第65話 閑話:(第三者視点)とある教団の会話の一幕
それは鉛色の空広がる、曇天のある日のことだった。
使者の持ち帰った知らせを聞いて、白の教団の教皇猊下は目を細めて答えた。
「……リーグランドン王国で、教皇代理として派遣された二名なしで選王侯会議が開かれた、じゃと?」
ラファエロ・サンティ教皇。
複数の教派に分かれる白の教団の頂点。大陸の中でも比類なき強大な権力を持つ存在。
いわゆる、神に最も近い存在である。
「はい。たしかリーグランドン王国には、コレッジオ枢機卿、マソリーノ枢機卿のお二方がいらっしゃったはずですが、そのいずれも立ち会わなかったそうです」
「ふむ。ではその決議は、儂ら教会としては認められぬな。正式な効力はなかろうて。公的な文章が世に出たとしても、教会は一切関知せずと伝えるがよい」
白の教団とは、かつての古代帝国に国教の一つとまで認められた宗教団体である。
そしてその教皇は、独立した古代帝国の属州の支配者にそれぞれ王位を認め、戴冠式に立ち合い、王の権威を保証してきた。
これが何を意味するか。
簡単に言えば、教会が認めない公文書は、国際的な効力をほぼ持たない、ということである。
権威とは白の教団のことであり、保証とは神の代行者がそれを認めること。古代帝国崩壊後の大陸の歴史は、白の教団の歴史とほぼ同義なのだ。
神が認めない公的文書。それに効力などあるだろうか。
バスキア宣言などと謳っているらしいが、いずれ勝手に瓦解するであろう。
このバスキア宣言の功績を以って伯爵位に昇爵されるという話が出ているらしいが、大した話ではない。
「では、いよいよ本格的に、精霊の聖地バスキアを召し頂かなければならんのう。かの地をずっと任されてきたキルシュガイストが、ようやく大司教となったのじゃ。そろそろ正式に司教区の寄進を子爵に願い出ねばならん」
「はい、ラファエロ教皇猊下」
「将来、王国の首都にする構想がある、などと言って儂の言葉を跳ねのけてきた罰じゃな。ギュスターヴめ、手間のかかるやつじゃったわ」
教皇ラファエロは、憎き仇敵の失敗に笑みを隠すことができなかった。
混迷に喘ぎ、戦を繰り返す諸国の中で、あのリーグランドン王国は上手く立ち回っていた。中でも国王ギュスターヴは、教会の影響力を少しずつ削ぎ、"強い国"を順当に作り上げつつあった。
挙句の果てには、教会の司教叙任権にまで制約をかけようと干渉してくる始末。枢機卿にまで癒着していたとは、想像を超えた政治的手腕であったが、その枢機卿を失脚させて僻地の修道院送りとし、ようやく事態は収拾した。
かつて煮え湯を飲まされたラファエロにとって、かのリーグランドン王国は食えない相手なのである。
「じゃが奴は失敗した。己の国一つすら御することができぬようじゃ、あやつも弱くなったものよ。これも神の思し召しじゃろうて」
さてさて、とラファエロは複数の手紙をしたためて準備する。
そのうち一つは、他ならぬバスキア子爵に向けてである。
自身の治める領地の一部が大司教区と認定されることは、貴族にとってはこの上ない誉れである。大陸中でも選ばれし貴族のみが、その栄誉に与ることができる。
当然、家格は比類ないほどに高くなり、社交的な地位は保証されたも同然である。いずこかの国の姫君と縁談が入ってもおかしくないだろう。
新進気鋭の若者貴族が、この提案を断るはずもない。
「さて、そろそろバスキア領に、本格的に手を付けねばなるまいな。異種婚を推奨したり、他の宗教に寛容であったり、些かその行動は目に余る。恭順を示してもらおうかの」
封建思想が大陸各地に広まり、教皇の権威にやや翳りがあるとはいえ、未だに国家元首に相当するほどの権威はある。
この求心力をもっと高めることこそが、ラファエロの抱く野望なのである。