3 陽気な騎士との出会い①
ミリアムは、経理部の職員として第二の人生を歩んだ。
かつてスコットに「下品」と言われた赤い髪はきっちりと結い、茶色の目を隠す眼鏡を掛ける。経理部の女性用制服である濃い緑色のジャケットとロングスカートは最初見たときには「動きにくそう」と思ったが、令嬢時代に着ていたドレスよりよっぽど動きやすくて軽いのだとすぐに分かって感心したものだ。
経理部で書類を書いたり計算をしたり抜き打ち監査の出張に行ったりしつつ、賑やかな同僚たちと過ごしているうちに八年が経過した。
ミリアムは、二十四歳になった。この国で二十四歳の令嬢は立派な行き遅れだが、気にしていない。両親はミリアムが元気よく働いているのが一番だと手紙で伝えてくれたし、兄は結婚しているし妹も婚約している。
「ああ、ミリアム。この前話した、ガードナー隊第四小隊の監査、よろしく頼むよ」
「かしこまりました、部長」
出張のために道具を鞄に入れていたミリアムの背中に、フランクの声が掛かった。元々ふくよかだったがここ数年でますます丸い体型になったフランクはミリアムに近づき、そっと耳打ちしてくる。
「……おそらく今回の件は、君の能力を発揮する必要はない。でももしも……ということがあれば」
「ええ、不正の可能性の芽は徹底的に潰します!」
ぐっと拳を固めて宣言すると、フランクは微笑んだ。
「ああ、その意気だ。……君はここ最近、いい表情をするようになったな」
「部長たちのおかげです。では、行ってきます」
「ああ、気をつけて」
フランクや同僚たちに見送られて、ミリアムは経理部の棟を出た。
今日はとてもいい秋晴れの天気で、ほんのりと冬の香りを含んだ爽やかな空気を胸いっぱい吸うと、頭の中がしゃっきりしてくる。
(……よし、行こう)
眼鏡を掛け直し、ミリアムは騎士団の方へ足を進めた。
経理部の仕事内容は、多岐にわたる。そのうちの一つが、王城内の各部署の経費に関する監査である。
騎士団や厨房、掃除担当部など、城内には様々な部署がある。経理部では皆が活動する際の経費を管理しており、その帳簿付けなども指示している。
ほとんどの部署には帳簿付けの担当がおり、彼らが記録した帳簿を経理部が確認することになっている。
だが……どうしてもルーズな者はいるし、中には備品をちょろまかしたり経費を横領したりする者もいる。
ミリアムは、そういった連中を問い詰めるのが得意だ。なんといっても自分には、珍しい能力がある。
――十六歳のときからずっとつきまとっているこの能力を、ミリアムは「呪い」だと思っていた。
この能力があるから、家族の顔を見るのも怖くなった。恋をすることもできそうにないし、どうしても人を疑ってしまう。
そんな能力の使い方を提案してきたのは、フランクだった。
「君の力をうまく使えば、不届き者を成敗できるかもしれないな」という意見を、最初はミリアムも固辞した。
だが……自分にもできることがあるはず、と思うようになり、監査などで勇気を出して眼鏡を外し、後ろ暗いことをしている者の目を見つめることでその本音を引き出すことができるようになった。
不正を逃さず不届き者を追い詰めるミリアムは今や、「鷹の目のエリントン」と恐れられているそうだ。若い頃の自分なら傷ついただろうその二つ名も、二十四歳になった今では笑って受け入れることができるようになった。
傷ついて泣くことしかできない弱い雛だった自分を鷹にしてくれたのは、経理部の皆や遠い場所から応援してくれた家族たちだ。
(やるならとことん、鷹にでも鷲にでもなってやるわ!)
胸を張り、ミリアムは騎士団区に向かった。
今回ミリアムが監査を依頼されたのは、ガードナー隊第四小隊だ。騎士団にはいくつかの隊があり、さらにその隊長の部下である小隊長たちが指揮する小隊がある。
このガードナー隊全体をかつてはスカーレットが担当していたのだが、彼女は五年前に騎士と結婚している。
彼女の夫はガードナー隊ではなかったが、身内に騎士団員がいる者が騎士団の担当をするのは不正につながりかねない。そういうことでスカーレットは騎士団全般の担当から外れ、それ以降は担当を転々と変えている状態だった。
なおスカーレットは現在二十八歳で、二児の母になっている。二度の産休育休を経て現在は復職しており、年下の夫を完全に尻に敷きながら仕事と子育てを両立させているようだ。
「経理部より参りました、ミリアム・エリントンです。ガードナー隊第四小隊隊長、ジェレマイア・プレストン殿との面会を希望します」
騎士団区の詰め所ロビーの受付でミリアムが名乗ると、周りにいた騎士たちから「『鷹の目』が来たぞ」とひそひそ声が聞こえてきた。
(ご安心を。「鷹の目」は不正をしない者の前では、平和な鳩でいますので)
心の中だけでそう言っていると、ロビー奥の階段を銀髪の男性が降りてきた。
ミリアムと同年代に見える彼は背が高く、王国騎士団の制服である濃紺の軍服を少しだけ着崩していた。
シルバーブロンドの髪は長めで毛先に癖があり、粋な感じに整えている……なんとなく、「遊び人」という表現が似合いそうな美青年だった。
受付の若い騎士が「あれがジェレマイア・プレストンです」と言ったためか、銀髪の騎士は顔を上げてミリアムを見てきた。きりっと吊ったブルーグレイの目が魅力的な、北の大地に生きるという大型犬を彷彿とさせるような雰囲気の青年だ。
彼は目を瞬かせるとミリアムを見て、「ああ、そうだそうだ」と朗らかな声を上げた。
「今日、経理部から監査が来るんだったか! いやぁ、すまない。忘れてました!」
「……ミリアム・エリントンでございます」
ひとまず自己紹介すると、ミリアムの前までやってきたジェレマイア・プレストンは間近でミリアムを見て少し驚いたような顔をしてから、にこやかに手を差し出した。
「……。……どうも、エリントン女史。ガードナー隊第四小隊隊長、ジェレマイア・プレストンです。どーぞよろしく!」
「よろしくお願いします」
差し出された手を無視するわけにはいかないので、ジェレマイアの手を握った。
お互い手袋を着用しているのだが、手袋越しでもジェレマイアの手が大きくてごつごつしており……剣を持って戦う人の手であることがよく分かった。
ジェレマイアに案内されて、ミリアムは応接室に向かった。これから行うのは帳簿の監査なのに、ジェレマイアはふんふん鼻歌を歌っており後頭部がゆらゆらとご機嫌そうに揺れている。何か、いいことでもあったのだろうか。