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12 ジェレマイアの気持ち

 ジェレマイア・プレストンは、器用な男である。


「プレストン卿は最近、経理部の女性に首ったけという噂ですが、本当でしょうか?」

「おや、ご存じでしたか! いやぁ、実はそうなのですよ!」

「えっ……?」


 自分から話題を振ってきたくせに驚いた顔をする中年男性に向かって、ジェレマイアは「参りましたねぇ」と言って笑顔で頭を掻いた。


「少し前に彼女がうちの小隊の帳簿監査に来た際に、知り合いましてね。エリントン伯爵家のご令嬢とのことなのですが、大変素敵な女性なのです!」

「……そ、そうですか。いやしかし、プレストン卿が職業婦人を見初めるとは珍しいことですし、ましてや伯爵令嬢が結婚もせずに仕事をするなんて……」

「そうですか? 俺はただ王子殿下をはとこに持つだけの、騎士爵の息子ですよ? それに、働く女性ってきらきら輝いていて素敵なんですよ! むしろ騎士ごときが伯爵令嬢を追いかけるなんてとんでもない、って言われるかと思っていました、ははは!」


 相手の中年男性は、視線をさまよわせている。彼の背後には同じように、ジェレマイアのノリについて行けていない様子の令嬢の姿があった。


 ……この中年男性は、某子爵である。社交界に疎いジェレマイアは名前も知らなかったのだがやけになれなれしく話しかけてきて、どうしたものかと思っていた。


 間違いなく彼は、自分の娘とジェレマイアの縁談を望んでいる。

 ジェレマイアは身分としては平民だが、その体にはわずかではあるが王家の血が流れている。王位継承順位も、天変地異か大反乱でも起こって王家全滅でもならない限り王冠を戴くことがないような端っこ者だが、それでも継承権が「ない」のと「ある」のでは大きな違いだ。


 現に彼は平民階級の騎士でありながらこうして、王子の誕生記念パーティーに招待されている。

 最初は騎士の礼服を着て会場を歩くジェレマイアを見て怪訝そうな顔をしていた貴族たちも、本日の主役である王子が「ジェイ!」と嬉しそうな声でやってきてハグをしたのを見た瞬間に、目の色を変えた。


 ――この軽そうな騎士を落とせば、王家とお近づきになれるかもしれない。


 侯爵や伯爵などよりむしろ、子爵や男爵などの方がジェレマイアを狙ってきた。

 彼に娘を売り込めば、次期国王である王子殿下の関心を引くことができるかもしれない……という下心は、ジェレマイアもひしひしと感じていた。


 ……そういえば、自分に王位継承権があると教えてもミリアムはほとんど態度を変えなかったものだ。


 毒気を抜かれた様子の子爵親子との会話を適当に切り上げ、会場をぶらつきながらジェレマイアは自分が片思いする令嬢のことを考える。


 ジェレマイアより一つ年上の、伯爵令嬢。

 仕事中は度の入っていない眼鏡を着用していてそれはそれでクールで素敵なのだが、最近ではたまに眼鏡を外してくれるようになった。


 眼鏡を外した素顔を拝めるのも嬉しいが……彼女はいつも、じっとジェレマイアの目を見てくる。

「鷹の目のエリントン」という、帳簿の不正を許さない彼女につけられた猛々しいあだ名は、ジェレマイアも知っていた。


 だが……皆が恐れるその眼差しは、とてもきれいだった。

 眼鏡越しでない、茶色の湖面に自分の顔がくっきり映り込むのを見るのが、ジェレマイアは好きだった。


 ……そう。きっと自分はあの日(・・・)からずっと、ミリアムのことが気になって仕方なかったのだ――


「……貴殿が、ジェレマイア・プレストンか」


 ミリアムのことを考えていたジェレマイアは、背後から名を呼ばれたためゆっくり振り返った。

 この声に聞き覚えはないな、と思いつつ。


 振り返った先には、ジェレマイアより少し年上と思われる男性がいた。前髪を上げているところはジェレマイアと同じだが、彼が着ているのは黒いぱりっとしたフロックコートだ。

