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第一章 双子の公女(2)



         2


 アイホルム大公の居城は、〈聖なる炎の岳〉の中腹に建っている。見晴らしよく拓かれた丘の上、白漆喰と白雲石(ドロマイト)を積んで築かれた城壁は、西日を浴びてたたずむ白鷺のように美しい。しかし、そこへ向かう公女達は項垂れ、騎馬の群れは葬列のごとく沈んでいた。


 堀にかかる跳ね橋をわたって外郭に入った一行を、衛兵と下男達が迎える。セルマは硬い表情で馬をおり、本丸(キープ)から降ってきた甲高い声を耳にして眉をひそめた。ティアナもさっと頬をこわばらせる。木製の扉に何かがぶつかる重い音と、誰かの泣き声が空気をふるわせた。

 ライアンが馬を厩舎へ連れて行こうとしていると、公女達の教育係のゲルデが、紺色の胴着(ドレス)の裾をからげて駆けてきた。


「セルマ様、ティアナ様、お帰りなさいませ」

「ただいま、ゲルデ。今度は何?」


 セルマの台詞は、この騒ぎが日常的なことを示していた。城付き騎士達の表情も、下男達の伏し目も、逆らえない嵐に怯え()んだ者のそれだ。ゲルデはライアン達の反応をうかがいつつ、ちら、とティアナに視線をはしらせた。


「侍女の用意した御手水がお気に召さなかったのです。いつも通りラヴェンダーを入れたものをお出ししたところ、御方(おかた)さまは薔薇水をご希望だったらしく――」

「はあ。そう」


 セルマはうんざりと肩をすくめた。


(そんな些細なことで城外へ聞こえるほどの大声で怒鳴り、侍女に手水の器を投げつけるのか。また辞めてしまうぞ……。) ライアンは、いつもながらエウィン妃の(はげ)しさに理解できないものを感じつつ、公女達を案じた。大公妃が癇癪(かんしゃく)をおこす度、まだ幼い姉妹が宥めなければならないからだ。


 セルマが溜息をついて本丸へ向かいかけたところ、ゲルデがとめた。


「セルマ様」

「なに? ゲルデ。私が行けばいいんでしょ」

「いいえ。御方さまは、ティアナ様をお呼びです」

「ティアナを?」


 セルマはきりりと柳眉をさかだてた。ティアナは蒼ざめていたが、決意をこめてうなずいた。


「行くわ。トレナル、雪蔭(ゆきかげ)(ティアナの馬の名)をお願いね」

「はい」


 トレナルは頭を下げ、ティアナは本丸へと歩き出した。ゲルデが後に従う。

 セルマは妹の背を見送りながら、右手親指の爪をかるく噛んで呟いた。


「お母様は、最近、私たちを使い分けるのよね……。ティアナの方が優しくて、言うことを聞いてくれるから」


 城主のひととなりに関する批判は、従者(スクワイヤ)の分を超える。ライアンは(もく)しているしかなかった。


 夕食の際、エウィン大公妃とティアナ公女は広間に姿を見せなかった。妃が体調不良を口実に自室にこもったので、ティアナ公女が手ずから給仕をしたのだ。ゲルデとセルマは落ち着かない様子だったが、大公は妻の我がままなどどこふく風とばかり、上機嫌で食事をしていた。――これも、この城の日常だ。

 ライアンは小姓達とともに働きながら、ティアナのことを案じていた。



          *



 翌朝、まだ夜があけきらず、城内が蒼白いもやにおおわれている頃。

 ライアンは井戸へ顔を洗いに行き、ティアナ公女に出会った。桶を手繰っていたティアナが、小さく悲鳴をあげて指先を唇にあてたので、ライアンは急いで駆け寄った。

 ライアンが少女に代わって水汲みを終えると、ティアナは小声で礼を言った。痛そうに、右手を左手で包んでいる。ライアンは彼女のために水を汲み直し、手を洗うよう促した。

 ティアナの白く柔らかな指には、血がにじんでいた。水桶をひきあげる際に縄ですりむいてしまったのだろう。ライアンは思わず言った。


「ティアナ様、貴女がこんなことをなさらなくとも。侍女の仕事ではありませんか」

「でも、私がしないと……母が怒るから……」


 ティアナは項垂れ、力なく口ごもった。ライアンは、自分の上衣(チュニック)の懐を探った。


「これを」


 差し出された(たなごころ)に小さな木箱をみつけ、ティアナは首をかしげた。ライアンは、もう片方の手を所在なく動かした。


「俺の、いえ、わたしの乳母は先住民(ネルダエ)出身で、薬草の(わざ)を得意としています。わたしがショッチュウ傷をつくるので、持たせてくれたのです。……どうぞ。よく効きます」


 ティアナはライアンの掌から小箱をとりあげた。その際、少女の指がわずかに彼の手に触れたので、ライアンはひそかに呼吸をとめた……。ティアナは箱の蓋をひらいて中をのぞき、改めて微笑んだ。


「ありがとう」


 花がひらくようではない。痛みに耐える風情にライアンは苛立ちを覚え、何か――何とか、彼女の気持ちが楽になる言葉がかけられないものかと、脳内でもがいた。たかが十五・六歳の少年に気の利いた台詞など思いつけず、肩を落とす。


