逃げ足が遅くて断罪の囮にされた平凡娘は、追放先で戦うことを決意する
新年一作目です。今年もよろしくお願いします!
ジャンルは恋愛ですが甘さはないです。
誤字報告ありがとうございます。
学園の卒業パーティーが催されているホールのざわざわと響く話し声が、不意に波が引くように静まっていく。それに気付いて口を閉ざし、辺りを見回す生徒たち。
そして、楽団の演奏を残してぴたりと音が止まる。
ひとり壁際に貼り付くようにビュッフェ形式の料理をもそもそ食べていた私も、そこでようやく妙な静けさに遅れて気付いた。周りに倣うように目を動かしたホールの壇上で、そこに立つ複数の人影を見て目を瞬く。
なんだろうと首を傾げるまでもなく、その答えは会場に響き渡ったよく通る声によって知らしめられた。
「前に出よ、ミリア・ジュベール嬢!貴様が聖女候補であるレーナ嬢の優秀さを妬み、平民だと見下し、陰湿な嫌がらせを繰り返していたことは調べがついている!!」
突如始まる断罪。
壇上にいるのはこの国の第二王子殿下と、その隣で数人の男子生徒に守られるように立つ、小柄な女子生徒。結わずにさらさらと揺れる肩までの焦茶色の髪と薄茶色の大きな垂れた瞳の彼女は、聖女候補の平民レーナさん。彼女の周りに立つ男子生徒は皆、高位貴族の令息たちだ。
「あっ」
力の抜けた私の手からポロリとフォークを落ちる。静まり返った会場にからんと硬質な音が響き、会場中の目線が集中した。
青ざめる間もなく、がしりと腕が掴まれる。
ひくり、と引き攣る顔をぎぎぎっと動かすと、そこにあるのは見慣れたふわふわのピンクブロンド。
「つかまえた♡」
「ミリ……」
ぞわっと悪寒が走る私の側で、すぅっと大きく息を吸い込む音。
「誤解ですわ!王子殿下!」
そして耳元で大声で叫ばれ、思わず硬直する。耳がキーンと鳴るのに辟易としながら浅い呼吸を整えた。
この私の腕にしがみつく少女が、王子殿下がお探しの、我が伯爵領の隣の男爵領の娘で私の幼馴染の、ミリア・ジュベール男爵令嬢である。
「残念だが、其方の仕業だという証拠がある!みっともない言い訳は」
「違うのです、レーナさんに酷いことをしていたのは、このサランなのです!!」
王子殿下の言葉を遮り、ミリアが叫ぶ。
とりあえず不敬で処罰してやってくれと苦々しく思いながらも、私はミリアに引っ張られるままに、引いていく人波にぽかりと空いた壇上への道を歩き出す。ーー正確にはミリアに引きずられて行く。なすがままの私の足から、どうせドレスに隠れるだろうと履いていた普段使いの靴が、ころりと脱げて床の上に転がった。
「なに?サラン・エランゲ伯爵令嬢の仕業だと!?」
「一緒にいるのがエランゲ嬢か?ミリアと家族同然だとは聞いているが……」
「なにを馬鹿な……エランゲ嬢は全てにおいて平凡の権化で、貴族にも平民にも態度は公平。我が学園における人畜無害の代表ではないか!」
「そうです!私を面と向かって罵倒したのはミリアさんではないですか!」
壇上の皆さんはさすがに冷静で、ミリアの言葉だけで私を疑うようなことはせず、口々に私を庇ってくれるのに少しだけホッとする。うん、平凡は悪口じゃない。
「ですから、それは全てサランに命令されてやったことなのです!!」
もちろんミリアのこれは虚言で冤罪だ。私は先程言われたように人畜無害を地で行く野心ゼロの地味女。玉の輿を狙うミリアと違って、王子殿下お気に入りの聖女候補様に嫌がらせなどする理由なんてない。
「なにを馬鹿な……其方は他の女子生徒にも」
「私も昔からサランに虐められていたのです!!」
懲りずに殿下の言葉を遮り、そう訴えるミリアの赤い瞳からポロポロと涙がこぼれ落ちる。疑惑と態度の悪さを打ち消すほどの憐憫を誘うその様子に会場がざわめいた。ほんと人って綺麗で可哀想なものが好きよね。
それにしてもこれだけ泣いているのに、ミリア愛用の隣の帝国産高級化粧品はほんとに全然崩れない。さすが三月分が男爵家の一年の税収を上回る価格なだけあるわ。
既に諦めの境地にある私はのんびりとそんなことを考える。ええもう現実逃避でもしなけりゃ、こんな茶番やってられないわ。
「なんだと!?」
