第64話 第二章エピローグ 選王侯会議
話の流れで、まさかの選王侯会議に同席することになってしまった。
選王侯会議とは、実質的に、このリーグランドン王国の本当の意味の"中枢"の会議体である。とはいえ今回は、バスキア領主の処遇を議論する話の延長戦の話なので、教会からの聖職者は入っていない。ここにいるのは国王と辺境伯のみとなる。
子供並みの感想ではあるが、選王侯は化け物ばかりがそろっているのだな、と痛感した。
だがやはりその中でも群を抜いていたのはチマブーエ辺境伯とギュスターヴ陛下である。
他の選王侯たちは、情報網が広く、難解な話であっても飲み込みが早い、という印象であったが、ほとんど議論を進めていたのはこの二人だったからである。
「てっきり日を改めて議論しなおすと思っていたのに、意外だったわ。そうなればあんな空気にはならずに、主導権を取り返せたかもしれないのに。そして、王家直轄地になるのを免れなかったかもしれないわ」
「それをすると負けだったのだ。そうなったら最後、この青年は恐らく、本気でバスキア領を統治することを辞めていただろう。もはやあの段階で、余の勝ち筋は、"余自ら、王家直轄地に下ることを打診して、本人の意志で許諾してもらう"他なかったのだ」
こんなに砕けた口調のチマブーエ辺境伯は初めて見る。だが国王陛下も全く咎めるつもりはないらしい。二人はどうも旧知の仲らしかった。
「今日は、バスキア城伯が本当によくやってくれたわ。私が出しゃばる必要もなかったもの」
「さすがに"貴族を辞める"という宣言には肝が冷えたぞ。あわや宣戦布告かと勘ぐってしまった。あれもお前の仕込みか」
「まさか。私だって肝が冷えたわ。せいぜいあの場では、"国家反逆を企ててもなく、これだけの功績を挙げた忠臣に対して、領地を簒奪することが中央官僚の総意なのですね"と確認するぐらいだと思っていたもの。で、向こうが硬直的な態度を続けるようだったら、その時は私たち諸侯が動こうと思っていたの。選王侯会議にかけましょう、ってね」
念のための予防策が張ってあったのか、と驚く。さすがはチマブーエ辺境伯、徒手空拳で突っ込むような人ではなかった。
となると、あの場であんな強烈な啖呵を切った俺は、相当恥ずかしいことをしてたんじゃなかろうか。
「でもそのおかげで、頭でっかちの中央官僚のみんなもぐだぐだよ。最高だったわ」
「……選王侯会議になることは予想していた。だから、こうやって選王侯を事前に呼んでいたのだ。そしてこの青年の処遇を決定する……はずだったのだ」
とても楽しそうなチマブーエ辺境伯を見ると、なんだか若いころの彼女が想像できてしまう。"猛牛"とあだ名されているのもちょっとわかるかもしれない。この大荒れっぷりを楽しんでいたのだとすると、相当な胆力の人間である。傑物といって差支えない。
「そういえば、下水整備の王国議会の決議という攻め筋をもっと押してくると思ってたのよ。案外淡白だったわね」
「あれは、恩を着せるための策だ。"下水整備しなくてもよい、その代わりに一つ融通を利かせろ"と迫る切り札にも転用するつもりであった」
「そうよね。私の知っている国王陛下なら、貿易地、観光地として要所になっているあのバスキア領に、そんなもったいない真似はしないわよね。バスキア領から各地に伸びている舗装道路からドブの匂いが沸き立つなんて、ちょっと嫌よね」
チマブーエ辺境伯の発言には、かなり納得できるところが多い。
俺も同意見である。まさかそんなことを本気で考えているのか、と思ってしまったぐらいである。
「で、実際のところ、本気で王家直轄地にするつもりだった訳かしら?」
「本気だとも。少なくとも、並大抵の対価では引き下がらないつもりであった。バスキア領には今やそれだけの価値がある。首都の移転を考えてもよいぐらいにはな」
「! あら、それで王国議会の下水整備とかを押しつぶすつもりだったの?」
「それ以外にもたくさんあった。もし仮にあの青年が仮病で欠席するなどして時間稼ぎをしても、嫌がらせの法案なら唸るほどある。中央官僚どもはそれを周到に用意していたとも。
そして、王家直轄地になったらなったで"首都移転を考えているから今までの法案は全部なし"で無に帰す予定だった。実際に首都移転しなくても、その噂だけで全部潰れるからな。こっちは議会の通し得、すべて空手形なのだ。嫌がらせ法案をいくら可決しても痛みはなかったのだ」
「首都にするのはなかなか大胆な発想ね……だって住民のほとんどは反王家よ? 命の危険があるのよ?」
「それでも、精霊を発見した地を首都にできるというのは、それだけ政治的にも重要なのだ。余の命を懸ける価値はあった。……今となっては全部泡となって消えた構想だがな」
しかし、聞けば聞くほど恐れ入る。
