第80話 教会からの親書・異種族との条約機構の宣言
3789日目。
この日、一通の親書が俺に届いた。
差出人は選王侯の一人、コレッジオ枢機卿である。まさか枢機卿から直接連絡を貰うとは思っていなかったので、俺は少々身構えた。
「これまでの類まれなる貢献を鑑みて、バスキア領の一部をキルシュガイスト大司教の統治する大司教区として、正式に取り扱う準備がある、ねえ」
今まで、白の教団とのやり取りは続いてきたが、寄り親のチマブーエ辺境伯を無視して俺に直接手紙が届いたのは初めてのことである。名目上、辺境伯の副官であったので、当然と言えば当然かもしれない。伯爵になるということは、裁量が増える反面、これからこのような連絡が増えるということも意味しているのだろう。
というよりも、伯爵にもなったというのに、まだ寄り子を続けている俺の方が珍しい方かもしれない。
(さてさて、問題はキルシュガイスト大司教だよな……。あのクソ大司教も、自治区を持たない珍しい大司教になっている)
非常に悩ましいことだ。
バスキア領の極端な発展により、色々と権力構造がいびつなことになっている。
そもそも、チマブーエ辺境伯も変わった方である。彼女は、辺境伯だというのに領邦内の司教の自治活動には否定的なのだ。
要するに、司教に土地を認めていない。立派な大聖堂を与え、布教活動を認め、領邦の外れの土地に修道院を建てているだけで、その土地を自治することは認めていないのだ。
(封建領土の支配から離脱して『自治権を得たい』という都市があんまり存在しない、というのが理由だろうな。チマブーエ辺境伯のカリスマが末端に行き届いている)
この時代、封建領主と教会の関係は微妙な均衡で成り立っていた。
例えば都市が『領主からの支配から脱却したい!』と教会に泣きついたとき、教会は勅許状を出すことがある。もちろんその勅許状に意味はない。
だが、勅許状を得た都市は、偉大なる神に自治を認めてもらったと、それを大義名分として領主の支配を拒否することがある。
国の法律は、その国によって定められるものである。勅許状は何ら法的な正当性を持たないものだ。しかし白の教団の圧倒的な権威が、その無法をまかり通らせてしまう。
事実、彼らは『市民に救済を与えた』とばかりに、聖職者としての大義名分を振りかざすのだ。
司教区という考え方も、非常に微妙なものである。
王国法の解釈では、あくまで"領主が領地の所有者"である。自治権も布教の権利も、領主の好意によって認めてもらうものだ。
よって、教区内での布教は認めても、自治権はそちらにはない、と突っぱねることも可能なのだ。そもそも教区を定める権利はそちらにない、と言い切ってもいい。チマブーエ辺境伯も、白の教団に対してはそのように強い姿勢で臨んでいる。
しかし、教団の解釈では、"土地は神の恵み、あらゆる土地はすべて神から授かったもの、人が独占してよいものではない"と主張している。
そして"土地を支配する主権者は、戴冠の儀など、神の許しによって正当化されている。勅許状もまたその一環である"と主張して憚らない。
白の教団は、支配者から独立したい被支配層の民に広く受け入れられている。
そんな白の教団から悪魔認定を受けてしまったら、どんな領主もたまったものではない。
耳当たりの良い言葉を振りかざしては民を扇動する。非常に狡猾な連中であった。
(最初に、クソバカでかい大聖堂と修道院を建てておいてよかった。つやつやで石造りの、嫌がらせじゃないかってぐらい広い大聖堂を作ったおかげで、クソ司教がクソ大司教に出世しても見劣りしない)
キルシュガイスト大司教に自治領を認めない、というバスキア領の判断。
しかし、クソ大司教からの抗議もそれほど強くはない。
富くじの発布を認めたり、契約書の管理業務の一部を任せたりと、普通は許されないような権利を認めているからである。
勝手に大司教区を名乗って、ここからここまではキルシュガイスト大司教の布教範囲だと主張するのは認めている。好きにやってくれていい。
しかし自治は認めない。バスキア領はバスキア領主である俺が好きにしたい。いちいち教会に口を挟まれる口実を与えたくない。
「大司教区として自治を認める勅許状を出す準備なんかされてもねえ。そもそも、どこぞのお姫様との縁談とかどうでもいいんだよな、俺は」
大陸全土の貴族社会における地位? どうでも良すぎて笑えてしまう。
地位が高くなったら賛同者が増えるのはわかる。だが、俺の地位が高くなくても賛同せざるを得ないぐらいの圧倒的な"執行力"を握ってしまう方が、早いし楽だ。
――そもそも、俺は教会から洗礼を受けていない。受けるつもりもない。
高位貴族の中でも異端すぎる経歴である俺は、できることなら教会の影響から逃れておきたいなと考えていた。
3790日目~3811日目。
エルフ、ドワーフ、ゴブリン、コボルトの四族との条約機構がついに実現した。
バスキア領が、彼らの安全保障、文化保護を引き受けると同時に、長い期間、お互いに武力を放棄しましょうとする条約文である。条文の効力は署名したエルフが亡くなるまで。引継ぎも可能。実質的には、永久的な軍事同盟だと思ってもよい。
お互いの技術供与はもちろんのこと、バスキア領への移住と留学の自由を約束するもので、ほとんどバスキア領にうまみはない。利点はただ一つ。
――このような条約を結びました、と大々的に宣伝できること一点のみ。
「エルフやドワーフ、ゴブリンにコボルトも保護してもらえるならと、小人族とか妖精族とか、どんどんバスキアに来てくれるかもしれないしな」
"難民保護卿"という肩書もいい方向に働いている。
要するに、自分の住んでいる領地に来れば保護してあげますよと大々的に打ち出したのだ。
(ちょっと前までは難民が押し寄せてくるのは嫌だったけど、今は別に、さほど悪い気はしないな。またどうせ、難民にまぎれて密偵が大量に押し寄せてくることは確実なんだけど、今度は"王家"に頼ることができる)
そう、今は状況が変わっている。
バスキア貴族契約のおかげで、経済的に敵対しようとする王国貴族はほとんどいなくなった。バスキアを混乱に陥れようとする連中は、少なくともリーグランドン王国ではほぼいなくなったと考えていいだろう。
今は、あのギュスターヴ国王と、チマブーエ辺境伯をはじめとする選王侯たち(枢機卿は除く)が味方についている。
(奪われて困るような機密情報もあまりない。都市開発計画や数字の情報はあきらめよう。奪われて困るのは"技術"のみ。バスキア魔術研究所とバスキア工房を守り抜くことができれば――)
本当は、奪われては困る情報は山ほどある。
都市開発計画なんかは、流出すると困る機密情報の典型例だ。
だがバスキア領が早すぎるし強すぎる。
例えば、馬車鉄道計画が流出すればそれは利権屋の格好の餌食になるが、バスキア領の場合はそうならない。スライムによる昼夜問わない圧倒的土木建築能力で一年ちょっとで馬車鉄道が完成するし、武力妨害は全部スライムで抑え込める。
傍から見れば、何をどう妨害すればいいのか分からないだろう。
よって真に守るべき情報は"技術"。
(この"技術"こそ、ドワーフやエルフから更なる知識を教わって育ってきた、バスキア領の"核"だ。ホビットやフェアリーの知識も、ここに寄せ集めたい)
条約機構は、まだまだ他の種族の加盟も広く認めるものになっている。
迫害を受けてきた種族を受け入れる皿として、バスキア領はその影響力を広げつつあった。