「畏れながら申し上げます!」
そして新たな三文役者の登場。
卒業生の保護者が集まっている一角から進み出たのは、平凡な私の生産者であるエランゲ伯爵と、のっぺりとした薄い顔でおろおろとする、ミリアの父であるジュベール男爵。
父が卒業パーティーに出席していたとは知らなかった。
ミリアに続いて王子殿下の言葉を遮ってまで進み出た特徴の薄い二人に、会場中が『誰あれ?』と戸惑うのがわかる。
「全てミリアの言う通りです!愚かなことに、このサランは自分より美しく素直なミリアに嫉妬して、子供の頃から毎日のようにミリアを虐げていたのです!」
『家庭内の問題を把握しておきながら解決できなかった無能です』と力強く宣言したこのクソ親父は、実の娘である私よりミリアを可愛がっているので元から擁護でないのはわかっていた。
なんせ私には学用品すら買い与えることもしないのにミリアには件の化粧品を始め、欲しがるものを欲しがる以上に買い与えるものだから、お陰で我が伯爵家の財政は火の車。
私は自分の学費すら、学園が貧窮した学生に斡旋してくれるバイトで賄ったのだから。
平凡の権化たる私はいくら努力しても授業料免除の奨学生になれるような成績はとれないだろうと、潔く労働に時間を費やすことにしたのは我ながら英断である。
「その、レーナ嬢の美しさなら、サラン嬢が嫉妬して虐げてもおかしくはないかと……」
「全く、見た目だけでなく心まで貧相だとは……そんな風に育てた覚えはないのですが」
追従するミリアのクソ親父の何の証言にもならない推測はどうでもいいけど、クソ親父に育てられた覚えなど私にもないわ。
物心がつくまで私を育ててくれたのは両親ではなく乳母で、それ以降はみんなミリアに夢中になっていた。
こうして領地に住む父がわざわざ卒業を祝いに来たのも、私じゃなくてミリアのためだろう。連絡も挨拶も、親が用意するはずのパーティードレスもなかったから、わかってはいたけど。
引きずられて汚れただろう学園貸出のドレスに、学園に寄付してくれた何処かのご令嬢に申し訳なく思うけど、まぁその方には屁でもないだろう。
それにしても、聖女候補並びに貴族令嬢への罵倒と嫌がらせかぁ。与えられる処罰は領地での謹慎と慰謝料あたりだろうけど、私のせいだと後押ししたクソ親父に払えるんだろうか。さっきも言ったけど、我が家の財政は破綻寸前だ。
そしてこのクソ親父が私を謹慎で済ませるとは思えない。よくて絶縁、悪くて監禁だろうか。
「まさか、いや、しかし……エランゲ嬢がなにも言わないのは、ミリアの言うことが事実だからか……?」
殿下の戸惑った声がえらくよく聞こえると思ったら、気付けば随分と壇上に近い場所まで来ていた。
ああ、この距離はマズいな。ミリアのことだから多分、このまま私に罪をなすりつけるためにアレを使うはず。まぁ私にはもう止められない。諦めが肝心だわ。
殿下たちに手を伸ばせば届くほどの場所で、ミリアは大きな瞳に涙を溜めて壇上を見上げる。長い睫毛に乗る涙の粒が照明にキラキラと光って宝石のよう。
……あーあ。殿下たちが心も清いレーナさんに鞍替えしてくれたお陰で、ミリアの野望も潰えたと思ったのに。そう簡単にはいかなかったか。
「悪いのはサランですが……私と仲良くしてくださっていた殿下や皆さんが、最近はレーナさんとばかり仲良くされているのが寂しくて。つい、レーナさんに意地悪なことを言ったのは事実です……心から反省しておりますわ」
殊勝ぶって胸の前で両手を握り、涙ながらに私が主犯だと訴えるミリアから、ふわりと甘い香りが漂って辺りを包む。
まずは壇上にいる殿下からだ。
「ミリア……くっ、私は」
「殿下!?」
「っ、これは一体……っ」
壇上で殿下ががくりと膝を突き、慌てて令息たちが側に集まり、同じように香りに包まれて顔色を変えるのを確認し、私は内心で大きくため息を吐いた。
「それに」
騒めく会場の中、ミリアは殿下の様子を気に留めるでもなく、長い睫毛に涙を、紅い唇に儚げな微笑みを浮かべ、クソ親父たちの愛と財の詰まった華やかなドレスの裾を翻す。
その艶やかさに会場の耳目がミリアに集まった。
