6 ジェレマイアのお誘い②
ミリアムはしばし、頭の中でジェレマイアの言葉を反芻した。
(食事、食事……えっ、一緒に、食事!?)
思わず口元をぱっと手で覆うと、一気にジェレマイアはしゅんと悲しそうな顔になった。どうやら今の自分の表情は、「嫌です」と取られても仕方ない顔だったようだ。
「……あ、あの、すみません、いきなりこんなこと言って。嫌なら全然いいですから!」
「あ、えと、嫌というわけではないです」
「えっ」
「……その。こういうことを言われるのが……初めてで」
言い訳のように口にしてから……自分でもそのことに気づいた。
ミリアムはこれまでに一度も、スコットから食事に誘われたことがなかった。
一緒に食事をしたことはあるが、それらはどれらもスコットの実家であるアボット家やミリアムの実家であるエリントン家で行われる――スコットが誘うのではなくて家族付き合いの一環のようなものだった。
経理部で働くようになってからも、異性とそういう話題になるのは避けていた。
男性の同僚たちも、ミリアムがそういうことを望まないと分かっているようなので誘ってこず、食事に行くのはスカーレットなどの同性かもしくはフランクのような年の離れた男性くらいだった。
ミリアムの言葉に、ジェレマイアは「えっ」とまたしても声を上げた。
「初めて? こんなにお美しい方なのに?」
「あ、ありがとうございます。でも本当に、初めてなのです。元婚約者からも、こういうのに誘われたことはなくて……」
「……え、ええと。元、ということは……今はフリー、ということでよろしいですか?」
今更な確認をされたので、ミリアムはうなずいた。
「はい。八年ほど前に婚約破棄されて以来、そういったご縁はございません」
「……そう、でしたか。すみません、嫌なことを思い出させてしまって……」
「お気になさらず。もう、昔のことですから」
ミリアムは微笑みながらも圧を掛けて「この話はここでおしまい」と訴え、咳払いをした。
「……それで。お食事に誘っていただけるとのことですが……なぜですか?」
「なぜ、って……俺がミリアムさんと一緒に食事をしたくなったからですよ?」
もっと深い事情でもあるかと思ったので、ジェレマイアの返事にはミリアムの方があっけにとられてしまった。
(な、なるほど。ムードメーカーはこうやって人心を掌握するのね……)
スカーレットの話では異性関係には潔癖とのことらしいが、このジェレマイアという男、なかなかの天然人たらしのようだ。
(でも、相手の素性は確からしいし……食事くらいなら、いいかしら)
さすがに食事中は眼鏡を外すことになるが、相手の目を見なければいい話だ。
ミリアムとしては……こうして無邪気に慕って食事にも誘ってくれる気のいい青年の心の声を聞くのは、少しだけ怖かった。
「分かりました。……ではありがたく、ご相伴に与らせていただきます」
「えっ!? あ、ありがとうございます! よかったー、断られなくて!」
ジェレマイアは笑顔になると、さっとミリアムの両手を握ってきた。
あまりに動きが素早かったし急だったので避ける間もなかったが、ミリアムの両手を握るジェレマイアの手つきはとても優しい。
「それじゃあ俺、女性が好みそうな店を探しておきますね! 今度場所と時間を知らせるので、そこでまたご意見を聞かせてください!」
「ええと……私は基本的に何でも食べるので、ジェレマイアが好きな料理のあるお店でいいですよ?」
さすがに大通りの路地裏にある怪しげなパブなどは遠慮したいが、きちんとした店ならばどかんと肉が出てきても構わない。むしろ、女性が好きそうなメニューをそろえた店だったら、大柄で体を使う仕事に就いているジェレマイアでは物足りないかもしれない。
だがジェレマイアは「とんでもないです!」と大げさなくらい勢いよく首を横に振った。
「俺の方から誘っているんですから、ミリアムさんの好みを考えるのが一番ですよ! ……ああでも、ミリアムさんの方が何でもいいって言うのなら、何でもいいのかなぁ?」
ぶつぶつ考え込み始めたジェレマイアは、二十三歳という年齢よりも若く……もとい幼く見える。だが、本気で悩んでいる様子からは全く邪気が感じられなくて、ついミリアムも相好を崩してしまった。
「それなら……あなたが好きな店に連れて行ってください」
「いいんですか?」
「はい。……楽しみにしていますね、ジェレマイア」
ミリアムが微笑むと、ジェレマイアはぽわんと周りにタンポポの綿毛を飛ばしそうな雰囲気で破顔したのだった。
ジェレマイアに食事に誘われた、と休憩時間に言うと、スカーレットは露骨に顔をしかめた。
「弓矢でも装備して後を追うべきかな」
『ミリアムがいいと言うのなら、いいけれど』
「スカーレット。言っていることと思っていることが、逆転しています」
「あらら、失礼失礼」
ははは、とスカーレットは快活に笑った。ミリアムの能力のことを知って七年になるからか、スカーレットは今では本音と建前を入れ替えるなど器用なこともできるようになった。
眼鏡を外して温かいココアを飲んでいたミリアムは、おやつの干し芋をバリバリ食べるスカーレットを見つめた。
「……やっぱり、ジェレマイアの前では眼鏡を外さない方がいいでしょうか」
「外す必要がないのなら、外さなくていいだろうね。夫の話ではなかなか気のいい男らしいが、心の中では何を考えているのか分からないのが人間だからね。下手に心の声なんて知らない、聞かない方が、よい関係を築けると思うよ」
スカーレットの言葉はもっともだ。
ここ数年間で、ミリアムは前を向けるようになった。最初のうちは実家に帰ることができなかったが、最近は年に数度は屋敷に顔を出している。
まだ眼鏡を外す勇気は出ないが……いずれ家族の前なら外せるようになるかもしれない、と思えるようになった。
心の中の声は、その人の正直な気持ちだ。相手は、誰にも聞こえないと思って心の中で呟いているのだから……それをえぐり出すのは失礼なことだ。
(それに、心の中の声が聞こえるってなったら、嫌がる人も多いだろうし……)
ちらっと隣を見ると、スカーレットと目が合った。
「食事に行くの、不安?」
『干し芋おいしいわ』
本当に、器用な女性である。
「不安……ではあります。でもジェレマイアは仕事での付き合いもあるのだから、今回はきちんとお付き合いしようと思います」
「うん、それがいいね」
スカーレットの干し芋を数枚分けてもらいそれをかじりながら、ミリアムはジェレマイアの屈託のない笑顔を思い浮かべていた。