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11 きっと大丈夫

 冬も盛りを迎えた頃、ミリアムは諸事情で実家に寄ることになった。


 両親や兄たちは普段、郊外にあるカントリーハウスで暮らしている。春と秋の社交シーズンだけ王都にある屋敷に移動するので、城で過ごしているミリアムとは特別な用事がない限り顔を合わせることがない。


 だが今回は兄の方から、「悪いけれど、屋敷に来てくれ」という知らせが入っていた。


(王子殿下の誕生記念パーティーがあるから、それにお兄様とバーバラが出席するということだったけれど……)


 今は社交シーズンではないので両親はカントリーハウスにおり、兄と妹だけがパーティーの準備のために王都の屋敷に立ち寄る予定だった。


 早めに仕事を切り上げさせてもらい、馬車で実家に行った。カントリーハウスほどではないがここの屋敷も立派で、これを見ると「そういえば私は伯爵家の娘だったわ」と今更のように思い出すのだった。


「ただいま戻りました、ミリアムです」

「ああ、よく来てくれた、ミリ!」


 眼鏡を掛けたままでミリアムが屋敷に向かうと、兄が迎えてくれた。

 ミリアムより二つ年上の兄は既に結婚して子どももいるのだが、兄嫁は現在第二子を懐妊中なのでカントリーハウスに残っている。


 兄はミリアムが眼鏡を外したがらないことを知っているので、それには突っ込まずに優しく抱きしめてくれた。


「元気そうで何よりだよ。仕事はうまくいっているかな?」

「はい、お兄様たちのおかげで楽しくやっていけています」

「そうか。……忙しい中、呼び出してすまないな」

「お気になさらず。……バーバラはいないのですか?」


 辺りを見回して何気なく問うと、抱擁を解いた兄が難しい顔になった。


「……バーバラは今、上の部屋で寝ている。体調が悪いんだ」

「えっ……大丈夫なのですか!?」

「熱があってぼうっとするようなのだが、薬は処方されたから心配は無用だ。カントリーハウスを出発したときには元気だったんだが、王都に到着する直前くらいから体調を崩している。医者によれば感染するものではないそうだから、後で様子を見に行ってやってくれ。バーバラも喜ぶだろう」


 ミリアムはしっかりうなずいた。

 久々に兄と妹に会うのでお土産も準備しているので、見舞いも兼ねて渡したいところだ。


「……あら? でも、お兄様。明日のパーティーにバーバラも出席する予定でしたよね?」

「……そうなんだ。だから……もしよければ、ミリに代わりに出席してもらいたい」


 兄が真剣な顔で言うので、「ああ、そういうことか」とミリアムはすぐに納得がいった。


 王子の誕生記念パーティーには、「エリントン伯爵家の兄妹」が出席することになっている。元々は次女のバーバラが行く予定だったのだが、それを長女のミリアムに代えるということだ。


(……そもそもこういうものは、長女が行くもの。バーバラは私の代わりに出席してくれる予定だったのだから……私が代わりになるのは、当然と言えば当然のことよね)


 ミリアムが考え込んだのはほんの数秒で、すぐにうなずいた。


「分かりました。明日の仕事の都合を付けて、出席できるようにします」

「……分かっていると思うが、視力矯正効果のない眼鏡はパーティー中に着用できない。それに……あのアボット伯爵家のスコットがいる可能性もある」


 兄が呪詛を吐くかのようにスコットの名を出したので、ミリアムは微笑んだ。


「もちろんです。……今まで散々我が儘を申していたのですから、今くらいエリントン伯爵家の娘としての責務を果たします」

「……すまない、恩に着る」


 兄の勧めを受けてバーバラの部屋に行くと、顔を真っ赤にした妹がベッドに寝ていた。

 全体的に地味な顔立ちのミリアムと違い、子どもの頃から天使のように愛らしいバーバラは熱で目を潤ませていた。


「ごめんなさい、お姉様。本当なら私が行かないといけないのに……」

「いいえ、これまで私がバーバラに無理を言っていたのよ。大丈夫、私が行ってくるから、バーバラはゆっくり寝ていて」

「でも……お姉様にひどいことをしたあのクソ野郎もきっと会場にいるのよ?」


 姉の元婚約者のことをクソ野郎と言ってはいけません、と忠告しようとしたが、付き添っていた兄が何も言わずにバーバラの手を取った。


「ミリのことを、信じなさい。それから……確かにあいつはクソ野郎だけれどついうっかり口に出してしまうかもしれないから、スコット・アボットのことをクソ野郎と言うのは心の中だけにしなさい」

