第88話 閑話:(第三者視点)理不尽なる経済制裁
――大国同士にゆるやかに漂う戦争の気配。明確な形にはなっていないが、闘争の予感はあった。
かつての古代帝国が解体されて以来、大国同士が表立って事を構えたことはなかった。
覇国である帝国が解体してから、戦争とは、小国同士の小競り合いであった。あるいは、独立を求める一地方が大国相手に内乱を起こして、それが拡大して結果的に戦争になってしまったものがある程度。いずれも規模の大きなものではない。
人の最大の敵は疫病、次に自然災害、そして魔物。
疫病を除いて、今までの技術の発展は、それらの脅威の克服が主眼であった。災害を克服するための建築技術、魔物を克服するための武具防具の冶金技術。疫病を克服するための祈りと調薬と魔術も、大きなくくりで見れば技術発展と言ってもよいかもしれない。
戦争が技術をもたらすよりも遥かに多く、平和の時代が技術をもたらした。
今の大陸は、小さな無数の国と、七つの大国に分かれている。
魔導機械と鉄の国――帝国。
経済力と迷宮の国――通商連合。
妖精女王と森の国――共和国。
聖書と十字軍の国――教国。
死霊術と英雄の国――皇国。
遊牧と龍騎兵の国――公国。
魔術師と騎士の国――王国。
領土の広さの差や、兵力に差はあれど、これらの大国はいまだに大きく対立したことはない。
代理戦争はあった。大国同士の戦争ではなく、属国同士が争って血を流した。だがその程度である。
封建的な思想が広まり、各地を治める諸侯たちが独立を求める機運が高まりつつあったが、それでもなお戦争の形に至ることは少なく、大国と大国を巻き込むに至った例はない。
今までは。
貪欲な国があった。領土拡大と大陸政治の覇権を追い求め、闘争を求める国が。
「――これより、第七十一回 ヒエロ・ソリュマ大陸会議を行う。此度は儂の呼びかけに集まっていただき、誠に感謝する」
全員の着座を確認してから、最年長である教皇ラファエロが口を開いた。
大陸会議。
それは大国同士の首脳会談であり、国境を越えた重要問題を協議するため、関係国の最高責任者が集まるものである。だが、いままでの歴史を振り返ると、大陸会議が問題を解決したことはほとんどない。せいぜい、意味の薄い条約や憲章が発布されるだけ。
各国の立場や主張の違いを浮き彫りにする――このような場を設けるのは、単純に国としての意見を明らかにするという、それ以上の意味はない。
インペリオ帝国(Imperio)の帝王、サルバドール・ダリ。
コメーカ・フェデラシオ通商連合(Komerca Federacio)の首長、レンブラント・ファン・レイン。
レスパブリコ共和国(Respubliko)の元首、ピエール=オーギュスト・ルノワール。
レリギア教国(Religia)の君主代理にして教皇、ラファエロ・サンティ。
瑞穂皇国(Mizuho)の御門、永徳。
プリンクランド(Princlando)の大公、アンリ・マティス。
リーグランドン王国(Reĝlando)の国王、ギュスターヴ・クールベ。
完全な平等は存在しない。七大国の関係は、徐々に悪化しつつある。
誰も口には出していなかったが、国を治める君主たちは、すでにそのことを知っていた。
「――近年、黄金の流通量がどうにも偏り過ぎておる。これの是正を図りたいと思うておる」
政治的な力学。平たく言えば、脅威となれば叩き潰されるというもの。
七つの国にも上下がある。覇権国家は、次点以下の国同士を競争させて疲弊させようとするし、覇権国以外は覇権国の喉元を食いちぎろうとする。
最も単純な形が領土の奪い合い。形を変えたものが、利権の奪い合いである。
「黄金について、貴君らはよくよく知っておろうが――」
と前置きして、教皇ラファエロは教えを聞かせるような口振りで説明した。
