表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
84/90

第84話 閑話:(第三者視点)バスキアに潜む密偵①

 人々の言葉を借りれば、バスキア領は"治安が悪い"と噂されている。

 風光明媚で活気あふれる快適な街。犯罪率も極めて低く、一見すると誰もが羨むような近代的な商業都市。

 それが何故、治安が悪いと言われているのか。


 ――憎み合うほどに相互理解が絶望的な種族が、それでも無理やりに住んでいる。

 ――大陸のあらゆる場所から集められた密偵たちが、情報工作と諜報活動を繰り返している。

 ――市民議会さえ存在せず、あらゆる政治的決定は領主の絶対的な権限で決まる、独裁的な統治が敷かれている。


 識者曰く、この街が安全であるように見える人々こそ、ある意味で異常なのだ。

 水面下では、複雑に絡み合った危うい均衡が、この街を上手く回している。

 何かしらの民族紛争に、一度でも火が付けば、どれほど恐ろしい事態になるのか――大陸中の為政者がこの領地に注目している。


 誰もがうっすらと気付いている。

 あの領主、アシュレイ・ユグ・バスキア伯爵は狂人である。


 聞くところによると、彼は王国中から凶悪な犯罪者を集めているという。

 もし仮に、再び野に放たれたら、どれほどの被害が出るのか予想もつかない。そんな残虐な囚人たちが、バスキア領に唸るほど存在している。


 その上、難民保護と来ている。

 彼の"難民保護卿"の名のもとに、"特定の民族に憎悪を抱えた野蛮な民族"であっても、いったんは受け入れるのだという。


 火に油を注ぐような愚策。

 このあまりにも危険な状況を、そのまま放置するような有力者は存在しない。

 大陸を巻き込んだ戦争に発展する危険性がある――バスキア領に密偵が多数集まっている理由は、それが最大の理由だった。


 エルフとドワーフとゴブリンとコボルトとの条約機構の設立。

 こんな政治的状況で、よくも平然とそれを口にできるものである。

 もはや、大陸全土を巻き込んだ派手な自殺でもしたいのか、と疑ってしまうような愚かすぎる為政だ。領主は政治の力学を分かっていない。


 挙句の果てに、この領主は、冒険者ギルドに喧嘩を売るような真似をした。

 なんと、冒険者ギルドの収益源の一つ、債権の回収代行業務を、徐々にバスキア領にて巻き取り始めたのである。


 大陸全土は、もはや誰もが予想のつかない事態に足を引きずり込まれている。

 あの伯爵を止めなくては、この大陸に大きな不幸が訪れるかもしれない。


 それゆえこの日、とある密偵に"バスキア伯爵を暗殺せよ"と密命が下された。それは穏やかな昼下がりのことであった。






 バスキア領にひとたび入ると、そこは異世界であった。

 馬車鉄道の普及により、高度に発達した移動手段。

 街のあらゆるところに点在するスライムによる、行き届いた清掃。

 芸術的な街並みと、異種族が混在する猥雑な景色が、どうにも常識に馴染まない。


 珍しいことに、領地内には揉め事がほとんど存在していなかった。

 憎み合っているはずの種族同士が、穏やかに会話をしている。

 表面上は何ら問題を起こすことなく、適切な対話が成立しているのだ。


 もちろん注意深く観察していると、時には掴み合いの喧嘩に発展しているようにも見える。だが、それらは素早く鎮圧されている。近くにいるスライムがとびかかって、喧嘩をした二者をひっ捕らえてしまうのだ。


 争いはどうしても生じる。

 だが、それを素早く鎮圧する武力がこの領地にある。


 仮初の平和だ、と密偵は考えた。

 この場を鎮圧する暴力がなければ、殺し合いが発生していた。それを暴力で先送りにしただけなのである。やはりこの領地は、どこかが歪なのだ。






 もう少し先を行くと、書類を抱えたスライムが走っていた。否、床やら壁やらを滑っていた。

 屋根の上を見ると、あちこちを素早い速度で滑るスライムが見られた。


 噂には聞いたことがある。バスキア領の政治的意思決定は早すぎると。

 あの書類がもし、領主の判断を窺う決裁書類なのだとすれば。

 あのようにスライムを活用して、高速でやりとりしているバスキア領は、非常に恐ろしい政敵である。


 部下からのあらゆる報告を、あの伝達手段で高速に、そして簡便に実施できる。

 逆に、領主からのちょっとした質問も、あのスライムを使えばあっさりと解決できてしまう。


 さりとて、あのスライムから書類を強奪するのは、きっと簡単ではないだろう。


 あの使役獣(スライム)がもし戦争の場に使われてしまったら、軍隊の統率力がどれほど向上するだろうか。

 悪い方向への想像は、尽きることがない。






 少し先を行けば、ある意味で観光名所となっている、バスキア監獄にたどり着く。

 ここではなんと、街行く人たちが、監獄の中で働く囚人たちを観察することができるのである。

 意外なことに、監獄内には、バスキア領のあらゆる集計情報が集積しているのだという。

 もちろん政策方針の決定こそ、バスキア領主邸宅にて行われているが、その土台となる情報がここに集まっているのだ。

 各地から訪れた密偵が、この"餌"に釣られるのも無理はない。


 ふと足を止めた密偵は、思わず顔をしかめてしまいそうになった。

 監獄の中には、かつて見知った同僚がいたのだ。

 手信号によるやり取りは行わない。誰に見られているかも定かではない今の状況では、あまりにもリスクが大きい。


 かの密偵の仕事は、あくまで領主の暗殺である。






「上等なラム酒を一つ頼む、飛び切りキツい奴がいい」


「お客さん、ひとりかい?」


「連れを待っている、景気付けがしたい」


「……このバスキア領には何しに来た?」


「花冠を送りにきた。今日は下見だ」


「ほらよ、ラム酒だ」


 花冠は葬式の隠語である。密偵は、この酒場に武器を調達するために足を運んだのだ。

 飛び切りキツいラム酒には、毒が仕込まれている。

 密偵は、これに口をつけるふりをして、蓋をかぶせてそのまま袖にしまい込んだ。


 後は矢を調達するだけである。

 毒と矢を持ち込めなかったのは、思ったよりも関所での検問がしっかりしていたからである。

 現地調達に頼るのは本意ではなかったが、しかし、毒が調達できるならば話は早い。弓矢は自作できる。


 密偵はここまでの進捗を、外部に報告すべきか少し悩んだ。

 しかし、疑いをもたらすわずかな行動さえも、今は行うべきではないと判断して、彼はそのまま宿に泊まることにしたのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
読者の皆様の暖かいご支援が筆者のモチベーションとなっております。皆様に心より厚くお礼申し上げます。
勝手にランキング:気が向いたときにクリックお願いします

▼別作品▼
鑑定スキルで人の適性を見抜いて育てる、ヒューマンドラマ
数理科学の知識を活用(悪用?)して、魔術界にドタバタ革命を起こす、SF&迷宮探索&学園もの
金貨5000兆枚でぶん殴る、内政(脳筋)なゲーム世界のやり直し物語
誰も憧れない【器用の英雄】が、器用さで立ち回る冒険物語
付与術師がレベル下げの抜け道に気付いて、外れスキル大量獲得!? 王道なろう系冒険物語
房中術で女をとりこにする、ちょっとあれな冒険物語

作者のtwitterは、こちら
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