「それに、サランが悪いことをするようになったのは、コンプレックスを刺激してしまった私の美貌のせいかもしれないわ……だから私……殿下やみんなと仲良くしたいけど……身を引きます……っ」
「なっ、待ってくれ、ミリア……!」
「ああ、なんて健気な……っ」
「君は悪くない!悪いのはサラン嬢だ!」
はい手のひら返し。いや、そうなるとは思ってたけどね。
会場の隅の方ではなにが起こったのかと戸惑う人も見られるけど、いつもより強く広がるミリアの魅了の香りは広範囲に漂ってしまっている。
罪を犯した幼馴染の心に寄り添い、令息たちに蔑ろにされながらも自身を責め、全てを収めるために自ら身を引く健気で可憐な美少女ーーそれがミリア。
真実はどうであれ、少しでもミリアを憐れに思いでもすれば、ミリアはそれを利用して逃げおおせるのだ。
そうして完全にトチ狂った殿下がミリアに謝罪し、レーナさんを含んだ周りの皆さんが大きく頷いて賛同を示す。
レーナ、おまえもかと嘆きたくなるものの、ミリアに魅了されるのは異性だけではない。ウチの家族はクソ親父だけでなくクソババァたちもミリアにメロメロですからね。
「すまないミリア!君を疑うなんて……!」
「ミリアさん……ごめんなさい、気付かなくて!」
「いいの……私、赦します!!」
ほんとに馬鹿げた茶番だが、先程までとは打って変わってとろりとした眼差しをミリアに向けて詫びる面々に、ミリアは聖母の如き慈愛の微笑みを浮かべて赦しを与える。
めでたしめでたし。とでも言わんばかりに、会場から拍手が沸き起こるのを遠くに聞いていたら、主犯に仕立て上げられたというのに存在を無視されている私の体が、どさりと床に投げ出された。
「ふぅ、危なかったわ……」
ミリアが私にしか聞こえない絶妙な音量で呟く。もちろんその声に先程までの哀れな響きは欠片もない。
まぁ嘘泣きだったしな。
「なんだか朝から嫌な予感がしてたのよね。なかなかサランの姿を見つけられなくて焦っちゃったけど、相変わらずトロくって助かったわ」
「ミリア、こちらへ」
「はい!」
ぶつぶつとひとりごちながら私を見下ろすミリアの醜悪な表情は、振り返る一瞬で満面の笑みに変わったのだろう。頰を染める殿下の手を取り、壇上への階段に軽やかに足を掛ける。
「護衛騎士たちよ!ミリアを傷つけた罪人、サラン・エランゲを拘束せよ!!」
罪状すらすり替えた殿下の命令に、こちらに駆け寄ってくる騎士の鎧の音。
私は身動きのできないまま、諦めて瞼を閉じた。
✳︎ ✳︎ ✳︎
そして卒業パーティーの断罪から、十日。
慈悲深きミリアの嘆願により、罪人を出したエランゲ伯爵家はお咎めなしとなった。
その恩に報いようと公式にミリアの後見となったことでミリアと第二王子の婚約が整い、二人はご満悦。
レーナさんは教会に入り、王家の庇護の元、聖女候補として修行をするらしい。
取り巻きの令息たちは、それぞれ婚約者と政略結婚をしながらも、美しき王子妃の元に侍ることを許されたそうで。
なんだか丸く収まった感じになった。
私の冤罪だけはそのままに。
✳︎ ✳︎ ✳︎
「なにそれ馬鹿じゃね」
「馬鹿ですね」
「そもそも罪人て。ただのガキのイジメだろ」
「とっちにしろ冤罪ですけどね」
私はあのまま国外追放になり、国境の外にポイっと捨てられた。
過分な処分に正直腹が立ったがじっとしていても仕方ないので、とりあえず恨み言を垂れ流しながらふらふら歩いていたらいつの間にやら隣国の兵に囲まれていた。
ここ数十年、隣の帝国とは互いに不可侵を貫く条約を結んでいるものの、条約の期間延長には黄信号がともっていて、なかなか状況は芳しくない。
帝国への抑止力として、東の国をはじめとした周辺の国との協力関係を強固にするために故国の両陛下も外遊に勤しんでいらっしゃるぐらいだ。
そんな関係がピリピリしている、国交のない二国の国境を、ふらふら歩いていたのだからそりゃあ捕まるだろう。
こればかりは迅速に逃げたところで捕まっただろうから、私の逃げ足どうこうではない。
そして連れてこられた国境近くの小屋で、目の前にいる立派な装いの男性兵士から尋問ーーされるより先に洗いざらい喋り的確な感想をいただき、ひと心地ついたところだ。
