勝手にしやがれだわ! ~本物の聖女は卵でした~
なんとなくの思いつき。
「……もう一度、おっしゃっていただけますか?」
「……愛妾に子供が出来た」
唖然とする応接室。豪奢なビロード張りなソファーに腰掛ける二人は、この国、サザライトの王太子と妃である。
といっても肉体関係のない清い間柄。
聖女召喚などというベタな展開で拉致られた少女を妃に迎えただけの王太子。
複雑な顔で俯く彼の前には、おっとりとした黒髪黒目の妃がいた。どちらかというと綺麗系でなく可愛い系の愛嬌がある顔立ちの彼女は名前をマドカという。
突然の異世界召喚で日本から拉致られ、これまた、いきなり聖女として崇め奉られ、あれよあれよと言う間に王太子の妃にされたのだ。
なんでもこの国の伝承で、異世界より招いた聖女は国を幸福にするとか何とかの言い伝えが残されていて、戦後の荒んだ国を癒やしてもらおうと、伝説でしかない聖女召喚に挑んだという。
正直なところ王国側も半信半疑。眉唾だと思う者も多かったが、やるだけならタダだと試してしまったらしい。
『申し訳ありませんっ!!』
開幕、テーブルに頭を打ち付けるかの勢いで謝罪した王太子。これがマドカと彼の出逢いだった。
『まさか、本当に召喚出来てしまうとは……… 戦で暗く落ち込んだ我が国に、少しでも希望を持たせようと…… お祭り気分の延長のような気持ちで……』
しどろもどろに説明する王太子。
一人の人間の人生を台無しにしてしまった、何でもすると懊悩する彼は、マドカの後見人を引き受け、自分が一生面倒を見ますと断言し、そのまま彼女を娶ったのだ。
周りの圧力もあったのだろう。せっかく招いた聖女だ。国に貢献して欲しい。そんな思惑もあったに違いない。
かくして大々的に結婚式をあげ、妃となったマドカだが、一年たち、二年たち、今年で三年となるにもかかわらず、彼女は何の力も発現しなかった。
何かしらの恩恵を期待していた王宮の人々は落胆し、マドカに対して少しずつ疎ましげな雰囲気を醸し出す。
勝手だよなぁとマドカも思うが、それも人情。
一般庶民で特別な知識もない、特に優れた美貌でも妖艶な身体なわけでもない、後ろ盾すらない世間一般に埋没しそうな自分が、王太子の傍らにいるのが変なのだ。
だから、こうして王太子が別の人間を懸想しようとも、なんとも思わない。元々聖女との清い婚姻だ。彼が別の女性に慰めを求めたとしても致し方のないこと。
顔が見えぬほど項垂れた王太子に軽く微笑み、マドカは天使のラッパを聞いた気分だった。
むしろ気が楽である。これでようよう御役御免、静かに退場できると。
勝手に召喚して、勝手に落胆して、勝手に厭うて。さらには浮気ですかっ? もっと早くにして欲しかったわね。
そっちがその気なら、こっちも勝手にやらしてもらいますっ!!
こんなこともあろうかと、マドカは準備はしておいたのだから。
「勝手にしやがれですわ。お幸せにね」
ばっと王太子が顔を上げるが、その視界には扉から出ていこうとするマドカが映るだけ。
「ま…っ!」
驚き立ち上がる王太子を余所に、無情にも扉が閉められる。マドカがニヤける顔を必死に隠そうとしていたなど、今の王子に知るよしもない。
「なあっ?! どういうことだよっ!!」
全力で叫ぶのは先程の王太子。
「アンタが試したりするからだろうが、このヘタレ」
「愛されてるか分からない、確証が欲しい。どうしたら良い? ……なんて、悩んでいたのは知っていましたが、まさか、こんなバカをやらかすとは」
「聖女と認められたら神殿に渡さなきゃならない、どうしよ〜っとも泣いてましたね。認められなかったみたいですよ? どうもしなくて良かったのでは?」
じっとり三白眼で見据える側近三名の呆れた眼差し。
炙るような彼等の視線を項垂れた脳天で受け止め、王太子は吠えるように叫んだ。
「んなこた、分かってんだよぉぉぉーっ!!」
よぉぉー、よぉぉー、っと彼の魂の雄叫びが王宮で谺していた頃。とうのマドカは神殿を訪れる。
「すいません、アタシは聖女になれなかったみたいです」
南無南無と拝みながら誰へとでもない報告をするマドカ。
