4 陽気な騎士との出会い②
いつも監査の際に使う応接室は、ものが少なくてやや殺風景だ。
ミリアムを座らせたジェレマイアは「ちょっと待っててくださいね」と言っていったん部屋を出て、間もなく紅茶入りのカップと分厚い帳簿を手に戻ってきた。
「お茶、どーぞ。あ、砂糖は入っていないんですが、もし必要でしたら持ってきますよ」
「このままで大丈夫です。お気遣いありがとうございます」
そう言って受け取ったカップをよく見ると、底に何かが沈んでいた。
(レモンの輪切り……。わざわざ一手間を加えてくれたのかしら)
ジェレマイア・プレストンは去年第四小隊長に就任したばかりで、帳簿の監査をするのも今回が初めてだ。
ミリアムが帳簿をめくると、正面に腰を下ろしたジェレマイアがそれまでの陽気な様子から一転して、そわそわした様子で身を乗り出してきた。
「ええと……俺が小隊長になって初めての監査なんですけど、それ、内容合ってますかねぇ?」
「これから見るのでなんとも言えませんが……帳簿係も代わったのですか? 字が違うのですが」
昨年度の帳簿の字はもっときれいだったのだが、彼の代になってからは一気に雑――個性的な字に変わっている。読む分には問題ないし、数字に間違いがないならばミリアムとしては十分だが。
ミリアムの指摘に、ジェレマイアはあはは、と笑った。
「あ、やっぱり分かっちゃいますか? 俺、字はあんまり得意じゃないんですよねぇ」
「…………え? あなたが記帳なさったのですか?」
思わず顔を上げて問うと、ジェレマイアは苦笑して頭を掻いた。
「実はそうなんですよ。というか、帳簿係が前の小隊長と一緒に異動しちゃってですね。やり手がいなくなったんで、俺が頑張って記帳したんです」
「……。……頑張りは認めますが、それはさすがに小隊長の仕事ではないのでは? ただでさえ他の業務があるのに、負担が大きいでしょう」
少なくとも他の担当部署では、隊長格の者が記帳をするなんて聞いたことがない。せいぜい、経理部の監査の前に完成した帳簿に一通り目を通すくらいだ。
すると、ジェレマイアはしゅんっとうなだれた。彼の頭頂部にある幻の犬耳もしゅんと垂れた気がした。
「う……分かってはいるんです。でも俺の代になってごっそりメンバーも替わって、なんか馬鹿ばっかりになったんです。といっても小隊長の俺が一番の馬鹿なんで、俺の責任ではあるんですが……」
「それで、あなたが記帳もなさっていると……」
「そういうことです。あ、でも、ちゃんと計算をしているし不正もしていませんから!」
慌てて顔を上げたジェレマイアが言ったので、ひとまずミリアムはうなずいてから鞄から計算道具を出し、帳簿の確認を始めた。
(……す、すごい。字は汚いけれど数字はきちんと合っているし、備品購入にも無駄がない……)
それだけでなく、ジェレマイアは「備考」欄に細かなメモを残している。
今回剣が何本折れた、負傷者が出たから医療道具を、という記録だったり、はたまたどこの店が安いかとかどうまとめ買いをすればお得かなどといった覚え書きであったり。
(……見た目は軽薄そうと思ってしまったけれど……前言撤回ね。とても丁寧で、努力の跡が見られる帳簿だったわ)
詳しいところは持ち帰ってじっくり読む必要があるが、今見たところ問題は全くなさそうだ。ミリアムが眼鏡を取って「鷹の目」を発動させる必要もないだろう。
ぱたん、と帳簿を閉じると、確認作業中はびくとも動かずミリアムの手元や顔を見ていたジェレマイアがこわごわといった様子で唇を開いた。
「そ、その、エリントン女史。俺の帳簿、どうでしたか……?」
「十分だと思います。数字などが正確なだけでなく、備考欄の記載があるので私も騎士団での様子がよく分かり、備品購入の必要性なども見えてきました」
「あ、よかった! 備考欄に余計なことを書くな! って叱られるかと思っていたんですよ!」
「叱ったりはしませんよ……」
やれやれと思うが、ジェレマイアは小隊長になってまだ一年程度だというから、あらゆることが手探り状態なのだろう。彼なりに工夫して丁寧に記帳した帳簿は、花丸をあげてもいいくらいの出来だ。
「上長の確認も必要なので、いったんこちらに持ち帰らせていただきますが……おそらく問題ないかと」
「そうですか! 了解しました、よろしくお願いします!」
さっと立ち上がって騎士の礼をしたジェレマイアは、それまでの犬っぷりから一転して堂々たる騎士の顔をしていた。
(女性から人気がありそうね……)
レモンの輪切り入りの紅茶もありがたく最後までいただき、席を立つ。すぐにジェレマイアは出入り口の方に行き、ドアを開けてくれた。
「どうぞ、エリントン女史」
「え、ええ。ありがとうございます」
帳簿は鞄に入りきらなかったため腕に抱えている状態なので、ドアを開けてくれて助かった。
通り過ぎる際にちらっと顔を上げると、視線が合ったジェレマイアはブルーグレイの目を細めてにっこりと人なつっこく笑った。
(……もし眼鏡を外していたら、どんな心の声が聞こえたのかしら)
そう思うと、紳士的な対応をされて少し浮上していた気持ちがストン、と地に落ちた気がした。
かくして、ガードナー隊第四小隊隊長であるジェレマイアと知り合ったミリアムだったが。
「……ミリアム。あそこで満面の笑みで両手を振っているのは、どこの誰?」
「……この前監査を行った騎士団の、小隊長です」
スカーレットと並んで騎士団の近くを歩いていると、元気よくアピールする大型犬――もといジェレマイアの姿があった。
あれからジェレマイアは、ミリアムと会うたびにこうやって自己主張をするようになった。
無視するのもかわいそうなのでミリアムも手を振り返したりするのだが、そのたびに「手を振ってもらえたー!」ととても嬉しそうな声が聞こえてきた。
「……彼に懐かれるようなことでもしたの?」
「ないと思います……」
本当に、心当たりがない。
スカーレットは、ふむ、と腕を組んだ。
「……もしゲスな気持ちでミリアムに近づく輩だったらいけないから、フェイビアンに調査させようか」
「旦那さんにですか? いえ、そこまでのことは……」
「ミリアム、あなたは貴族の令嬢でしょう。自分に近づこうとする異性には警戒しておいた方がいい」
スカーレットに言われて……そういえばそうだった、とミリアムは目を瞬かせた。八年間の経理部生活により、自分が伯爵令嬢であるという自覚が薄くなっていたようだ。
(でも、私に近づこうとする異性っていっても……。あの人は多分、そういう下心はないと思うけれど……)
とはいえ彼の素性は気になるので、スカーレットにお願いはしておいた。




