいつものことなんだけどね。
雪乃は高校を卒業すると服飾系の専門学校に進学して、そこでかなり有名なコンクールで大賞をとった。周囲からは大手企業への就職、美大への進学や海外留学と、色々な可能性の期待を受けていた。それなのに、雪乃はその全てをまるっとひっくり返して、どこがどう繋がったのか探偵事務所に就職して、そこで助手として働いている。その選択に両親は喧々囂々の、本当にちゃぶ台はひっくり返され、荒ぶる茶の間、湯呑みが宙を回転、ガーガーのギャーギャーという時期があったからだ。私自身、姉のことは大好きだし、もちろん両親のことも好きだ。だから家族、仲良くしてもらいたいものだけど。
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金曜日、学校が終わったあと、一度帰宅してからアサヒンと待ち合わせをして一緒にひよりんの家へと向かった。ひよりんはマンションで一人で暮らしている。とても立派なマンションで外観も大きく一目みて高そうな部屋だとわかる。そんな立派なマンションにどうして一人で暮らしているのか、初めて遊びに来た時に軽く理由を聞いてみた。家族はみんな海外にいるとだけ話した。なんとなく、私もアサヒンもそれ以上は聞いていない。
「お邪魔しま~す」
玄関でひよりんが出迎えてくれる。服装は部屋着に変わっていて上下が黒のジャージだ。
「ほら、食べ物、飲み物、お菓子などなど買ってきたぞー」
アサヒンと家にやってくる前に近所のスーパーで買い込んできた。招かれてズンズンと居間に入ると本来広い空間のはずなのに、所狭しと物やゴミが敷かれている。
「ちょっとひより、この前掃除してあげたのになんでもうこんなになってるのさ!」
「しょうがない」
「いやしょうがないじゃないよ。もう」
台所にスーパーの袋を置くと、私とアサヒンで掃除を始めることにした。家事全般が壊滅的なひよりんであるため、時折遊びにくるとこうして二人で掃除をしてあげている。とはいっても先週遊びにきて掃除したばかりだというのに、どのように生活したらこんな有り様になるのだろうか。「ほら、ひよりんも手伝って」と言い床に散らかった雑多なゴミたちをポイポイ拾いゴミ袋に入れていくが、ひよりんはゲーミングチェアに背中を預けている。
一通り掃除を終えると(ひよりんは早々に一人でゲームをしている)私とアサヒンでご飯作ることにした。
「アサヒンは見た目に反して料理上手だよね」
「どういう意味だよ。ハヤシライスくらいなんてことないだろ」
アサヒンは包丁で野菜を切っていく。今つくっているハヤシライスはひよりんからのリクエスト。二人でせっせと作っているが、隣でテキパキと手際よく動かす様は、ひと目で作り慣れているのがわかる。
「家で手伝わせるからさ。大抵のものはそれなりにできるんだよ。まあ、そこまでクオリティの高いもんはできないけどね」
アサヒンの家は食堂を経営している。学生から社会人、家族連れ、高齢の人まで幅広いお客さんで溢れている町で人気のごはん屋さんの一つ。何度か食べにひよりんと行ったことがあるけどかなり美味しかった。その時にアサヒンがお店の手伝いをしている姿を見たことがあった。
ふと隣を見る。アサヒンの横顔はいつ見ても思う。綺麗な顔だなあ。
「ねえ雨子、米研ぎ終わったら切ったやつ炒めてって・・・? なに?」
「あっごめんごめん。いややっぱさあ、アサヒンって美人さんだよね。それでいて料理もできてってなったらもう、完璧じゃん。パーフェクトクールビューティーじゃん!」
「別にそんなんじゃないし。やめてよそのパーフェクトグールキューティーみたいに言わないでよ」
「いや逆になにそれ、完璧な食人鬼ってなにさ」
「呂久呂首雄先生の最新作。ガチでおもろい」
「へえ、どんな漫画なの?」
「人間に恋したグールが自分の醜さを嫌って頑張って可愛くなろうとするラブサイココメディだよ。そのグールが可愛くなるために色々試行錯誤するんだけどそのなかで可愛い物や人を食べていくんだよね。その描写がグロおもしろい」
「えー、いや、んー。面白そうっちゃ面白そうだけど。そのグロ面白いっていう感想はじめてだよ。てか私グロいの苦手だわ」
「わからんかあ」と、アサヒンは短く笑みをこぼしながら手を動かす。