生活費がわりに引き受けた毎日のお祈りと民への奉仕。この三年間欠かさずやっていた御勤めも、これが最後だ。
そう思うと、少し名残惜しいわね。
長く親しんだ場所に別れを告げ、彼女は忽然と姿を消す。神殿前で待っていた護衛や侍従らにも分からないよう、煙のごとくマドカの消息は途絶えた。
当然、王宮&神殿は大パニック。
「探せぇぇーっ!!」
涙目で絶叫する王太子。
「お探しせよっ! 聖女となられる方だ、神託に間違いはないっ!!」
おヒゲを震わせて吠える大神官。
かくして、上を下への大騒ぎが各所で勃発し、心無い噂を撒き散らした者らが洗い出された。
「で? そなたらはマドカに何をしたのだ?」
魔王のごとき覇気を醸して仁王立ちする王太子。
彼が調べた結果、なんと婚姻を司る神殿の一部が、マドカと王太子の離婚を了承していたことが判明した。それに王宮も加担している。
「……本人の要望です。その……王太子殿下の愛妾に子供が出来たと…… その方を正しく妻にするべきだろうと」
不可思議顔で首を傾げる神官。事は王家の進退にかかわる。早急に処理してくださいとマドカに言われ、相手は聖女様なのだし真実の夫婦ではない。だから良いだろうと彼女に言われるまま処理してしまい、離婚証明書を発行したとか。
悪気ない顔でオロオロする神官の邪気のなさに、王太子の何かがブチっと切れる。
「もう良い。次を入れろ」
神妙な顔で頷き、側近は廊下に待たせていた貴族達を呼んだ。
「そなたらはマドカのことを役立たずな妃とか言っていたらしいな」
一瞬、顔を強張らせた貴族らだが、すぐに取り繕い背筋を正す。
「そのように直接的ではありませんが、似たようなことは申しました。何の国益にもならぬ妃です。間違ってはおりませんでしょう」
ふてぶてしく開き直る貴族達に王太子は頭が沸騰する。だが、その言葉も確かに間違っていない。王太子が後見しなくてはならないほどマドカは無力な人間だ。彼らが不満を持つのも理解出来る。
……ただ、その前提が間違っているのだが。
「そうしてしまったのは誰だ? 彼女から全てを奪い去り、無力な人間にしてしまったのは、我が国ではないのか?」
言われた意味が分からないとばかりに眉をひそめる貴族達。彼女に対する悪意を王太子は知っていた。心無い者がマドカを冷遇し始めたことも。
だから確認したかったのだ。彼女の気持ちを。自分と生涯ともにあってくれるかを。
下世話な方法を用いたのは否めない。それでも、怒るか嫉妬するか。せめて罵るくらいはされるだろうと期待していたのに。
結果は完全な無関心。見事スルーされたあげく、後処理まで鮮やかに始末された。
「分からんのかっ?! 我が国が問答無用で彼女を拉致し、この国に拐い、家族も祖国もこの先の人生も、全てを奪ってしまったのだろうがっ!」
凄まじい剣幕の王太子に固唾をのみ、ようよう言われた意味を理解した貴族達はバツが悪そうに眼を逸らす。
そんな奴等を忌々しげに睨め下ろし、王太子は側近らに指示を与えた。
「神殿はマドカを諦めていない。聖女召喚とともに神託がおりたらしいからな」
「『聖女となる者が降臨した』ですか?」
コクリと頷き、王太子は三年前の召喚時を思い出した。
『ふえ?』
まさか本当に喚べるとは思っていなかった王宮各位。際立った美貌や肢体なわけではないが、出逢った瞬間の惚けた顔を彼は今でも忘れない。
現れたマドカに国中が歓喜する。それと同時に神殿から届いた神託。
『聖女となる者が降臨した』
やってきたマドカとコレを繋げない者はいない。
全力で謝罪する王太子だが、マドカは比較的冷静で、どこか住み込みで働ける所の斡旋をお願いしたいとか、何かやれる仕事はないかとか、えらく現実的なことを口にした。
『仕事がないと食べられませんから。人並な生活が出来るよう手伝ってください』
……悪いと思うなら。
口にはされていないが、そう言われた気がして、王太子は彼女の後見人に名乗りを上げた。
しかし、それを曲解した王宮の者や、聖女を寄越せと声高に叫ぶ神殿らへの牽制もあいまり、形だけだが二人は結婚することになってしまったのだ。
