第四章 竜の盾(1)
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早春の冴えた日差しのふりそそぐ、城の運動場にて。ライアンは剣の稽古をしていた。喪明けをはやめて叙任された若き騎士は、燃えるような赤毛を首の後ろでひとつにくくり、隆とした筋肉を毛織の上衣に包んでいる。その体格は、先輩騎士たちにひけをとらない。
刃をつぶした剣でひとしきり乳兄弟と打ちあうと、ライアンは剣をおさめ、手の甲で額の汗をぬぐった。次の騎士に場所をゆずり、トレナルと並んで訓練場を眺める。
合図の声とともに、門扉が開いた。
「セルマ様だ!」
「殿下がお帰りだぞ!」
衛兵と厩舎係の男たちが、出迎えに駆けていく。運動中の騎士たちは、その場で待った。
白馬に騎ったセルマが、護衛の騎士と従者たちを従えて通りかかった。
「セルマ様、お帰りなさいませ」
「お疲れさまです、セルマ様」
男たちが口々に声をかけるのにうなずき返し、セルマはライアン達に近づいた。ライアンは、片手を自分の胸に当てて一礼した。
「ご無事で何よりです、セルマ様。街道の様子は如何でしたか?」
「駄目よ。土砂が崩れて通れなくなっている。雪が消えるまで進軍は無理ね」
セルマは銀色にかがやく兜を脱ぎ、まとめていた髪をほどきながら答えた。明るい黄金色の髪が波をうって流れおちるさまは美麗だが、表情は硬い。
ライアンは首を傾げた。
「先月、雪崩が起きた場所ですか? あれは除雪したはずですが」
「その向こう、峠を越えたところよ。土砂が崩れているだけでなく、その下に大きな穴が開いているの。馬を連れて通るのは無理よ」
「大穴……ですか」
ライアンは思案気につぶやいた。心の端に引っかかることがあったのだ。セルマも同じことを考えたらしく、本丸に視線を向けた。
「私たちにとっては都合がいいけれど、お父様は不満でしょうね。もう三ヶ月ちかく、ヒューゲル領を攻められないのだから。ダルジェン領側からの攻撃が激しくなりそうよ」
「承知しました。警戒します」
ダルジェン大公領と境を接しているのは、グレイヴ伯爵領だ。ライアンは頬を引きしめたが、セルマは暗いまなざしを彼にあて、馬首をめぐらせた。
内郭へ向かう公女たちの行列を見送るライアンに、トレナルが囁いた。
「〈山の民〉の仕業でしょうか?」
「おそらくな。確かに、俺たちが《《敗けぬよう》》味方してくれているわけだ。だが、そろそろ殿がしびれを切らすぞ」
「そうでしょうね」
ライアンは、口髭のはえた唇をゆがめて苦笑した。
ティアナが『とりかえ子』となって〈山の民〉の国へ預けられてから、半年が過ぎた。
アイホルム大公は、〈山の民〉との契約が成立するとすぐヒューゲル大公に宣戦した。ラティエ鋼製の鎖帷子を身に着け、魔法の矢を背負い、白馬に騎ったセルマの率いる軍は強かった。ヒューゲル大公軍も先住民の抵抗軍も、国境で数度衝突しただけで退却した。ライアン達は国境の村々を襲い、略奪を行った。雪が降って山越えが難しくなると、大公は西隣のダルジェン大公領を攻めさせた。
連戦連勝でも、ライアン達の気持ちは荒むばかりだった。馬を持たずろくな装備もない農民と戦ったところで、騎士の誉にはならない。正当性のない戦に勝ったところで、武勲にはほど遠い。――そんな臣下の気持ちなど知ろうともしない大公夫妻だけが、戦利品に酔っている。
アイホルム大公軍の侵攻を困難にする要因のひとつに、〈山の民〉の働きがあった。土砂崩れや街道にできた大穴は彼らの仕業だろうと、ライアンは推測している。
山岳天竺鼠はふつう、新年の祭り(十一月一日)が終わると地下にもぐって冬眠する。冬の間につがいは子を産み、雪解けのころまた地上に現れる。その習性ゆえか、地下の国へ行ったティアナ公女がライアン達に姿を見せることはなかった。ジョッソは数度やってきたものの、とりかえ子の”ティアナ”は滅多に外へ出てこない。
白毛のマオールは、セルマとともに塔の部屋に住み、公女の寂しさを慰めていた。
アイホルム大公夫妻の関心はセルマひとりに集中し、以前よりいっそう強く束縛した。セルマは日中は戦場へ赴き、帰っては母の身の周りの世話をしなければならなかった。勿論、騎士の鍛錬も、将として兵を率いる戦い方の勉強も必要だ。
セルマの疲労は日毎に増していった。
