第72話 新種インク・タイプライター・機械式計算機の発明
3645日目~3669日目。
この日、バスキア監獄にて革命的な発見が起きた。それは複写の負担を格段に軽減させるものだった。すなわち魔力インクの応用とタイプライターの発明と機械式計算機の発明である。
バスキア研究所、バスキア工房、そしてバスキア監獄の三つの組織の協力にて生まれたこの発明は、なんと監獄の労働生産性を大幅に向上させることに成功した。具体的には倍以上の効率になったのである。
まずは魔力インク。これは工業用に応用が難しいくず魔石を、細かく砕いてインクに混ぜ込んだものである。
呪文を唱えながら熱を加えると色が消えるもの。これで修正液を使う手間を省くことができる。
呪文を唱えると、そこだけ砂金が集まるもの。これでスライムに文字を覚えさせて、砂金にインクをしみこませて、あとは判子のようにぺたぺたと紙に押していけば、複写が一瞬で済む。
熱変色性のある塗料としては、花びらの色素などいくつかその存在が知られているが、魔石を細かく砕いて、金属を引き寄せる性質を持たせたのは、バスキア領のインクが初めてであろう。
(監獄の囚人たちに、文字と数字をしっかり覚えてもらうという意味で複写作業は残すけど、でも覚え終わったあとは無理に手作業をする必要はない。このインクを利用して転写すればかなり効率がよくなるはず)
続いてタイプライター。
文字を打鍵すれば、それが紙に打たれるというもの。手書きよりも手間が少なく、書き間違いによるミスも少なくなる。文字の間隔も一定になり、書いている途中で斜めになったりしないので、仕上がりもかなり綺麗になる。
何より、盲目の人でも文字を書けるのが素晴らしかった。鍵盤に点字をつければ、どの文字なのかが区別がつくためだ。
試作号のため、故障が頻発するし、ピストン部分、キャリッジ部分、インキング機構のメンテナンスも手間ではある。
だが、少なくとも世界で一番、文書作成や数字作成を担っている施設がここバスキア監獄であることは間違いないので、実用試験を行う環境としてはこの上ないはずである。
今はまだ、がしゃがしゃうるさい割りにすぐ壊れる機械でしかないが、使いやすさを追い求めて、二号、三号と改良を重ねていくことで、きっともっと素晴らしい製品になるであろう。
(試作号でも、使い慣れた囚人が手書きよりも速く文章を作ることに成功している。普及すればどんどん便利になって、間違いなくもっと文章を作成できるようになるはず)
最後は機械式計算機である。これもまた試作品であるが、大きな可能性を感じる発明である。
機械式計算機とは、歯車などの機械的な機構を使った計算機のことを指す。
四則演算のうち、足し算、引き算については簡単に計算できることが知られている。
歯車を任意のステップ数だけ、前に進める・後ろに進めることで、加算も減算も簡単に表現できるからだ。
一方で、掛け算と割り算は困難である。
こちらも歯車のステップ数で数を記憶して、繰り返し足し算・引き算を行うことで実現するしかないのだが、計算している間は延々とハンドルを回し続ける羽目になる。
それに、表現できる桁数に限界があるため、大きな桁数の掛け算・割り算になると、信頼できる数値を返してくれないこともままある。
一応、"ラブドロジー"と呼ばれる算木を使って計算を簡素化させているのだが、まだまだ改良の余地はありそうだ。
(狂いのない精巧な歯車機構をたくさん作れるバスキア領ならではの発明だな。スライムのおかげで作ることができたといってもいい)
インク。タイプライター。機械式計算機。
バスキア工房の高い技術力と、スライムによる精密な部品加工能力のおかげで、このような革新的な道具の実現にまでこぎつけた。今はまだ高価すぎるが、今後、職人の負担を減らし、量産化に成功すれば、きっと大陸全土が震撼するに違いなかった。
では、宣伝はどうするか?
簡単である。バスキア領に放たれた密偵たちが、勝手に各地にその脅威を喧伝してくれているだろう。
閉鎖された監獄内での新技術の実証実験なので、内部を探りにやってきた密偵を炙り出しやすい(外部に連絡をとる瞬間を押さえやすい)という利点もある。
(……まあ、タイプライターと機械式計算機に関しては、工業機械の先進国のインペリオ帝国も似たような研究はしているはずだと思うけどな。もしかしたら、機密研究扱いだったりして)
工業機械で有名な帝国の名前をとんと聞かないのは、奇妙な話である。案外本当に、帝国内で軍事機密扱いの技術を、バスキア領でもあっさり実現してしまったのかもしれない。
それでも、工業技術的に遅れを取っているはずのリーグランドン王国が追いついたとあらば、快挙であることは間違いないだろう。
これでもし、バスキア領内にもっと間諜が盛んに入ってくるようになれば――その時はもっと手駒が増える、かもしれない。