結婚式当日。再び地面に着きそうなほど頭を下げた王太子。
もはや、口の端にのぼらせる謝罪もない。うら若き乙女の経歴に傷をつけたあげくの強行。父王達も乗り気で、止める王太子の言葉など誰も聞いてはくれなかった。彼女には申し訳なさすぎて頭を上げられない。
ただひたすら平身低頭な王太子の耳に、ふっと軽い笑い声が聞こえる。
恐る恐る顔を上げた彼は、そこに信じられないモノを見た。
コロコロと笑う可愛らしい人。
さも楽しげに眼を細めて、ブーケに笑いを零している。
『良いですよ。どうせ行く当てもないし、三食昼寝つきな職につけたと思えば』
そして彼女は立ち上がると王太子に手を差し出した。王家の用意したシンプルなウェディングドレスが良く似合っている。
『給金出ます? 少しで良いので。どれくらいの付き合いになるか分かりませんが、よろしくお願いします』
ぱきーっと無邪気に笑う彼女の手を取り、王太子は初めてマドカを見た気がした。今までの彼女と違う、酷く自然な微笑み。
『そなたには妃としての金子が用意される。毎月の品格維持など、必要に応じて使うが良い』
『品格…… 必要ありますかね、アタシに。じゃ、この指輪もらってもよろし? お金に困ったら売ってもかまいません?』
王家が用意したシンプルな指輪。王族から見てシンプルなだけであって、高級素材のソレを売れば、平民なら数年暮らせるていどの金子にはなるだろう。
ふはっと破顔し、王太子も柔らかな笑みで答えた。
『そんな事態にはならないと思うが、好きにして良い。幾久しく共にあろう』
無意識のプロポーズ。
……あの時、自分はマドカに惚れたのだ。
それからも色々あったっけ。
テラスの庭の一画を掘り返して畑にしようとしたり、あみぐるみなるモノを作っては神殿にやってくる子供らに与えて、聖女からの賜り物と大騒ぎを起こしたり。
あのあと、賜り物が欲しいと押しかけてきた貴族らを相手に疲労困憊したのも良い思い出。
やらかす都度、二人で笑い転げた楽しい時間。彼女も自分に好意を抱いてくれている。そう疑わなかった幸せな日々。
そう、あの日、彼女の真意を知るまでは。
『御飾り妃か。さっさと消えてくれれば良いものを』
『ですわねぇ。いつまで妃の座に居座るつもりかしら。聖女とかいって何にも出来ないくせに』
『どうせ子供を作るでもなし、王太子様だって厭うておられるはずですわ』
王宮で呟かれる心無い言葉。それを耳にして激昂した王太子が飛び出すよりも早く、柱の陰にいたらしいマドカが現れた。
『弱い奴ほどよく吠えるっつーけど。せめて聞こえないところでやりなさいよね』
辛辣に眼を細めて侍女らを睨みつけるマドカ。だが侍女等も怯まず、彼女に言い返した。
『本当のことでございましょう? 寵愛も頂けず、殿方のお情けにすがるだけなんて、みっともない。娼婦と変わりませんわ』
……ンなっっ!!
あまりに悪し様な言葉を聞き、王太子は頭が沸騰する。
だが、次に聞こえたマドカの台詞で、冷水をぶっ掛けられ、ぐらぐら茹だっていた頭が鎮火した。
『当てにもしてないわ、王太子様なんて』
……え?
その後も何か話していたようだが、最初の台詞が強烈過ぎて王太子の耳には残らない。
当てにもしていない? 頼る気もないということか? .....彼女にとって私の存在価値って?
脳内がグラグラ揺れる。良い関係だと..... いずれ本物の夫婦になれるだろうと。そう思っていたのは自分だけ?
思わぬ現実を直視出来ず、王太子は長く悩んだ。
そしてやらかしてしまったのだ。
「馬鹿をした……… 素直になるべきだった」
「そりゃそうですよ。告白もしてないんでしょ? 義務だけで結婚したのだと思っていたに違いないし、口にしなきゃ分かりませんよ」
「察してちゃんって一番メンドイんですよね。夢見る乙女かっつーの」
「いや、すでに通じ合っているって妄想してたんだろ? 夢見るより質が悪いって」
容赦ない側近らの言葉が、ドスドスと王太子の胸を貫いていく。
悪かったなぁ、夢見る乙女でっ!! それっくらい、あの時の彼女は魅力的だったんだよっ!!