 なんちゃって傍系王族のジェレマイアとは違う、貴族の正装である。


 にこりともしない男だが、ジェレマイアはあえて微笑んで会釈をした。


「おっしゃるとおりです。お名前をお伺いしても?」

「私は、スコット・アボット。アボット伯爵だ」

「お初にお目にかかります、アボット伯爵」


 そう言ってスコットと握手をしながら……はて、とジェレマイアは首をひねった。

 アボット伯爵……どこかで聞いたことがあるような、ないような。


 考え込むジェレマイアをよそに、スコットは給仕を呼び止めて二人分のワイングラスを受け取り、片方をジェレマイアに差し出した。


「どうぞ」

「あ、どうも。でも俺、実は酒に弱くて。ありがたいのですが、遠慮させていただきます」

「そうか」


 スコットはさして気にした様子もなくグラスを引っ込め、通りがかった給仕に押しつけた。


「いきなり呼び止めて悪い。だが、貴殿に話しておきたいことがあってな」

「俺に話しておきたいこと、ですか?」

「ああ。……貴殿はエリントン伯爵家のミリアムと懇意にしていると、先ほど耳にした」


 そう言ってからスコットは、ワインを口に含んだ。ジェレマイアはそんな相手の様子を見つめ……ぴん、と思い出した。


 彼女(・・)の口から直接、その名を聞いたことはない。

 だが気になったので、騎士団の先輩である「土下座のフェイビアン」にそれとなく尋ねてみた際に、アボット伯爵の名が出てきたのだった。


「……あなたは、ミリアムさ――伯爵令嬢の元婚約者ですね」


 いつも陽気な声にわずかな緊張の色を含ませたジェレマイアが問うと、スコットは小さく笑ってうなずき、会場のドアの方を親指の先で示した。








 スコットと共に、廊下に出る。そこにもまだ衛兵の姿があったからか、スコットはジェレマイアを開放廊下の方に呼んだ。


 ……人気のない場所だが、見通しはいい。いざとなれば手すりにぶら下がって一階下の廊下に飛び降りて逃げることもできそうだ。


 ごく自然に脱出経路を確認してから、ジェレマイアはスコットを見た。


「……それで? アボット伯爵は、ご自身の元婚約者をたぶらかそうとする若造に叱責をなさるおつもりですか?」

「逆だな」


 皮肉っぽく言ったのだが、スコットは冷たく返した。


「貴殿のことを思って、忠告しておく。……ミリアム・エリントンは、ろくでもない女だ。あいつに懸想するのは、やめておけ」

「……」

「貴殿は、思わないのか? ……あいつは時々、言動がおかしくなる。被害妄想に陥り、他人のあることないことを口走る。それに最近は、視力が悪いわけでもないのに眼鏡を掛けている様子ではないか」

「……」

「伯爵家の長女でありながらろくに社交界にも出ず、職業婦人のまねごとをしている。……あんなのを追いかけても、ろくなことにならない。経験者の私が言うのだから、間違いないとも」


 ぺらぺらとしゃべるスコットを、ジェレマイアは目を細めて見つめていた。


 スコットは会場から持ってきていたワインを一口味わってから、何も言わないジェレマイアを見つめ返した。


「……というのが、私からの忠告だ。何か、言うことでもあるか?」

「……ええと、その、伯爵。お言葉なのですが……」


 ジェレマイアは、ややあざとい角度で首をかしげた。


「先ほどからいろいろおっしゃってますけど、それ、本当にミリアムさんのことなのですか?」

「……何?」


 眉間に縦皺を刻んだスコットから視線を外し、開放廊下からよく見える夜空を見上げながらジェレマイアは笑みを浮かべた。


「俺の知っているミリアムさんは、仕事中はクールで可愛くてプライベートのときはおっとりしていて可愛らしい、すっごく素敵な人です。ぶっちゃけ俺は、眼鏡があってもなくてもミリアムさんだから全然オッケーですし、むしろ眼鏡はミリアムさんの魅力を引き上げるグッズになっていると思っています。それに手に職を持っているのも、格好よくていいと思います」