人間諦めが肝心。逃げられないなら巻かれるしかないというものよ。
まぁそんな考えだから、逃げ遅れてしまうんだけど。
喋り疲れてふうっと息を吐いた私に、互いが座る椅子の間に挟んだ机の向こうの男性兵士が、胡乱げに私を見た。
「君の境遇が本当ならば同情はするが、我が国に侵入していた隣国の貴族令嬢を解放してはやれない」
「捕虜ですね。かしこまりました」
「潔いかよ」
「自供した内容がお役に立てば待遇を良くしてもらえないかと算段いたしましたが、簡単にお話ししすぎると嘘くさい印象を与えますのね。実はわざと捕まって偽情報を話している間諜という可能性も」
「この状況で嘘発見器つけられて平常心でそれ言えるの怖ぇーな。ほんとに間諜に思えてきたわ」
「この道具は嘘発見器でしたの?では、黙秘します」
「もう遅いって」
当たり前だが、間諜などではもちろんないただの逃げ遅れ令嬢である私は、別に平常心ではない。
度重なるミリアや家族からの理不尽な扱いのため、一切の感情や反応を抑え込むのが癖になってるのだ。癖というより生存本能とも言えるのだけど。
嘘とかより端正な顔をした男性兵士と小部屋に二人という状況に少なからず動揺しているという意味でだが、帝国の魔法仕掛けの嘘発見器は、脈拍や発汗で動揺を判断する王国のそれとは異なる仕様らしいので助かった。
「わざと捕まったのではというのは疑わなくもない。先ほどの話しでも逃げ足が遅い、諦めが肝心などと言っていたが、捕まってからも反抗したり反論したりする素振りがないのは不可解だからな」
「それには事情がありまして」
私はこほんと咳払いをして仕切り直し、どう話すのが良いかと考えながら頰に手を当てて少し首を傾げる。
このままではさっきまでの愚痴が本当に信用してもらえないかもしれないので、ここは包み隠さず説明しないといけないわ。
「ミリアは昔から悪戯を繰り返していたためか、叱責される雰囲気を察知する能力が優れていて。その度に私を囮にして逃げてしまうのです」
「まじ逃げ足遅いな」
残念なものを見る目は気にせず、真顔で頷く。
「私を確実に囮にするために、麻痺毒を仕込んだ針付きの指輪で刺されて口も聞けなくされてしまうので、反抗も反論もできないのです。ああ、さすがに子供の頃は体の動きを鈍くする程度の量でしたが、少しずつ体が慣れたことに気付かれてからは量も強さも増す一方で」
「はぁ!?それが家族ぐるみの友達のやることか!?」
さすがに嫌悪感を露わに顔を顰めた男性が思わずと言うように問うてくる。
家族ぐるみの友達っていうのは、ミリアが私に監督責任を負わせて逃げる口実のひとつなので、私はーーきっとミリアもーー思ったこともない。
「ミリアにとって私は囮で家族は財布。私にとっては良くて寄生虫です」
「良くて虫かよ」
「まぁ元々は可愛すぎる娘が攫われないよう、男爵が護身のために持たせていたらしいですけど。
祖母のバラ園を荒らした時、指を棘を刺した腹いせに私を刺してみたら、囮にちょうど良いと気付いたと」
特に卒業パーティーの時は、指先ひとつ動かせない程の強さの毒を『準備』していたのだから、ミリアの『嫌な予感』はやはり侮れない。
「性悪にも程があるな」
「魅了を使う女の性格が良いはずないでしょう」
「甘い匂いってのは魅了魔法なのか?なぜ耐性魔法を使わないんだ」
「簡単に言わないでくださいよ」
帝国は魔法文明で栄えてきた国だから魔法を使うのは当たり前なのかもしれないけど、祖国は聖女の使う光魔法しか認められないとしているので魔法は使えない。
「それに魅了魔法でなく、魅了の香です。三日ほど嗅がないと効果は切れるので、皆さんがレーナさんに鞍替えしてミリアから離れていた時には安心したのですが……嗅いだら一瞬でしたね」
「ならば、お前の家族もか」
「伯爵家の家人に使用人、側近の方々、学園の方はもれなく魅了の香の餌食でしたねぇ。
ですが、伯爵家の方々は学園に入ってからはミリアと距離もあきましたし、私のように状況を冷静に顧みさえすれば違和感と共に正気に戻ったはずなので」
「……そうだな」
そもそも魅了だったらなんだというのか。
まさか、されたことを全て許して家族に戻れるとでも?