無意識にした求婚だったが、マドカには式の一部と取られたようで、王太子の真意は伝わっていなかったのだ。ようやく最近になってソレに気づいた彼。
うぐぐぐっと机に突っ伏しながら、王太子はハッと顔を上げた。
「指輪……」
「「「はい?」」」
王太子の脳裏に、あの日の彼女が浮かぶ。
『お金に困ったら売ってもかまいません?』
だんっと立ち上がり、彼はマドカの部屋へ駆け込んだ。
そして宝飾品をひっくり返して、件の指輪が無いのを確認する。
「道具屋や質屋を洗えっ! 王家の印が入ったプラチナの指輪が売られていないか確認しろっ!!」
わけが分からない側近らに、ざっと説明する王太子。驚愕しつつも駆け出した側近を見送り、他にも何かなかったかと彼は記憶をサルベージする。
あのマドカのことだ。思いもよらぬことをしているかもしれない。……今頃、どうしているのだろう。
空を泳ぐ燕を振り仰ぎ、王太子は切なげに目を細めた。
ちなみにその頃、マドカはポテポテと街道を歩いている。見かけ十歳くらいの子供の姿で。
実は彼女には、誰にもいえない秘密があったのだ。
それは異世界に拉致られた時、女神様とした約束。
《ようこそ、私の世界へ。贈り物として、貴女の窮地を一度だけ救いましょう》
『へあっ?』
たった一言の会話。だが、女神様は約束を守ってくれたようで、ここから逃げ出したい。姿形を変えて欲しいと願うマドカに応えてくれた。
たった一度だもん。見も知らぬ世界のために使えないよね。
そう考えて、彼女は女神様との会話を誰にも伝えず黙っていたのだ。
おかげでこうして逃げ出せた。ひょっとしたら、いつか世界を救うために必要だったりした力かもしれないが、そんなことはマドカの知ったこっちゃない。
誰にも見咎められず、マドカはズンズン進む。サザライト国の手が届かない隣国へ向かって。
「見つかりましたっ!」
「あったかっ!」
歓喜に顔をひらめかせ、王太子は側近が持ってきた情報を受け取る。
あの日調べさせたものの、結局指輪を買ったという記録は見つからなかったからだ。ならば別の何かがないかと調べた上げた王太子は、妃にあてがわれた金子のおかしな動きに気がついた。
毎月、結構な金額が引き出され、侍女長に渡されているのだ。それもマドカではなく侍従長のサインで。
これを訝った王太子は徹底的に尋問し、二人が公金横領をしていたことを自白させた。マドカには、役立たずな妃だから毎月の金額が減らされたのだと騙し、差額を懐にいれていたらしい。彼女の手に渡っていたのは、たった金貨ニ枚。
「……金貨二枚。我が妃の経費が?」
怒りに言葉もない王太子。だがそこで、側近の一人が呟いた。
「でも新たなドレスや宝飾品も、ここ一年購入しておられません。コイツらが横領していた期間です。マドカ様のお部屋にも金貨はありませんでした。いったい、どこに?」
ハッと顔を見合わせ、王太子と側近は新たに調査を始めた。
その結果が届いたのだ。
そして調査報告に眼を通し、王太子は人の悪い笑みを浮かべる。
「ああ、もう。そういうことか。マドカらしい」
困ったような顔で笑う王太子に、真剣な眼差しを向け、側近らは念を押した。
「よろしいのですね?」
「覚悟を決めた。いくぞっ!!」
すきっと晴れ渡った笑顔を浮かべ、彼は意気揚々と部屋を飛び出していく。
何かが起きたらしい王宮は、再び上を下への大騒ぎになっていた。
そんな王宮のことも知らず、マドカは隣国手前で変化を解く。子供一人で国境は越えられないからだ。
この三年でしっかり学び、彼女はこの世界のことをそれなりに知っている。神殿でも色んな話を聞き、市井の暮らしも知っていた。
元々庶民だ。贅沢言わなきゃ暮らしていける。そう独り言ち、彼女は国境の街の神殿を訪れた。
「これで生活費には困らないわね」
ふふっと微笑み、マドカが手に持つのは小さな革袋。中には、これまで貯めた金貨二十数枚。
妃の経費が減らされたと言われ、そろそろお払い箱かなと思案した彼女は、神殿が金融も兼業しているのを思い出した。
しかしマドカの名前で預けるわけにはいかない。聖女が小金を貯めこんでいるなんて知れたら何事かと思われるだろう。神殿から王宮に問い合わせがいくかもしれない。マドカを聖女と崇める彼等は心配性なのだ。
