10 勘違いしそうな距離
ジェレマイアはいい人だと、ミリアムは思っている。
優しくて気が利くし、余計なことは言わない。明るいムードメーカーだが空気はきちんと読めるし、部下からは慕われて上官からは可愛がられている様子。
……そんな彼が、自分にここまで心を向けてくれるなんて。
「……本当に、不思議」
「何か言った、ミリアムさん?」
「いいえ、何でもないです」
ミリアムが首を横に振ると、隣を並んで歩いていたジェレマイアは「そっか!」と微笑んだ。
今日の仕事を終えたところで、ジェレマイアとすれ違った。彼はこれからまだ夜勤があるようで、「もしよかったら今夜、星でも見ませんか」と誘われたのだった。
ミリアムの方はもう仕事が終わっていたので宿舎棟で夕食をとり、退勤後に詰め所で食事をしたジェレマイアと合流した。
辺りは真っ暗で寒いのでミリアムはもこもこに着ぶくれているが、ジェレマイアの方は案外薄着だ。
「寒くないのですか?」
「んー、まだ平気ですね。俺の母方のじいちゃんが北部出身だからか俺、寒さには結構強いんです。この髪や目の色も実は、じいちゃん譲りなんですよ」
そう言ってジェレマイアは、毛先に癖のある自分の髪を引っ張った。
確かに、王都周辺で金髪や茶髪、ミリアムのような赤髪はよく見られるが、彼のような淡い色の髪や目の色はあまり見られない。祖父が北部出身者なら、納得だ。
「きれいな色の髪ですね」
「へへ……そう言ってくれて嬉しいです! ガキの頃はこの髪がじいさんみたいだって、よく馬鹿にされたんですよ」
「それは悔しいですね。きらきらしていてとてもきれいな髪だと思いますよ?」
……ミリアムは、自分の真っ赤な髪が好きではない。
かつては好きだったのだが、スコットの心の声で「下品」と言われて以来は、変わってしまった。
だがそんなミリアムの考えていることが分かるべくもないのに、こちらを見たジェレマイアが微笑んだ。
「俺は、ミリアムさんの髪もすっごくきれいだと思います」
「……下品な色って、思わないのですか?」
思わず尋ねると、とたんジェレマイアは目尻を吊り上げた。
「はぁ? なんで赤毛が下品なんですか? 燃えさかる炎みたいで格好いいし、明るくて華やかな色合いじゃないですか! ……まさかそんなことを言う失礼なやつがいたんですか?」
「……ええ。元婚約者が」
「うわそいつ最低! ……って、すみません!」
「……ふふ。いいのですよ」
ミリアムは笑顔で首を横に振った。
……なぜなら、今のジェレマイアの一言で気持ちが変わったから。
赤い髪のことを「華やか」と言われたことはあるが、「格好いい」と言われるのは初めてだった。
それはもちろん、腐っても貴族令嬢であるミリアムに対して「格好いい」は褒め言葉ではないからだが――そんなこと関係なく「格好いい」と褒められて、ミリアムは純粋に嬉しかった。
話をしながらジェレマイアと一緒に向かったのは、城下町にある公園。「夜勤中に見つけた、星の見えるスポットなんです!」とジェレマイアが言っていた。
人気のない公園のベンチを見つけ、ジェレマイアはそこに自分のマフラーを敷いた。
「どうぞ、ミリアムさん」
「そんな……悪いです。あなたのマフラーが」
「でもこれ、直接座ったら尻の皮が震えそうなほど冷たいんですよ。俺の尻の皮は厚いけれどあなたは体を冷やしたらいけませんし、どうぞ」
果たしてジェレマイアの尻の皮がミリアムのそれよりも厚いのかどうかは分からないが、彼なりに気を遣ってくれたのだろう。
ここで断りすぎると返って彼に失礼だと思い、ミリアムはありがたくマフラーの上に腰を下ろさせてもらった。ふわりとした柔らかい生地が、温かい。
ミリアムが眼鏡を外してコートのポケットに入れると、隣に座ったジェレマイアが「おっ」と声を上げた。
「やった、眼鏡なしのミリアムさんが拝めた!」
「そんな拝むようなものじゃないですよ」
「とんでもない! 好きな人の素顔は、何度でも拝みたいくらい素敵なものなんですからね!」
(……こ、この人は!)