「ティアナ。ライアン」


 セルマが――こちらは朝の鍛錬をするつもりだったのだろう。小姓が着るような毛織の上衣(チュニック)脚衣(ズボン)を穿き、木剣を手にした公女が、声をかけてきた。手入れされていない畑土の凹凸を、大股に踏み越えてやってくる。頬は蒼ざめ、柳眉はしかめられたままだ。

 双子の妹に近づくなり、セルマは言った。


「ティアナ、交代するわ」

「駄目よ……。今朝、お父様は街に視察にでかけると仰ったわ。それで、お母様は機嫌が悪くなってしまわれたの。勝手に代わったら、何を言われるか」

「また?」


 大公が領内の治安や収税の状況を視察するのは当然だが、エウィン妃は夫から相手にされないことが不満なのだろう。母の機嫌ひとつで城内の雰囲気が左右されてしまう事態に、セルマは鼻を鳴らした。

 ティアナは声をひそめ、沈んだ口調でつづけた。


「ヴェーラ(侍女の名)が辞めてしまったの……。お母様は他の侍女を寄せつけないから、私がお世話をしなければ」

「あんな大声で怒鳴って暴れる元気があるんだから、自分のことくらい、自分ですればいいのよ」


 ライアンは、セルマの言葉につい相槌を打ちかけ、自制した。ティアナは溜息をついて首を振った。


「お母様のお体が弱いのは、私たちを産んで下さった所為なのだから。そんな風に言うものではないわ」

「ティアナ。あなた――」


 セルマが反論しかけた時だった。


「ティアナ! 何処にいるの? ティアーナー!」


 窓の鎧戸を乱暴にひらく音とともに、金切り声が降ってきた。ライアンは片頬をゆがめて耳の痛みに耐え、姉妹はぶたれたように肩をゆらした。

 ティアナが上を向いて応える。


「はい、ただいま! ……私、戻るわね、セルマ。ライアン、薬をありがとう。後でお返しします」


 早口に囁くと、ティアナは水の入った手桶を提げ、小走りに本丸へ戻っていった。細い背を見送り、セルマは小さく舌打ちをした。


「観られたかしらね……」

「セルマ様」


 セルマは斜めにライアンを見上げ、声をひそめた。


「気をつけてね、ライアン。母は、自分以外の人が仲良くするのを嫌うから」


 ライアンは思わず、するどく息を吸いこんだ。セルマ公女の晴れた夏空のごとき瞳を見詰め、


「そんな――」


(まさか、戦場でもあるまいに。同じ城に住む、身内の間で。) と、彼は続けたかったのだが、セルマは無念そうに(かぶり)を振った。


「本当よ。私にはティアナの、ティアナには私の悪口を言って、仲を裂こうとするわ……。私たちを産んだ所為で体を壊したと言えば、優しいティアナは言うことを聞いてくれる。『あばずれ(・・・・)のセルマは、ティアナほど優しくはない』 とティアナを褒めて――その同じ口で、私には 『愚図(ぐず)で頭の悪いティアナは頼りにならない。やっぱりセルマでないと』 と言うのよ」


 ライアンはぞっとした。エウィン妃の、気まぐれで癇癪もちなだけではない、ひどく(いびつ)な面を観たように思ったのだ。そして、まだ十三歳のセルマが実母をこう評するに至った苦悩を。


「セルマ様……」


 セルマは眉を曇らせたまま本丸(キープ)の窓を仰ぎ、ほっと息を吐いた。


「私は、自分を例外にした屁理屈が嫌いなの。だから母を信用しない……。ティアナが愚図なら、あのひとはもっと愚図だわ。混血のティアナが醜いなら、あのひとも混血よ――私だって。でも、それを指摘しても無駄なの。母にとって都合の悪いことは、『ワタシはそんなこと言っていない』 のだから」

「……そう仰って頂き、安心しました」


 ライアンは頭を下げた。セルマがエウィン妃の言葉を真に受けて、ティアナを(あなど)ったり(しいた)げたりするようになっては、大変だと感じたのだ。家族の中で。その逆も(しか)り。

 セルマは柔らかな薔薇の花びらのような唇を噛み、呟いた。


「ライアン、あなたはティアナの味方でいてね。父と母が何を言っても、あなただけは」

「もちろんです」


 アイホルム大公の臣下であるライアンが、公女たちに従うのは当然だ。彼は、聡明な二人の公女を大公妃よりも尊敬していた。

 ライアンは、右手を己の左胸にあてる騎士の礼をして応えた。


「わたしは、おふたりの味方です。セルマ様とティアナ様の」


 セルマは唇の端をわずかにもちあげて微笑んだが、愁眉(しゅうび)はひらかなかった。硬い表情のまま踵を返し、彼を促す。


「トレナルを呼んできて。お父様が街へおりるなら、御供をしないと……。どうせ、娼館で遊ぶつもりでしょうけれど」


 否定する言葉がみつからず、ライアンはただ面を伏せた。これも、彼女たちの不幸の原因のひとつだと思う。

 現アイホルム大公は、父親らしい温かな情を娘たちに示すことは殆どなかった。





~第一章(3)へ~

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