だから神殿でよく会う女性に名義貸しを頼んだ。金貨を一枚ずつ山分けにし、マドカの分は女性の名前で神殿に預けてくれと。神殿に預けた金子は、どこの神殿でも返してもらえる。
女性はしっかり預けてくれており、こうしてマドカは軍資金を手に入れたのだ。
しかもあの女性、金貨一枚だけしか受け取らなかったようで、ほとんど全部の金貨が預けられていた。
ありがたいな。助かる、うん。
人の善意に感謝し、革袋を抱き締めたマドカの前に影がさす。ん?と顔を上げたマドカは、みるみる眼を見開いた。
「……え? 王太子殿下? なんで?」
「何でじゃないっ! 探したぞっ!!」
そこに立つ王太子は目立たぬ庶民の服装で、眼の前に立たれなかったらマドカも気づかなかったかもしれない。
彼はマドカの手を掴むと、ズカズカ歩き出した。
「取り敢えず話をしよう。荷物を頼むな」
唖然とするマドカが振り返ると、マドカと王太子の荷物を拾い、微笑む側近達がいた。
何が何やら分からないまま、五人は慎ましい宿屋で話をする。
「えーと…… 怒ってます? どうして?」
むすっと仏頂面な王太子。言葉少ない彼に代わって、側近の一人がコホンっと咳払いしつつ説明した。
「聖女様がいなくなって、王太子殿下は誤解を解こうと死物狂いで探しておられたのです」
「誤解? 愛妾に子供が出来たんですよね?」
「間違いはございません。言葉が足りないだけで」
ん? と首を傾げるマドカの前で、王太子の左右に立つ側近が肘で彼を突いていた。
「良いのですか? 私が説明しましょうか? あのですね、聖女様。殿下は悋気を起こして……」
「だあぁあーっ!! 黙れっ!!」
眼を剥いて叫ぶ王太子を無視して別の側近が口を開いた。
「聖女様が王太子様に興味がなさげだと、随分悩まれまして……」
「黙れって! 分かったっ! 自分で言うからっ!」
ゼイゼイと肩で息をしつつ、王太子は顔を赤らめて呟く。その目元は真っ赤に潤んでいた。
「愛妾に子供が出来た…… 弟王子の」
「は?」
思わず眼をパチクリさせ、間抜けな声をあげるマドカ。それを苦笑いで見つめ、側近等が補足説明をする。
「そうなんですよ。それで愛妾様が弟王子の側室にあがることになりまして。……この馬鹿野郎様は、あえて言葉を削り、貴女が誤解するような言い方をしたのです」
うんざりと呆れた眼差しが三方から王太子に突き刺さった。まるで公開処刑。あまりの羞恥で王太子は顔すら上げられない。
「なんでまた…… そんな意味のないことを?」
マドカに意味のないことと言われ、さらに羞恥を抉られる王太子。
分かってるさぁーっ、君は全く私に興味がないよねっ?!
傷心に塩を塗り込まれて落ち込む王太子が流石に哀れになったのか、側近達は助け舟を出す。
「まあ、勝手な男の独占欲ですよ。想う分、想われたい。自分に愛妾や子供が出来たといえば、貴女が焼き餅や執着をみせてくれると思ったようで……… 気を引きたかったんです」
「試すような情けない王子ですが、それだけ貴女を想っているわけで。子供じみたことをしましたが、王太子に愛妾や子供はいませんので」
あれやこれやと王太子のフォローをする側近ら。当の本人は頭を抱えて微動だにしない。
なんつー………
「なんですか、その超他者依存型は。アタシの気持ちが知りたい? 聞けば良かったじゃないの」
ずぱっと小気味よくぶった切られる王太子。
「だいたい、焼き餅? 執着? 不実の告白に? あるわけないでしょーが。なに夢見てんですか。乙メンでもあるまいし」
返す刃で袈裟懸けにされ、王太子は瀕死である。
「元々、義務と契約の婚姻でしたよね? 殿下が全力で謝罪するくらい強引な。そこに愛情? ないない。愛情がないのに悋気もあるわけないでしょ。もう、勝手にしてくれだわよ、全くっ!」
ドスドス刺さる言葉の刃。トドメを穿たれ、針ネズミな王太子を気の毒そうに見つめる側近達。
それでも王太子は袖を絞るように小さく呟いた。
「当てにもならない夫でゴメン……」
一瞬、怪訝そうな顔をしたマドカだが、思い当たる節があったのだろう。少しバツが悪そうに眉をひそめた。
「聞いてたの?」
「たまたま……」
もはや身体を起こす気力もないのか、王太子はテーブルに突っ伏したまま情けなく応える。
その姿に大仰な溜め息をつき、マドカも気まずげにうつむいた。
「なら、アタシの気持ちなんて分かってんでしょっ! もうっ!」