答え合わせを聞いているような感じだが、政治ができる人間の策謀とはここまで深いのだな、と感じ入るばかりだ。
全部俺が滅茶苦茶にして、本当に申し訳なくなってくる。
(一応、下水工事の議決を話題に出されたときに備えて、すでに下水整備に着手してはいるんだよな。地下で)
何を隠そう、実は、クソバカでかい地下下水道をつくっている最中だった。
例によって力技で解決しようとしていたのだ。それなのに、実は裏でこんな政治的やり取りが発生していたなんて、ちょっと恥ずかしい。
なんてことを考えていたら「でも、下水整備は着々と準備していたのでしょう?」とチマブーエ辺境伯に話を向けられてしまった。
見抜かれていたらしい。洞察力が群を抜いて鋭く、本当に恐れ入るばかりだ。
「ふむ、地下か……。周辺領地は飲み水を井戸水で補っていると聞くが、下水設備を地下に作ると井戸水が汚染されるという問題があるぞ。その時はどうするのだ」
「あ、いえ、王都も一緒ですよ、地下に下水道を作ってますよと言おうかと思って……」
「……なるほど、こちらで攻めても結局、王家批判だと転嫁できた訳か」
俺の答えを聞いて、ギュスターヴ陛下はため息を一つ吐き出していた。
そう。こちらの話題になっても、上手く王家批判に話を誘導することができたのだ。
王都は下水道を地下に作っている。掃除をしていたあの頃が懐かしい。だがこの構造ゆえに、地下水が汚染されてしまうという問題があった。それを防ぐためにちょっと難しい工事をしているらしいが、詳細は公には知らされていない。
結局、今回はこの話題にならなかったが、まあ済んだ話である。
「それに、クソバカでかい上水道も一緒に整備して、周辺領地に飲用水を配布しようと思っていましたし、飲用水の問題はないかと」
「……そうだったな、アシュレイ卿はそういう盤外戦術が得意であったな。つくづく、前提を全部ひっくり返すやつだ」
そう、一応対策は進めておいたのだ。念のため。
ただし俺の想像以上に、中央官僚の手管がよくてあっさり中央への招聘が決まってしまい、工事がある程度形になる前に呼び出されてしまった、というだけなのだ。
――閑話休題。
話題はようやく、本題であるバスキア保険の話に移った。
「単刀直入に言う。今回の保険契約により、おまえは貴族たちから莫大な契約資金を手に入れられる。金融機関があって、元手となる資金がたくさんあって、証券取引所がある。……お前は何をするつもりだ」
「まあ、自分の領地にいる商会を育てるための投資ですかね……」
「そうか。余はてっきり、大陸全土の大手商会を食いものにしてやろうとたくらんでいるのかと思ったぞ」
「まあ、そこは追い追いですかね……」
ギュスターヴ陛下の言葉に、俺は委縮してしまった。
陛下曰く、どうやらもっと悪いことができるらしい。俺もなんとなくいくつかの方法は思いついているが、上手くいくかは自信がない。この辺の経済の知識には疎いので、勉強させてもらえるのであれば、色々と学びたいところだ。
そもそも、現物の金貨を大量に持っているのは、かなりの強みなのだ。
俺の手元には、試算でおよそ数百万枚の金貨が届くことになっている。たくさんの貴族たちがバスキア貴族契約にどんどん加入してくれたおかげで、一時的にではあるが、バスキアの財産は恐ろしいほどに膨れ上がっている。
聞くところによると、土地やら美術品やらで金貨数百万枚の価値の財産を持っているのと、実際に金貨数百万枚を持っているのとでは、どうやら影響力が違うらしい。銀行や証券取引所を持っている場合は、後者の方が強いのだという。
このあたり、また後でチマブーエ辺境伯から勉強させてもらいたいところである。
「……全く、厄介な契約を思いついたな。王家は、ほぼすべての貴族とこの契約を結ばなくてはならん。貴族を選別して契約を結んでしまうと、契約を結ばなかった貴族に不満を持たれてしまう。不公平に扱われた、我が一族を蔑ろにした、とな。ここにいる選王侯の諸兄らも同じ状況であろう」
「あら、でも貴族間の結束が強まるのは、私たち大貴族にとっては歓迎すべきことよ。既得権益を手にしている私たちからすれば、今の構造が固定化して安定化するのは大歓迎でしょう? それに、利子収入がなくてもいいのよ。破棄された時に相手に痛みを与えられる、そして偽造困難な条約文章をたくさん作れるのですから」
政治的立場が強い今、有利な契約をどんどん周囲に捻じ込んでいくといいのよ、なんてことをチマブーエ辺境伯はのたまっていた。
実際にそれを企んでいるのだろう。関税の取り分とか、交易品目の指定とか、選王侯の立場を利用して出来ることはたくさんある。
偽造は困難、本物である証明は簡単。
要するに、契約の効力の証明が簡単で、破棄されると(疑似的な)罰金が相手に自動的に発生し、なおかつお望みとあらば継続的な利子が発生する契約書。力の強い大貴族からすれば、まさに夢のような契約書であろう。