「……」

「あと、被害妄想とかあることないことを口走るとか……そういうのは特にないと思いますよ? 優しくて頭もいいし、姿勢がきれいで指先まで上品だし、ミリアムさんの悪いところを挙げろっていう方が無理です。それに俺はなんちゃって傍系王族なんで、ミリアムさんが社交界に出ないのも全然気にならないですし」

「……」


 ジェレマイアが調子よくしゃべるにつれて、スコットの眉間のしわは深くなっていく。

 それに気づかないジェレマイアではないが、「今の自分は夜空を見ているので、気づいていない」ふりで押し通すことにした。


「今の今までミリアムさんがお一人でいらっしゃった幸運に感謝したいくらいですね! さしもの俺も、人妻や他人の婚約者をぶんどるようなゲスな趣味はありませんので」


 スコットが、わずかに顔をしかめた。もしかすると……彼にはゲスな趣味(・・・・・)という言葉に何か思う節でもあるのかもしれない。


 ……だがジェレマイアは、知っている。


 ミリアムの婚約破棄は、アボット伯爵家側から押しつけられたものであること。

 そして……二人の婚約が白紙になってすぐ、相手の男は身分の低い令嬢と再婚約したことを。


 アボット伯爵の名だけはうっかり忘れていたが、ミリアムが二十四歳まで独り身である理由。そして――その頃から彼女が閉じこもるようになり、仕事を始めて人前に出るときには必ず眼鏡を着用するようになったことも、聞いていた。


 ……ミリアムと婚約破棄をして新たな婚約者と結婚した相手の男のことは社交界であまりいい噂になっていないことも、「土下座のフェイビアン」からの情報で知っていた。


 ジェレマイアは振り返り、そこで「あなたが不機嫌そうな顔であることに、今気づきました」といわんばかりの表情で「おや」と声を上げた。


「伯爵、どうかなさいましたか?」

「……。……どうやら貴殿は、噂で聞いていたよりずっと頭が回るしたたかな男のようだな」

「ええっ、そうですか?」

「……あんな醜い行き遅れに執心するとは、情けないことだ」


 吐き捨てるようなスコットの言葉に――ジェレマイアの鉄壁の笑顔が、ぱりん、と砕けた。


 ここまでの無礼な発言は、なんとかやり過ごせた。だが――


「……伯爵」


 一歩、スコットとの距離を詰める。

 ジェレマイアの発するただならぬ雰囲気に気づいたのか、スコットは目を丸くして一歩後退した。


 ――顔を上げたジェレマイアのブルーグレイの瞳が、星明かりを浴びてぎらりと輝いた。


「……ミリアムさんは、俺が恋い慕う女性です。その人を愚弄されては……俺も黙っていられません」

「……な、なんだ、貴様! 私は伯爵だ! 由緒正しきアボット家の当主だ!」


 ジェレマイアの怒りに気づいたらしいスコットが声高に叫ぶのを、ジェレマイアは小さく笑って見つめた。


「ほう? 由緒が正しければ、伯爵家の当主なら、女性を愚弄しても許されると?」

「っ……格上の者が格下のことを詰って、何が悪い!?」

「……ふざけんのもいい加減にしろよっ――!」


 悪あがきを続けるスコットに、ジェレマイアが怒気を含んだ声を上げた、そのとき――


「……待って、ジェレマイア」


 一触即発の二人の間に、涼やかな声が割って入った。その声にスコットが怪訝そうな顔をする一方で、ジェレマイアははっとして振り返った。


 開放廊下の出入り口に、淡い紫色のドレスの令嬢がいた。

 鮮やかな赤い髪を優雅に結い上げていつもと違う化粧もしている、その人は――


「……ミリアムさん?」

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