さらりと口説き文句を言われて、ミリアムはマフラーを引き上げてほころびそうになった口元を隠した。
本当に、こんなに口が達者なのに色恋の経験が少ないというのが信じられない。
「……お上手ですね」
「あはは、よく言われます! でも俺、これまで異性関連では清く正しく生きてきましたからね! 本当ですよ!」
「ええ、信じていますよ。……もしかして女性のきょうだいがいらっしゃって、それで口が上手なのだとか?」
何気なく話題を振ると、ジェレマイアは小さく笑った。
「……ああ、それはあるかもしれません。俺、妹がいたんで」
「……え?」
「四年前に、星になっちゃいましたけどね」
ほら、と夜空を指さしてゆったりと語るジェレマイアの言葉の意味を静かにかみしめ……じわっとミリアムの手のひらに冷たい汗が噴き出た。
「そ、それは……お悔やみを申し上げます。ごめんなさい、不躾なことを聞いて……」
「気にしないでください。長生きできないのは、本人も俺たちも分かっていたんです」
ジェレマイアは、静かに微笑んでいる。
「俺より六つ下だったんですけど生まれたときから病弱で、いろいろなことができなくて。最初は、成人を迎えるどころか十歳にもなれないだろうって言われていたんです。でも頑張って生きて、十三歳の誕生日を迎えられた。妹なりに、十分……生きてくれたんです」
「……」
「だから俺、星を見るのが好きなんです。妹を肩車してやって、星を一緒に眺めたときのこととかを思い出すから。……それにいつか好きな人と一緒に星を見たい、って思ったりして」
へへ、と笑ってこちらを見るものだから、ミリアムもつい泣き笑いのような顔をしてしまった。
(……ずるい人だわ)
きっと彼には「ずるい」ことをしているという自覚はないのだろうが……ゆっくりゆっくり、ミリアムを絡め取ろうとしてくる。
それが無意識なのだろうというところが一層、たちが悪い。
(でも、嫌いにはなれない)
ミリアムは、ジェレマイアを見た。
相変わらず、こちらを見返す彼からは何の声も聞こえない。
「……ジェレマイアはまだ、私のことが好きなのですか?」
「むっちゃくちゃ好きです。あ、今から好きなところを一つ一つ挙げましょうか?」
「そ、それはいいです。……ただなんというか、好かれている自覚がなくて」
ジェレマイアから夜空へと視線を移動させてミリアムが言うと、隣でくくっと笑う気配がした。
「……本当にミリアムさんは、無自覚なんですね。ミリアムさんこそ、これまで悪ーい男連中に引っかからなかったのが不思議なくらいです」
「……多分だけど、私の同僚がいつも盾になってくれたからだと思います」
「同僚? ……あ、もしかしてそれって、『土下座のフェイビアン』の奥さんのことですか?」
なんだその格好悪い二つ名は、と突っ込みそうになったが、ジェレマイアの方から説明してくれた。
「騎士団でも有名ですよ。女好きで有名だったフェイビアン・アトリーが経理部長のご息女に惚れ込んで、最後には土下座して泣きついて結婚してもらったって話」
確かに、スカーレットと夫のなれそめはそんなものだったとは聞いている。
「ええと……その奥さんのことで、間違いないです。部長とその同僚が世間知らずな私に手を貸してくれたりしたので」
「そっか。……でも分かりますよ。ミリアムさんって仕事中はきりっとしているし、『鷹の目』って呼ばれるくらいの凄腕なのに、こうしているのを見ると無防備なんですから」
ね? と首をかしげて言われると……だんだん首や頬に熱が集まってきた。
(……私が無防備になってしまうのはきっと、ジェレマイアの目から心の声が聞こえてこないからだわ)
この人の言葉は信じられる、とつい思ってしまうから、目を見ても怖くない。
ミリアムが自分をさらけ出しても大丈夫、と思える。
……ただ単に彼にあの能力が通用しないだけで、彼だっていろいろ思っているだろうに。
(間違えては、いけないわ)
だが、ジェレマイアの隣が居心地いいと思ってしまうのは……本当に間違いなのか、分からなくなりそうだった。