アサヒンは、モデル顔負けのルックスとスタイルをもっている。背は高いし、小顔のせいでいったい何頭身なんだって感じだし、足も細くてスラッと長い。キリッとしていて少し近寄りがたい雰囲気はあっても、まるで高嶺の花を具現化したみたいな人間が、同じオタク趣味をしていて、地味な私とこうして一緒に並んで料理をしているのは、少し不思議だ。この感覚は、時折ある。友だちでいることに感謝している自分と、本当に私が友だちで良いのかなって思う自分がいる。そんなことを考えていたからか、「はあ」と溜息が出ていた。
「・・・ほい雨子、口開けろ」
「ふぇ?」
口の中に程よい酸味と甘みが広がった。さっきスーパーで買った苺だ。
「ひよりの家事手伝ってやってるんだから。つまみ食いくらいのお駄賃もらってもいいだろ」
そう言ってアサヒンも苺を一つ口に頬った。モグモグと咀嚼していると、台所の向こうからヒョコッとひよりんが顔を出す。ジーッと苺のパックを見つめている。
「ひよりはまだ駄目だ。働かざるもの食うべからず。夕食まで待ってな」
すると今度は視線を私に移す。そして口をあんぐりと開けてそこに入れろと物言わず言っているようだ。
「もう、ひよりんはしょうがないなあ」
苺を一つとりヘタを取って口に入れてあげた。ひよりんはモシャモシャと頬を膨らませながら咀嚼して飲み込むと、満足したのかまたゲームをしに戻っていった。
「雨子はひよりに甘すぎだ。掃除だってうちらでほとんどやってるし」
「まあまあ、なんかひよりんって小動物みたいだし。庇護欲かき立てられない?」
「はあ」と、アサヒンはやれやれと言いたげな様子で首を横に振った。手元の鍋から玉ねぎの甘い良い匂いが立ち込めてきた。
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夕食のハヤシライスを美味しくいただき、順にお風呂に入り、その後、3人で苺をつまみながら気になっていたアニメを観ることにした。アサヒンは「あの作画が・・・」「この監督のは・・・」と訳知り顔で語っている。ひよりんは自分のゲーマーセンサーに引っかかるシーンを見つけると、そのゲームの解説を勝手に話し出す。
「いつも思うけど、二人とも作品に集中できてるの?」
「「もちろん」」
二人揃って頷く。小皿に盛った苺が全てなくなると今度は「アイス食べる?」とアサヒンは自分の家のように冷凍庫からカップアイスを3つ持ってきてくれた。少しお腹が気になったが今日は特別だと自分に言い聞かせて受け取る。
ああ、至福だなあ。
美味しいご飯を食べて、湯上がりに友だちとアニメを観ながらアイスを食べる。と、しみじみ思いふけて気づかぬうちに顔がニヤついていたみたいだ。
「雨ちゃんの顔がふやふやに腑抜けてる」
「そりゃあねえ。アニメを観ながらぬくぬくアイスを食べるっていうのは、自分の家でもなかなかできないよ。ウチのママンだったら、やれ宿題しろ、やれ家事を手伝えってな感じで、ゆっくりさせてけろってねえ」
「まあウチも似たようなもんだよ」
「あっ、ていうかあれじゃん。来月テストあるじゃん。なんかこの前テストやったばっかな気がするのにー。なんでこうサイクル早いの。あーあ、二人はいいよね。成績いいし」
「私は普通。この前のテストはたまたま良かっただけだし。それで言ったらひよりだろ。特に勉強してる風でもないのに、ほとんどの科目で一位だったんだろ?」
そうひよりんの方を見てみると美味しそうにアイスをムシャムシャ食べている。たぶんひよりんにとって学校のテストなんてものは些末なものなんだろうな。
「あっそうだ。雨子のケータイ。風呂入ってる間に何回か鳴ってたよ」
するとアサヒンは思い出したように言った。見てみると着信が数回と入っていて、全て母親からだった。
「あれ、お母さんからだ。なんだろう。・・・ちょっとかけ直してくるね」
私は玄関の方に移動して折り返した。しばらくコール音がして、繋がった。お母さんは慌てた様子で私の名前を言った。
「雨子! た、大変なの!」
普段聞いたことのないお母さんの様子に、反射的に「どうしたの!?」と聞き返すと、お母さんは少し震えた声で「雪乃が・・・」と話し始めた。
雪乃、私の姉は通り魔に襲われた。