「大陸で広く流通している貨幣は、金貨じゃ。大陸は金本位の経済で成り立っておる。金の比率配分や造形はそれぞれの国の自由じゃが、我々は経済基盤となる金の流通量にひどく気を払ってきた」
金の多寡は戦争につながる。
何故ならば、金を持たない国は、富める国よりもさらに貧しくなっていくからである。
「知っての通り、金本位制を取ることを合意した"黄金の憲章"は今も有効である。何故なら国家間収支を均衡させる作用があるからじゃ」
本来の思想通りに機能すれば、金本位制は、経済の安定をもたらす。
仮に、ある国の経済が好景気になり、物価が上がったとする。
すると物価上昇に伴い、安価な他国からの輸入が活発になり、その国の経常収支は赤字となる。
輸入による自国通貨――金の流出が、輸出による他国金貨の流入を上回る。
やがて、金が流出して貨幣流通量が減少すると、金の価値が上がるため、物価が下がる(金貨のほうが貴重になる)。
好況の時は金が流出し、不況の時は金が流入する。
長い目で見たときに均衡が生まれること。それが金本位制の重要な点であった。
だがしかし。
「近年、著しく金の流通の均衡が崩れておる。金を持たない国は金の流通が鈍化して景気が落ち込み、物価は下がっておる。しかしそれでもなお、金貨の流出は止まるところを知らぬようじゃ。一部を除いて、経済はかつてないほどの不況に見舞われておる。つまり、どこかで金が停滞しておる」
産業構造があまりに違うとき、均衡はたやすく崩れる。
例えば、従来の半値でものが作られてしまうと、ちょっとやそっと物価が変わったところで追いつかない。
そして、外貨を稼ぐ手段が乏しい国は、金貨が流出するのを食い止めきれない。
名前こそ口には出さなかったものの――それがどこを指しているか、言葉にしなくても明白であった。
――バスキア領。
小国の国家予算の、優に二十年分以上の金貨をため込んでいる驚異の領土である。
「これは誠に不公平であろう。貴君らもそうは思わぬじゃろうか。儂ら大国はともかく、小国は不況に喘いでおる。武力を使っておらぬだけで、これは資金力にあかせた略奪行為じゃ」
金がどんどん流出していく。こうなると、小国に取ることができる選択肢は二つだった。
このデフレーションの状況を甘んじて受け入れ、物価がどんどん崩壊して、失業者がどんどん生じることを歯を食いしばって耐え、自国内の希少な美術品や資源が買い漁られて次々と国外に持ち出されることを座して待つか。
もしくは、金貨一枚を溶かして二枚に分ける等、無理やりに粗悪な金貨を作って、意図的なインフレーションを引き起こし、自国の経済が混乱することを承知の上で場当たり的な対処を行いつつ、他国金貨と自国金貨の両替比率が変わりませんようになんて馬鹿げた祈りを捧げるか。
「さて、いかがかの。ギュスターヴ国王。大陸の安寧に心血を注いできた儂らであれば、愚劣な決断はすまいな」
「……そうだな。金策に苦しんでいる国には、関税の緩和・制限と引き換えに、我が国から融資しよう。資金の使い道については監査を入れると共に、行政支援を行いたい。貧困の理由は産業構造であろう。我が国の物資も割安で卸すことを約束する。これでいかがか、ラファエロ教皇」
「いささか勘違いしておるようじゃな」
一瞬で場に緊張が走る。
強い態度を崩さないギュスターヴ国王。それに掣肘を入れるラファエロ教皇。
要するに、ギュスターヴ国王はその小国を、経済的な植民地にするつもりなのである。
提案こそ常識的なように聞こえるが、経緯が経緯である。市場競争でこてんぱん打ち負かして産業を衰退させておきながら、行政に干渉して産業構造に手をつけようというのだ。しかも自国の商品を買わせようとする始末。物資を安く卸したところで、関税を緩和してもらえば王国の損は少ない。これを植民地化と言わずに何と言うか。