諦めたからといって何も感じてないわけはないし、許すつもりも許す必要すらないと思っている。
早口になった言葉に隠しきれなかった憤りを瞬きで掻き消し、無駄な慰めでもかけるつもりだったのだろう男性ににこりと笑いかけた。頓珍漢で勘違いな優しさへの感謝と牽制をこめて。
「まぁ、側近辺りは全員処罰されるでしょうね。国外追放とか」
「それな。なんでお前の国はこっちに通達もなく、ホイホイ罪人を捨ててくるんだ?その件でうちは和平の延長を回避しようとしているんだが」
「なんと。そんな理由でしたか」
「国交を開くでも国境警備に力を入れるでも、こちらで犯罪奴隷として引き取る取り決めがあるわけでもなく、黙って犯罪者をこちらに向けて放り出すなんて無礼な行為でしかないだろう」
それは確かに嫌な顔をされても仕方ない。
一人二人ならまだしも、暴力的な組織を丸ごとということもある。見方を変えれば立派な派兵だ。
元とはいえ彼の国の貴族の一員として、座ったままだが深く頭を下げる。
「ご迷惑をお掛けして申し訳ございません。罪人は帝国の方でお好きなようにしていただければと」
「だから自国でなんとかしろよ」
「彼の国は宗教の関係で死刑がないのです。懲役ばかりだと置き場に困りますし」
「それは子供の虐めとかまで処罰するからだろ。絞れ」
確かに。この人賢いな。
頭を上げて感心する私に、きょとんとするイケメン。ええ、この方イケメンでした。尊い。
「ああ、話が逸れましたね。まぁそんなわけで私は囮要員として、彼女に重要機密のある場所や危険な場所を連れ回されてはいつも取り残されていたんですが、地味なせいか平凡の権化だからか、割と存在に気付かれないんです」
「おお、意外と平凡発言を根に持ってるな?……重要とか危険な場所って言っても、学生の行動範囲の話だろ?」
私は机の向こうに体を寄せ、ひそりと囁く。
僅かに近付いたご尊顔に目を細めて。
「彼女の恋のお相手は、王族から軍人、国を股にかける有力な商人や外交官、はたまた盗賊団や裏家業の頭まで、イケメンは正義だとかで多岐に渡っておりまして」
「おまえよく無事でいられたな……」
「ありがとうございます。最近では場慣れしすぎて気配も存在感も消し放題です」
「断罪の時にも消せれば良かったのにな」
「ミリアにだけは通用しないのです。なんせ勘が鋭いもので」
「……そうか」
ここでなぜかお茶とお菓子が出てきた。運んできてくれたのは姿勢の美しいメイドさんだ。紅茶を注いでくれたメイドさんは、続けて私の体に巻きついていた魔導具を外し出す。
どうやら酷い尋問ではなく懐柔する方向に切り替えてくれたらしい。
「それでおまえは何を知っていると?」
「なにが聞きたいですか?さすがにいきなり手の内を全て晒すようなことはしませんよ」
「そうだな……差し当たって東の国との講和条件なんてどうだ?」
「ふふふ。さすが辺境伯様は目の付け所が良いですね」
「なんだ、俺を知っていたのか」
「あなたも十分イケメンですので」
隣国にまで出回っていた肖像画のことや、それを見たミリアの恋の候補になっていたことは心に秘めておく。
「東の国との講和の要はズバリ、王太子殿下と東の姫君の婚約です」
「なんと」
「そしてさらにーー」
✳︎ ✳︎ ✳︎
しばらくして、隣の王国から、ミリアが王太子殿下の婚約者になったという発表があった。
ん?なんで王太子?東の国の姫との婚約は……うんまぁ間違いなくミリアの魅了のせいだろうけど、外交大丈夫?