不貞腐れたかのような彼女の声。だが、そこに含まれる幼気な恥じらいを感じて、王太子は不思議そうに顔を上げる。
「え?」
「え?」
疑問符まみれの異口同音。
「私が聞いたのは『王太子殿下を当てにもしていない』という部分だけなんだが……」
「そこだけっ?」
「ああ」
きょんっとする王太子の前で、マドカは両手を顔に当てて仰け反っている。
「……忘れて」
「は? いや、しかし……」
「忘れてってんでしょーっ!!」
「はいぃぃーっ!」
あまりの剣幕に気圧され、ただ頷くしかない王太子。
マドカの様子から何かを察した側近達が生温く見つめるなか、二人は今後のことを話し合う。
何でも、マドカの行動の迅速さを訝った彼は、彼女が予め準備していたのだろうと察し、であれば関係しているのは毎日訪れていた神殿に違いないと目星をつけた。
そして調べてみれば、毎月金貨二枚を神殿に預けている女性がいる。大して裕福でもない平民に動かせる金子ではないと、相手を詰問したらしい。
結果、女性は仕方なく口を割り、王太子らは女性名義の金子が動くのを待って、神殿の転移陣を使いマドカを追いかけて来たのだという。
まさかそこまで見破られるとは。なんのかんのと伊達に国政を担う人間ではないと言うことか。
「もう戻る気はないのだろう?」
「正直、平穏に暮らしたいかなぁ。浮気報告を受けた時は、これで御役御免になると天にものぼる心地だったのに」
相変わらず切れ味の良い答え。針ネズミなところにヘッドショットを喰らう王太子。
だが、彼女が問うより先にと、王太子は言うべきことを言うべく身体を起こした。存外しぶとい男である。
「一緒に行くから」
「は?」
素っ頓狂な顔をするマドカを余所に、王太子の側近達は、やっとかという安堵で顔を緩めた。
「ずっと考えていたんだ。君には何の力も発現しなかった。このままいけば、本当に私と夫婦になれるかもしれない。けど……」
口ごもる王太子の言葉をマドカが続ける。
「身分や財産、公的な国益にならない平民じゃ、妃はつとまりませんものね」
どんな美辞麗句で飾ろうと世間は厳しい。なんの力もない聖女。それがただの妃となれば、モノを言うのは財力権力などの後ろ盾だ。マドカは何も持たない。
現代知識があるのだ。それくらいマドカにだって理解出来る。
嫌な沈黙が室内に下りようとした時、さらにその後を王太子が続けた。
「だから私が市井にくだろう。君と生涯を共にしよう」
良く出来ましたとまでに小さく拍手する側近達。
「そのようにお考えだったのです。殿下は」
「それで、貴女のお気持ちを確かめたかったらしいのですよ」
「しゃらくさいですよねぇ? 男なら黙って寄り添えば良いのに」
「喧しすぎるよっ? お前らっ!!」
しれっと宣う側近達に、涙目で叫ぶ王太子。
呆然と聞いていたマドカは、キャンキャンやらかす眼の前の光景が信じられない。
それに気づいたのか、今度こそ誤解されまいと王太子が話を続ける。
「父王にも了解はいただいた。他にも兄弟がいるのだし、王太子が私である必要はない。王太子になれる者は何人もいるが、君の夫は私しかいないだろう?」
「離婚済みですが?」
ちゃっと離婚証明書を出して王太子の目の前で広げるマドカ。彼は盛大な苦虫を噛み潰した顔でソレを睨みつけ、逆に無効申請の書類をテーブルに叩きつける。
「無効だっ! 私は認めていないっ! 君こそ、こっちにサインしなさいっ!!」
「あ、そっか」
離婚には双方の同意とサインが必要である。王太子の分は本人らがするだろうと思っていたのでマドカは忘れていた。早手回しに自分の分だけ処理してしまった。
「弟王子に子供が出来たし、地位を譲ってきた。私は一介の自由民だ。君の行くところへ私も行く。もう王宮にかかわるのも嫌だろう? だから臣に降りるのも断ってきたよ」
彼の身分からいえば王太子位を辞しても臣下へ降りる道があった。侯爵でも公爵でも思いのまま。だが聡い彼は、マドカがそれを望まないだろうと先を読む。
仮にも王子だった者が、完全にサザライト王国と縁を切ってきたというのだから、まさかの展開だった。
さぞ王宮では騒ぎになったことだろう。
「……隣国へ向かう予定ですが」
「了解」
「………本気ですか?」
「元よりそのつもりだった。王宮が君にとって居心地の良い場所でなくなったあたりから、ずっと考えていたんだ」
……一年も前から?