続く国王の言葉も、火に油を注ぐような台詞だった。
「勘違いはない。その国が貧窮しているのは、輸出商品のいくつかが価格競争に敗北したことではなく、もしかすると真の理由は宗主国による無茶な外交が根本原因かもしれんからな」
「帝国が解体されて以来、宗主国という概念はないぞよ、口を慎むがよい、国王」
「ふん、帝国が解体されて、か。つまり帝国が解体されたことを公的に認めるのだな、教皇よ」
これには帝国が黙っていない。サルバドール帝王が「帝国は解体されておらぬ、Caiserの称号はまだ余が引き継いでおるわ」と横から釘をさした。被せるように通商連合のレンブラント首長が「そうかね? この場で多数決でも取ってみるかね」と煽った。
途端、場が荒れる。こうやって議論を荒らして矛先を逸らすのは、ギュスターヴ国王にとっては造作もないことだった。
議題から議論がそれつつある中、一人の若者が「ちょっといいかい」と発言を求めた。
「我が思うに問題は、金貨をため込み貿易黒字を搔っ攫っている王国のやり口ではないか」
若くして君主を名乗るプリンクランド大公、アンリがいきなり核心を突いた。
諸部族の指導者の集会で選ばれた、指導者の中の指導者。
周囲の小国を併呑してますます勢力を広げつつある、闘争に生きる者。彼には大王の器があった。
「どうだろう、ギュスターヴ国王。ここにいる全員が思っているはずだ。我々はバスキア貿易港からの買い受けがやたらと増えた。バスキア領からの輸入品に関税をかけるべきだとね」
「ほう、アンリ大公はバスキア領からの質の良い商品の恩恵を受けながら、対価を払うことを渋るか。良かろう。リーグランドン王国からも関税を外したい商品、逆にこちらが買い受ける前に関税をかけたい商品がいくつかあるのだ」
「憂いているのは対価じゃない。我が憂いているのは、我が国の産業と、保護国の産業が荒らされることだ。自国の産業を守るために関税をかけるのは当然のことだろう?」
アンリ大公はここで、目くばせを行った。
それは、ギュスターヴ国王の予想をはるかに超えることだった。
ギュスターヴ国王以外の全員が、その合図と同時に起立したのだ。
「……なるほど、余が席に着く前に話が決まっておったようだな」
「我々六国は、封鎖海域をここに指定し、大陸を大きく南回り、北回りに航行する商船に臨検を実施し、王国に所属する貨物を拿捕し没収する。また王国の保有する国外金融資産の凍結をここに宣言する。――経済制裁だ、ギュスターヴ国王」
呆れるような展開であったが、何一つ笑える話ではなかった。
落ち着き払ったように、ギュスターヴ国王は口を開いた。
「正当化する理由がない。商人たちも従わないだろう。その宣言は、ただ形骸化するだけであろうな」
「理由ならあるさ。度重なる密輸および金融不正、そして非人道的措置に対する非難声明だ」
「つまりでっち上げか」
「でっち上げではないよ。バスキア領は密輸も金融不正も行った上、住民の独立を求める声を無視して弾圧を続けている。十分すぎる理由だ」
それをでっち上げというのだ、とは国王は続けなかった。
六大国同士が手を組んで、世論操作を行っているとなれば、それが今後の史実になるのだ。
「かつて王政から見放され、遠くの地に追放された流民たちが、独立を求めている。教会より勅免状を授けるには十分だろう。ギュスターヴ国王よ、民の声に耳を傾けるのも為政ではないのか?」
(……なるほど、これもまた茨の道だな)
※本作品はカクヨムのコンテスト「第四回ドラゴンノベルス小説コンテスト」を受賞いたしました。
更新が滞っていたのでなろう版でも順次更新を進めて参ります。長らくお待たせいたしましたが、皆様お楽しみくださいませ!
※最新話までカクヨムで公開中