9 変わらないもの
「なるほど、それでジェレマイア・プレストンとお友だちになったと」
「はい……」
「いつかほだされる姿が容易に想像できるな」
「おっしゃるとおりです……」
いつもの休憩時間。
テーブルに突っ伏すミリアムをスカーレットがよしよし、となぐさめてくれた。
「でも……不思議だな。そのジェレマイアという男にだけは、ミリアムのあの力が発動しないなんて」
「そう、私も思ったのです。そういうこともあるんだなぁ、って」
「……。……もしかして彼のことを突っぱねなかったのは、能力が通じないから?」
スカーレットに指摘されたので、ミリアムは首をひねってスカーレットの顔を仰ぎ見た。
「……やっぱり、失礼だったでしょうか」
「どうかしらね。でも相手の反応を見る限り、保留にしただけでも大喜びだったんでしょう? それならいいんじゃないかな」
「……」
「ほらほら、これから件の小隊に帳簿の話をしに行くんでしょう? 化粧が崩れてしまっているよ」
「う……直さないと」
体を起こしたミリアムは鞄に手を突っ込んでのろのろと鏡を取り出し、それに映る自分の顔を見た。
昼休憩の後、ミリアムはまたガードナー隊第四小隊の帳簿関連で騎士団区に行かなければならなかった。
ジェレマイアと食事をして三日目。
彼と顔を合わせるのも三日ぶりになる。
(まあ、仕事中はちゃんと仕事と割り切るけれど……)
化粧を直してからスカーレットやフランクたちに見送られ、ミリアムは騎士団区に向かった。いつも歩き慣れた道のりだが、今はその距離がやけに遠く感じられた。
詰め所のロビーには、既にプラチナブロンドの青年の姿があった。分厚い帳簿を小脇に抱えた彼はミリアムを見て、「どうも」とお辞儀をした。
「お越しくださりありがとうございます、エリントン女史。こちらへどうぞ」
「……どうも」
ジェレマイアの姿を見た途端ドキッとしてしまったが、本日の彼はいたって事務的だ。
前と同じ応接室に入ると間もなく、紅茶と茶菓子を手にした彼が戻ってきた。今日の紅茶には、リンゴの輪切りが沈んでいる。
「……前回はレモンでしたが、今回も果物を入れてくれていますね。これはあなたがしてくださっているのですか?」
温かいカップで両手を温めながら問うと、向かいに座ったジェレマイアは微笑んだ。
「はい、僭越ながら。……実はうちの詰め所にある紅茶、あんまり高級じゃないのでうまくないんですよ。身内の野郎に出すものなら適当に淹れるんですが、来客用だと皆ちょっとアレンジするんです。気に入っていただけたら幸いです」
「……ええ、とてもおいしいです、ありがとうございます」
一口味わって感想と礼を言うと、ジェレマイアはぱっと笑顔になった。
「よかった! ……ああ、そうだ。今回も帳簿、よろしくお願いします」
「ええ、確認します」
紅茶で少し喉が潤ったところで、ミリアムは帳簿を受け取った。今回の帳簿は前回のものとは別で、備品の数に関するものだ。
今回の帳簿もやはり途中からジェレマイアが書いているからか、相変わらず字は汚いが記録は正確だ。
武具の破損も、ただ「破損」と書くのではなくてどこの調子が悪いとかどこの革ベルトが切れたのかとかまで細かく書いているので、それらと備品購入帳簿を照らし合わせることで整合性が分かりやすくなる。
「相変わらず、よくまとめられています。助かります」
「へへ……ありがとうございます。……あ、そうだ。この前女史に言われたから、ちょっとずつ部下にも記帳の方法を教えているんです!」
「まあ……そうなのですね」
顔を上げたミリアムが感心すると、ふふん、とジェレマイアは胸を張った。
「女史のおっしゃるとおりですし、今後の部下の育成や俺が抜けたときのことを考えると、俺一人で何もかもをやるのは間違っているって分かったんです。だからちょっとずつ、あいつらにもペンを取らせているんです。……むちゃくちゃ文句言われますけどね」
「……ふふ。でもいずれはこうしてよかった、と皆も思えるはずですね」
「ええ、そうなるといいですね」
(……よかった。普通に会話ができているわ)
数日前に自分に告白をした相手ではあるが、ちゃんと小隊長と経理担当としての当たり障りのない会話ができている。
……むしろここで色気を全開に出すようだったら、さすがにミリアムもジェレマイアを見限ったかもしれない。仕事とプライベートをきちんと分けられる人が、ミリアムは好きだ。
今回の帳簿確認はこの場で終えられたので、帳簿の最後に赤いインクで自分の名前と日付をサインしてから、ミリアムは帳簿を返した。
「確認を終えました。ミスのない、とてもきれいな帳簿でした。これからも無理せず、部下の皆様と協力して記録をしてくださいね」
「はい、どうもありがとうございました。……」
「……どうかなさいましたか?」
「……ええと。もう、帳簿チェックは終わり……ましたよね?」
チラチラとこちらを伺うような目で尋ねられたので、ミリアムは小さく笑ってからジェレマイアの胸を軽く押した。
「ええ。でも私はまだ、勤務時間中ですので」
「ですよねぇ! そういうクールなところが女史らしいです!」
ミリアムに抵抗されるのは予想済みだったようで、ジェレマイアはははっと笑ってから立ち上がり、前のようにドアを開けてくれた。
「それじゃあ、お気を付けて」
「ええ、どうも」
ミリアムはお礼を言って廊下に出て、ロビーにいる受付に軽く挨拶してから詰め所を出た。
もうすぐ冬になろうとしているからか、昼間でも吹く風はほんのり寒い。今日は曇りなのでまだましだが、これが快晴だったら翌朝の冷え込みもかなりのものになる。
騎士団区を離れてしばらく歩いたところで、後ろから「プレストン小隊長!」という声が聞こえてきた。足を止めて振り返ると、詰め所を出たジェレマイアのもとに若い騎士たちが集まっていた。
ジェレマイアが何か指示を出したようで、皆は「はっ!」と言って散っていった。
部下を見送ったジェレマイアが顔を上げて……こちらを見て軽く手を挙げたので、ミリアムも右手を小さく振ってからきびすを返した。
ある意味、前と同じ距離感、前と同じやりとりだ。
……だが、こういうやりとりができるジェレマイアのことを、ミリアムは好ましく感じていた。