マドカは鼻の奥がツンとする。
てっきり王太子のお荷物になっていると思っていた。心無い人々の言葉に傷つき、それを隠すために虚勢を張った。なるべく彼と関わらないよう意識していた。
いずれ離れるのだ。この国に心を残してはいけないと。
だから、あの日も………
『当てにもしていないわ、王太子なんて』
『な…っ、なんて無礼なっ!』
驚く侍女らにマドカは啖呵を切る。
『アタシが好きで彼の傍にいるだけよ。王太子がアタシを不必要だというなら、いつでも出ていくわ!』
そう。この横暴な国の中で、彼だけが誠実だった。誠心誠意謝罪する王太子に多大な好感を持った。楽しい日々を過ごし、その好意が恋心と成長していく自覚もあった。
泥まみれになりながら畑を手伝ってくれた彼。
押し掛ける貴族らを全力で追い払ってくれた彼。
恋の熱病を患うのに、三年という月日は十分過ぎた。
『アタシをどうこう出来るのは王太子だけっ! アタシ達は夫婦なんだからっ! 外野は黙っていてよねっ!』
………売り言葉に買い言葉とはいえ、黒歴史だわ。
しかし、ここ一年で王宮は掌を返したかのようにマドカを冷遇し始めた。心無い仕打ちの数々で彼女はしだいに宿無れていく。
さらには王太子の渡りも少なくなった。
今の話を聞けば、たぶん王太子位を辞したり、市井にくだる準備をしていたのだと思うが、当時のマドカは知らなかった。
周りは飽きられたのだとか、忘れられたのだとか勝手な憶測を垂れ流し、ついでとまでにマドカの経費が激減する。
ああ、本格的にお払い箱かなぁと思っていたところに、王太子から告げられた浮気の告白。渡りが少なくなったのは他の女に通っていたからかと邪推もする。
これだけ勝手をされれば、百年の恋も一気に褪めるというものだろう。
そういうことなら、こちらも好きにさせてもらうわと開き直ったマドカは、早々に逃げだしたのだ。
未練がましいとは思うが、この恋の思い出にと例の指輪だけをもらって。
しばし考え込みつつ、彼女は王太子を眺める。
本気で市井にくだる気のようで、彼は小さな鞄と平民服を着ていた。ここまで真剣であるなら、マドカも彼を騙すわけにはいかない。
小さな嘆息をもらし、彼女は正面に座る王太子に、がばっと頭を下げた。
「ごめんなさいっ!!」
「「「「は?」」」」
今度は王太子達が疑問符を浮かべる番である。
「「「「女神様とした約束があったぁーっ?!」」」」
「えへっ♪」
テヘペロっと舌を出し、マドカは斯々然々と四人に説明した。
「何でも願いをかなえるって……… 破格の恩恵じゃないですかっ、それを使ってしまった?! 話してくだされば、立派に聖女として認められたでしょうにっ!!」
驚愕を隠せない側近の言葉を耳にして、半目を据わらせたまま、マドカはしれっと答える。
「だってアタシ、この国に恩も義理もないし? むしろ、怨み満載だし? 突然の掌返しに怒り心頭だし?」
言われてみれば、その通りだろう。
いきなり誘拐されて人生はだいなし。大切にするからと王宮に招かれてみれば、数年で掌返し。王太子の足は遠のくし、経費は削減されるし、終いにゃ浮気のカミングアウト。
「もう怒りを通り越して笑ったわよ。そっちがその気なら、こっちも相手の立場を考えてやる必要ないなって。勝手にしやがれだわって。だから、女神様の手助けを借りて家出したんだけど? なにか問題が? むしろ王宮は厄介払いが出来て喜んだんじゃない?」
よくよく現実を理解しているマドカを男性陣は思わずガン見する。
.....実はそのとおりなのだ。
王家としては囲っておきたいが、なんの力もないマドカを聖女とし、妃に置くことを貴族達は疎んでいた。力が発現しないなら聖女ではない、平民に過ぎない。それなりの慰労金でも渡して、適当な所に追い出すべきだと。
清い関係なのだ。出来ないことではないし、そのせいで王太子に子供が作れない方が問題である。何なら神殿が喜んで引き取ってくれるだろうなどの愚考を口にする者もいた。
愛妾や側室の打診も多かった。マドカが正しく妻でないことを知る者らが、大挙してきたといっても過言ではない。
だが不死鳥のごとき恋心を拗らせた王太子の反発で、その全ては退けられていた。なのに、口さがない誰かが彼女に伝えたらしく、ある日王太子は、マドカからこんなことを言われたのだ。
