7 彼の瞳が語るものは①
ジェレマイアに誘われて向かったのは、城下町の大通り沿いにある小洒落たカフェだった。
(ここ、最近できたのは知っていたけれど行ったことはなかったわ……)
カフェの入り口に立つミリアムは、ほう、とその外観を眺めていた。
この店の存在自体は、経理部でも話題になっていたので知っていた。値段もリーズナブルで、カップルでも家族でもお一人様でも大歓迎の店ということで、皆も興味津々だった。
だがおかげさまで毎日満員御礼で、ふらっと通りがかりに入店することはできない。予約すれば入れるそうだが面倒くさいし……と思っていたので、ジェレマイアがこの店をわざわざ予約していると聞かされて、ミリアムは驚いた。
「ここまでしてくださったのですね」
「そりゃあ当然ですよ。寒空の下でレディを待たせるほど、俺は無計画な男じゃないですからね」
ミリアムの隣で、ふふんとジェレマイアが胸を張っている。
……二人の近くには、「二時間待ちなんて、聞いていないわ!」「仕方ないだろう! というかおまえがいきなり行きたいって言い出したんだろう!」「だったら予約くらいしなさいよ、この甲斐性なし!」と喧嘩をしているカップルの姿があった。
(私たちではああはならないけれど、さすがにこの寒さの下で二時間待ちは遠慮したかったから、ジェレマイアには感謝だわ)
「本当にありがとう。じゃあ、入りましょうか」
「ええ!」
今にも殴り合いに発展しそうなカップルを尻目に入店すると、店内は暖かくて手袋を付けた手のひらがじんわりと汗ばんだ。
店員を呼び止めたジェレマイアは丁寧な物腰で予約について言い、確認が取れたところでミリアムの手を取って歩き出した。
(……女性関係は潔癖とのことだけど、さすが傍系王族の騎士。所作が洗練されているわ……)
賑やかな店内を歩いて案内されたのは、一番奥の席だった。他の席よりもテーブルが大きく、周りにカーテンが付いているのでそれを閉めれば二人だけの空間になる。
思わずカーテンの方を見てしまったが、ジェレマイアは苦笑して「大丈夫です、閉めませんよ」と言い、ミリアムの椅子を引いて座らせてくれた。本当に、紳士として立派だ。
店員が持ってきたメニューには、ちゃんと値段が書かれている。
伯爵令嬢として家族と一緒に行ったレストランでは、ミリアムや母、妹が見るメニューには値段が書かれていなかった。ここは庶民向けの店なので、そういう配慮はされていないようだ。
「今更ですけど……ミリアムさんって、伯爵令嬢ですよね? こういう場所、大丈夫ですか?」
メニューを見ているところで本当に今更な質問をされたので、ミリアムは微笑んだ。
「ええ、もちろん。貴族令嬢として生活していたのももう八年も前のことなので、こういう賑やかなお店もすっかり慣れました」
「そ、そっか! それならよかったです!」
「あなたこそ、普段からこういう場所で食事をしているのですか? 聞いた話だと、あなたは傍系王族だとか」
少し声を潜めて尋ねると、ジェレマイアは陽気に笑った。
「あはは……確かに俺のばあちゃんは元王女なんで傍系王族ではあるんですけど、傍系の傍系のさらに傍系みたいなもので、俺はただの騎士爵階級の平民です。王位継承権だって、ないようなもんですから」
「ないようなもん、ということは、あるといえばあるのですね」
「ですね。といっても、王位継承順位第五十番とかそれくらいですが」
つまりジェレマイアが王になるとしたらそれは、この国で王侯貴族が大量に死ぬくらいのことがあったときくらいだろう。
さて、と気を取り直してメニューを見て、ミリアムは魚のムニエルを選んだ。これなら湯気が出ないため、眼鏡を外さなくても食べられるからだ。
ジェレマイアはちらっとミリアムを見て、ステーキプレートを選んだ。さすが高身長な若い騎士だけあり、肉の大きさを通常の二倍で注文していた。
(眼鏡を着けたままだと、何か言われるかしら……?)
料理が運ばれたところでドキドキしつつカトラリーを手にしたが、ジェレマイアは「うまそー!」とだけ言い、自分のステーキにナイフをぶっ刺した。
(……何かしら。すごく、気が楽)
スコットとでさえ、二人きりで食事をすることがなかった。
同僚でも家族でもない若い男性と二人で食事なんて、過去の自分なら震え上がってしまっただろうが……不思議ととても落ち着いた気持ちで、ムニエルにナイフを入れることができた。
ジェレマイアはカトラリーの扱いも丁寧だったが、いかんせんとにかく食べるのが速かった。
ミリアムがちまちまと魚を切り分けている間にステーキの塊は彼の口の中に消えていき、付け合わせのパンもあっという間に姿を消した。
「すみません。私、食べるのが遅くて……」
「ん、気にしないでください。俺が早食いなんです」
紅茶のおかわりを自分で注ぎながら、ジェレマイアはあっけらかんと笑って言った。
「それにしても、ミリアムさんはやっぱりお嬢様ですね。料理を食べる手つき、すっごくきれいです」
「そ、そうですか?」
真正面からストレートに褒められたのでつい動揺してしまったが、ジェレマイアは微笑んで「もちろん!」と言った。
「俺もマナーだけはたたき込まれたので自信があるんですが、やっぱり伯爵令嬢には勝てませんね! それにほら、ミリアムさんっていつも姿勢がいいし」
「そうでしょうか……?」
「そうですよ! だって俺、帳簿をめくるときのあなたの視線とか目つきとか指先に、惚れ……っと」
ん? とミリアムが顔を上げると、ジェレマイアはぱっと自分の口元を手で覆っていた。
「何か?」
「……あー、えっと。ミリアムさんの食事が終わった後でいいです、うん」
「分かりました」
(……今、何か聞こえた気がするわ)
聞きたいような、聞きたくないような。
聞いてもいいような……聞いたら後に引けなくなるから、食事が終わったらすぐに帰るべきのような。
妙に、心臓が騒がしい。
気のせいだろう、と自分に言い聞かせても……先ほどうっかりジェレマイアが「惚れ」と口走った声が、なかなか忘れられない。
(ええと……まさかのまさかの、そういう話に持ってくつもり……だったり……?)
気になりすぎて頬が熱くなりそうだし、せっかくのおいしそうなムニエルもあまり味が感じられなかった。
いつもより時間を掛けてミリアムは食事を終え、指先もきれいに洗った。
「ごちそうさま。とてもおいしかったです」
「え、ええ、それならよかったです! っと。じゃあ食後のお茶を……」
ジェレマイアの言葉が、止まる。
なぜなら、ミリアムがゆっくりと眼鏡のつるに手を掛けて、それを外したから。
これまで自分をあの能力から守ってくれていた眼鏡のつるを丁寧に折りたたんでテーブルに置き、少し乱れた赤い髪を整えてからミリアムは顔を上げた。
ジェレマイアが、ぽかんとした顔でこちらを見ている。薄いレンズ越しでない、彼のブルーグレイの目とはっきり視線がぶつかる。
(……先に、この人の気持ちを知りたい。知っておいた方がいい)
彼の本音が聞こえたら……それによっては、ミリアムはやんわりと理由を述べてからすぐにこの店を去る。
そちらの方が、どちらも傷つかないだろうから。
「……ジェレマイア」
「っ、はい!」
「私の目、見てくれませんか?」
ジェレマイアの目が少し泳いでいたのでミリアムが静かにお願いすると、彼の喉仏がぐっと上下してから、彼の視線がきちんとこちらを見た。