混線
「というわけで週末の夜を彩るミッドナイト・バーバル、DJは私、竹内ミヤコがお送りさせていただいておりますが……いよいよ夏本番、ということでね、そろそろ学生の皆さんも試験が終わって、あとは夏をエンジョイするだけというかたも多いのかなと思いますが、皆さん如何お過ごしでしょうか。えーというわけで本日はズバリ『この夏やりたいこと』というテーマで、ラジオの前で宣言してくださるリスナーのかたを募集しているわけですけども。では、早速お一人目のリスナーと、さっそくお電話つないでみたいと思います、えーこんばんはー。もしもーし」
「あっ、こんばんはー」
「こんばんはー、えーラジオネーム、『麻婆豆腐の妹』さんでしょうか」
「あっ、はい、そうでーす」
「こんばんはー、えーと麻婆豆腐の妹さんは、いま学生さんということで、もう夏休み突入でしょうか」
「あっはい、先週テストが終わって」
「あーそうなんですねー、今年の夏のご予定なんかは如何でしょうか?」
「えーっと、基本的にはバイトで、あとはサークルのみんなとちょっと遊びに行こうかなと」
「あらーうらやましい、えっ、ちなみにどちらへ?」
「えー、和歌山のほうの、海の見えるところなんですけど……」
「あらー……いい! なんかこう、青春って感じがしますね! えーっとちなみに何人くらいで行かれるんですか?」
「六人で、男三人、女三人です」
「あらーっ、えーっ、なんかちょっとロマンスの予感しちゃう感じですか?」
「あー、えー、どう、なんでしょう……ふふふっ」
「ちょっと気になるようなリアクションで、お姉さん勝手に昂奮しちゃいますが……じゃあ、麻婆豆腐の妹さん、ラジオを通じてこの夏やりたいことを叫んでもらってもいいですか?」
「あっ、はい、お願いします」
「じゃあ、麻婆豆腐の妹さんの、この夏やりたいことを、元気よく、どうぞ!」
「えーっ、旅行に行って、片思────」
片思、片思、片思、片思、片思……。
リスナーの声がエコーのようにくぐもって繰り返す。ハウリングだ。
「あっ、麻婆豆腐の妹さん、ちょっとラジオが近いかな? ちょっとラジオの音声下げてもらっていいですか?」
「あ、すいません、でも私イヤホンで────」
ブツリ。音が途切れる。いや、ちょっと違う。
ミヤコのヘッドフォンからは微かに、この通話が今もどこかへ繋がっているような、ざらざらとした環境音が流れてくる。
「あれっ、もしもーし、もしもし? 麻婆豆腐の妹さん、聞こえますか? ひょっとすると、切れちゃった感じですかね?」
そういいつつ、ミヤコはブースの外、卓の前にいるディレクターの萩野に視線を送る。
萩野はミキサーの相田と共に、手元やら何やら確認するばかりで目もくれない。トークバックもない。
仕方ない。とりあえず、繋がなきゃ。ラジオDJの性か、ミヤコはつつがなく喋りだす。
「ちょっとお電話のほうがいったん途切れちゃったみたいなので、えー麻婆豆腐の妹さんにはこのあと、リクエスト曲を流して、それからお時間あえばこの夏やりたいことを発表していただければなと────」
「────アイザワタモン」
先ほどまでの若干の緊張と、高揚感を感じさせる、瑞々しい声とはうって変わって、のっぺりとした、凹凸のない声。
えっ。あまりの異質さに、一瞬ミヤコのトークが止まる。
何これ。さっきの子じゃ、ない?
