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1  謎の副音声

『……ったく、なんで回復したんだよ。せっかくの婚約破棄のチャンスだったのに……』


 それ(・・)が起こるようになったのは、十六歳のある日からだった。










 エリントン伯爵家の長女であるミリアムは、十六歳の夏に原因不明の高熱で倒れた。一時は命の危険すらあると医者も診断したそうだが、ミリアムは幸運にも病に打ち勝った。


 峠を越えたミリアムのもとに、婚約者のスコットがやってきた。

 アボット伯爵家の長男であるスコットとは、子どもの頃に婚約した。つんとすました感じの美青年で、年齢はミリアムよりも一つ上。大人の男、という感じの風を吹かせるところが格好いいと、ミリアムは思っていた。


 手土産の入ったバスケットをメイドに渡したスコットはベッドに座るミリアムを見て、ほっとしたように目を細めた。


「体調がよくなったようで、よかったよ。もうなんともないのか?」

「ええ。お医者様は、もう何日かは自宅療養するようにとおっしゃっていたけれど、療養期間中になんともないのならその後の行動制限はないということだったわ」

「そうか。それならよかったよ」


 スコットが微笑んで言うので、ミリアムは彼の焦げ茶色の目を見つめて――


『……ったく、なんで回復したんだよ。せっかくの婚約破棄のチャンスだったのに……』


(……え?)


 ミリアムははっとして、スコットの顔を凝視した。


 今、スコットの声が聞こえた。

 だが彼は唇を閉ざしており、何もしゃべっている様子はなかった。


(……気のせいかしら……?)


「……どうかしたのか? ぼうっとしているようだけど」


 ミリアムが目を白黒させているからか、スコットが声を掛けてきた。いつも通りの、思いやりに満ちた言葉である。


(……もしかしたら、病み上がりで頭がぼうっとしていたのかもしれないわ。うん、きっとそうよね)


 何やら「婚約破棄」という物騒な単語が聞こえた気がするが……気のせい、気のせいだ。

 そう自分に言い聞かせて、ミリアムは気丈に微笑んだ。


「……ああ、そうだわ。三日後にはサマーズ侯爵邸でのダンスパーティーがあるわよね。……申し訳ないけれど、私は欠席しないといけないの。ごめんなさい」


 ミリアムがスコットの目を見て謝ると――


「いや、君は病み上がりなんだから仕方ないよ。僕は一人で楽しんでくるから、ゆっくり休んでいてくれ」


『ああ、それはよかった。おかげで僕は愛しのシャーロットとの逢瀬を楽しめるよ。感謝するよ、ミリアム』


 ――スコットの声が、被った。


 目の前にいる彼は唇の動きからして間違いなく、ミリアムを気遣う言葉を口にした。

 それなのに――その言葉に被せるように、別のスコットの声が聞こえたのだ。


(……な、何何何? どういうこと?)


『……さっきからこいつ、変だな。というか、早く帰りたいんだけど……』


 思わずさっと耳を両手で覆うが、唇を閉ざしたままのスコットから聞こえる声は、手のひらという壁を容赦なくぶち抜いてミリアムに言葉を届けてくる。


 混乱しながらもミリアムはスコットを帰らせ――その後の家族や使用人たちとのやりとりを経て、あることに気づいてしまった。


(私、目が合った人の心の声を読み取ってしまっている……!?)


 たとえば、メイド。


「あら、お嬢様」と言っている彼女の目を見つめると、『もう立っても大丈夫なのね。よかったわ』という副音声が聞こえる。


 たとえば、大好きな兄。


「もう大丈夫なのか、ミリ?」と心配そうに尋ねる兄の目を見つめると、『あれ、髪がぼさぼさだなぁ』と優しく笑いながら言う副音声が聞こえる。


 たとえば、無口な庭師。


「……どうも」しか言わない彼の目を見つめると、『おやおや、お嬢様じゃないか。せっかくだから咲いたばかりの薔薇を……ああいや、お嬢様は薔薇より小さなお花がお好きだったから……』とびっくりするほど長い副音声が聞こえる。


 ちなみにニャーニャー鳴く野良猫の目を見つめてみたが何も聞こえなかったので、対象は人間に限定されるようだ。また、薄いガラス越しに目を見つめても、何も聞こえなかった。


 もしかしたら、自分はあの高熱の後遺症で変な能力を得てしまったのかもしれない。

 世の中にはたまにこういう変わった能力を持つ人がいるということは、ミリアムも知っていた。だがまさか、ごく普通の令嬢として生きてきた自分が突然こんな力を得るなんて、予想もしていなかった。


