第87話 閑話:(第三者視点)船乗りたちの噂話
バスキア領と他の貿易港を往復する貿易船が今日も今日とて建造される。バスキア領の造船所はいつ見ても賑やかであった。
他の港との交易が進むにつれて、たくさんの技師がこの地に訪れ、設計、構造の技術もどんどん発達した。
もともとバスキアを支配していたヴィーキングたちには、高度な造船技術があったが、バスキア工房やバスキア研究所の技術供与により、船の更なる大型化・高速化を実現しつつあった。
横帆は古代の船にも見られた構造であったが、安定した順風の続く外洋航海や、荒天時の操帆の観点から再び取り入れられるようになった。
操船性にすぐれる大きな三角帆と平張り外板も、非常に重要な技術である。風を切って翼の形になった三角帆の方向を変えれば、逆風であってもジグザグ曲がりながら前進できるのだ。
この二つの技術を組み合わせたキャラック船が、現在のバスキア領で、実験的に多数建造されていたのだ。
「なあよお、あの領主様が来てから、だいぶと変わったよなあ……俺たちこそがこの地の覇者だと思っていたのにな」
「違いねえよ。筋肉も覇気も足りてない頼りない坊やだと思っていたんだが、どうしてなかなか、無茶苦茶やりやがる」
船大工としてあちこちを走り回るヴィーキングらが、軽口をたたき合った。
大工仕事は力仕事である。ドワーフたちも高度な技術を持ってはいるが、ここは海を知っている荒くれどもの本領の見せ所であった。
自在に張り替えたり数を増減させたりすることができるため、高い帆走能力を持つ――そんなキャラック船は、長期的な航行にも向いた船である。
船尾と船首の帆による高い回頭性、三角帆による逆風条件下での航行性は言うまでもない。物資の積載のための豊富な空間も有している。
戦闘用としても、甲板の安定性が高く、これがいかにもヴィーキング好みといえた。
反面、大きな船体であり帆も大きく、もろに突風を受けたときには転覆の危険性もあるため、これをどのように抑えるかが重要な課題だと言えた。
「このスライムの分離体のおかげで、海でも水に困らなくなっちまった。転覆しそうになっても、こいつが船体を支えてくれる。海の女神様かもしれねえ」
「はっは、海に精霊様がいたらこんな格好をしているかもな」
……このバスキア領に限って言えば、それも些末な問題であったが。
飲用水の確保も、船体が転覆しそうなときの支えも、このスライムの分離体が活躍してくれる。
通常の貿易よりも輪をかけて安全で、航海成功率も他の船と比べ物にならないほど高い。
ここまでの条件がそろっていて、バスキア貿易港を中心とした交易流通が、栄えないはずがない。
海賊として名を馳せたヴィーキングたちは、今は貿易船を守る護送船団、あるいは貿易船そのものの船員として活躍をしている。
彼らには、長きに渡って海に棲む魔物を討伐してきた自負がある。
海の覇者、ヴァイツェン海賊団、メルツェン海賊団。貿易船を守る仕事にあたって、彼らは、この上ない適任だと言えた。
――うみねこがどこかで甲高く鳴いた。穏やかな波の音と、風にたなびく帆の音。
この果てしない海を、ヴィーキングはよく知っている。穏やかなだけではなく、時には凶暴に荒れ狂うことさえも。
「……魔物退治、だな」
「ああ、俺たちもいつかは腹を括らなきゃなるめぇ」
噂によれば、南回りの航海路の途中に、強大で凶暴な魔物が現れたのだという。
あまりに強力な魔物であるため、バスキア領と、南の"商業連合"は冒険者ギルドに冒険者の派遣を要請している。
民の声は、聖女シュザンヌを求めていた。
だが冒険者ギルドはどうにも態度を硬直化しており、ずっと冒険者の派出を渋っている。
一般人の目から見ても明らかにおかしい。
だが、さらに噂を慎重に聞くと――どうにも聖女シュザンヌに嫉妬したバスキア領主が、わざと彼女を拒否しているのだという。
かつて自分を追放した聖女への逆恨みなのだとか。
どうにも信じがたい話だが、周囲の者たちがあまりにも断定的にそういうのだから、そんな気もしてくる。
大陸の聖女と気鋭の領主の対立。
これを面白おかしく取り上げる戯曲なんかも書かれたりして、周囲は野次馬根性であることないこと噂をするだけであった。
「誰も手が付けられなくなったら、俺たちが魔物を退治するんだろうよ」
「ああ。今は海軍の名を背負ってるんだからよ。総力戦とまでは言わなくとも、ヴァイツェンのやつらか、俺たちメルツェン海賊団が全力でやるしかねえ」
それはつまり、間接的に、バスキア領の海の守りが薄くなることを意味しているのだが――それを気にするものはどこにもいない。
うみねこの鳴き声が一際うるさくなった。
何かがやってきたのか、と海賊たちはその方向を見たが、そこには何もなかった。ただ、漠然と広い海だけがそこにあった。