「分かりました、お兄様。……お姉様も、ご無理はなさらないでください……」

「ええ。バーバラもゆっくり休んでね。王都のおいしいものをたくさん買っているから、それを食べて元気になってね」


 バーバラの頭をなでてそう言うと、妹はふにゃりと笑って微笑んだ。










 急遽パーティーに参加することになったので、翌日の仕事は有給を入れて昼過ぎまでにしてもらって、早めに屋敷に向かって準備をすることにした。


「バーバラ用のドレスしか持ってきていなくてな……」

「なんとか着てみるから大丈夫ですよ、お兄様」


 心配そうな兄をリビングに残してメイドと一緒に衣装部屋に行くとそこには、バーバラ用の淡い紫色のドレスが飾られていた。

 バーバラはミリアムより四つ年下だが身長は同じくらいまで伸びていたようで、ドレスの丈はなんとかなりそうだ。ウエストも、コルセットで絞れば入るだろう。


(後は胸に詰め物を入れれば、なんとかなるかしら……)


 バーバラの方がメリハリのある体型に育ったようなので、会場に着いてもミリアムは食事抜き確定だ。

 メイドが申し訳なさそうな顔で差し出してきたコルセットを装着し、ぎりぎりと紐を締めてもらった。


(うう……この圧迫感も、久しぶり……)


 伯爵令嬢でありながら経理部で働くようになって、八年。

 普段着用するのは濃い緑色の制服か私服のゆったりとしたワンピースくらいだったので、華やかなパーティードレスを着るのも……コルセットでウエストラインを締められるのも、久しぶりだ。


 妹のドレスを着用した自分の姿は……まあ、二十四歳でもぎりぎり許されるだろうか、という感じだった。メイドがメイクをして髪も結ってくれたので、突貫ではあるが伯爵家令嬢として見苦しくない程度の見目にはなったと思う。


「お嬢様、眼鏡はいかがなさいますか」


 鏡に顔を近づけてメイクを確認していたミリアムに、メイドが尋ねてきた。


 ……この「いかがなさいますか」は、「いつ外しますか?」という意味だ。昨日兄も言っていたように、会場では視力矯正効果のない眼鏡を着用することはできない。


 ミリアムは振り返り……強気に微笑んだ。


「屋敷を出て行く前に外すわ」


(……うん。大丈夫よ)


 伯爵家の娘としての責務を果たすと決めたのだから……大丈夫。


(それに、向こうで知った顔に会うこともほとんどないはず。スコットだって、避けようと思えば避けられるだろうし)


 出発前にバーバラの部屋に寄って言葉を交わしてから、階下に向かう。

 リビングでは正装した兄が待っており、ミリアムを見て微笑んだ。


「……とてもきれいだよ。ミリ、体調はどうだ?」

「ありがとうございます、お兄様。ひとまず一晩だけなら、なんとか化けの皮が剥がれずにやっていけそうです」

「ふふ、そうか。……でも、無理はしないように。最低限の挨拶回りなどが終わったら、すぐに帰れるようにするからな」

「……お気遣いに感謝します」


 ミリアムも微笑み返し、兄の手を取った。そして玄関の前で、シルクの布を持って待っていたメイドの前で眼鏡を外し、布にそれを置いた。


(……大丈夫)


「ミリ……」

「大丈夫です。参りましょう、お兄様」


 ミリアムはそう答えて、意を決して兄の顔を見つめた。


『……きっととても頑張っているんだろう。無理はさせられないな』


 こちらを見つめる兄から、副音声が聞こえてくる。

 その声を聞いて……いつの間にか肩にこもっていた力が、ふっと抜けていった。


(大丈夫。私は、頑張れる)


 ミリアムだって、この八年で強くなれたのだ。


『……それにしても、うちの妹はどっちも可愛いな。ミリをあんなクソ野郎に譲らなくて本当によかった』


 兄の本音は、非常に正直であった。













 きっと知った顔に合うことはないだろう、と思っていたミリアムだが……彼女は、忘れていた。


 ジェレマイアは平民だが元王女を祖母に持っているので、王家の行事にも特別に招待されるのだ、ということを。

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