14 届いた声の行方①
エリントン伯爵家の使用人が呼んでくれた衛兵によってスコットはしょっ引かれ、兄も駆けつけてくれた。
スコットが妹の悪口を言っていたと知った兄は「あのクソ野郎が……!」と怒りをあらわにした。
そしてその場にいたジェレマイアが簡単に経緯を説明して、「妹さんと話したいことがあります。必ず深夜になる前には屋敷に送り届けます」と真剣な顔で言うと、かなり悩んだ様子だが最終的には首を縦に振ってくれた。
ジェレマイアが先に城を離れ、ミリアムはいったん兄と一緒に伯爵邸に帰ってコルセットやバーバラ用のドレスを脱いで、体を締め付けないドレスに着替えた。
念のためにメイドから眼鏡を受け取ってそれを身につけてから、兄に同行してもらいプレストン邸に向かう。
(……あれ? このお屋敷、見覚えがあるような……?)
ぼんやりと明かりのともるプレストン邸を正面から見たミリアムはふとそんなことを思ったが、兄の声で我に返った。
「ジェレマイア・プレストン卿をいったん信じて、君を預けることにした。ミリももう、大人だものな。……だが夜遅くなる前に、必ず帰ってきなさい」
「分かりました。……ありがとうございます、お兄様」
礼を述べると兄はほんの少し笑い、「……いい話をするんだよ」とだけ言って馬車を走らせていった。
もう夜だが、プレストン邸は上流平民階級の屋敷だからか庭がそれほど広くないおかげで、すぐに玄関に到着できた。
そこには執事らしき男性がおり、ミリアムを見てお辞儀をした。
「ミリアム・エリントン様ですね。ジェレマイア様より伺っております。どうぞ、中へ」
「ありがとう、お邪魔します」
執事に案内されて入った玄関ホールも伯爵邸よりずっと狭いが、きれいに掃除されているし温かみがあった。
出迎えてくれたメイドにコートなどを渡し、「ジェレマイア様はお召し替え中です」とのことなので、彼の準備が終わるまでリビングで待たせてもらうことにした。
ジェレマイアはプレストン家の長男だが、彼の両親は本日出払っているそうだ。だが執事は温かいお茶を淹れてくれたし、メイドたちが菓子を出してくれた。
コルセット着用中は我慢していた菓子と紅茶をありがたく味わって待っていると、ジェレマイアが降りてきた。
豪華な礼服から簡素なシャツとスラックス姿になっており、風呂にも入ったからか下ろした前髪もしんなりしている。
「……すみません、お待たせしました」
「気にしないでください。体にガラスの破片などが残っては大変ですものね」
ミリアムがドレスから着替えるのもそれなりに時間が掛かったが、ジェレマイアの場合は服や髪のどこにガラスの破片が付いているか分からないため、脱ぐのにも髪を洗うのにも慎重になり時間を要して当然だ。
ジェレマイアはもう一度詫びてから、ミリアムの向かいのソファに腰を下ろした。
茶だけを出させた後は使用人たちに部屋を出るよう言ったが、ドアは開けている。極力二人きりにならないようにして、いざとなったらいつでもミリアムが出て行けるようにという配慮だろう。
「……その。今晩はいろいろあったけれど……体調などは、大丈夫ですか?」
ジェレマイアに尋ねられたので、ミリアムは微笑んでうなずいた。
「ええ、あなたのおかげで私はなんともありません。……あなたも、他に怪我などはしていませんよね?」
「はい、風呂に入る前に確認したんですが、皮膚は傷ついていなかったです」
「……よかった」
ほっと息をつくとジェレマイアも笑みを返し――ふっと真剣な顔になった。
「……もしよろしかったら今日のうちに、お話ししたいことがあるのです。……あなたの力について」
「……」
すんっと真顔になったミリアムだが、深呼吸してからうなずいた。
「……もう、あなたにもばれてしまいましたからね。でも……その、気持ち悪く、ないですか?」
「え? どれがですか?」
「……。……私は、直接目を見た相手の考えていることを聞く力があります」
ミリアムは、ゆっくりと――これまでフランクとスカーレットにしか話していない自分の能力について、話した。
十六歳のときに高熱でうなされてから授かった、謎の能力。
気持ち悪い、と言われるのが怖くて、大好きな家族の本音を聞いてしまうのが恐ろしくて……実家から逃げて、経理部で働くようになった。
部長のフランクとその娘のスカーレットにだけは事情を話し、うまく仕事を割り振ったりしてくれた。眼鏡越しでも人の目を見るのに勇気がいるミリアムのためスカーレットが側にいて、盾になってくれたこともある。
スカーレットが結婚して産休を取るようになった頃から、ミリアムも「自分でどうにかできるようにならないと」と思い、少しずつ前を向けるようになった。
そしてフランクの励ましもあり、いっそこの能力で帳簿の不正を見抜いてやろうと監査などで活用することにして……「鷹の目のエリントン」と呼ばれるようになった。
ぽつぽつと語るミリアムの話の腰を折ることなく、ジェレマイアは静かに耳を傾けていた。
そして話が途切れたところで、「なるほど」と小さく唸った。
「……そういうことだったのですね。なんというか、いろいろなことがストンと納得できました」