あと第二王子は?と思ったら、どうやら外遊から戻った国王陛下が、第二王子を廃嫡したらしい。
理由は陛下のいない間に、私に冤罪をかけて不正な裁きで追放するという越権行為を行ったため。
同じように、私を勘当して追放を手助けしたとして、エランゲ伯爵家もお取りつぶしになった。
第二王子の側近の令息たちは、それぞれ婚約破棄と勘当。
以上の全員まとめて国外追放となったが、帝国からこちらに捨てるなとのクレームのため、協定条件を破棄したばかりの東の国の領土に放逐したらしい。それなんて侵攻。
まぁでも武力に勝る帝国との国境は完璧に整備されているけど、東との国境には鬱蒼とした魔物の森が広がっている。あちらに追放されたなら、辺境の街にたどり着くまでに、まず間違いなく魔物に食われるだろう。
しかし私の冤罪と処分が取り消されるという連絡は未だなし。戻る気ないからまぁいいけど。
そんなわけで、彼の王国は現在、周辺国との外交と後継に不安を抱えているわけだが……。
実は帝国の先代の皇妃様は、これまたとある冤罪で国外追放された王国の王女様で、帝国の皇子様方も隣国の王家の血を引いており。
皇帝陛下が皇子を王家に入れる代わりにと王国への力添えをちらつかせたら、後継を失った血統主義の王族はすぐさま了承したらしい。
こうして東の国との協定を破綻させた王太子殿下、謀反めいた越権行為で国外追放された第二王子の代わりに、帝国の第二皇子様が王太子となった。
婚約者はそのままミリアをという意見も出たそうだが、もちろん魔法の使える第二皇子にはミリアの魅了は効かず。
しかし早速媚びてきたミリアに、帝国の護衛が用意していた特殊な薬剤をぶっかけたら、魅了の香や指輪の麻痺毒と一緒に厚塗りのお化粧も綺麗さっぱり落ちてしまったそうだ。
そういえばミリアの化粧品は帝国産の密輸品だった。高品質だと思ったら魔法由来だったのか。
ミリアは子供の頃からフルメイクを施されていたくらい化粧映えのする顔だったから、男爵そっくりの素顔を見た人は驚いたんじゃないかしら?ええ、あののっぺりした薄い顔の特徴のない父親に。
そして皆が驚いている間に逃げ出すなんて、さすがミリアの逃げ足。
でもミリアなら、薬剤をかけられる前に勘でなんとかできたんじゃないかと思うのだけど、魅了によほどの自信があったのか……もしかして、囮が使えなかったからだったりして。
自分が代わりに薬剤をかぶるという光景が、あまりに簡単に想像できて思わず苦笑する。
まぁ、理由なんてどうでもいいわよね。
それにしても、美貌も魅了の香も麻痺毒もなくなったのに、今までのように皆に守ってもらえると思ったのかしら?
帝国相手に罪人として追われても、まだ勘と逃げ足でなんとかなると思っているの?
まさかその勘の良さを逆手にとり、わざと危険を察知させて追い込んで、じわじわと追い詰められているなんて考えもせず?