『愛人を持ってもかまいませんよ? 子供が必要なんでしょ? 今だって別室で暮らしているのですし、お部屋に招いたらいかがですか?』
しれっと真顔で言い放つマドカに言葉を失い、黙り込んだ王太子。彼女が出ていくまで固まってしまった彼は弁明の機会を失い、その日を境にマドカが王太子の部屋を訪れなくなったことを深く嘆く。
『このヘタレ』っと蔑むような側近らの眼光に晒されながら。
そうだ、アレもコレも、全ては自分の情けなさが招いた結果だ。
ギリッと奥歯を噛み締め、王太子はマドカを見た。
「だから、もう、全てを捨てたんだよ。君にかかわるモノも私にかかわるモノも。公的なモノは返還し、個人的な財産は処分した。今の私は、ただの一人の男だ」
それでも処分した物が結構な額になったので、そこそこな一軒家や土地は買える。二人でなら、どこでも暮らせると笑う元王太子。
しかしそこで、側近の三人が、ちゃっと挙手をした。
「そこそこでは困ります。我々も住むので」
「稼ぎましょうね。国政に関わってきた人間なんですから、書類仕事や立案は御得意でしょ?」
「なんと隣国の辺境で文官を募集しております。政治に明るく、貴族らに仕えられる教養と作法を持った人材を。辺境なので通常の貴族らがやりたがらないようで困窮しておられます。チャンスですよ? きっと高給で雇ってもらえます」
「………お前ら」
暗に付いて行くと宣う側近らが、王太子に仕事まで見つけてきてくれたようだ。思わず惚ける王太子を眺めつつ、マドカはクスクスと笑った。
「……人徳?」
「……ないわー、新婚に張り付くって、お前ら鬼かっ! こちとら、ようよう蜜月解禁なんだけどっ?!」
噛み付くように吠える王太子の叫びを、ぺいっとはたき落とし、側近らは畳み掛ける。
「ヘタレに人権は認めません」
「蜜月ぅ? 半年、早い」
「今の状況で家族を養えるとでも? 働かざる者、出すべからずです」
……出すべからずて。
暗に閨を示唆され、ぼんっと頭から湯気を立てる初々しい二人。
盛大な勘違いとすれ違いを経て、ようやく二人の想いは通った。
そんな二人を微笑ましく見つめる側近らに急き立てられ、市井におりた元王太子は隣国で職につく。
目まぐるしく過ぎていく日々と格闘し、正式に妻となったマドカに支えられ、一年もたたぬうちに彼はそれなりの邸を手に入れた。
「まあまあな家ですね」
「半年以上かかりましたが」
「しかも、出してたみたいだし。まあ働いていたので勘弁してあげましょうか」
「デリカシーをサザライト王国に置いてきたのか、お前らはーっ!!」
相変わらずな四人を呆れた顔で眺めながら、マドカは幸せそうにお腹を撫でた。そこには新たな命が宿っている。
なるほどねぇ。そういうことか。
彼女の中に命が宿った瞬間、ほんのり温かな光が灯り、しばらく前に元王太子と側近らの度肝を抜いたのだ。
伝承にあるとかいう聖なる光。
そして彼らは神殿からもたらされた神託の正しい意味を理解した。
『聖女となるモノが降臨しました』
者でなく、モノ。つまりそれはマドカに内包された原子卵細胞。タマゴだったのである。
「これが祖国に知られたら大変なことになりますね」
「歓呼で追い出したんだし? 自業自得じゃない?」
「聖女様は聖女様で、すくすくお育てしましょう」
神殿には悪いが、この子を犠牲にする気はないマドカと元王太子。
「オラが子はオラのんじゃっ! 誰にもやんねっ!」
「また言葉が乱れてるよ。それに、この子はアタシの子だから。アンタのじゃないわよ」
最近、土木事業に駆り出されている事が多いらしく、作業員の言葉が伝染ったという夫を半目で見据え、マドカは安穏な今に幸せを感じる。
後に起きた世界の大異変で活躍する聖女様。
その姿が黒髪黒目の少女だと伝えられ、サザライト国の人々が陰鬱な気持ちになったのは余談だ。
元気な二人と娘は大異変を事もなく乗り切り、我が世の春を謳歌する。それを相変わらずな毒舌で追いかける側近の三人と共に。
身勝手を天元突破した奴等の人生に、すこぶるつきな幸あれ♪
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