「たくさん借金させてもらいますよ、バスキア城伯? 借金の利子によって利子収入が相殺されても、契約書を複数結ぶ価値があります」
「ふむ、どう悪用するつもりだ? わざと契約破棄せざるを得ない状況まで追い込んで、気に食わない相手を破産させる気か?」
「あら、それも考えたけど違うわね。そんなことを続けていると、怖がって誰も私と契約してくれなくなるわ。私はあくまで、緩やかな関税同盟を作るだけよ」
あっさりと凄いことを言っている。商圏を拡大すると公言しているようなものだ。
選王侯ほどの力がある貴族がこれをやると、経済的な影響力を及ぼす範囲はとても広くなるだろう。しかもチマブーエ辺境伯の領邦は大陸西方。自然とバスキア領に近くなる。海外貿易を行う港まで含まれるわけだ。
これのどこが緩やかな関税同盟だろうか。
「――さて、選王侯の皆様方。バスキア城伯は今宵、とてもいい提案を持ってきてくれました」
契約用紙にざっと目を通しつつ、チマブーエ辺境伯はさらりと署名していた。
金額に金貨百万枚、と書かれていて、さすがの俺も度肝を抜いた。いきなり金貨百万枚なんて豪胆すぎる。小国の国家予算に匹敵する金額だ。
だが彼女は全く臆することもない様子で、言葉を続けていた。
「お互いに裏切らないか、互いに牽制しつつも軍備をしっかり拡大してきた我々選王侯同士ですが、これからは領邦内の治安と魔物討伐、国外の動乱、そして迷宮開拓にもっと効率よく兵団を回すことができるでしょう。これからも、選王侯の友好な関係が変わらぬことを誓って」
(あ、そうか。選王侯ほどの大貴族同士だったら、疑似的な軍縮にも使えるのか。同じ軍事費でも、もっと治安や国外対策や迷宮開拓に兵士を派遣することができるようになるんだ)
殆どが辺境伯として国境を守っている選王侯にとって、この効果は大きすぎる。貴重な兵力を遊び地に駐在させなくても良くなる。背後を突かれる心配をぐっと減らせるのだから。
チマブーエ辺境伯と視線がぶつかる。彼女は茶目っ気たっぷりにウィンクを一つ飛ばしていた。
その瞬間、俺はなんとなく悟ってしまった。
"もしかして、あの突拍子もない保険の提案が受け入れられたのは、先に巨大な壁になりうる選王侯たちを誰かが説得してくれていたからじゃないのか"――そんなことを敢えて聞くつもりはなかったが、なんとなく、それに近い計らいはされていたような気がする。
――――――――
■あとがき
ここまでお読みいただきありがとうございました。後半から一気に難解になりましたが、第二章のエピローグを無事迎えることができました。
感想を見て結構びっくりすることも多かったです。たとえば、金本位制の貨幣制度(兌換紙幣の話)とか、信用創造の話とか、今後そういう話をしたいけど、もっと丁寧に説明が必要かなあ……と思ってたところ、そういった要素まで汲み取って読んでいただいる方が結構いらっしゃって、非常に嬉しかったです。
思い返せば、ˈʌndiːnの意味をかなり早くから看破してる方もいらっしゃったので、書いてて楽しかったですね!
今回の話は、作者の想定よりも結構二転三転して今の形になりました。
前回あとがきに書いていた ↓
『一つネタバレすると、富くじ(=宝くじ)を拡張させた概念が、大陸の経済を大きく揺るがすことになります。教会の大司教公認で、かつ"精霊の聖地のご利益がある"という権威性が、悪魔のような働きをします。』
というネタが、二転三転の結果、いつのまにやら消滅してしまいました。
保険の方がやはりロマンがあったので……つい……。
気になる方は、「南海泡沫事件」を見ていただければ、と。(もしかしたらこのネタ使うかもです)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E6%B5%B7%E6%B3%A1%E6%B2%AB%E4%BA%8B%E4%BB%B6
さて、今回は作者の趣味が入ってしまい、やたらと頭脳戦っぽくなってしまいました。設定だけ難解になって読みにくくなってちょっと反省してます。
次の章の話はもっと単純明快に、そしてスカッとする話にしたいなと思います。
次はいよいよ「教会編」。ようやく教皇が出てきます。果たしてどうなるでしょうか。
面白いと感じましたら、小説フォロー・★評価をポチッとしていただけたら幸いです。
これからもよろしくお願いいたします。
(2022/6/21)誤字修正しました! 報告ありがとうございます!
※本作品はカクヨムのコンテスト「第四回ドラゴンノベルス小説コンテスト」を受賞いたしました。
更新が滞っていたのでなろう版でも順次更新を進めて参ります。長らくお待たせいたしましたが、皆様お楽しみくださいませ!
※最新話までカクヨムで公開中