「……でも、今日のあのときまではあなたの心の声は全然聞こえなかったのです。それで……ついうっかり……」
「……。……ミリアムさん。俺は……ずっと、あなたに礼が言いたかったんです」
急に改まった様子で姿勢を正したジェレマイアが、じっとミリアムを見つめてきた。
「……あなたは覚えていないかもしれません。でも……あなたは八年ほど前に、道で迷っている女の子を助けたことがありませんか?」
「……八年前?」
八年前というとまさに、心の声が聞こえるようになって婚約破棄され、塞ぎ込むようになった頃のことだろうか。
「はい。その女の子は病気が原因で、しゃべることができませんでした。王都の真ん中でお付きの者とはぐれ、自分の名前も住所も、それどころか『助けて』と言うこともできないたった九歳の女の子に――あなたは、手を貸してあげませんでしたか?」
(……あ)
ふと、ある光景が脳裏に浮かんだ。
――大きな日よけの帽子を被った女の子が、声を上げずに泣いている。あちこちうろうろするけれどその足取りはおぼつかなくて、今にも倒れてしまいそう。
当時のミリアムは十六歳で、経理部で働くようになって間もない頃だった。
休日だったので日用品を買いに行こうと、途中までスカーレットに同行してもらいそこから先は一人で行動していたのだが――そこで、迷子になっている女の子を見つけた。
ただならぬ様子が、伝わってきた。
ふらふらと頼りない足取りで歩く少女が、まるで――打ちひしがれていた自分のように見えて、思わず声を掛けていた。
どんなやりとりをしたのかは、覚えていない。だが少女はしゃべれないようで、ミリアムが何を尋ねても喉からはかすれた音しか出てこない。
だからミリアムは思いきって眼鏡を外して、その女の子の目を見た。そうすると、使用人とはぐれてしまったことや自分の名前、住所を心の声から読み取ることができた。
ミリアムは女の子を連れて馬車に乗り、屋敷まで連れて行ってあげた。
……もう記憶はおぼろげになっているが、女の子が無事に保護されたのを見届けるとすぐにきびすを返した気がする。
ミリアムはゆっくり瞬きして、「あ」と声を上げた。
「まさか、あのときの迷子が……あなたの、妹さん?」
「そう。……俺の妹のエメラインは声が出なくて、会話は筆談で行うしかなかった。でもそんなエメラインが迷子になった後、知らない女性に連れられて無事に戻ってくることができたんです」
ジェレマイアは微笑み、目を伏せた。
「……どうやって帰ってきたんだ、誰のおかげなんだ、と聞いてもエメラインは、『誰にも言わないで、とその人に言われたから、言えない』とかたくなに教えてくれなかった。……でも、今理由が分かりました。ミリアムさんはエメラインの心の声を読み取ってここまで送り届けて……でもご自分の能力についての噂が広まるのを恐れて、エメラインに口止めを依頼したんですね」
「……細かいところまでは覚えていないのですが、きっとそうだと思います」
……ということはつまり、そのときにミリアムが助けた女の子はもう既に亡くなっているのだ。
ミリアムが心配になるほど弱々しい子だったとは思うが、あれから四年ほどしか生きられなかったということになる。
だが落ち込むミリアムに、ジェレマイアは「でも」と言葉を続けた。
「あのときあなたが助けてくれなかったら……エメラインは無事に帰ってこられなかった可能性が高かったんです。十歳まで生きられないかもしれないと言われたエメラインが十三歳まで生きられたのは……あなたのおかげです。だから……もしそのときの女性に再会できたら、エメラインを助けてくれたお礼を言いたかったのです。……妹を救ってくれてありがとうございました、ミリアムさん」
そう言ってジェレマイアが深々と頭を下げたので、ミリアムは慌てて手を振る。
「顔を上げてください!」
「あなたは自分の能力が露見する可能性を恐れながらも、エメラインを助けてくれたのです。……今は不在ですが両親も祖父母も、あのときの恩人に再会できたら謝礼を、と申しておりました」
「とんでもないです! 私は、その……お礼がほしくてやったのではないのですから!」
「……本当にあなたは、欲のない方ですね」
そこでようやく顔を上げてくれたジェレマイアは、泣き笑いのような表情をしていた。
「……本当は監査に来たあなたを見たときに、おやっと思っていました。顔が、似ていたので」
「……え? なぜ私の顔を?」
「俺はあの日、エメラインを探して回っていたのですが……手がかりがなく落ち込んで帰ってうちの屋敷の外周を歩いていたとき、足早に走り去っていくあなたを見たのです。なんとなくあなたの顔を見てすれ違ってから……エメラインが若い女性に助けられたと聞き、今すれ違った人のことだと分かったのです。すぐに後を追ったのですが、もうあなたの姿はなく……」
(そう、だったのね……)
あのときのミリアムはすぐにこの場を離れなければ、という一心だっただろうから、すれ違った男の顔なんて見ても覚えてもいない。身分がばれるのを防ぐため、特徴的な眼鏡も掛けていなかったはずだ。