ライアンは彼女を案じていたが、セルマの方は彼に気を遣い、距離を置いているようだった。
ティアナ公女がとりかえ子になったのは、自分の責任だと思っているのだろうか。ライアンがティアナを慕っていると知っていたわけではないだろうが。――青年は、状況が改善しないことに苛立っていた。
「ライアン様、〈鷲の巣城〉へ戻りますか?」
乳兄弟に声をかけられて、ライアンは我に返った。南街道が土砂崩れで通れなければ、ヒューゲル大公軍は〈曙山脈〉を迂回し、ダルジェン大公軍と協力して西から攻めてくるだろう。
赤毛の若き伯爵は、後ろ髪を引かれつつ頷いた。
「そうしなければならぬだろうな。トレナル、荷をまとめておくよう、皆に伝えてくれ」
「わかりました」
トレナルは革鎧の胸当てに片手を当てて一礼し、従者たちの集合場所へ歩いていった。ライアンが乳兄弟の黒髪を見送っていると、
「ライアン様」
「よお、アルトリクス」
アルトリクスが、空の荷馬車に乗ってやってきた。城に武器を届けてきたのだ。荷台には同族の男が二人坐っている。
ラダトィイ族の族長は、先住民の姿にざわめく傭兵たちには構わず、ライアンに話しかけた。
「戦況はどうですか?」
「良くも悪くもない。膠着している。土砂崩れで南街道が通れなくなったのだ」
「それで、セルマ様が帰って来られたのですね……」
アルトリクスは気を遣い、人前では敬語を使う。ライアンはもどかしいと思いつつ応えた。
「無益な争いをせずに済むのはありがたいが、いつまでも城にこもってはいられない。西からダルジェン軍が攻めて来るだろうし、ヒューゲル公も黙ってはおられまい。なにより、うちの殿は戦争をやめるつもりがない」
「そのことだが、ライアン。不穏な噂を聞いたぞ」
アルトリクスはすばやく周囲に視線を走らせると、手綱を片手にまとめ持った。友の方へ身を傾け、声をひそめる。
「……アイホルム領を追われた先住民の一部と、ヒューゲル領の先住民が結託した。祭司たちが、セルマ様の鎖帷子に対抗する方法を探っている」
「魔術師たちが?」
「貴公の乳母どのが一枚嚙んでいるという話だ」
「モルラが?」
ライアンは新緑色の目をみひらき、アルトリクスを見詰めた。アルトリクスはうなずき、ほとんど口を動かさずに続けた。
「仕える神が同じなら、征服者の領主など関係ないということだ。おれも、こうして武器を届けてはいるが、奴らに同情する気持ちの方が大きい」
「アルトリクス。俺は貴公と戦いたくはないぞ。……モルラが俺なんぞの言うことを聞いてくれぬのは確かだが」
ライアンが戸惑い気味に言うと、アルトリクスはくすりと微笑んだ。
「然もありなんだな、伯爵どの。立場の複雑さは理解できる」
「お前も同じだろう。部族内から突き上げられてはいないのか?」
「居心地が良くないのは、確かだ」
傭兵の一団が通りがかったので、アルトリクスは口を閉じ、慇懃に頭を下げた。男たちは、質素な皮の衣装の先住民の青年を下男だと思ったらしく、嘲笑を浴びせて立ち去った。
ライアンは眉根を寄せた。若くとも、ここにいるのは〈鉄の民〉の族長だ。アイホルム大公すら一目置くというのに。
アルトリクスは親友の気持ちを察し、なだめるように片手を振った。
「商売は重要だ。しかし、同じ〈大地の民〉の苦難を見てみぬふりをして過ごすのは如何なものか、と、おれも思う。……そろそろ、立場を決めなければならぬだろう」
そう言うと、アルトリクスはいっとき城の塔を見上げて黙りこんだ。磨かれた黒曜石のごとき瞳が淋しげに見え、ライアンは不安になった。
「立場とは? アルトリクス」
親友は不意に微笑み、ライアンの厚い胸を拳でこづいた。声量が増し、調子が上がる。
「水竜の鱗にかけて。おれはお前の敵にはならないぞ、ライアン。安心しろ。しばらく会えなくなるかもしれないが、朗報を待っていてくれ」
「お、おう?」
「ひと足先に西へ戻る。お前も気をつけて来いよ。トレナルと、セルマ様によろしく伝えてくれ」
「分かった。気をつけて帰れよ」
アルトリクスは鞭を振り、荷馬車を進めた。城門をでる際に振りかえり、片手を挙げて挨拶する。ライアンは手を振り返し、親友の言葉に首をひねりつつ自分の天幕へ戻った。
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