『安全な場所がどこにもない』と恐怖で泣き叫ぶ彼女を放置した森には肉食の猛獣がたくさん住んでいるらしい。逃げ足の速さの見せどころね。
ああ、だけど。あの森は彼女が愛用していた麻痺毒の原料である茸が大繁殖しているらしいから、うっかり踏みつけて胞子を吸い込んだりしないといいけれど。
あの麻痺、慣れるまでは呼吸をするのも難しいの。
あれはとても苦しい。もう死んでしまいたいくらいに苦しいのに、そう簡単には死ねないのだから。
森を背にしたところで、獣の咆哮が聞こえた。
思わず振り返ろうとした私を、辺境伯様が止める。
体ごとぐいと引き寄せられた瞬間、後ろから伸びてきたなにかがひゅんと空を切ったような気配がして、反射的に思わず固まった私の体は、伸ばされた辺境伯様の腕の中にすっぽりと包まれた。
「…………硬いです」
「慣れろ」
硬くて分厚い胸板に顔を埋め込もうとするかのように、後頭部をぎゅうぎゅうと押さえつけられる。痛い。
慣れてどうするのかと思いながらも抗うでもなく身を委ねていると、「馬鹿が」と悪態をつかれて、かさかさした指先で頰を拭われた。
泣いていたのか。そう気付いて戸惑う。なんの涙だ。
散々な目にあわされたのに、悔しくて、憎くてたまらないのに、それでも彼女を喪うことを悲しむ気持ちが確かにあるのはなんの冗談だ。
発作的に眼球を抉り出したくなって伸ばした手を、硬くて大きい手のひらに防がれた。
はぁはぁと少し乱れた呼吸をする私を宥めるように、静かで抑揚のない言葉が体を伝って響く。
「ずっと、強い毒を浴びてきたんだ。体も理屈に合わない反応ぐらい起こすだろう。普通の環境にいりゃ、そのうちまともになる」
「……人をまともじゃないみたいに」
労ってくれる仮の雇用主の言葉に眉を寄せる。
私が落ち着いたのを確かめるように熱い指先がほおを撫で、力が緩んだ。
「まともじゃないといや、どうしておまえには魅了の香が効かなかったんだ?広範囲に漂うぐらいの量でも効果があるんだろう」
なるほど、まだ間者なり特殊な訓練を受けていたりを疑われているのね。
だがこればかりは、訓練どうこうでどうなる訳でもない。
「魅了の香を嗅ぐと理性が緩むのですけど、それだけで即魅了されるわけではないのですよ」
「うん?」
「理性が緩んだところに、いわゆる綺麗で可愛いメイクをしたミリアに可愛くて庇護をそそる態度をされるとドキッとするでしょう?そういう感情が増幅されて魅了になるんですけど、どうも私、審美眼はそれなりでも嗜好が世間のそれからは少し外れているらしくて」
男爵家の隠し部屋で育てられていた花の香りは、人の好意的な感情だけを増幅する。マイナスの感情が主でも、少しでも好意があれば十分なのだ。
だけど、どれだけ増やそうとしても、元がゼロ以下ならどうしようもない。
「私は私の地味顔がこの世で一番好きなので、ミリアの厚化粧したいわゆる可愛らしい顔には、これっぽっちも心が動かなかったというだけです。すっぴんなら危なかったかも」
「……それだけか」
「それだけです」
呆れた顔をする辺境伯様に、すみません?と一応謝っておく。特殊訓練な賜物どころか、ただのナルシストで申し訳ない。まぁでもそうでもなければ、こんな異常な家族環境で生きてこれなかったと思う。
あとこの人に渡せる有益な情報はそれほどない。そもそもこの国の人に魅了の香は効かないのだから、この情報に価値はないだろうけど。
王国の王位簒奪を決めた皇家の命令で、ここ数日は特別に辺境伯家でお世話になりながら情報提供をしていたものの、本来私の立場は王国からの密入国者だ。
今回の私の働きに見合う減刑はどの程度のものだろう。軟禁程度で済ませてもらえるだろうか。それともどこぞの下働きぐらいでなら雇ってもらえるだろうか。
実家も身寄りもない祖国に強制送還されるなら、せめてすっかり忘れ去られている私の冤罪は晴らしていただきたいところだけど。
もやもやしながら考え込んでいると、ふっと瞼の向こうに影が落ちて
「だからおまえ、俺の顔も好きなんだな」
「っ、はぁ!?なんで知っ……!!」