「あのっ、えーと、麻婆豆腐の妹さんでしょうか? 聞こえますか? もしも────」
「アイザワタモンさんはそちらにいらっしゃいますか」
二度目。
ミヤコは、その、ヘッドフォン越しにつながる先の、何とも言い難い違和感を拭えずにいた。
「いや……、あの、えーっと、恐れ入ります、こちらミッドナイト・バーバルというラジオ番組をやっております、DJの竹内と申します、あのこちら麻婆豆腐の妹さんのお電話でお間違いないでしょうか?」
何とかそこまで言って、ミヤコは再び調整室の萩野と相田を見る。
萩野がマイク越しに何か、こちらに向かって話しているのが見える。だがミヤコのヘッドフォンにはなにも入ってこない。
ミヤコは手振りでヘッドフォンを指さし、萩野の指示が聞こえないことを示そうとする。
ボタン押し忘れてるんじゃないの、でも、萩野さんに限ってそんなミス……。
「アイザワタモンさんはそちらにいらっしゃいますか」
三度目。
……このひと、まるで会話にならない、それにさっきから何度も何度も、同じ名前、同じ喋り……そう、まるっきりおんなじ。
この人、さっきからぜんぜんブレがない、同じことを、全く同じ喋りで。
それだけじゃなくて、なんというかこう……なんだろう、なにか……。
息遣い。それが、まったく、ない。
ミヤコの背筋に寒いものが走る。それでも、生放送は止められない。なんとか声を絞り出す。
「えーっと、誠に申し訳ございません、お電話番号のほう誤ってお繋ぎしたようでして、本当に申し訳ございませんした、後ほど当番組スタッフより経緯説明と謝罪のほうを、改めてさせていただければと思います、この度は大変申し訳ありません!」
いうなり、ミヤコはヘッドフォンを外して萩野たちを見る。
すると萩野と相田は、これまでミヤコが入局してこのかた、一度も見たことも無い、ちょっと凄まじい、そのような形相でミヤコのほうを見ている。
萩野が、何かを叫んでいる。ミヤコは外したヘッドフォンを指さし、聞こえないことを再度アピールする。
アイザワタモンさんはそちらにいらっしゃいますか。
四度目。
誰なの、アイザワタモンって。こっちが聞きたいよ。
あーっ、なんか変なのと繋がっちゃったな。萩野さん、早く切ってくれたらいいのに……でも生放送だし、トークでなんとか繋がなくちゃ。
ミヤコは手にしたヘッドフォンを再びつけようとする。
あれっ。私、ヘッドフォン外したんだ。じゃあ、今の声はどこから?
どんどん、どんっ。
調整室の窓を萩野が荒っぽく、何度も叩く。ミヤコはハッとしてそちらを見る。
「いないと言え」
掠れた油性ペンの文字で、萩野が手に持つノート帳に荒っぽく、ひときわ大きく、はっきりと、ただそれだけが書かれている。萩野はそのノートを何度も窓ガラスへ叩きつける。
萩野の表情と剣幕に押され、ミヤコは思わずマイクへ向かう。
「えーっ、いません。アイザワタモンさんはこちらにいません」
言い終わるとともに、ブースの防音ドアが開き、相田が入ってくる。
相田は目を大きく見開いてミヤコを、ではなく、その後ろを見ている。
その相田を脇に押しやり、萩野が奥から身体を出してくる。
「竹内っ、はやくっ、はやくっ、こっちっ!」
ミヤコは萩野に促されるまま、ドアへと近づく。
萩野はミヤコの腕を掴むと、強引に調整室のほうへ引っ張り込む。勢い、ミヤコと萩野が倒れそうになる。
ミヤコがブースから出るや否や、相田が防音ドアを凄い勢いで閉める。
「ちょっ……どうしたんですか?! 生放送中ですよ?!」
ミヤコが萩野へ抗議する。
萩野も、相田も、ミヤコをまるで見ていない。ふたりはブースのほうを呆然と見てるばかりだ。
ミヤコはふたりの視線の先を追う。
録音ブースの中、先ほどまでミヤコが座っていた場所のそのすぐ後ろ。
真っ赤なドレスを着た、背の高い、長髪の女がひとり立っている。
女が、ミヤコたちを見る。
粘土の塊をいくつも貼り付けたような、目も鼻もわからない、その顔。
口の端が、きりきりとめくれ上がる。そして裂けるように、嗤っている。