 両親や兄や妹、使用人たちは皆優しいので、聞こえてくる副音声も『ミリは今日も可愛いな』『お姉様が元気になってよかった!』『お嬢様がお元気そうで、何よりだ』という愛情に満ちた言葉ばかりだった。


 だが……そうもいかないのが、婚約者のスコットだった。

 彼はミリアムの前ではにこやかに愛の言葉をささやくが、彼の焦げ茶色の目を見つめることで聞こえる副音声は棘と悪意と嫌悪に満ちていた。


『しっかし、何度見てもぱっとしない女だよなぁ。赤い髪とか下品だし、茶色の目なんてありきたりだし』

『ああ、面倒くさい……。早く愛するシャーロットのところに行きたい……』

『昨日のシャーロットは、可愛かったなぁ。ったく、ミリアムのご機嫌取りなんかやってられないっての』


 ……どうやらスコットは、シャーロットという女性にお熱のようだ。


 彼の副音声は大変おしゃべりなので、シャーロットが淡い銀髪に紫色の目を持つ美少女で、年齢は十五歳、ミッチェル男爵が養女として迎えた婚外子などという情報がどんどん入ってきた。


(……スコットは、私を愛していない。その、ミッチェル男爵家のシャーロットというご令嬢のことを愛している……)


 それは本当なの、と何度も問いそうになった。きっとスコットのことだろうから笑って、「何のことだ?」と流すだろうが……それさえ彼の目を見れば偽りであることが分かってしまう。


 エリントン伯爵家とアボット伯爵家の縁談は、親同士が決めたものだ。同じ伯爵家ではあるがアボット家の方が歴史があって財産もあり、父はアボット伯爵に必死に頼み込んで縁談を取り付けてもらったそうだ。


 伯爵位を授かってたかが数十年のエリントン伯爵家にとって、アボット伯爵家は易々とは手放したくない縁談相手だ。ミリアムだってその意味をよく分かっているし、夫の多少の浮気に目をつぶる覚悟はできている。


 だが――あまりにもあけすけに聞こえてくる彼の副音声は、静かにミリアムの心を蝕んでいった。


 そしてとうとう、十六歳の初冬に開かれたパーティーでスコットが美しい銀髪の少女――シャーロットといる姿を目撃してしまい、ミリアムの中で何かがぷっちんと切れてしまった。


「スコット。あなたはずっと、シャーロットさんと浮気をしていたのよね」


 ミリアムが問い詰めると、スコットはむっとした顔になった。


「……ミリアム。シャーロットは僕の友人であり、父の旧友のご息女でもある。そのような言いがかりを付けるのは、許さない!」


『なんでこいつ、知っているんだ? いかにも馬鹿っぽくて騙されやすそうだと思ったのに』


 スコットの副音声は、非常に正直である。


「わ、わたくし、スコットのことはお兄様のように慕っていて……エリントン伯爵令嬢にそんな風に疑われているなんて、思ってもいませんでした……」


 妖精のように可憐なシャーロットはミリアムを見て泣き出して、それを見て人が集まってきて問題が大きくなってしまった。


「スコット! あなたは私と婚約していながら、シャーロットさんを――」

「君はそのようなことを言うけれど、根拠でもあるのか?」


『あるわけないよな? 僕たちは誰にも気づかれないように、愛を育んでいるんだからな!』


 自信満々の副音声に胸をえぐられつつも、ミリアムは必死に反撃する。「あなたの心の声が聞こえるから」……なんて言っても頭のおかしい令嬢扱いされて自分が不利になるだけだというのは、分かっていた。


「そ、それは……。あなたたちの様子が、とても親密だし……今だって、そのようにシャーロットさんの肩を抱くのは、婚約者のいる男性の振る舞いとしてよろしくないわ」

「馬鹿を言うな! 繊細なシャーロットが傷ついているというのに放っておくわけにはいかないだろう!」


『チッ……本当にこいつはいつも、馬鹿のくせに賢しらぶった顔をして正論ばかり! 鬱陶しいんだよ!』


 ――ぐさりぐさり、とスコットの副音声がミリアムの胸をえぐり続ける。


 ……ずっと彼は、ミリアムのことを嫌っていたのだ。

 馬鹿扱いして、鬱陶しいと思い、そして――


『だから本当に、おまえのことが嫌いなんだ! あのとき熱でさっさと死んでいればよかったんだ!』


 ――死ねばよかったのに、と思っていた。

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