突然の思いがけない言葉に目を見開くと、背中越しに私の顔を覗き込む辺境伯様の顔。これといって目を引くでもない、地味な色味と全てにおいて平均的なパーツと平民の中にいても埋没しそうな平凡な印象の、好みすぎる顔が。
ちなみに王国に出回っている盛り盛りのイケメン肖像画の件は、今でも心に秘めている。その肖像画を信じてこっそり実物を見に来たミリアが無言で帰って行ったことも。いつものように置いていかれた私が、部下たちと屈託なく笑い合うその姿に心を奪われたなんてことも。
ひっ、と喉が締まって慌てて顔をうつむける。魅了の香なんてなくても、これはダメな距離だ。
「嘘発見器つけたまま『俺がイケメン』だって言っただろ」
「あっ……いや、でも、外してましたよね!?」
確かあの会話はメイドさんが機械を外してくれた後のことだったはずだと涙目で見上げると、ごく平凡な茶色い瞳が意地悪な表情を浮かべた。
「あの大袈裟なのは見せかけだ。本体はお前が座ってた椅子の方」
「だっ、だまされた!!」
「おう。あーやって外したと思わせて、油断した後の方が効果的なんだよ。結局おまえはひとつも嘘をつかなかったけどな」
「〜〜〜〜っっ」
ニヤリと笑う辺境伯様。
好みど真ん中のよくよく見れば整ってるけど印象の薄い顔に、思わず逃げ出したくなるほどにドキドキと胸が高鳴る。
感情がこんなに乱高下するのは久しぶりで、頭の中まで熱くて真っ白だ。
言葉も出ずにはくはくと口を開け閉めするだけの私を見て、辺境伯様はなぜだかとても嬉しそうに笑う。そうすると糸のように細くなる目に威厳なんて欠片もなくて。
「サラン」
「っ、いま、なまえ呼びは卑怯……っ」
「悪い。ちょっと悪ノリしたな」
ぽんぼん、と私の頭を撫でて、辺境伯さまの体が離れる。
それでも安心できないと急いで数歩後ずさった。
「感情も表情も圧し殺してたサランが、俺の言葉で怒って慌てて、わけわかんなくなってるのが可愛いくてさ」
「かわっ!?」
ほんとうにこの人は何を言い出すのだ。
聞きなれない言葉に動揺して更に後退りして睨みつけると、辺境伯様は降参だとでも言うように両手を掲げた。
「そう威嚇すんな。あと、サランは引き続き俺が預かっていいって言われてるから心配するな」
「……いいんですか?」
「もちろん」
「でも」
行き先の決まった安堵と、手間をかけて申し訳ないのとで躊躇う私に、辺境伯様の籠手に包まれた手のひらが差し伸べられた。
「おまえは今ようやく長い戦いを終えたばかりだ」
「戦い……」
辺境伯様の言葉に胸を突かれたような気がして、ぐだぐだ渦巻いていた思考が吹き飛ぶ。
長い戦い。……そうか、私は戦っていた。耐え忍ぶのも戦いだ。
「…………終わった、んですね」
「ああ、もうおまえを害する者はいない」
失ったものは多い。だけどよくよく思い返せば、それは元々必要なものではなかった気もする。
両親からの愛も、誇りも、身分も、人並みの学園生活も。
「ふむ。……そうだな。こっちの方が相応しいか」
「え?」
私の表情の変化に気付いたのだろう。辺境伯様が優しい声でそう言って、差し伸べていた令嬢へのエスコートの手のひらをぐるっと返して拳を握った。
「サランの勝利に」
「!!」
ぽろりと目から鱗が落ちるかのように、世界が突然色づいた。
勝利は偉大だ。これからの自分がどうなるかはまだわからないのに、そんなことは大したことじゃないと思える。だって私は勝ったのだ。
真っ直ぐに顔を上げると、晴れやかに笑う辺境伯様が私を見つめてくれている。
この人の側においてもらえるかじゃない。側にいたければ戦って得ればいい。
なんてこと。人生は戦いの連続なのだ。
……だけど、今は。
「ミリアまじざまぁ」
「心から同意だが、もう少し高尚な台詞はなかったか」
辺境伯様の咎める言葉を聞き流し、拳を掲げる。
そして、兵士の健闘を讃える労いと賛辞の拳に、力を込めすぎて震える拳をぶつけた。
国外追放しすぎよなってところが、主題です(え)
イケメン行動とってるヒーローが地味なのは初めてでしたが、マッチョは確定しているあたりに私の嗜好を感じていただけたら満足です。
評価等々感謝です!
お読みいただきありがとうございました♪